学位論文要旨



No 114806
著者(漢字) 金,顕真
著者(英字)
著者(カナ) キム,ヒョンジン
標題(和) 北東アジア地域における環境協力 : 海洋環境協力を中心に
標題(洋)
報告番号 114806
報告番号 甲14806
学位授与日 1999.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第230号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,明
 東京大学 教授 後藤,則行
 東京大学 教授 山本,吉宣
 東京大学 教授 中井,和夫
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 教授 石,弘之
 早稲田大学 教授 平野,健一郎
内容要旨

 国境を越えて地球規模にまで拡大している環境汚染および環境破壊現象は、人類の生存を脅かす新たな問題として浮上し、その結果、環境汚染を防止するための国際協力の拡大が国家の枠を越えて図られるようになってきた。だが、こうした協力の進展は環境問題の性質によって、あるいはそれぞれの地域によって相当の差異を見せている。

 本論文で研究対象とした北東アジア地域は、まさにそうした共同努力がもっとも遅れている地域の代表的な例である。北東アジア諸国は、急速な産業化や経済成長を経験するなかで、各種公害や自然環境の破壊といった諸問題に直面するようになった。さらにこうした環境問題は、地域住民全体の生命や快適な生活を脅かす地域レベルの問題としても浮かび上がっている。だが、この地域で環境問題をめぐる協力論議が浮上するようになったのは1980年代の後半からであり、それまでには「地域」レベルで環境問題に取り組もうとする試みはまったく行われなかった。北東アジア諸国の環境協力に対する姿勢に変化が見られ、環境協力の議論が盛んになり、環境協力の動きに急速な進展が見られたのは、ようやく80年代後半からであった。

 本論文では、萌芽の段階ではあるにせよ、環境分野に見られる初期段階の協力の動きに注目し、そうした協力の動きが見られるようになった諸要因やそのなかに見られる対立の諸要因、そして、そのなかで形成されつつある環境協力の基盤について分析を試みた。分析の範囲や事例分析の道具として用いた分析の枠組みは、既存研究に対する批判と既存研究からの影響という二つの側面から少なからぬ影響を受けている。

 第一に、北東アジア地域の環境協力に関する既存研究の多くが、同地域で環境協力が試みられるようになった要因を、単に「脱冷戦」の時代潮流のなかで北東アジアにもシフトしてきた地域情勢の変化のみによって説明しているきらいがある、という点である。地域情勢の緊張緩和といった外部的要因が環境協力の動きを剌激し、急激に盛り上げるきっかけを提供したとはいえ、環境協力に乗り出すまでには、それ以前に行われた水面下の努力や、その結果この地域内に蓄積されてきた環境協力の基盤が存在するという側面を見逃すことはできない。こうした立場から本論文では、環境問題に対して各々の国家レベルで対応が模索されていた段階からそれをめぐる地域レベルの共同対応が模索され始める段階までを対象とし、海洋環境分野を中心に検討を行った。国内的対応段階、一時的・部分的協力の段階、制度的協力の論議段階という三つの段階がそれである。

 第二に、本論文は、分析の枠組みを設定するに際し、環境政治あるいは環境協力に関する既存の研究からも大いに影響を受けているが、一方ではそうした既存研究の分析方法で同地域に見られる環境協力の動きを分析するのが果たして充分適切かつ有効な方法であるか、あるいはそうした分析方法をこの地域の環境協力にそのまま適用することが可能かという疑問を抱かざるを得なかった。それは、重層的かつ複合的な環境問題に、さらに地域的特殊性が加えられている北東アジア地域の環境協力を論じるに際しての「問題領域(issue area)」と「対象地域」という両側面から生じた疑問である。そこで、環境協力を特定行為主体の役割や特定要因に焦点を当てて説明した既存研究の分析方法を止揚し、同地域の環境協力に関する分析の道具として、既存研究に見られる諸立場を総合した枠組みを用いた。「過程」と「役割」と命名したのがそれであり、前述した北東アジア環境協力の三つの段階のそれぞれに争点化過程と交渉過程の二つの過程が存在すること、そして、それらの過程ごとにアクターの役割が特定的に発揮されることに注目し、自然系の変化が社会的問題して認識され、それをめぐる具体的な対応が模索されるまでの「過程」と、その過程における諸行為主体(国家、国際機構、NGO、専門家集団など)の「役割」を中心的な分析の対象としたのである。それは、同地域のように国家の体制の違い、発展の度合いの違い、市民社会の成熟度の違い、意識の違いなどを抱え、環境協力の条件に大きな差異が存在している地域において、環境協力が多少でも進むようになるのはどういう場合か、という問題に対する答えにつながるものである。以下では、そうした検討から得られた結果についてまとめる。

 第一段階は、北東アジア諸国で環境汚染が新たな問題として次第に浮上し、各々の国家レベルで国内的対応策が模索されていた段階である。北東アジア諸国が国家レベルで環境対策の模索を迫られるようになった要因は、主に二つの側面から説明される。環境問題に対する国際レベルでの認識の高まりやそれにともなう規制の成立・強化という国際的側面と、国内における環境汚染の進行にともなって、部分的ではあるが社会的認識が高まり対応の模索を要求する運動が広がった、という国内的側面がそれである。特に、環境問題への取り組みが後発的に始まった北東アジア地域の場合は、同問題に対する国際的関心や規制の強化に触発されて制度の整備・強化が行われたという一面が如実に表れている。一方、国内的要因について言えば、それは各々の国によって相当の差異を見せている。つまり、北東アジア諸国では、環境汚染を政治的争点としていくための基盤になる専門家集団、環境運動団体、住民運動、地方自治体などの形成度合いや役割、活動基盤に大きな差異が見られる。こうしたサブナショナル・アクターの脆弱さは、それ自体の問題というよりも、そうした諸行為主体の活動を可能にする社会的・政治的条件に大きな差異があることに起因する。そして、こうした環境政策の展開過程にみられる国内的基盤の違いは、各国の環境政策の脆弱性や非連続性につながっており、地域環境協力の観点から見れば、同地域での環境協力論議を遅らせ、環境協力を制約する一つの要因となっていたといえる。だが、この過程を通じて、各国の国内では部分的ではあるにせよ認識、運動、制度的側面での土台が形成されており、そうした意味で第一段階は地域環境協力の前段階として位置づけられる。

 第二段階は、地域的環境問題が発生し、それをめぐる一時的協力が行われる段階である。本論文では、北東アジア地域で環境問題による生態的相互依存関係を大きくクローズ・アップさせたロシアによる日本海への放射性廃棄物投棄問題を、同地域の環境協力における「触発メカニズム」の代表例としてとらえ、この問題がどのように地域的争点とされ、関係国の間で協力が行われるようになったかを分析した。ロシアの放射性廃棄物海洋投棄の事実は、国際環境NGOであるグリーンピースの活動によって、地域レベルの問題としてクローズ・アップされた。その後、世界中の世論が盛り上がるなかで、ロシアの投棄中止を要求する日本と韓国の市民団体や地方自治体、そして専門家集団などの活動を通じて地域的争点となっていった。関係国政府が動き出したのは、この問題が提起され対応を迫られてからであるが、その後の過程においては、関係国政府が交渉に臨む主な行為主体として問題の解決に決定的な影響力を行使している。政府間の交渉は、主にロシアが要求していた財政および技術の援助問題や、韓国と日本が提起していた投棄海域に対する共同調査の二点をめぐって展開された。交渉の結果、ロシアは海洋投棄を中止し、その代わりにロシアに対する資金や技術の援助が行われ、日・ロ・韓三国による史上初の共同調査が行われた。この過程に見られる財政および技術支援を前提とした汚染防止への協力という経過は、北東アジア環境協力の構図を端的に示しているといえる。さらにここで注目すべき点は、この問題の争点化を果たした国際環境NGOや国内におけるサブナショナル・アクターの役割である。部分的ではあるにせよ、国内的対応過程を通じて成長してきた各国におけるサブナショナル・アクターが、地域的環境事件の発生を契機に連帯し、協力し合うことができたのである。さらに、ここで生まれたネットワークは今後の地域環境協力に生かされる可能性を内包しており、遅れている政府同士の協力を促進させる重要な要因となりうるものである。だが、環境事件の発生による協力は、持続的なものというよりも、むしろ問題の発生とともに始まり、問題の解決とともに消えてしまうという傾向を見せており、それゆえに問題を恒常的に調整できる制度的フレームの形成が要請されるのである。

 第三段階は海洋環境協力の制度化論請の段階で、国際レベルで成功裡に推進されてきた地域での協力事例や、北東アジア地域で展開されている環境協力の論議、およびそのなかで特に制度化に向かって動き出している海洋環境協力の展開過程を考察した。環境協力の成功事例として取りあげた地中海地域の協力要因としては、国際機構の役割、環境問題に対する地中海沿岸住民の認識の高さ、地中海沿岸国におけるサブナショナル・アクター間の協力関係の存在、という三つの要因が指摘される。つまり、地中海地域の協力は、各国の国内におけるさまざまな下からの協力の動きが地域的連帯を形成し、あわせて、環境問題に対する国際的レベルの取り組みが地域レベルにシフトして国家間の協力を刺激する、といった構図で行われたのである。一方、現在北東アジア地域では、民間、環境担当部局、政府レベルでそれぞれに協力論議が進められており、海洋環境分野では、海洋汚染を防止するための具体的な実践計画を盛り込んだ「行動計画」が、日本、韓国、中国、ロシア、そして北朝鮮の間で採択されるまでに至っている。まだ議論の段階にとどまっている北東アジア地域の環境協力の動きのなかで、海洋環境問題をめぐる地域協力がとりわけ本格的に模索されている背景には、国際機構の積極的参加や他の地域での実施経験からすでに体系化された「協力プログラム」が適用されるようになったという事実がある。つまり、現在の制度化論議は、地域からの切実な必要性の認識から始まったというより、むしろ国際機構の主導によって「協力プログラム」が適用されたという側面が強く、地中海地域の事例で見られるような環境協力の必要性に対する地域住民の切実な認識や、各国におけるサブナショナル・アクターの地域的活動基盤が十分に成熟していない状況の下で、制度化の論議や各国政府間の交渉が始まったものと見ることができる。環境交渉における国家(政府)は、その交渉の結果が単に自国にとり有利であるか不利であるかを判断して、その交渉に応じるか反対するかを決定する傾向が強い。ここで、政府が国家利益を再定義するように導く専門家集団の役割や、政府への圧力となる住民の認識、環境運動団体・市民団体の活動などといったサブナショナル・アクターの活動が必要となってくる。

 海洋環境協力の具体的な実施や条約の締結までには、財政・技術の移転問題や法的拘束力の問題など、各国政府の利害から端を発した対立要因が存在している。こうした対立要因を乗り越えるためには、放射性廃棄物投棄の事例で見られたように、政府の行動を促す地域住民の認識(世論)やサブナショナル・アクターの活動が必要とされる。だが、北東アジア地域におけるサブナショナル・アクターは、交渉過程における各国政府の態度に持続的に影響を及ぼしうるまでにはまだ成長しておらず、それが現時点における同地域の環境協力の限界として指摘される。

 つまり、まだ北東アジア地域には、環境協力を推進していくための十分な条件が揃えられたとはいいがたい。本論文で指摘しているように、環境問題を争点としていく過程においては国際レベルと国内レベルの活動が重要な役割を果たしているのに対して、交渉過程では国家が主導的な役割を果たしている。特に、同地域では国家が依然として圧倒的な存在として環境問題の解決に核心的な役割を果たしている。だが、北東アジア地域のサブナショナル・アクターは、交渉にのぞむ政府の態度に影響を及ぼすまでにはまだ成長しておらず、それゆえに、北東アジア地域の環境協力は、象徴的な環境事件の発生によって触発され、その終息によって終わるという傾向を見せてきたのである。こうした一時的協力を持続的な協力へと導くためには、究極的には環境レジームが創出されなければならず、さらにそのためには地域住民の認識と国際的な連帯が強化されなければならないということが、本研究で用いた三段階・二過程モデルと「過程」・「役割」モデルから論理的に導き出せるのである。

審査要旨

 本論文は、北東アジア地域における環境保護のための国際的な協力の現状と可能性を、海洋汚染をめぐる環境協力の例によって、理論的、実証的に考察したものである。北東アジアの海洋、具体的には日本海と黄海の汚染の危険が劇的な形で一般に知られることになったのは、いうまでもなく、1993年10月に発生したロシア海軍による日本海への放射性廃棄物投棄事件であった。この事件によって、この地域の海がどの程度汚染されているのか、ロシアはなぜこのような挙に出たのか、それまで環境保護の努力はなされてきていたのか、今後、海洋環境保全のための国際的協力は可能なのかどうか、などの疑問が人々の脳裏に浮かんだ。これらの疑問はまた研究者に包括的な研究を促すものでもあった。本論文はいち早くその要請に応えようとするものである。著者によれば、北東アジアは環境保護のために必要とされる国際協力の共同努力が最も遅れている地域の代表であり、環境協力の動きが見られるようになったのは漸く1980年代の後半である。冷戦崩壊がそのような変化の唯一の原因ではないとする著者は、この地域の海域の汚染状況と、国際協力の基盤となりうる各国国内における環境問題への取り組みの状況を明らかにすること、国際協力の必要性の認識を一挙に強めた事件と、それに触発された一時的・部分的な環境協力の事実を明らかにすること、地域環境保護のための国際的な協力の制度化の現状と可能性を明らかにすることを、主要な課題として設定する。また、これらの課題を解くために、国際環境協力論の先行研究を参照しつつ、著者独自の分析枠組を構築し、それによって一貫した説明を与えようとも試みている。

 本論文の構成は序論と結論を併せ、全5章である。末尾に注と参考文献一覧が付され、全体のページ数はviii+311ページである。本論部分は、単純に換算して、400字詰め原稿用紙約760枚に相当する分量である。

 「第一章 序論」では、まず、北東アジア地域における海洋環境協力の基盤およびその限界を明らかにするために、これまでの展開を、(1)海洋汚染に対する対応が周辺各国でそれぞれに進められた「国内的対応段階」、(2)地域的な環境問題の発生により、地域的規模での対応が一時的に実現した「一時的・部分的協力の段階」、(3)一時的な協力から恒常的な協力に向かうために、国際的な環境協力の制度化が図られる「制度的協力の模索段階]、という3段階に分けて考察することを提起する。この段階区分はそのまま本論文の中心部分の3章構成につながっている。次に、国際環境協力論の先行研究をサーベイして、北東アジア地域の環境協力の現実の分析に有効な理論モデルを発見しようと試みている。取り上げられた先行研究は、国家を行為主体とするかどうかをめぐる理論、非国家組織を中心とする理論、認識論的レベルの理論、協議と交渉を中心とする制度化の理論などである。これらの理論を整理検討した結果、重層的・複合的な環境問題を抱えながら、国際的な環境協力がいまだ萌芽的な状態にとどまっている北東アジアの環境協力を分析するためには、先行理論のいずれか一つを適用するのではなく、それらをを折衷し、止揚した独自の分析枠組を作る必要があるとの結論に達し、「役割」と「過程」という概念を抽出する。すなわち、著者は、上記の3つの段階のそれぞれに「争点化過程」と「交渉過程」を割当て、さらにそのそれぞれにおいて、サブナショナル・アクター、国家、トランスナショナル・アクターという3つの行為主体が果たす「役割」を検討するという方法を自らの分析枠組に定めるのである。

 「第二章 海洋汚染問題の登場および北東アジア諸国の国内的対応段階」では、海洋汚染問題の発生と、それに対して北東アジア諸国が取った国内的対応を検討している。日本海と黄海は、両者併せて半閉鎖海とされる地勢を有し、そもそも汚染を受けやすい海域である。既に1970年には、政府間海洋委員会の専門家グループが深刻な海洋汚染の危険性を持つ海域の一つとして日本海を挙げていたが、汚染の深刻さが指摘され、環境保護のための地域協力の必要性が認識されるようになったのは、1980年代の後半からである。著者は、その間に進行した日本海、黄海の汚染状況を、海洋汚染の一般的指標に即して、中国、韓国、北朝鮮、ロシア、日本サイドから示したのち、その原因が各国の経済成長と国家利益を優先する政策にあったと指摘している。海洋汚染への対応は、各国別に公害対策の一環として国内的に進められた。おおよそ日本、韓国、中国、ソ連、北朝鮮の順に、60年代後半から80年代後半にかけて法整備が行われ、徐々にではあるが、各国別に海洋環境関連の制度と調査・研究活動の科学的基盤が整えられてきた。80年代の後半に至るまで、地域的に共同の対応が図られたことはないが、各国における、特に自然科学的な調査・研究の蓄積は、後に地域レベルの対応の基盤になりうるものであった。しかし、総体的には、政治体制、サブナショナル・アクターの地位などの国内的要因に国別の違いがあり、そうした国内的基盤の相違が地域的な環境協力の論議を遅らせたと考えられるのである。

 「第三章 地域的環境問題の発生と一時的・部分的協力の段階]では、地域規模の海洋環境問題が発生し、それをめぐって一時的・部分的な環境協力が行われるに至った過程を検討している。前章に示されたとおり、国内的対応段階にとどまっていたこの地域の海洋環境問題への対応を地域的な対応に上昇させるためには、人々の認識を一挙に変化させるような「事件」が必要であった。それが1993年に発生したロシアによる日本海への放射性廃棄物投棄事件であった。本章では、ロシア連邦政府が提出したいわゆる「ヤブロコフ報告書」によって、ロシアが放射性廃棄物を海上に投棄せざるをえなくなった背景と投棄事件の経過を詳細に辿っている。この事件は、グリーンピースなどのトランスナショナル・アクターと各国の地域住民、地方自治体、環境NGO、専門家集団などのサブナショナル・アクターの活発な活動を引き起こし、地域的な環境協力への動きを導き出すことになった。すなわち、この事件は、トランスナショナル・アクターとサブナショナル・アクターが国際的な環境協力を「争点化」する契機となったのである。各国で人々が地域の海洋の汚染を認識するようになり、政府に迅速な対応を求める運動が行われた。NGOや専門家が地域的な連携を図る動きも現れた。それに対して、ロシア、日本、韓国の政府は政府間交渉を重ね、三国の研究者による初の海洋共同調査を実施する一方、日本と韓国がロシアに財政的・技術的援助を行うことによって、ロコシアに海洋投棄を中止させるに至ったのである。著者によれば、この事件は地域的な環境協力を初めて争点化する「触発」効果を持った点で重要である。その争点化においては、関連のアクターが前期の国内的対応段階で蓄積した争点化の能力を発揮し、また、共同行動においては、これも前期に形成された科学的基盤が効果を発揮したと考えられるのである。しかし、この事件に応じて行われた国際的な協力も、持続的な環境協力を可能にする制度的装置を実現するには至らず、また、中国、北朝鮮を参加させるにも至らなかった。その意味で、この段階の協力は「一時的・部分的な協力」に止まったと結論される。

 「第四章 国際的環境協力の展開と北東アジアにおける制度的協力の模索段階」では、著者は、前章で取り上げた「一時的・部分的な協力」を持続的な海洋環境協力に発展させる条件を求めて、まず、それに成功した先例として、地中海における国際的な環境協力の成立過程を再検討する。そして、地中海地域における環境協力を成功させたのは、国際機構の役割、環境問題に対する沿岸住民の認識の高さ、沿岸国におけるサブナショナル・アクター間の協力関係の存在という三つの要因であったことを確認している。すなわち、(1)国際レベルにおける関心の増大と国際的規制の成立・強化と、(2)国内レベルにおける理境問題の発生、環境問題への認識、環境対策を求める圧力が、(3)国家レベルにおいて各国政府による環境政策の進展をもたらす、という3レベル間の関係が国際的な環境協力を持続的なものとする基本的な構造なのである。そこで、著者は次に、北東アジア地域における国際的な環境協力を促す国際的なレベルでの制度化の実態を探ることになる。その結果、「地中海行動計画」をもって同地域における海洋環境協力を促進した国連環境計画(UNEP)が、実は1989年に、同じ「地域海プログラム」の中に北西太平洋地域(日本海と黄海を含む)を指定していた事実が明らかになるのである。また、89年から、二国間、三国間の共同研究・共同調査活動もいくつか行われるようになっていた。さらに、国際海洋法はもちろん、海上投棄を規制するためのロンドン・ダンピング条約会議も、まさにロシアの放射性廃棄物投棄を取り上げるなど、国際的な海洋秩序は北東アジア地域をも包摂しているのである。著者は、より具体的に国際的な海洋環境協力の制度化の現状と可能性を考察するために、国連環境計画による「北西太平洋環境保全計画」(NOWPAP)に注目し、1994年までの進行状況を可能なかぎり整理、検討している。NOWPAPは、91年にウラジオストックで第一次専門家会議を開き、94年9月にソウルにおいて第一次政府間会議を開催して、「北西太平洋行動計画」を採択した。93年10月にバンコクで開かれた第三次専門家会議は、ロシアによる放射性廃棄物投棄事件の直後であっただけに、注目されるべき会議であったが、会議中、同事件への言及はほとんどないなど、NOWPAPの活動はこの間、一貫して形式的なものであった。参加各国政府は、当該海域の名称問題や各国間の体制の違いに拘泥して、環境協力の制度化への動きを鈍らせている。このように、北東アジアにおける環境協力の制度化は依然模索の段階にあると結論される。

 「第五章 給論」は、第二、三、四章の考察にもとづいて北東アジア地域における環境協力の基盤と限界を論じて、本論文をまとめている。この地域における環境協力の制度化の模索は、地域からの切実な必要性の認識にもとづくものというより、国際機構の主導によって既成のプログラムが適用されたという性格が強い。地域住民の環境協力への認識や、各国におけるサブナショナル・アクターの活動基盤が成熟していない状況で、制度化が論議され、各国政府が形式的な交渉を行っている。政府を国家利益の再定義に導く専門家集団の役割や、政府への圧力となる住民の認識、環境運動団体や市民団体といったサブナショナル・アクターの活動などの必要条件がこの地域ではまだ満たされていない。これが現段階における北東アジア地域における環境協力の限界であると指摘される。再び環境事件が起こらなければ、この限界は越えられないであろうとの推論は、ナホトカ号重油流出事件によって証明される結果となった。この結論は、本論文で用いられた3段階・2過程モデルと「過程」・「役割」モデルによる論理的説明からも導き出せるものであり、二つのモデルを組み合わせた分析枠組の説明力は満足すべきものであるとしている。

 以上のような内容を持つ本論文は、まず、北東アジア地域における国際的な海洋環境協力の現状を、複数国の視点から初めて総合的に考察し、まとめた点、研究への要請に応えたものとして高く評価される。劇的な事件や事故によって生じた、実際的かつ学問的な疑問に正面から答えており、国際環境協力論の分野で新たな地平を切り開いた研究ということができる。沿岸各国における海洋汚染の、原因を含めた現状、また、国際的な環境協力に応じうる基盤形成の状況、特に科学的な基盤形成の状況を検出して、まとめているのも今後の研究の発展と問題解決に大きく貢献すると思われる。第三章のロシアによる放射性廃棄物投棄に関する叙述は本論文の圧巻であり、これまでのところ、これ以上のものは他にない。第四章のNOWPAPに関する分析・記述は、資料の制約もあり、十分とはいえないが、これも著者が初めて本格的に扱うものであり、今後の研究の出発点となるものである。

 本論文の中心部分をなす第二〜第四章の構成は、国内から地域、地域から国際というようにレベルを移動させ、同時に、国内的対応から一時的・部分的対応、さらに制度化による対応へと移行するもので、形式の整ったものになっている。この構成によって、海洋環境の現状と環境協力の条件を構造的に明らかにすることに成功しており、その意味で完結した論文ということができる。この構造を説明するための枠組として用いた3段階・2過程モデルと「過程」・「役割」モデルの組み合わせは、先行研究のサーベイをもとに著者自らが考案したものである。若干説明不足の嫌いはあるが、国内的対応、一時的・部分的対応、制度化模索の3段階のそれぞれに争点化と交渉の二つの過程を配し、その二つの過程のそれぞれに特有のサブナショナル・アクター、国家、トランスナショナル・アクターの役割によって説明するというモデルの構成は優れており、説明力には満足すべきものがある。

 この説明方法によって、永続的な国際環境協力に必要な条件が、環境汚染とその被害という最低必要要件に加えて、NGO活動などに現れる住民の認識・意識、政府間の協力、そして国際的な制度であることが確認されている。そこから、交渉過程においては国家・政府の役割が依然として極めて大きいこと、しかし、政府間の協力の動きは鈍いこと、NOWPAPという形態で国際的な制度も一応は用意されていたこと、結局、制度化の模索の段階においても環境協力を争点化する条件としては、住民の認識、NGOの活動が必要であること、しかし、北東アジア地域ではそれが欠如していることなどを、今後の展望として示すことができている。

 なお、資料面で、中国、北朝鮮、ロシアは期待したほどにはカバーできていないが、韓国語の資料を日本語、英語の資料と突き合わせて、豊富に用いた結果、資料操作に望ましい効果が生まれた点も特筆される。

 他方、著者独自の説明モデルの適用についてなお十分な了解が得られにくいところがある。そのため、第三章から第四章への移行に違和感があり、また、第四章から第五章の結論がスムーズに導き出されていないという不十分な点がある。第三章では、一時的・部分的協力を生み出した契機としてロシアによる放射性廃棄物投棄が用いられているが、これは投棄(ダンピング)である。一方、第四章で取り上げられた「地中海行動計画」とNOWPAPが対象としている問題は持続的な汚染である。著者はロシアによる放射性廃棄物投棄を海洋環境協力の論議を誘発する「触発」効果で捉えようとしているが、事件と環境協力の必要性の間にはズレが残るように思われる。第四章後半のNOWPAPの部分は、資料上の制約はやむをえないとしても、政府間交渉および専門家の役割についての実証が不足しており、さらに、地域住民やNGOについての実証も行われていないため、結論は形式的に導かれたものになっている。著者が用いた分析枠組は環境レジーム論の先行研究を満足の行く程度には踏まえているが、環境レジーム論以外の理論枠組によっても作りだしえたものと思われる。環境レジーム論の系譜に属する研究とするためには、たとえば認識論のレベルでの専門家の役割に関する実証が必要であった。中国、ロシアに関しては、その地域の専門家から見れば不正確な記述が残されている。これらの点の是正、そして、とりわけ第四章から第五章の結論を導くために望まれる実証研究が著者の今後の課題である。

 総じて、北東アジア地域の環境問題をめぐる国際協力の現状の全体像を初めて提示した本論文は、学問研究への要請に応え、重要な新分野を開く先駆的な研究成果であり、学問的な貢献は大きく、博士(学術)の学位を授与するに十分な業績であると認められる。

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