本論文は、アルカリ金属イオンの可逆的挿入ホスト機能を有するため、リチウム二次電池の正極材料として注目される六方晶三酸化タングステンの新規なソフト化学的合成経路について研究した結果、および、これによって得られた六方晶相の電気化学的なリチウム挿入・脱離特性、特に構造中に残留する微量アンモニウムの影響について詳しく調べた結果をまとめたもので、全5章からなる。 第1章は序論で、六方晶三酸化タングステンなど準安定化合物の合成とソフト化学の関連、過酸化ポリタングステン酸を前駆体とするソフト化学の進展状況など、研究の背景について記すとともに、六方晶三酸化タングステンのリチウム挿入ホストとしての特徴について述べ本研究の工学的意義を明らかにしている。 第2章では、六方晶三酸化タングステン(h-WO3)の新しい合成経路について記している。金属タングステンに過酸化水素を作用して生じる過酸化ポリタングステン酸の水溶液にアンモニア水を加え80℃に加熱、室温に冷却後塩酸にて中和すると、時間をおいて2種類の白色固体が析出する。これらはともにパラタングステン酸アンモニウム10水和物であるが、はじめに析出するものは新規な単斜晶相、後から析出する針状結晶は斜方晶相であることを示すとともに、単結晶X線回折によりそれらの構造を明らかにしている。前者は熱分解により、直ちに通常の歪んだ酸化レニウム型三酸化タングステン(t-WO3)に転換するが、後者は非晶質状態を経て330-380℃の比較的狭い温度範囲でh-WO3相を生じることを確認している。前駆体である斜方晶パラタングステン酸アンモニウムは既知の物質であるが、これからh-WO3が生成することを示したのはこの研究が初めてである。しかし、この"h-WO3"には微量ながらアンモニウム基が構造中に残留しており、結晶c-軸がWO3(H2O)1/3を前駆体として合成されるものより若干短い。合成条件を詳細に検討し、アンモニウムの残留量をNH4/Wモル比で0.017まで低減することに成功している。また、前駆体の結晶子を大きくすることにより高温安定相であるt-WO3の副成を抑制できることも示している。 第3章では、リチウム二次電池への応用を念頭におき、以上の方法で合成されたh-WO3の電気化学的なリチウムの挿入・脱離特性について調べている。この六方晶の結晶中にはc軸に沿って六角形と三角形の大小2種類のトンネルが通っており、挿入されたリチウムはこれらのトンネル内に収容される。それぞれのWO3単位当たり収容量を1/3および2/3とすると総可能収容量(x=Li/WO3)は1である。有機電解液中、間歇的にリチウムを挿入あるいは脱離するという間歇放電(充電)実験を行い、少量のアンモニウムが残留した試料であっても、リチウムをx=1付近まで構造を維持したまま収容でき、そのリチウムは可逆的に脱離することを確かめ、リチウム電池の正極活物質に応用可能であることを示している。また、この"h-WO3"のOCV(開回路電圧)は放電過程と充電過程の間で顕著なヒステリシスを示すとともに、充電末期においてきわめて大きい分極電圧を呈するという興味深い現象を見出している。このような異常現象はリチウム電池の炭素系負極材料では知られているが、正極材料での報告例はこれが初めてである。 第4章では、上記のヒステリシスや充電末期の異常な分極現象と本研究のh-WO3の構造中に残留するアンモニウム種の関連を究明するため、アンモニウムを全く含まないh-WO3を水熱法で得られる前駆体WO3(H2O)1/3から合成し、両者のリチウム挿入・脱離挙動を比較して、現象のメカニズムについて考察している。間歇充放電のプロファイルにおいて両者の差違はほとんど認められず、また、リチウムの挿入に伴う格子定数の変化も同じ様な挙動を示することを確かめ、異常現象は残留アンモニウムに由来するものではなく、以下に示すようにh-WO3型というリチウム挿入ホストの構造自体によるものと推定している。この構造中には六角形トンネル内のサイト1および三角形トンネル内のサイト2という二種類のリチウム収容位置(サイト)が存在するが、三角形のトンネルはボトルネックが狭いため、リチウムの挿入・脱離や移動はサイト1を通して行われる。この場合、観測される電位にはサイト1のリチウムの化学ポテンシャルが反映される。サイト1とサイト2の間の移動障壁が高ければ、構造中のリチウムは両サイトの化学ポテンシャルを等しくするようには分配されず、放電(挿入)時にはサイト1が優先的に占められ、充電時にはサイト1から優先的に脱離することになる。このようなモデルによりOCVのヒステリシスなど、h-WO3に見られる異常現象を説明している。 第5章は総括であり、本研究で得られた成果を要約している。 以上述べたように、本論文は六方晶三酸化タングステンの新しい合成経路を示すとともに、その電気化学的なリチウムの挿入・脱離挙動を明らかにしており、工学の発展に寄与するところ大である。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |