魔女狩りと魔女裁判は、中世末期からルネサンス期を経て近世初頭に至るまで西ヨーロッパ全域で猛威を振るい、多数の悪魔学、魔女論が出版された。本論文は、16世紀後半にフランスで公刊された2冊の魔女論、すなわちジャン・ボダンの『魔女の悪魔狂について」(1580)とヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』(フランス語訳1579)を主要な考察対象として取り上げ、それらがいかなる論証法とレトリックを駆使して読者に訴えかけているかを、両者の対比を通じて明らかにすることを目指している。その際、論者は、ボダンが自著の末尾にヴァイヤーを激しく攻撃する文書「ヨーハン・ヴァイヤーの意見への反駁」を付していることに注目し、比較をすすめてゆく。さらに両者の議論を理解する前提として、15世紀後半、二人のドメニコ会士の異端審問官によって執筆され、魔女論のプロトタイプとなった『魔女への鉄槌』を取り上げ、その思想と説得術の分析も行っている。 テクストの読解に当たっては、それらを産み出した文化的状況を可能な限り考慮して、テクストの論理とレトリックを埋解することに努め、それらが当時の神学、医学、法学、司法制度の知識と枠組みに支えられていることを丹念に分析してる。その上で、それぞれのテクストの根底にある思考法、さらにその背後に控えている著者たちの世界観を浮き上がらせようと試みている。 全体は4章からなり、第1章では『魔女への鉄槌』のスコラ的な論証法の特徴を分析し、第2章ではボダンの『魔女の悪魔狂について』の読解を通じて、そこにスコラ学からルネサンスのユマニスム的論証法への移行、狭義の宗教問題から政治問題、さらには国家の秩序維持の問題への重心の移動を読みとっている。第3章のヴァイヤー論は,医者として魔女の存在を疑問視したとして賞賛される彼の著作が、実践的な目標と並んで、フィクションによって読者を楽しませるという「文学」的側面を持つことを、テクストに含まれる叙述のタイプの分析を通じて明らかにしている。最終章はボダンのヴァイヤー攻撃文書を取り上げ、それが単なるヴァイヤーの主張の反駁にととまらず、ヴァイヤーが悪魔と通じた魔術師であるという論告、いわば、被告人不在の「魔女裁判」となっていることを論証している。 本論文は、言及されることは多くても、実際には精密な読解の対象となることの少ない上記テクスト群の中に分け入り、その主張と論証法を、当時のさまざまな学問の論理と関連づけて、テクスト内部から着実に理解しようとしている点で、従来の概説的な魔女論の水準をはるかに超えるものと評価できる。ただ、きわめて広範なテクストを対象とし、また学際的な知識を駆使しようとするあまり、テクストの解釈についても立論についても、やや強引すぎるところがないわけではないが、それとても論文全体の論旨をそこなうものではない。以上から、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断ずる。 |