学位論文要旨



No 114809
著者(漢字) 秦,剛
著者(英字)
著者(カナ) チン,カン
標題(和) 芥川龍之介研究 : 境界意識の変容を中心に
標題(洋)
報告番号 114809
報告番号 甲14809
学位授与日 1999.12.06
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第267号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 藤原,克己
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 助教授 安藤,宏
内容要旨

 本論文の目的は、芥川龍之介の作品にあらわれる独自の境界意識に着目し、その変容の過程を具体的に検証することによって、作者の創作意識の軌跡に、新たな再評価を試みることにある。

 第I部「作家論」の第一章では、〈日暮れ〉〈門〉〈ぼんやり〉等の語をキーワードとして、それぞれ物語の時間、場所、人物という三つの要素から、芥川の小説の持つ境界的な性質を考察している。〈ぼんやり〉という意識の宙づり状態は、境界に身を置く人間の普遍的な様態を示すものであり、かかる人間独自の属性が、作中人物に刻印されているものと考えられる。第二章においては、「沼」「窓」「尾生の信」といった中期の短編を取り上げ、これらにある境界的な時空に身を投げかけ、不動の身体姿勢を保つことによって精神の永続的な飛翔と越境を保証する、という中心思想が共通して表出していると考える。特に〈待つ〉という行為の持つ身体性がある種の象徴性を担っているという観点から、その系譜を芥川文学の展開の中で論証している。第三章では、〈さまよう〉という行為を軸に、各作品に登場するこの行為を、地上志向の〈さ迷う〉混迷者と、天上志向の〈彷徨う〉求道者という二つの系列に分け、この両極を行き交う中で絶えず新しい「自己]が創り出されて行く様態を、芥川の精神史の一環として検証している。

 第II部「作品論」第一章「蜘蛛の糸」論では、作品を反転不可能な二極構造、という観点から分析し、彼岸と此岸のはざまに宙づりにされる主体の悲劇を考察している。第二章「杜子春」論では、物語の舞台となる〈洛陽の西の門〉を、〈日暮れ〉と〈門〉の合体した境界的な時空と捉え、末尾に描かれる〈泰山の家〉は天上と地上の中間的な領域であり、越境する意欲を持ちながら境界にとどまり続けようとする作者の意識の反映であると指摘している。第三章「馬の脚」論は、作中で芥川が告白という行為を自己対象化している点に着目し告白小説を至上のものとする大正文壇への批判を読みとっている。第四章「歯車」論では、帝国ホテルを中心とする、主人公を取り巻く近代都市空間に着目し、これらが文節構造を失い、その中で境界なき外界から脱出しようとし、自らの〈狂気〉を追及する「僕」の意識構造を、〈歩く〉という身体行為の分析を通して明らかにしている。

審査要旨

 本論文は芥川龍之介の作品の空間的な構造を分析し、その文学の展開を、作者の境界意識の変容という観点から統一的に論じたものである。上記の視点にそって、彼岸への信仰を喪失し、均質化した現実を生きざるを得ぬ近代人の悲劇を見通すなど、広く文明論的な展望を持つ点に本論文の特長が認められる。

 構成は「第I部 作家論」と「第II部 作品論」からなる。第I部では、芥川の多くの作品において〈日暮れ〉と〈門〉が日常世界と非日常世界との「境界」として象徴的な役割を担っている事実に着目し、各作品に頻出する〈ぼんやり〉という語の用例から、両者の中間的な領域をさまよう人物たちの特性が論じられている。それが主人公たちの〈待つ〉という行為に集約的に表れ、肉体の安住と精神の放浪が均衡するこの行為に、芥川文学のあるべき理想の姿を見るという指摘は新見であり、傾聴に値する。続いて芥川の作品の主人公たちを、天上をめざして〈彷徨さまよう〉タイプと、天上をめざすことができずに地上を〈さ迷う〉タイプとに分類し、両者の区分そのものが混沌として行く様態に、後期作品の特色が指摘されている。これが先の「境界」が無化して行く過程と連動し、現実と幻想の融合した表現世界が切り開かれて行くという指摘は、「蜃気楼」「歯車」等に作家論的な観点からの再評価を促すものとして注目される。

 第II部は、四篇の作品論からなる。「蜘蛛の糸」論においては、仏教的世界観が意図的に二元論的な構造に組み替えられて行く点に、また「杜子春」論においては、世俗への回帰ではなく、境界領域に踏みとどまったまま作品が閉じられる点に、それぞれ作者の「境界」意識の特色が指摘されている。また、「馬の脚」論では、自己を語ることをめぐる欲望と拒否の葛藤が、結果的に「告白」という制度への批判に反転して行く構造が指摘され、「歯車」論では、都市空間を歩行する中で、狂気を盾に世界に対峙しようとするモチーフの形成されて行く過程が浮き彫りにされている。

 総じて、第I部の作家論に比べて第II部の作品論がやや手薄になっている印象があり、今後、後期の創作の展開に関するより踏み込んだ分析が期待されるが、従来個別の作品論に自閉しがちであった芥川研究の現状にあって、あらためて統一的な観点から解釈の地平を切り開くことに成功した点は高い評価に値する。以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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