学位論文要旨



No 114790
著者(漢字) 平野,隆文
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,タカフミ
標題(和) ジャン・ボダンとヨーハン・ヴアイヤー:悪魔学の医学的・法学的・司法的「テクスト戦略」を巡って
標題(洋)
報告番号 114790
報告番号 甲14790
学位授与日 1999.10.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第264号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 深沢,克己
 東京大学 教授 宮下,志朗
 東京大学 助教授 塚本,昌則
内容要旨

 本稿は、フランス・ルネサンス期後半のユマニスト、ジャン・ボダンの『魔女の悪魔狂(について)』(初版は1580年)と、ラインラントの医師ヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』(ラテン語の初版は1563年、フランス語訳は1579年)のフランス語訳を、その主な考察対象にしている。双方の著作の内容を把握した上で、各々のテクストの特性を、論理やレトリックあるいは論証法という観点から浮き彫りにするのを目的としている。双方とも、歴史学の立場から考察の対象となる場合が多く、ボダンは「人道に反する罪」を犯した張本人、ヴァイヤーは魔女狩りと闘った「知的英雄」として把握されることが圧倒的に多いが、本稿では、こうした一種の「進歩的イデオロギー」に則った解釈から双方を開放し、「テクスト」そのものの核心に迫ることを目指した。なお、双方を論じる上で、「魔女論」のプロトタイプとして、16世紀後半から17世紀初頭に再度「ベストセラー」となっていた、『魔女への鉄槌』を採り上げ、比較の対象としている。

 15世紀末に二人の異端審問官によって著された『魔女への鉄槌』は、トマス・アクィナスの『神学大全』と同じ構成をとる書物であり、悪魔学・魔女学に於ける知識を、百科全書的に網羅した「スンマ」である。末期スコラの書として、煩瑣な議論が多く見受けられ、「条件仮説法」に代表されるような、巧妙な「罠」がテクストの随所に仕掛けられている。この「スンマ」は、魔女を明確に異端と位置付けた書であり、魔女裁判のマニュアルとして何度も版を重ねている。ポダンの『悪魔狂』は、彼の『国家論』同様に、帰納法的論理学の上に構築された書物である。彼は「況や式議論」という説得のレトリックを駆使して、超自然現象を読者の頭に刻印しようと努めている。ボダンの最大の特徴は、魔女の問題を、国家のあり方という観点から考察した点に求められる。彼は、『鉄槌』以来の伝統的な解釈を一八〇度転換し、魔女を異端としてではなく、世俗的な刑事犯として裁くべきだと考えていたようである。

 ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』は、議論に加えて、フィクションやコメントといった多ジャンルを含包する作品であり、「魔女論」としては異色のものである。彼は医学的見地から、魔女は悪魔の作用によってメランコリーに陥っているだけであり、その「悪行」は想像上のものに過ぎないという論を展開した。彼の「仮想敵」は『鉄槌』であり、医学的・法学的観点から、『鉄槌』の主張に暗に異議を唱えている。また、フィクションを随所に挟み込み、文学的な愉悦を読者に提供している。ボダンは、「ヨーハン・ヴァイヤーに対する反駁」を『悪魔狂』の巻末に付して、論敵を厳しく批判する。このテクストは、しかし単なる「反駁」に終わってはいない。ボダンは、様々な証拠を挙げて、ヴァイヤー自身が魔女であると断言し、その上で厳密に司法的な概念を適用しつつ、相手を魔女罪で裁こうとしている。このテクストは、 「反駁」であると同時に、被告人不在の裁判を文書で実践した、「論告文」としての側面をも有しているのである。

審査要旨

 魔女狩りと魔女裁判は、中世末期からルネサンス期を経て近世初頭に至るまで西ヨーロッパ全域で猛威を振るい、多数の悪魔学、魔女論が出版された。本論文は、16世紀後半にフランスで公刊された2冊の魔女論、すなわちジャン・ボダンの『魔女の悪魔狂について」(1580)とヨーハン・ヴァイヤーの『悪魔による眩惑』(フランス語訳1579)を主要な考察対象として取り上げ、それらがいかなる論証法とレトリックを駆使して読者に訴えかけているかを、両者の対比を通じて明らかにすることを目指している。その際、論者は、ボダンが自著の末尾にヴァイヤーを激しく攻撃する文書「ヨーハン・ヴァイヤーの意見への反駁」を付していることに注目し、比較をすすめてゆく。さらに両者の議論を理解する前提として、15世紀後半、二人のドメニコ会士の異端審問官によって執筆され、魔女論のプロトタイプとなった『魔女への鉄槌』を取り上げ、その思想と説得術の分析も行っている。

 テクストの読解に当たっては、それらを産み出した文化的状況を可能な限り考慮して、テクストの論理とレトリックを埋解することに努め、それらが当時の神学、医学、法学、司法制度の知識と枠組みに支えられていることを丹念に分析してる。その上で、それぞれのテクストの根底にある思考法、さらにその背後に控えている著者たちの世界観を浮き上がらせようと試みている。

 全体は4章からなり、第1章では『魔女への鉄槌』のスコラ的な論証法の特徴を分析し、第2章ではボダンの『魔女の悪魔狂について』の読解を通じて、そこにスコラ学からルネサンスのユマニスム的論証法への移行、狭義の宗教問題から政治問題、さらには国家の秩序維持の問題への重心の移動を読みとっている。第3章のヴァイヤー論は,医者として魔女の存在を疑問視したとして賞賛される彼の著作が、実践的な目標と並んで、フィクションによって読者を楽しませるという「文学」的側面を持つことを、テクストに含まれる叙述のタイプの分析を通じて明らかにしている。最終章はボダンのヴァイヤー攻撃文書を取り上げ、それが単なるヴァイヤーの主張の反駁にととまらず、ヴァイヤーが悪魔と通じた魔術師であるという論告、いわば、被告人不在の「魔女裁判」となっていることを論証している。

 本論文は、言及されることは多くても、実際には精密な読解の対象となることの少ない上記テクスト群の中に分け入り、その主張と論証法を、当時のさまざまな学問の論理と関連づけて、テクスト内部から着実に理解しようとしている点で、従来の概説的な魔女論の水準をはるかに超えるものと評価できる。ただ、きわめて広範なテクストを対象とし、また学際的な知識を駆使しようとするあまり、テクストの解釈についても立論についても、やや強引すぎるところがないわけではないが、それとても論文全体の論旨をそこなうものではない。以上から、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断ずる。

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