本論文は芥川龍之介の作品の空間的な構造を分析し、その文学の展開を、作者の境界意識の変容という観点から統一的に論じたものである。上記の視点にそって、彼岸への信仰を喪失し、均質化した現実を生きざるを得ぬ近代人の悲劇を見通すなど、広く文明論的な展望を持つ点に本論文の特長が認められる。 構成は「第I部 作家論」と「第II部 作品論」からなる。第I部では、芥川の多くの作品において〈日暮れ〉と〈門〉が日常世界と非日常世界との「境界」として象徴的な役割を担っている事実に着目し、各作品に頻出する〈ぼんやり〉という語の用例から、両者の中間的な領域をさまよう人物たちの特性が論じられている。それが主人公たちの〈待つ〉という行為に集約的に表れ、肉体の安住と精神の放浪が均衡するこの行為に、芥川文学のあるべき理想の姿を見るという指摘は新見であり、傾聴に値する。続いて芥川の作品の主人公たちを、天上をめざして〈彷徨さまよう〉タイプと、天上をめざすことができずに地上を〈さ迷う〉タイプとに分類し、両者の区分そのものが混沌として行く様態に、後期作品の特色が指摘されている。これが先の「境界」が無化して行く過程と連動し、現実と幻想の融合した表現世界が切り開かれて行くという指摘は、「蜃気楼」「歯車」等に作家論的な観点からの再評価を促すものとして注目される。 第II部は、四篇の作品論からなる。「蜘蛛の糸」論においては、仏教的世界観が意図的に二元論的な構造に組み替えられて行く点に、また「杜子春」論においては、世俗への回帰ではなく、境界領域に踏みとどまったまま作品が閉じられる点に、それぞれ作者の「境界」意識の特色が指摘されている。また、「馬の脚」論では、自己を語ることをめぐる欲望と拒否の葛藤が、結果的に「告白」という制度への批判に反転して行く構造が指摘され、「歯車」論では、都市空間を歩行する中で、狂気を盾に世界に対峙しようとするモチーフの形成されて行く過程が浮き彫りにされている。 総じて、第I部の作家論に比べて第II部の作品論がやや手薄になっている印象があり、今後、後期の創作の展開に関するより踏み込んだ分析が期待されるが、従来個別の作品論に自閉しがちであった芥川研究の現状にあって、あらためて統一的な観点から解釈の地平を切り開くことに成功した点は高い評価に値する。以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。 |