学位論文要旨



No 114821
著者(漢字) 新井,崇臣
著者(英字)
著者(カナ) アライ,タカオミ
標題(和) スラウェシ島におけるウナギ属魚類の接岸回遊生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 114821
報告番号 甲14821
学位授与日 2000.01.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2075号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 谷内,透
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 佐野,光彦
 三重大学 助教授 大竹,二雄
内容要旨

 外洋域の産卵場で孵化したウナギ属魚類Anguilla spp.の仔魚(レプトケファルス)は、海流に運ばれ、シラスウナギへ変態して河口域に接岸する。こうした接岸行動とこの間の初期生活史について、温帯の淡水域に分布するウナギ属魚類(温帯ウナギ)数種においては次第に明らかになってきた。しかしながら、主に熱帯の淡水域に分布する約10種のウナギ属魚類(熱帯ウナギ)の接岸回遊生態に関する知見は皆無に等しい。

 そこで本研究では、インドネシア・スラウェシ島のポイガル川河口に出現する熱帯ウナギ3種(A.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacifica)の初期生活史と接岸行動について知見を集積し、これらを総合して熱帯ウナギの接岸回遊生態を解明することを目的とした。また、これらの知見を温帯ウナギのものと比較することにより、熱帯ウナギの接岸回遊生態の特長とウナギ属魚類全体の共通性を理解することも狙いとした。

1、耳石による生活史の解読

 世界各地で採集した熱帯ウナギと温帯ウナギ計10種・亜種のシラスウナギ198尾の耳石微細構造を走査型電子顕微鏡で観察した。その結果、すべての耳石に核を中心とする同心円状の明瞭な輪紋構造が認められた。また、ほぼ全個体で孵化時(100%)と卵黄吸収時(97%)に対応して明瞭なチェックが認められた。耳石輪紋の幅(輪幅)は、中心から外縁に向かって各種とも同様の変化を示した。すなわち、輪幅はまず増大して小ピークを呈した後(0.6〜1.1m)、しばらく低値(平均:0.4〜0.6m)で推移する。その後輪幅は急激に増大し(急増開始点)、最大(1.2〜2.8m、大ピーク)に達した後、耳石外縁で急減する。

 耳石蛍光標識を施した熱帯ウナギA.celebesensisのシラスウナギ40尾を用いて耳石輪紋の周期性を調べたところ、標識処理後の飼育日数と標識外側の輪紋数がほぼ一致し、本種の輪紋の日周性が確認された。

 10種・亜種のシラスウナギ110尾の耳石について、波長分散型X線分析装置を用いてカルシウム(Ca)とストロンチウム(Sr)の濃度変化を測定したところ、いずれの種も耳石Sr:Ca比は中心部で低く(平均比:8.5〜11.8×10-3)、縁辺に向かって徐々に増大し、最大に達した後(13.2〜18.9×10-3)急減した。このSr:Ca比の急減する点は輪幅の急増開始点と一致した。

 外洋で採集されたA.japonica、A.marmorata、A.bicolor pacificaのレプトケファルス計33尾の耳石微細構造とSr:Ca比の解析を行った。レプトケファルスの耳石には、シラスウナギに存在する輪幅の急増開始点とSr:Ca比の急減は認められなかった。したがって、輪幅の急増とこれと一致したSr:Ca比の急減は、変態期に相当すると考えられた。また、一部の熱帯のシラスウナギには耳石縁辺部で輪幅が増大途中で大ピークを欠く個体が含まれることから、変態は大ピークか、あるいはその直前に完了すると考えられた。

2、初期生活史

 世界7カ国9地点に接岸した熱帯ウナギ4種・亜種と温帯ウナギ6種・亜種の計10種・亜種435尾の耳石を用いてウナギ属魚類の初期生活史を推定した。

 1997年1〜12月の毎月、ポイガル川河口で採集したA.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの平均変態(開始)日齢と平均接岸日齢を月別に求めてみると、それぞれ、84〜95日、114〜158日、129〜171日と104〜118日、144〜182日、158〜201日の範囲にあった。各種内では両日齢とも接岸した月による有意差はなかった。そこで月別のデータを一括して種毎に平均変態日齢と平均接岸日齢を求めてみたところ、それぞれ88日、128日、141日と109日、155日、173日となり、A.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの順に若齢で変態・接岸することが分かった。一方、温帯ウナギの平均変態日齢と平均接岸日齢は、それぞれ139(A.japonica)〜250日(A.dieffenbachi)と175(A.japonica)〜299日(A.dieffenbachi)で、A.japonicaを除く他の5種・亜種の温帯ウナギは、熱帯ウナギより高齢で変態・接岸することが明らかになった。次に、種内の地域差を調べるために、フィリピン北部とポイガル川に接岸したA.celebesensisとA.marmorataの平均変態日齢と平均接岸日齢を比較したところ、接岸場所が異なるにも関わらずA.marmorataでは各日齢に有意差が認められなかった。このことは、最新の分子遺伝学的集団解析によって明らかにされた両地点に接岸するA.marmorataの同一産卵場・同一集団説と矛盾しない。しかし、A.celebesensisでは両地点の各日齢に40〜50日もの差が見られた。両地点間の大きな日齢差は、海流系の違いも考慮に入れると、それぞれ異なった産卵場から接岸した可能性のあることを示唆している。

 ポイガル川河口に接岸したシラスウナギの孵化時期は、A.marmorataで、1996年7月〜1997年7月と周年に亘っていた。またA.celebesensisも、5、11月を除くほぼ周年と推定された。これは温帯ウナギの産卵期が1年の内で約6カ月と限られているのに対し、熱帯ウナギの特長と考えられた。一方A.bicolor pacificaでは、10、12〜3月を除く約7カ月間と推定された。

 各個体の変態日齢と接岸日齢の関係はいずれの種においても強い正の相関を示し、若齢で変態を開始した個体ほどより若齢で河口に接岸する傾向が認められた。変態開始のタイミングが、その後の接岸日齢を決定する主要因と考えられた。

3、接岸行動

 1997年1月〜1998年12月の2年間、ポイガル川河口で毎月2(新月、満月)〜4回(新月、満月、上・下弦)、2時間毎に12〜24時間、シラスウナギの定量採集を行った。1回の採集は、波打ち際(水深約50cm)と平行に10m区間を、2人の調査員が掬い網(網口約0.3m2)を用いて10往復し、得られたシラスウナギの総尾数を1調査回次の採集尾数とした。

 2年間の調査を通じて採集した計23086尾のシラスウナギから無作為に6704尾を選び、外部形態と脊椎骨数を計測・計数した。これに加えて、1997年の各月のサンプルから約20尾ずつ無作為に選んだ272尾についてミトコンドリアDNAの解析を行い、種を査定した。その結果、本調査地にはA.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの3種が接岸することが分かった。

 A.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの採集尾数は、1997年で、それぞれ18884尾、2572尾、287尾、1998年で1064尾、160尾、22尾であった。両年で各種の接岸尾数は13〜18倍と大きく異なっていたが、3種の比率は両年でほぼ等しかった(86%、12.5%、1.5%)。A.celebesensisは、1997年は周年接岸し、1998年も1、3、4月を除きほぼ周年接岸した。採集尾数は、両年共に6月に最大であった(11679尾、944尾)。A.marmorataは両年とも周年接岸し、本celebesensis同様6月に接岸のピークが認められた(1799尾、68尾)。A.bicolor pacificaは1997年は8月に最大値(140尾)を記録し、11月を除き周年接岸したが、1998年は年間を通じて各月0〜7尾見られただけだった。

 河口域のシラスウナギの採集尾数は新月に集中し(76.8%)、上弦(12.2%)、下弦(10.7%)の順に少なくなり、満月(0.3%)にはほとんど接岸しないと考えられた。また、シラスウナギの接岸は夜間にのみ起こり、昼間は全く見られなかった。さらに、いずれの月齢においても、上げ潮時と下げ潮時共に接岸することが分かった。

 シラスウナギの色素発現状態は、いずれの種、個体においても初期段階にあり、色素胞は尾部のみか、あるいはこれに加えて頭部と吻端にわずかしか見られなかった。A.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの全個体の平均体長は、それぞれ49.3mm、51.4mm、50.2mmであった。これら3種と同じ色素発現状態にある温帯ウナギの平均体長を比較したところ、57.2(A.japonica)〜64.8mm(A.dieffenbachi)で、熱帯ウナギは温帯ウナギより小さな体長で接岸する傾向があった。

 耳石解析によって明らかにされたA.celebesensisとA.marmorataの周年産卵と周年ほぼ一定の接岸日齢は、ポイガル川河口におけるこれら2種の周年接岸に対応し、外洋の産卵場から河口に至るレプトケファルスの安定した輸送機構を示唆する。温帯ウナギに比べて熱帯ウナギの変態・接岸日齢が小さいことは、回遊距離とその所要時間が直接結びつきはしないものの、温帯ウナギの数千キロの大回遊に対し、熱帯ウナギはせいぜい数百キロ程度の小規模な局地的回遊を行っていることを示唆している。今後、外洋域で熱帯ウナギの卵やより小さなレプトケファルスを採集することによって海洋回遊期の知見を集積し、接岸回遊生態の全貌を明らかにする必要がある。また、ポイガル川に生息する3種の下りウナギの降河時期と成熟状態を調べることも熱帯ウナギの回遊生態を理解する上で重要である。

審査要旨

 本研究は、インドネシア・スラウェシ島のポイガル川河口に出現するウナギ属魚類3種(Anguilla celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacifika)の初期生活史と接岸行動を明らかにすることにより、これまで知見が殆どなかった熱帯ウナギの接岸回遊生態を解明することを目的とした。また、これらの知見を温帯の淡水域に成育場をもつ温帯ウナギと比較対照することにより、ウナギ属魚類全体の接岸回遊生態を理解することも目的とした。論文は5章からなり、緒言に続く第2章〜第5章では以下の結果を得た。

 まず第2章では、世界各地で採集した熱帯・温帯ウナギ計10種・亜種のシラスウナギ198個体について、耳石微細構造と微量元素分布を観察し、耳石による初期生活史の推定法を確立した。解析したすべての耳石に同心円状の明瞭な輪紋構造を確認した。また熱帯ウナギのA.celebesensisでは、初めてその耳石輪紋が1日1本ずつ形成される日周輪であることを証明した。耳石輪紋の幅(輪幅)は、中心から外縁に向かいまず増大して小ピークを呈した後、しばらく低値で推移した。その後輪幅は急激に増大し(急増開始点)、最大に達した後耳石外縁で急減した。こうした輪幅の変化様式は調べた10種・亜種すべての個体に共通していた。耳石のカルシウム(Ca)とストロンチウム(Sr)の比(Sr:Ca比)は、いずれの種においても、耳石中心から縁辺に向かって徐々に増大し、最大に達した後急減した。このSr:Ca比の急減する点は輪幅の急増開始点と一致した。変態直前のレプトケファルスの耳石には、シラスウナギに存在する輪幅の急増開始点とSr:Ca比の急減は認められなかったことから、Sr:Ca比の急減とこれと一致した輪幅の急増が、レプトケファルスからシラスウナギへの変態開始時点に相当すると考えられた。

 次に第3章では、世界7カ国9地点に接岸した熱帯ウナギ4種・亜種と温帯ウナギ6種・亜種の計10種・亜種435尾の耳石を用いてウナギ属魚類の初期生活史を推定した。1997年1〜12月にポイガル川河口で採集したA.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの平均変態日齢と平均接岸日齢は接岸した月による有意差はなく、それぞれ88日、128日、141日、及び109日、155日、173日となり、A.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの順に若齢で変態し接岸することが分かった。熱帯ウナギは5種・亜種の温帯ウナギより若齢で変態・接岸することが明らかになった。このことは接岸日齢が直接回遊距離を示すものではないものの、熱帯ウナギは数千キロの大回遊を行う温帯ウナギとは異なって、小規模な局地的回遊をしている可能性が示唆された。ポイガル川河口に接岸した熱帯ウナギの孵化時期は、A.marmorataとA.celebesensisでは周年に亘り、A.bicolor pacificaでは、10、12〜3月を除く約7カ月間と推定された。各個体の変態日齢と接岸日齢の関係は、いずれの種においても強い正の相関を示し、変態開始のタイミングがその後の接岸日齢を決定する主要因と考えられた。

 また第4章では、1997年と1998年の2年間、毎月インドネシア・ポイガル川河口で月齢に合わせてシラスウナギの定量採集を行い、熱帯ウナギの接岸行動を明らかにした。外部形態の観察とミトコンドリアDNAの解析から、本調査地にはA.celebesensis、A.marmorata、A.bicolor pacificaの3種が接岸し、従来報告されていたA.borneensisは来遊しないことが分かった。A.celebesensisとA.marmorataは両年ともほぼ周年接岸した。A.bicolor pacificaは1997年はほぼ周年接岸したが、1998年は年間を通じて各月0〜7尾見られただけだった。温帯ウナギの接岸は一般に冬季の約半年間に限られているのに対し、熱帯ウナギはほぼ周年接岸しており、これは耳石解析から明らかになった周年産卵に対応しているものと考えられた。河口域のシラスウナギの接岸は新月に集中し、満月にはほとんど見られなかった。また、上げ潮時と下げ潮時共に接岸するが、1日の内では夜間にのみ接岸することが分かった。

 最後の第5章では、以上をまとめてウナギ属魚類の接岸回遊生態を考察した。熱帯ウナギの変態・接岸日齢が温帯ウナギに比べて小さいという事実とウナギ属魚類の祖先種が現在の熱帯ウナギに近縁であるという系統関係から、ウナギ属魚類の回遊生態は熱帯ウナギの局地的な小規模回遊から始まり、現在の温帯ウナギの大規模回遊へと進化してきたと考えられた。

 以上、本研究はこれまで不明であった熱帯ウナギの初期生活史と接岸生態の特徴を明らかにし、温帯ウナギとの比較をもとにウナギ属魚類全体の接岸回遊生態を明らかにした点で学術上高く評価された。また、ウナギ属魚類の資源管理と保全のために基礎的知見を数多く提供するものとして応用上寄与することが少なくないと判断された。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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