本論文『近世都市江戸の社会構造』は、最大の城下町であった江戸を素材として、都市の社会構造に関する基礎研究を課題とするものである。内容は大きく第一部「近世後期の江戸大商人・町共同体」と第二部「武家地の基礎的研究」の二部にわけられ、17の章と4つ補論から構成されている。 第一部では・町人地をとりあげ豪商や家守の諸相を対象にする・まず前半の3つの章で19世紀における豪商の事例分析が行われ、江戸の場末・駒込の酒・醤油等の仲買・小売であった高崎屋長右衛門と、下総関宿の干鰯問屋で江戸に進出し多くの町屋敷を所有した喜多村富之助について、「十組問屋仲間」以外の江戸住大商人としての特質を検討する。また後半の二つの章では、白木屋という大店=地主と、江戸の中心部・日本橋通一丁目の町共同体を事例として、地主による家守支配の基調や、家守の家とその共同性(家守の町中)の歴史的性格を考察する。 第二部は、江戸の空間構成の大半を占める武家地に関する基礎的研究であり、12の章が含まれ、2〜3章づつ以下の五つに分けて構成されている。1「江戸の拡大と武家地」では、江戸北郊の駒込や周辺農村における武家抱屋敷の様相が詳細に明らかにされる。2「都市居住者としての役」では、武家方辻番の制度史的検討とその具体相が検討される。3「大名家の消費と都市社会」では、蓮池藩(佐賀藩支藩)麻布邸関係史料の分析を通じて、その消費生活の実態や商人・職人との関係がしめされる。4「大名家と江戸の寺社」では、人吉藩や松代藩の事例から、江戸における大名と寺社との関係が、菩提寺・葬祭・信仰・行事などを検討するなかで多面的に明らかにされる。5「塀の向こうの神々」では武家屋敷内の神仏の公開という興味深い事実を検討し、文化的な側面から都市社会の中での武家地の性格を論ずる。 本論文の成果と特徴は以下のようである。 (1)巨大城下町江戸の社会構造分析に不可欠な、大商人の家、町共同体、大名の家など、都市内における部分社会の実証的研究を旺盛に推し進め、新たな史料発掘を伴って、多くの事例を提供していること。この点は、近世都市史研究を格段に精緻なものとするうえで大きな貢献となっている。 (2)家守の家と町中の性格論や、雛問屋仲間の文書管理論(第一部補論)、また武家方辻番の制度史、武家屋敷と周辺社会との関係論など、綿密な実証研究に支えられた独創的な論点を数多く提示していること。 (3)考古学や建築史などの隣接科学における研究成果を数多くとりいれ、斬新な方法と視点を独自に有す点。錯雑とした都市社会の歴史研究にとって、こうした広い視野と多様な方法を持つことは貴重な資質である。 このように本論文は膨大な内容をもち、多くの成果をあげているが、町人地と武家地の相互関係など、巨大城下町における社会構造の全体像を描くにはまだ至っていない。しかし、上述した成果からみて、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。 |