学位申請者矢花聡子は、分裂酵母の減数分裂開始因子の活性化に対して負に作用する遺伝子mip1を発見し、その産物が普段は減数分裂を促進する役割をもつが、N末端が欠けると減数分裂に阻害的に働くようになる作用機構を明らかにした。本学位論文はその経過を序章および本章にまとめたものである。 分裂酵母の二倍体細胞は、培地中の栄養源枯渇に応じて細胞周期をG1期で停止させた後に減数分裂・胞子形成過程へと細胞分化する。Mei2は減数分裂の開始および進行に決定的な因子であり、Pat1キナーゼはMei2をリン酸化して不活化する減数分裂の阻害因子であると知られている。近年、Mei2が細胞質から核内に移行してドットを形成することが減数第一分裂の開始に必要で、meiRNAがMei2の核移行にmeiRNAというRNAが必須であることが示された。また、Mei2はG1期停止にも関与することが示唆されているが、Mei2の具体的な機能活性、機能標的因子は未知である。本研究はMei2による増殖停止機構に注目し、体細胞分裂により増殖を繰り返している細胞がいかなる機構を経て減数分裂を開始するのかという、細胞分化の基本的な分子機構を解明することを目的として開始された。 序章では、Pat1キナーゼによる制御が効かなくなる活性型mei2の単離が述べられている。検索によって取得した活性型mei2の変異部位を特定すると、二箇所のリン酸化を受けると考えられる配列の周辺に置換が生じていた。この遺伝学的解析から示唆された2つのアミノ酸残基が実際にPat1キナーゼによるリン酸化を受けることが、並行して行われた共同研究者の解析で示された。これらのことから、Mei2は減数分裂の開始および進行に正に働く因子であり、Pat1キナーゼはMei2を直接リン酸化して不活性化することによって減数分裂への移行を抑止するという図式が証明された。 Pat1によりリン酸化を受ける2つのアミノ酸をアラニンに置換したmei2(mei2-SATA)は活性型となり、mei2-SATAをゲノムに組み込み発現を誘導すると、細胞は減数分裂を開始して増殖不能となった。申請者は本章において、mei2機能を探る目的で、mei2-SATAによる致死性を多コピーで抑圧できる遺伝子を単離し、そのひとつをmip1(Mei2 interacting protein)と命名して詳しく解析した。この遺伝子の産物Mip1は、1313アミノ酸からなり、C末端付近にWDリピート構造を含むタンパク質であり、そのホモログは真核生物一般に広く保存されている。スクリーニングで得られたmip1(mip1-15)はN末端を欠如していたため、全長を得たところ、全長のmip1はmei2-SATAを発現する細胞の増殖不能を抑圧することができなかった。申請者は次いでMei2とMip1とのタンパクレベルにおける直接的な相互作用についての検討を行った。Two hybrid analysisからMip1およびMip1-15とMei2が相互作用する可能性が示唆された。さらに、Mip1とMei2が細胞内で複合体を形成することを確かめるために、免疫沈降実験を行ったところ、Mip1-15は強固に、Mip1は緩くMei2と結合することが判明した。Mip1の細胞内局在を調べたところ、Mip1は細胞質に局在していた。さらに、Mip1-15を過剰発現させると、Mei2が細胞質で凝集することが判明した。以上の結果から、Mip1は細胞内でMei2と相互作用し、Mip1-15はMei2とより強固に結合する結果その機能を阻害することが分かった。遺伝子破壊実験から、mip1は栄養成長に必須の遺伝子であることが判明した。mip1の発現を止めた細胞は、増殖が停止する際に有意にG1ピークが現れ、細胞長は短くなった。一方、mip1を1コピーしか持たない二倍体細胞は胞子形成率が有意に低下し、mip1が減数分裂の正常な進行に必須なものであることが示唆された。このことはmip1-15変異と野生型mip1とを共存させる実験でより直接的に証明された。mip1-15変異遺伝子は生育をサポートできたが、そのような一倍体株は接合をほとんど行わず、mip1-15が接合に関わる因子も阻害する可能性が示唆された。解析の結果、有性生殖のための転写因子Ste11がその標的と考えられた。 まとめると、本研究において減数分裂制御因子Mei2と相互作用するMip1を同定した。Mip1は細胞増殖に必須で、かつ接合や減数分裂にも機能する因子であった。Mip1と相同なタンパク質は真核生物一般に高度に保存されており、細胞の増殖・分化に普遍的な機能を持つと考えられる。Mip1の機能としては、細胞の様々な活動に関わる複数のタンパク質と相互作用し、例えばその折り畳みや修飾を促すことによって、タンパク質の機能発現を助けている可能性が考えられる。また予備的な知見から、Pat1キナーゼによるリン酸化部位をMip1タンパク質が認識する可能性が示唆されている。 以上、矢花聡子は分裂酵母におけるmip1遺伝子の働きを詳細に解析し、真核生物における新たなファミリー遺伝子の存在を示すとともに、その機能解析に道を拓いた。この業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであると審査員全員が判定した。なお本論文は渡辺嘉典、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、矢花聡子に博士(理学)の学位を授与できると認める。 |