学位論文要旨



No 114791
著者(漢字) 澤田,典子
著者(英字)
著者(カナ) サワダ,ノリコ
標題(和) フィリポス2世とギリシア世界
標題(洋)
報告番号 114791
報告番号 甲14791
学位授与日 1999.10.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第265号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 櫻井,万里子
 東京大学 教授 樺山,紘一
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 逸身,喜一郎
 東京大学 教授 本村,凌二
内容要旨

 従来のマケドニア史研究においては、アレクサンドロスに関する研究に圧倒的な比重が置かれていたが、1970年代には、マケドニア王国全般に幅広い関心が向けられるようになり、以来マケドニア史研究全体がこれまでにない活況を呈している。なかでもとりわけ注目に値するのは、これまでアレクサンドロスの陰に隠れがちであったフィリポス2世に関する研究のめざましい進展である。

 フィリポスについての近年の諸研究は、「史料の偏り」からくる従来のアテネ中心主義的な研究のあり方を批判し、アテネ中心主義をはなれたマケドニア側の視点に立って研究を行なうことをその共通の目標としている。しかし、これらの研究は、逆にフィリポスのアテネに対する友好姿勢を過大視する傾向に陥っており、なかには、フィリポスのギリシアにおける目標をフィリポスとアテネによる「二元覇権(dual hegemony)」の達成と見なし、フィリポスはアテネをパートナーにするために一貫して友好的にふるまった、とする解釈も見られる。こうした見解は、フィリポスの計画におけるアテネの中心的役割を認めようとする態度であり、やはりアテネ中心主義の現われであると思われる。

 こうした傾向は、前346年にフィリポスとアテネの間で締結された「フィロクラテスの和約」をめぐって最も明確に打ち出されており、近年の諸研究は、このフィロクラテスの和約をフィリポスのアテネに対する友好姿勢を具現するものとして、フィリポスの計画の中に非常に大きく位置づけている。本稿では、まずこのフィロクラテスの和約を中心とする、治世を通じてのフィリポスとアテネの関係を考察し、フィリポスの対アテネ友好姿勢を強調するこれらの研究のアテネ中心主義的傾向に修正を加えることを第一の目標とした(第I章)。そのうえで、常にフィリポスとアテネの関係を軸としてとらえられがちなフィリポスとギリシア諸地域の関わりを史料に即して解明し、カイロネイアの戦いに至るまでのフィリポスのギリシア征服の全体像の再構築を試みた(第II章)。また、近年の研究には、ギリシア征服に対するフィリポスの関心のうすさを強調する傾向も見られ、フィリポスは初めからペルシア遠征を指向しており、貧しいギリシアには関心がなかった、とする見解がある。そこで、フィリポスのペルシア遠征計画の動機や起源という問題を考察し(第III章)、フィリポスが初めからペルシア遠征を指向していたというこうした近年の見解にも検討を加えた。

 つまり本稿の目標は、フィリポスとアテネの関係をフィリポスのギリシア征服の計画の中に正しく位置づけ、近年の諸研究において強調されるフィリポスの対アテネ友好姿勢の存否を問うこと、そしてそのうえで、フィリポスのギリシア諸地域における勢力浸透の過程を解明し、アテネ中心主義的な見方をはなれたフィリポスのギリシア征服の全体像を再構築することである。

 本稿では、結論として、フィリポスのアテネに対する友好姿勢を過大視し、フィリポスの計画におけるアテネの中心的役割を強調する近年の諸研究には修正を加える必要があることフィリポスのギリシア征服の過程は、アテネとの関係の展開の過程と同一ではなく、他のより重要ないくつかの道が相互に絡み合って進行していく過程であったことを論じた。勿論、そうした過程においてアテネが果たした役割が皆無であったと言うわけではないが、アテネはあくまでもギリシア世界におけるフィリポスの数多くの目標のひとつにすぎなかったのであり、近年の諸研究の言うようなフィリポスの計画におけるアテネの中心的役割や、フィリポスとアテネの「二元覇権」計画といったものは見出せないのである。フィリポスのギリシア征服の過程は、アテネの制圧或いはアテネとの協力の過程と同一視されるべきものではなく、フィリポスがギリシア世界の覇者となるための過程は、実に多くの道を有していたのである。こうした結論は、フィリポスのギリシア征服についてのアテネ中心主義的な歴史像の修正を迫るものと言えよう。

審査要旨

 ペロポネソス戦争は、前404年に終結したが、前4世紀に入ってもギリシア諸ポリス間の対立抗争は絶えなかった。その間に国力を充実させて強大化した北方のマケドニア王国は、ギリシア世界への侵略をもくろみ始めるが、その脅威を前にしてもギリシア世界は一致団結することなく、ついに前338年のカイロネイアの戦に敗北してしまう。北方の小国マケドニア王国をこれほどの強国にした功労者は、前360/359年に王位に就いたフィリポス2世であった。澤田氏の論文は、このフィリポス2世のギリシア世界征服の全体像を再構築しようとした、意欲的な論文である。

 フィリポス2世についての研究は、近年増加の一途にはあるものの、史料が限られているため、困難を強いられる分野である。関係史料のほとんどがアテナイ側の、デモステネスらの政治演説であって、反マケドニア的色彩の強いものであるため、これまでの研究は、どうしてもアテナイを中心にフィリポスの行動と計画を評価しがちであった。澤田氏の論文はこのように偏りのある史料を綿密に読み直すことで、ギリシア世界の諸勢力とフィリポス2世との複雑な関係を解明するとともに、史料間の齟齬を見抜き、その齟齬を史料相互の照合と分析によって解決することにより、フィリポスのギリシア征服過程の新しい解釈を提示することに成功している。

 論文は3部からなる。第I章では、前346年にアテナイとマケドニアの間で締結されたフィロクラテスの和約の分析を手がかりに、フィリポスのギリシア征服の計画と対アテナイ政策の解明を行い、従来のアテナイ中心主義的な解釈を是正した。第II章では、イリュリア・トラキア・テッサリア・エピルス・エウポイアにおけるフィリポスの勢力浸透過程を史料に即して解明した。第III部は、フィリポスの遠征計画の対象が当初からペルシアであった、という近年の見解を論駁し、ペルシア征服計画はギリシア征服が進展する過程の中で発展的に具体的な姿をとりはじめた計画であった、との結論した。

 依拠する史料がもっぱら文字史料であるが、その割に史料批判に甘さがあること、近年活発に進められている考古学的研究成果の利用が不十分であること、などに不満はあるものの、全体として、史料の偏りという困難を乗り切って、フィリポスのギリシア征服を相対化し、征服計画のより実態に近い全体像を再構築することに成功した点は称賛に値する。よって博士(文学)を授与するにふさわしい論文であると判断する。

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