学位論文要旨



No 114797
著者(漢字) 鈴木,晃
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,アキラ
標題(和) 第一原理計算によるAl粒界中の不純物偏析に関する研究
標題(洋)
報告番号 114797
報告番号 甲14797
学位授与日 1999.10.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4552号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,良一
 東京大学 教授 七尾,進
 東京大学 助教授 市野瀬,英喜
 東京大学 助教授 森,実
 東京大学 助教授 小田,克郎
内容要旨

 アルミニウムの精錬時には大量の電力を消費する。これは、アルミニウムの鉱石であるボーキサイトがアルミニウム酸化物であり、アルミニウムと酸素の結合が非常に強く、その結合を引き離すのに莫大なエネルギーを必要とするからである。具体的には、アルミニウムの新地金1トンをボーキサイトから生産するのに必要なエネルギーは31.532×106kcalである。一方、再生地金1トンの生産に必要なエネルギーは1.056×106kcalであるため、アルミ缶などを回収してもう一度製品にする場合、鉱石から製品にする場合の約3%のエネルギーで済むということになる。LCA(Life Cycle Assesment)の観点からも再生材の生成では鉱石からの精錬に比べて約8%の環境負荷で済むと報告されており、リサイクル推進の重要性が指摘されている。

 しかし、回収されたスクラップには不純物が多く含まれるため、アルミ再生材はバージン材より脆化しやすいという問題がある。このため展伸材から展伸材への完全なリサイクルは確立されていない。

 アルミニウム合金の高温脆化に関する実験研究は、高純度アルミニウムの入手が可能になったこと、極微量分析技術が発展したことなどからこれまで検討が困難とされていた各種の微量元素によるアルミニウム合金の粒界破壊現象について多くの実験がなされるようになった。例えば、Na等のアルカリ金属の粒界偏析による高温脆化が研究されている。しかしながら、金属元素不純物が粒界に偏析してなぜ脆化を引き起こすのかについて詳細な理論的研究は未だなされていない。

 理論計算によるAl粒界脆化のメカニズムに関する研究では主に次の二つのモデルで説明されている。一つはTroianoが提唱したdecohesionモデルである。これは不純物原子が金属原子間の結合を弱めることにより原子間結合が切れやすくなるため脆性破壊を起こすという説である。もう一つはHaydockが提唱したbond mobilityモデルで、これは不純物の粒界偏析によって不純物と周囲の原子との間に方向性の強い共有結合的な原子間結合が形成され、ボンドの組み換えが起こりにくくなることによって、クラック先端を鈍化するための転位の生成が抑制されることで塑性変形が起こりにくくなるために脆性破壊に至るという説である

 本研究では第一原理分子動力学法を用いてAl粒界の安定原子配置および電子構造計算を行ない、粒界偏析が粒界脆化に与える影響を電子論の観点から考察することを目的とした。

 第一原理分子動力学法は原子の動きの度毎に電子系について密度汎関数理論に基づく第一原理バンド計算を実行し、全エネルギーと原子に働く力を正確に求め、分子動力学計算を高精度に行う手法である。実質的には、平面波基底を用いる第一原理擬ポテンシャル法バンド計算を高速、高効率かつ少ないメモリで実行する計算技術であり、電子構造計算を高効率化するテクニックと平面波基底数を減らすような効率的な擬ポテンシャルを構築して用いるテクニックとからなる。

 密度汎関数法はKohnとShamによる理論であり、物質系の全エネルギーはその系の電子密度の汎関数として表せること、基底状態の電子密度は全エネルギーを最小にすることを示している。電子密度を一電子波動関数の重ね合わせとして、全エネルギーの最小化条件から一電子波動関数を求めるKohn-Sham方程式を組み立てることができる。全エネルギーを最小にする電子密度が求まれば、基底状態での電子構造問題が解けたことになる。Kohn-Sham方程式では多電子間の複雑な相互作用を交換相関ポテンシャルとして表す。ただし、交換相関ポテンシャルは局所密度近似などを用いねばならず、また、基底状態しか扱えない。

 共役勾配法はエネルギーを最小化する波動関数を求める方法であり、本研究では金属系で有効とされているBKL(Bylander、Kleinman、Lee)法を用いた。

 第一原理擬ポテンシャル法(ノルム保存擬ポテンシャル法)は擬ポテンシャルを作成する際の条件を規定したものである。1.元素の各軌道ごとに選ばれたイオン半径rCの内側で擬波動関数のノルム(波動関数の2乗の積分)が正しい波動関数のものと一致し、rCの外側では擬波動関数が正しい波動関数と一致する、2.擬ポテンシャルから得られる固有値は全電子計算から得られる固有値と一致する、3.ノードがない、という3つの条件を満足することで、与えられたエネルギー付近でのポテンシャルからの電子の散乱をよい精度で再現している。

 原子間の力はHellmann-Feynman力を用いた。これはイオン間ポテンシャルを含めた全エネルギーの空間微分がその原子に働く力であるという理論である。さらに、計算の高速化技法として、擬ポテンシャルの非局所成分の近似法(Kleinman-Bylander展開)や高速フーリエ変換(FFT)などを用いた。

 本研究では相対論の効果も取り入れて擬ポテンシャルを作成した。AlおよびMgの擬ポテンシャルをTM型で、Li、Na、Kの擬ポテンシャルをBHS型で作成した。また、core correctionの問題についても検討した。

 fcc、bcc、hcpの各完全結晶について、対称性を考慮してユニットセル、ブリルアンゾーンを示し、平面波打ち切りエネルギーやFFTメッシュなどの計算条件を調べた。格子定数、体積弾性率、ポアソン比などの各物性値を求め、作成した擬ポテンシャルが良好であることを示した。

 計算対象として図1に示すようなアルミニウム(=9[110])結晶粒界および粒界に各不純物原子を偏析させたモデルを構築した。スーパーセルには84個のAl原子と2つの結晶粒界が存在する。不純物偏析モデルでは粒界付近の4つのAl原子を不純物原子に置換した。不純物原子としてはLi、Na、KおよびMgを用いた。

図1 Al=9モデルの初期配置。a)x-y面、b)x-z面。異なる2種類のレイヤーがZ方向に積層しているため、x-y面で一方のレイヤーを小さく表示した。

 Al=9粒界モデルおよび不純物偏析モデルについて結晶粒界の安定原子配置、局所密度分布、価電子密度分布を計算した。局所密度分布に基づいて価電子のエネルギー準位を3つの領域に分割し、それぞれバンド上部、中部、下部としてバンド毎の議論を行なった。

 計算したAl=9粒界モデルの平衡原子配置はMillsらのHRTEMの観察結果と一致した。結晶粒界には原子密度が低い領域が存在し、その領域では価電子密度が最大値の約30%程度と低かった。また、最近接原子間隔よりも原子間距離が短い領域が存在し、エネルギー準位の高い価電子がその領域に集まっていることが分かった。Al=9粒界モデルの局所状態密度分布からは顕著なピークは見られず、価電子は自由電子的な振る舞いをしていると考えられる。

 不純物偏析モデルの構造緩和結果から、Li,Na,K,Mg偏析により粒界付近のAl原子は不純物原子から最大7%遠ざかる方向に移動したことが分かった。局所状態密度分布からLi,Na,Mg偏析した場合でも顕著なピークは見られなかった。しかし、K偏析ではバンド上部において状態数が増加した部分が見られた。このことからK偏析ではイオン結合性または共有結合性などの付加的な結合が存在する可能性があると考えられる。

 価電子密度分布図から不純物原子の周囲は価電子密度が非常に小さく、Al原子と不純物原子の中間地点では最大密度の50%以下であったことが分かった。特にバンド下部では結晶粒界付近にあった価電子が不純物偏析により大幅にバルクに移動したことが分かった。価電子が移動した理由はAl原子の擬ポテンシャルが不純物原子の擬ポテンシャルよりも深いことから、価電子がAl原子軌道にある方が安定であるためと考えられる。また、Li偏析やK偏析ではバンド上部において不純物原子周囲に価電子密度がNa偏析に比べて若干高い部分があり、Na偏析による価電子密度の減少量が一番大きかった。これはNa原子の擬ポテンシャルがLi,K原子のように深くないことから、Na原子核が価電子を引きつける力がLi,K原子核よりも弱いためと考えられる。

図2 価電子密度分布図。a)Al=9粒界、b)Li偏析、c)Na偏析、d)K偏析。白い部分は価電子密度が高く、黒い部分は価電子密度が低い。

 Al=9結晶粒界計算の構造緩和結果と電子構造結果から粒界偏析が粒界脆化に与える影響を以下のように考察した。

 ・Al=9粒界では粒界付近に原子密度が小さい領域が存在する。この領域は価電子密度が低いため、粒子間の結合力がバルクに比べて弱いと考えられる。

 ・Alが3価であるのに対しNaは1価であるため、Na原子の周囲では価電子密度が低くなる。これはNa原子が原子空孔と同等の役割をしているためと考えられる。また、Na偏析によりAl粒界の体積が増加したため価電子密度が減少した可能性もある。

 ・Na原子付近の価電子がバルクのAl原子間に移動したことにより粒界近辺の価電子密度はさらに減少した。

 ・価電子密度の低い領域は粒界に沿って連続的に分布した。したがって、粒界をはさんだ結晶粒間では結合力が非常に弱くなっていると考えられる。Na原子が同一平面内にいくつか集まった場合、このような結合力の弱い領域が連続して広く分布することになる。応力が加わった場合、その領域で応力集中が起こり、クラックのように働くことで破壊が生じる可能性がある。

 本研究では従来、粒界脆化のモデルとして検討されていたDecohesionとは少し異なる新しいモデルを提唱した。Decohesionモデルでは不純物原子とAl原子の間の結合力が弱まるため、粒界脆化が起きるとしているが、本研究では、結晶粒界を挟んだ結晶粒間の結合力が減少することにより脆化が起きやすくなるとしている点で異なっている。また、本研究ではノルム保存擬ポテンシャル法を用いたバンド計算により、結合に関与する価電子密度の増減を明確に示すことができた。

審査要旨

 アルミニウム合金の高温粒界脆化に関する実験的研究は、高純度アルミニウムの入手が可能になったこと、極微量分析技術が発展したことなどからこれまで検討が困難とされていた各種の微量元素について多くの実験がなされるようになっている。例えば、Na等のアルカリ金属の粒界偏析による高温脆化が研究されている。しかしながら、金属元素不純物が粒界に偏析してなぜ脆化を引き起こすのかについて詳細な理論的研究は未だなされていない。

 不純物偏析による粒界脆化は主に次の二つのモデルで説明されている。デコヒージョンモデルは不純物原子が金属原子間の結合を弱めることにより原子間結合が切れやすくなることが脆性破壊の原因となるという説である。もう一つのボンドモビリティモデルでは不純物の粒界偏析によって不純物と周囲の原子との間に方向性の強い共有結合的な原子間結合が形成され、ボンドの組み換えが起こりにくくなることによって、クラック先端を鈍化するための転位の生成が抑制されることで塑性変形が起こりにくくなるために脆性破壊に至るという説である。本研究は第一原理計算法を用いてAl結晶粒界への金属不純物偏析にともなう平衡原子配置および電子構造を詳細に計算し、原子間結合の変化から粒界脆化の起源を論じたものである。

 論文は全5章から成っている。

 第1章では計算材料科学の発展の歴史を概観し、特にバンド計算について詳しく述べた後に、金属の粒界偏析・脆化に関する最新の実験結果と理論的研究の現状および問題点を述べている。

 第2章では第一原理分子動力学法について説明している。特に、密度汎関数理論、第一原理擬ポテンシャル法に関して詳細に説明し、共役勾配法による全エネルギーの最小化、Kleinman-Bylander展開や高速フーリエ変換による計算の高速化の手法について述べている。

 第3章では擬ポテンシャルの計算法について述べている。実際に作成した擬ポテンシャルを用いて、Al等の金属完全結晶の格子定数、体積弾性率、ポアソン比などの物性値を求め、実験値との比較を行なうことでポテンシャルの信頼性を確認している。

 第4章では第一原理計算結果を述べている。傾角対応粒界のモデルとしてAlの9[110]傾角粒界を選び、その粒界と粒界にLi、Na、K、Mg原子を偏析させたモデルを構築している。計算した9粒界の平衡原子配置はMillsらのHRTEMの観察結果と一致している。原子密度が低い領域では価電子密度が最大値の約30%程度と低い領域が存在すること、一方、原子密度の高い領域では、エネルギー準位の高い価電子がその領域に集まっていることを示し、粒界構造の乱れが電子構造に与える影響を明らかにしている。

 不純物偏析により粒界付近の原子間距離が最大7%増加したことを示している。粒界付近の局所状態密度分布ではLi,Na,Mg偏析による顕著なピークは見られないが、K偏析した場合では高エネルギー準位の状態数が増えていることが分かり、Kの3d電子の擬ポテンシャルが深いのでK原子周囲に価電子が集まったためと説明している。また、不純物原子周囲は価電子密度が非常に小さく、Al原子と不純物原子の中間地点では最大密度の50%以下であることを示している。この原因はAl原子に対して不純物原子の電荷が少ないためだけでなく、不純物偏析により粒界領域の価電子が4〜6%バルクヘ移動したためでもあるとしている。価電子が移動した理由はAl原子の擬ポテンシャルが不純物原子の擬ポテンシャルよりも深いので価電子がAl原子軌道にある方が安定であるためと説明している。

 Na偏析による価電子密度の減少量はLi,K偏析と比べて大きいことが分かり、その理由をNa原子の擬ポテンシャルがLi,K原子のように深くないことから、Na原子核が価電子を引きつける力がLi,K原子核よりも弱いためとしでいる。堀川らによるAl-Mg合金の粒界脆化実験では粒界脆化に与える影響はLi偏析よりもNa偏析の方が大きいことが報告されており、本研究の結果は実験結果と矛盾しない。

 9粒界の価電子密度が低い領域付近にNaが偏析することにより粒界方向に約7、粒界と垂直方向に約3という広範囲にわたって価電子密度が大幅に減少した領域が連続して分布することが分かった。従って、結晶粒界を挟んだ結晶粒間の結合力が大幅に減少し、応力が働いた場合この部分がクラックとなって脆化が起こる可能性があると述べている。

 このモデルはデコヒージョンモデルの一種であるが、原子間結合力のみに着目するのではなく、結晶粒間での結合力を議論している点で新しい理論モデルである。

 第5章では論文の結果を総括している。第一原理計算法によりAlの9[110]傾角対応粒界の構造乱れおよび不純物偏析が電子構造に与える影響を計算し、原子間結合に関与する価電子密度の増減と粒界脆化の関係を論じ、新たな理論モデルを提示している。

 以上を要するに、本論文は第一原理計算によりAl結晶粒界中の不純物原子が粒界の原子構造、電子構造に与える影響を調べ、金属不純物の粒界偏析が粒界脆化に及ぼす影響について考察し新しいモデルを提唱したものであって、材料工学に寄与するところがきわめて大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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