学位論文要旨



No 114811
著者(漢字) 顧,春偉
著者(英字)
著者(カナ) コ,シュンイ
標題(和) 遠心圧縮機における不安定流れの予知とモニタリングに関する研究
標題(洋)
報告番号 114811
報告番号 甲14811
学位授与日 1999.12.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4559号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長島,利夫
 東京大学 助教授 金子,成彦
 東京大学 教授 藤井,孝藏
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 助教授 渡辺,紀徳
内容要旨 1.序論

 軸流機械や遠心系の回転機械内部の流れは、非線形かつ非定常で非常に複雑となっていることが多い。例えばガスタービンエンジンの場合、作動環境の変化による流量、入口温度などの変化は、エンジンの内部流れに大きな影響を与え、それは結局、エンジンの安全や効率的な運転に関係してくることになる。エンジンの内部流れを把握することにより、その運転状態を正確に求めることが可能ならば、ヘルスモニタリングや危険予知において、非常に有益と思われる。しかし、今までにこのような観点に基づいた手法は、まだ確立されていない。

 近年、軸流圧縮機の失速の分析に、カオス理論が応用され、失速の特徴がシステムの空間的なアトラクタにより解析できたと報告されている。同様な視点の研究が多段圧縮機に応用され発表されているが、有効性を確認する事例に乏しいのが現状である。

 本研究は、遠心系流れ場を対象にカオス解析を適用して、遠心圧縮機の失速など不安定流れの生成と変化の過程に注目し、流れ場中の変動圧力の時系列データを基に、SVD(Singular Value Decomposition)法とcorrelation integral法を応用したシステムの相図(phase portrait)を構築して、現象分析を試みたものである。時系列データとしては、実験ならびに数値シミュレーションにより得られた結果を利用し、両者の比較を通じて、手法の確立を目指す。

2.カオス解析の適用

 Phase portrait reconstruction法は、カオス理論の基本方法として簡単かつ有効で、定性的な手法であると言われ、理論上、システムのアトラクタを正確に構築できる。しかし、実験データからシステムのアトラクタを求める場合、普通は時系列データを計測するしかない。従って、システムのアトラクタを構築するには近似の手法、つまりTakens理論に基づくmethod of delayを応用する。しかし、実験データにはノイズが混入するため、この方法を直接応用することは不可能である。

 そこで、実験データのノイズを取り除くために次式に基づくSVD法を応用する。

 

 iの平方は、trajectory行列の固有値であり、Ciは行列の固有ベクトルである。iがとても小さい時は、ノイズを示すと考える。C1、C2とC3は互いに垂直で、新しい座標系を組み立てる。Xは、新座標系の座標で、つまりノイズを取り除いた相図座標を示している。

 高次の固有モードが生ずる場合、システムの相図からシステムの状態を認識することが不可能になることもあり、またシステムのStrange attractorが存在することを証明する場合などに、相関次元(Relation dimension)法が定量的な方法として広く応用されている。システムの相関次元dGは、method of delayより次式を応用して計算できる。

 

3.遠心圧縮機の不安定流のカオス解析3-1.高速遠心圧縮機の低流量域特性実験

 実験装置 実験に用いた遠心圧縮機(三菱TD13型)と壁静圧の計測位置を図1に示す。圧縮機のシュラウド壁には、静圧孔を8ケ所設けた。失速とサージを確認するために、impeller前・(1),(2)とdiffuser throat・(5),(6)には各々周方向に2ケ所、他は、impeller出口・(3)、diffuser入口・(4)、diffuser出口前・(7)、及びscroll部・(8)である。実験は回転数が30,000rpmと50,000rpmで、diffuserのベーンがFP(Flat Plat)とDCA(Double Circular Arc)で行った。供試遠心圧縮機の圧力-流量特性を図2に示すが、圧縮機の運転範囲はDCAベーンの方がFPベーンより少し拡がっている。回転做が30,000rpmの場合、ゆっくり失速、サージの順に入る。しかし、回転数50,000rpmの場合の不安定現象は異なっている。FPベーンの場合、失速とmild surgeが最初に出現した後すぐサージに入るが、DCAベーンの場合、失速とmild surgeは出現せず、直接サージに入ることが観察された。

 解析波形 回転数30,000rpmのFPベーンの場合、流量が0.2のときの波形(測定位置:(4))とそのFFT解析結果を図3に示す。流量が0.22近辺になると失速が出現し始め、その後、徐々にその現象が増加して行く。流量が0.19になると、実験装置全体が約12.7Hzで振動を始め、サージが発生する。

図表図1供試遠心圧縮機と壁静圧測定位置 / 図2圧力-流量特性図 / 図3シュラウド壁面静圧変動とFFT分析結果

 カオス解析と失速相図 SVD法では、時系列データのサンプリングを行う際のWindow長さ:wとサンプリング間隔:sの選択がアトラクタの特徴を捉えるため重要であり、経験的に、主要な成分の2倍程度のサンプリング周波数が良いとされる。図4にSVD解析結果を示す。流量が0.198の場合の3ケ所((3),(5),(7))で計測した圧力を使った。図4に示すように、(7)位置ではノイズの様相を示すが、(3)、(5)位置では失速の特徴である空間的拡がりが認められる。このように、失速の相図の特徴は、計測位置でのS/N比(Signal to noise ratio)に依存するが、計測位置を適当に選択すれば、Phase portrait reconstruction法で失速を認識できることが分かった。

 失速の形成過程 さらに、失速の動的過程を追うため、流量を0.225近辺から、流量調整弁にて流量を序々に減少させ、その時のdiffuser入口・(4)の圧力を連続的に計測した。この時系列データを用いて求めた失速の変化過程の相図を図5に示す。相図を見るとAのノイズのような形から、徐々に一定の形を形成した後、最後にはQの形を示し、強い失速のアトラクターを示すようになる。

 サージの相図 回転数50,000rpmのFPのベーンの場合、流量が0.55の場合の4ケ所((1),(3),(5),(7))で計測した圧力を使って、サージの相図を構築した。その結果を図6に示す。Impeller inletでの相図はサージの特徴、"knee"と準周期現象を表現したが、他の位置ではclassic surge(失速とサージ)を表現している。

図表図4 失速のアトラクター / 図5 失速形成時の変化過程のアトラクター / 図6 サージのアトラクター

 基本相図とその相関次元 失速とサージの相図は低次元で表現できるが、実際に最も重要なのは失速近傍での非線形の解析である。軸流圧縮機では、Dayらの指摘するように、失速が発生する前には、二種類の波長(即ち、動翼通過周波数および回転周波数を基準とするもの)をもつ擾乱が出現する。圧縮機の失速を正確に予知するためには、このような擾乱を捉えなければならない。

 以下に、SVD法と相関次元法を圧縮機の全流量範囲で適用し圧縮機の非線形特性を調べた結果を述べる。全流量範囲にわたり意味を持つ解析は、波長の短い擾乱まで対象とする基本相図を取り扱う必要がある。

 回転数30,000rpmのFPベーンの場合の圧縮機の基本相図を図7に示す。圧縮機の非線型特性を三次元の相図であまり表現できない、即ち、圧縮機の状況をシステムの相図より判断することが困難なことがわかる。しかし、そうした場合でも、correlation integralと空間距離rの関係を示す曲線は、図8の通り失速に近づくと右側に移ることが分かった。例えば、空間距離rを2-4の一定値に選択すると、流量に対するcorrelation integralは、図9に示すように失速に向かうと減少するので、これを判定に用いればと良い。失速近傍のcorrelation integralを図10に示す。(流量は計測できなかったが、流量弁を1.3%ぐらい絞りながら計測したものである。)図9と図10を比べると、correlation integralが-3以下になると、圧縮機は危険な状態に入っていることが分かる。

図7 圧縮機の基本相図図表図8 流量によるcorrelation integral曲線 / 図9 流量によるcorrelation integral分布 / 図10 失速近傍のcorrelation integral分布
3-2.低速遠心圧縮機の実験と計算圧力時系列の解析

 時系列データとしては、高速遠心圧縮機のもの以外に、低速遠心圧縮機の実験データ(三菱重工長崎研究所報告、主翼とsplitterはそれぞれ6枚、回転数は11000rpm)が存在する。このモデルのH型計算格子を図11に示す。

 数値計算は非定常Euler方程式に基づき、流量係数をパラメーターとして数値流体シミュレーションを行った。インペラー出口の不均一の圧力を考えながら全周の非定常流れ場を計算した。流量係数が0.42の場合、図12にshroud側壁の4ヶ所で計測した静圧時系列を示す。この計算は、収束した定常流れ場を初期値として開始した。図12の一番上は、インペラー出口で与えた圧力である。他の3つは、順にインペラーのtrailing edge、主翼のleading edge、及びインペラーの入口で計測した静圧時系列である。インペラーのleading edgeの圧力と密度の時系列をみると、非定常の計算は、2回転数の時間をかけると、圧力が再現性を示し収束判定された。図13に、全周にわたる12.5%の翼スパン位置のS1流れ面のMach数の等値線分布を示す。6ヶの位置の流れ面のMach数等値線分布は、同一条件で作ったものである。Mach数等値線分布より、主翼の負圧面側の低速流れパターン、’valley’、はインペラーの位置に応じて規則的に変化している。同じ位置(インペラー入口)で計測した実験と計算圧力を図14に示す。計算と実験の結果を比べると、両方とも、BPFに基づくきれいな周期現象を表現し、圧力時系列の周期と振幅は一致していることが分かった。また、流量が大きい場合、インペラー出口の圧力のdistortionで生じる擾乱が壁面圧力の周期性に与える影響は少ないことが分かった。しかし、流量係数が0.36の場合、図15に示すように、実験と計算の圧力時系列データは両方共に周期現象で無くなっている。これは、流量が小さくなるにつれ、インペラー出口圧力のdistortionとインペラーの回転で生じる擾乱は、もはや、壁面圧力の周期性に大きな影響を与えるようになるためである。数値計算と実験の結果を用いた基本相図の結果はそれぞれ図16と図17に示されている。両者は同位置での相図の一致は良好である。流量係数が0.42の場合、基本相図は三次元で表現できたが、流量を絞っていくと、非線形システムの次元数が流れ場の非線形に起因する不安定性などの影響を受けて増加するため、三次元の基本相図ではあまり表現できない。一方、図17に示す基本相図から計算したcorrelation integral(図18)は正確にインペラー後部における失速現象を捉えている。

図表図11 数値計算の格子 / 図12 圧力の収束履歴 / 図13 Mach数の等値線分布とそれらの相対位置 / 図14 Impeller入口の壁面で計算と実験の圧力データ / 図15 Impeller入口の壁面で計算と実験の圧力データ / 図16 計算結果より圧縮機の基本相図 / 図17 実験結果より圧縮機の基本相図 / 図18 流量よりCorrelation Integralの変化
4.結論

 高速と低速遠心圧縮機の不安定流れに関する実験と数値計算の変動圧力波形のSVD解析を行い、流量をパラメーターに相図上のアトラクターを観察した。その結果、以下のことが判明した。

 1. 遠心圧縮機の失速は基本的にカオス現象であり、得られたアトラクターも低次元でカオス的な特徴を表現した。さらに、失速の形成過程に対応したアトラクターの様子より、失速のアトラクターは空間的に一定の形があることが分かった。

 2. 遠心圧縮機の基本相図を構築し求めた非線型の特性は、数値計算結果より流れ場の非線形に起因する不安定性などの影響を受けて増加するため、三次元相図では定性的に表現できないこともあるが、correlation integralによりこの圧縮機の非線型擾乱の特性を捉えることができた。correlation integralは、流量減少につれ、失速前に低下することから、失速の予知に有効であると判明した。

 3. 本方法によれば、圧力波形以外に何れの時系列データに対し適用しても、結果に共通点が予想できるから監視用センサーの選択に柔軟性が生じるなど大きな便利さを期待して良い。

審査要旨

 修士(工学)顧 春偉の提出論文は、「遠心圧縮機における不安定流れの予知とモニタリングに関する研究」と題し、本文5章から構成される。

 ガスタービンやジェットエンジンに用いられる圧縮機は、熱機関システムのかなめとなる流体機械構成要素であり、しばしば、エンジン全体の熱サイクル効率や作動範囲を左右する。特に、圧縮機を一定回転数で運転する場合、流量を絞るにつれ発生する旋回失速やサージの非定常流動現象は、ケーシングや回転翼列の振動を誘起し騒音と破損に至るため、絶対に回避されるべきものといえる。ガスタービンエンジンの圧縮機は、通常、軸流式と遠心式に大別されるが、失速やサージに関しては、従来、基本的に流れ場の見通しが良く、設計点効率に優れ、多く実用に供される軸流回転翼列を対象として、理論と実験の両面から、研究が進展してきた。その結果、試験機で観測される旋回失速の波長や伝播速度、それにサージを含めた発生限界などが、微少擾乱の時空間における成長という視点から解明されている。しかし、実機で観察される非線形性の強い不安定変動との関連メカニズムは究明されていない。一方、遠心圧縮機における同様な非定常現象の研究は、強い旋回と半径方向への曲がりに伴う複雑な流れの3次元性が障害となり、軸流に比べ大きく遅れているが、最近の高圧縮比・マイクロ化を目指す設計に遠心回転翼列を組み込むニーズが多く生じており、その作動の評価と予測に関する早急な検討が求められている。

 著者は、本論文において、遠心式の圧縮機を取り上げ、低流量運転中に観察される失速やサージの不安定流れ現象を予知する新しい手法を展開している。即ち、近年、複雑系の力学分野において、非線形現象の識別に有効とされるカオス解析手法を導入し、対象とする不安定流れの変動時系列データから特異値分解(Singular Value Decomposition)法を用いたシステム相図の構築、ならびに、そこから相関積分(Correlation Integral)法を用いて不安定初生を検知するための評価方法を探った。提案された手法は、実験データに混入するノイズの影響を受けにくく、翼通過周波数を基本とする高速応答性を有し、かつ、処理するデータは適切な位置に置かれた単一の検出器による時系列信号で足りるなどの理由から、従来の手法に比較して、利点が多く優れている。本論文では、インペラーとディフューザー(ベーン付き及びベーンレス型)の組合せ実験を行い、失速やサージに至る過程における詳細な壁面静圧変動データを基に、不安定流れの初生を判断する定量的な基準を示すことに成功した。さらに、既存の実験に対応する非粘性非定常流動数値解析を通じて実験ノイズの無いデータを得た上で、同一の処理を行い、流れの非線形性に起因して不安定流れに至る過程の相図上の類似点を定性的に確認した。こうして得られた判断規準を用いれば、遠心圧縮機の不安定流れを予知できるばかりか、規準値に対して適当なマージンを設けた上で運転を行い、その状況をモニターして、万一の場合には、危険防止のための能動的制御を発動できる可能性が広がる。

 本論文は第1章から第5章までの構成となっている。

 第1章では、本研究の特色と目的を明確にし、関連する研究経緯を述べている。特に、旋回失速の初生に関する長・短波長の擾乱を紹介し、従来の予知手法を説明している。

 第2章は、カオス現象を解析する手法、すなわち、時間遅れ法、特異値分解法、及び相関次元法の定義と応用について説明している。また、カオス現象を深く理解し、カオス解析の応用を実践するため、理論モデル及び実験データをもとに検証を行なっている。すなわち、Greitzer理論モデルに基づく計算結果のデータを処理する上で、時間に関する重要なパラメータ(Sampling Time,Delay Time,Embedding Dimension,Window Length)の選択がサージの相図の構築に与える影響を調べ、これらパラメーターの選択基準を理論的に示している。さらに、この選択基準の有効性をポンプ用インデューサーの実験データに適用し、キャビテーションの生成と変化の動的過程を空間的に相図で明白に表現している。

 第3章は、高速遠心圧縮機における不安定現象の実験とその解析結果であり、回転数がそれぞれ30,000rpmと50,000rpmの場合、旋回失速とサージの発生の特徴を高感度圧力センサーで詳しく調べている。計測した圧力の時系列データより、旋回失速近傍での動的変化をとらえるために、圧縮機の基本相図を概念として定義し、それらの相関積分を調べ、不安定流れの閾値を例示している。

 第4章は、ベーンレスディフューザーを備えた低速遠心圧縮機の内部流れ場を、三次元非定常Euler方程式に基づきシミュレーションする際の工夫及びその計算結果を述べている。特に、ディフューザー後方のスクロールの影響による出口圧力歪み分布を考慮して、全周ならびに2翼ピッチ位相差近似法により得られた非定常結果同士を比較している。最後に、実験データと計算データから圧縮機の基本相図を構築し、両者の一致を結論づけている。

 最後の第5章は結論であり、本研究で得られた知見をまとめている。

 以上要するに、本論文はカオス解析手法を遠心圧縮機に適用して、システムの相図の相関積分値を求めることにより、非線形性に起因する不安定流れの予知とモニタリングに有効な定性的ならびに定量的な判断規準を構築する手法を確立したものであり、その結果は航空宇宙工学上貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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