学位論文要旨



No 114815
著者(漢字) 宮崎,裕明
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,ヒロアキ
標題(和) 広塩性魚ティラピアのクロライド代謝系の機能分化
標題(洋) Functional differentiation of chloride metabolism in euryhaline tilapia,Oreochromis mossambicus
報告番号 114815
報告番号 甲14815
学位授与日 1999.12.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3672号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 助教授 朴,民根
 東京大学 助教授 渡邊,俊樹
 東京医科歯科大学 助教授 佐々木,成
内容要旨

 魚類の体液浸透圧は哺乳類とほぼ等しく、淡水魚及び、海水魚を問わず約300mOsm/kgに保たれている。しかし、魚では体液が体表を介して環境水と接しているため、水や塩類が常に外界と入れ替わっている。そのため、魚類が体液と異なる浸透圧環境に生存する上で、水や塩類、特にナトリウムやクロライドの代謝を制御することがもっとも重要である。しかし、体表の水・塩類の透過性の調節や、鰓、腎臓、腸といった浸透圧調節器官の機能的な分化などはいまだに明らかになっていない部分も多い。

 そこで、淡水と海水双方で生息が可能な広塩性魚であるティラピア(Oreochromis mossambicus)の仔稚魚を用いて、浸透圧調節器官の発達に伴いクロライド代謝がどのように変化するかを調べた。ティラピアは受精5日後に孵化するが、孵化前後の36Cl-の置換率を測定したところ、孵化を境に置換率が急激に増加していることが明らかになった。Cl-の置換率は、海水群が淡水群と比較して約100倍という極端に高い値を示した。ティラピアの発育段階において、この時期は鰓の構造が非常に発達することが明らかになっていることから、孵化前後におけるCl-の置換率の変化は鰓の発達により体表の面積が急激に増加したことによると考えられる。しかし、淡水、海水中における魚のCl-置換率の極端な違いは体表面積の増加だけでは説明できないため、体表自体のCl-透過機構が変化したものと思われる。そこで、細胞膜を介したCl-の輸送に関して重要な役割を担っていると思われるクロライドチャンネルを、ティラピアの浸透圧調節器官であり、成魚の体表の主要な部分を占めている鰓よりクローニングをした。

 哺乳類における主要な浸透圧器官である腎臓では、尿細管に存在するクロライドチャンネルが、尿濃縮などの体液調節において重要な役割をはたしていることが明らかになっている。そこで、哺乳類の腎臓での重要な機能が明らかになっており、大腸菌から哺乳類に至るまで様々な動物でその存在が確認されているCLCクロライドチャンネルのクローニングを試みた。

 ティラピアの鰓よりRNAを抽出し、哺乳類のCLC配列を参考にプライマーを作成しRT-PCRを行ったところ、2種類の新しいクローンが見つかった。それらを用いて鰓から作製したcDNAライブラリーをスクリーニングしたところ、それぞれ3.8Kbと4.2Kbの全長クローンを得た。それぞれのアミノ酸配列を既知のCLCクロライドチャンネルと比較したところ、ラットのCLC-3とCLC-5に最も近いクローンであることがわかった。そこでこれらのクローンをティラピアの学名をつけ、それぞれOmCLC-3とOmCLC-5と命名した。RNaseプロテクションアッセイにより組織分布を調べたところ、OmCLC-3は確認したすべての組織で発現が見られたが、OmCLC-5は、鰓、腎臓、腸といった浸透圧調節器官で強い発現が確認された。また、それぞれのmRNA発現量を淡水群、海水群で比較したところ、OmCLC-3、OmCLC-5ともに有意な差は確認できなかったが、OmCLC-5は海水群で増加する傾向が見られ、2倍海水中で飼育した魚の鰓では有意に増加していた。

 OmCLC-3、OmCLC-5ともに、CLCクロライドチャンネルとしての機能を有しているかを確認するため、Xenopusの卵母細胞を用いてそれらを発現させ、ホールセルクランプ法により調べたところ、両クローンで外向き整流性の電流が確認された。また、クロライドチャンネルの特異的な阻害剤を加えたると、有意な電流値の減少が確認された。しかし、Xenopusの卵母細胞において発現させた既知のCLCの電流値と比較すると、ティラピアのそれは1/50〜1/100ほどの値であった。そこで、この卵母細胞の解析系では、OmCLC-3、OmCLC-5がCLCとしての機能を有していると結論することができなかった。そこで、近年新たに開発されたイーストのCLCノックアウト株を用いたCLCの機能解析系を作製し、OmCLC-3、OmCLC-5のCLCクロライドチャンネルとしての機能の確認を行った。イーストのCLCクロライドチャンネルをコードする遺伝子であるGEF-1を欠損させた株を作成すると、培地に加えた糖の種類によっては生存できなくなる表現型を示すようになる。しかし、この株にGEF-1や外来のCLCを組み込み形質転換すると、このような糖選択性が消失する。そこで、OmCLC-3、OmCLC-5を欠損株で発現させたところ、糖選択性が消失した。この結果より、OmCLC-3、OmCLC-5共にCLCクロライドチャンネルとしての機能を有していることが明らかとなった。

 次に、浸透圧調節器官での発現が多く、クロライド代謝に重要な働きをしていると思われるOmCLC-5が、魚類のCl-代謝を担う中心的な器官である鰓組織中のどの細胞に発現しているかを確認するため、OmCLC-5に特異的なペプチド抗体を作製し、免疫組織化学的に組織分布を調べた。淡水、海水、2倍海水中で飼育したティラピアの鰓で、OmCLC-5と、塩類細胞のマーカーであるNa+,K+-ATPaseを隣接切片上で染色を行い比較したところ、同じ細胞に染色が確認できた。このことから、OmCLC-5は、鰓においてCl-輸送系の中心的な細胞である塩類細胞に特異的に発現していることが明らかとなった。

 OmCLC-5の塩類細胞内の局在を明らかにするため、電子顕微鏡レベルで免疫組織化学を行い観察したところ、OmCLC-5のNa+,K+-ATPaseと同じbasolateral側の細胞膜上に存在することを確認できた。

 以上の結果より、OmCLC-5が鰓の塩類細胞において、クロライドイオンの輸送に重要な役割を担っていることが示唆された。今後さらに、OmCLC-5のCl-に対する輸送調節に関して、塩類細胞に存在が確認されている他のイオン輸送体との生理学的な関わりを明らかにすることで、塩類細胞におけるCl-の輸送系の調節機構の全体像が解明できると考えている。

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章は、海水と淡水双方によく適応するティラピアの鰓より、クロライドチャンネルをクローニングした結果について述べられている。第2章は、クローニングされたクロライドチャンネルが実際にクロライドを輸送する機能を有しているかについて、(1)アフリカツメガエル卵で得られたクローンを発現させクロライド電流の変化を測定する方法、及び(2)クロライドチャンネル遺伝子をなくした酵母の変異株を作り、得られた遺伝子の移入により失われた機能が補充されるかどうかを調べる方法、を用いて検討している。第3章は、得られたクロライドチャンネルに対する特異的な抗体を作成し、それが鰓のどの細胞のどの部位に存在するかについて、光学顕微鏡及び電子顕微鏡を用いた免疫組織化学法により調べている。

 修士課程の研究において、論文提出者は(1)ティラピア胚のクロライド代謝率が孵化直後に急激に上昇すること、及び(2)ティラピアのクロライド代謝率が淡水と海水で大きく異なること、を明らかにした。これらの結果を踏まえ、博士課程では「孵化直後に代謝率が上昇するのは鰓が発達するためで、鰓に存在するクロライドチャンネルがそれを担っている。そして、その発現が淡水と海水で大きく変化する。」という仮説を立てて研究を継続した。この仮説のもとに、第1章において海水に適応したティラピアの鰓からクロライドチャンネルをクローニングしたところ、CLC-3とCLC-5の2つのタイプのクローンを得た。次にそれらの発現部位を調べたところ、CLC-3は調べたすべての組織で発現が認められたが、CLC-5は鰓、腸、腎臓などの浸透圧調節器官で発現が高かった。また、淡水と2倍海水に適応したティラピアの鰓で比較すると、CLC-5のみが2倍海水で発現が亢進していた。第2章では、得られたCLCが実際にクロライドチャンネルとしての機能を有しているかについて、まずアフリカツメガエル卵でクローンを発現させ、ホールセルパッチクランプ法でクロライド電流の変化を調べている。ティラピアCLCの導入によりクロライド電流は上昇したものの、その電流量はこれまで報告されているCLCよりもかなり低く、この結果のみでクロライドチャンネルであると断定するには至らなかった。そこで、酵母に存在する唯一のクロライドチャンネルを相同組み替えによりノックアウトしたクローンを作成し、それにティラピアで得られたCLCのクローンを移入したところ、失われた機能が回復した。このように、ティラピアで得られたクローンはクロライドチャンネルとしての機能を有していることを証明している。さらに第3章では、得られたクロライドチャンネルのうち、浸透圧調節器官で発現が多く、環境浸透圧の違いにより発現が変化するCLC-5が、ティラピアの鰓のどの細胞に存在するかを、抗体を用いた免疫組織化学法で調べている。その結果、CLC-5は塩類代謝において中心的な役割を担っている塩類細胞にのみその存在を確認した。さらに、電子顕微鏡レベルの免疫組織化学により塩類細胞内の局在を調べたところ、CLC-5は外界と接する頂部にはなく、隣接細胞と接する部位に存在することを見出した。したがって、このクロライドチャンネルは、細胞間に濃縮されたナトリウムイオンに引っ張られるかたちでクロライドイオンを細胞間隙に送り出すことにより、クロライドイオンを外界に排出する働きをしていると予想される。

 以上述べたように、本研究は魚類の浸透圧調節に重要な働きをもつCLCクロライドチャンネルを世界で初めてクローン化して、それが実際に浸透圧調節に関与している可能性を示唆した点で高く評価される。これまでの海水魚の鰓におけるイオンの動きに関する仮説では、塩類細胞の頂部に存在するクロライドチャンネルがクロライドの排出に重要であると考えられていた。しかし、クロライド濃度が細胞内の10倍以上もある外界に、どのように濃度勾配に逆らってクロライドイオンを排出するのかについては疑問があった。本研究により提唱されたCLC-5によりクロライドイオンを細胞間隙に濃縮するルートは、これまでの塩類細胞におけるイオン輸送のモデルを大きく変更させ、その疑問を解決する可能性を秘めている。このように、本研究は魚類の塩類代謝において新しい局面を開拓するものといえる。

 なお、本論文第1,2章は東京医科歯科大学(内田信一、佐々木成、丸茂文昭)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を行いまとめたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54118