学位論文要旨



No 114822
著者(漢字) 吉永,龍起
著者(英字)
著者(カナ) ヨシナガ,タツキ
標題(和) シオミズツボワムシの個体数の変動機構と生活史特性に関する実験生態学的研究
標題(洋)
報告番号 114822
報告番号 甲14822
学位授与日 2000.01.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2076号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 日野,明徳
 東京大学 教授 黒倉,寿
 東京大学 助教授 松田,裕之
 長崎大学 教授 萩原,篤志
内容要旨

 個体数が大変動する現象は,タビネズミ,トビバッタ,マイワシなど様々な生物で知られている.個体数の変動機構を解明することは生態学の究極的な目的の1つである.しかし,天然で起こる変動には様々な要因が複雑に関わっているため,その機構の解明は極めて困難である.そこで変動機構の解明にあたっては,まず実験環境で要因を単純化して,さらに遺伝的に均一な個体群を扱うことが必要となる.一方,単性生殖によって高い増殖能を有するシオミズツボワムシBrachionus plicatilis(以下ワムシ)も,個体数が大変動することでよく知られている.ワムシは水産動物の種苗生産に不可欠な初期餌料生物であり,その大量培養の現場において生じる個体密度の急減や増殖不良の原因として,餌料不足,水質悪化,細菌や原生動物の関与が指摘されている.しかし,それらの要因が個体の生活史に及ぼす影響は不明であるため,ワムシの個体数の変動機構の全貌は明らかになっていない.

 そこで本研究では,環境要因がワムシの生活史特性に及ぼす影響を培養実験に基づいて明らかにし,そうした生活史特性の変化が個体数の変動機構において果たす役割を考察することを目的とした.

1.ワムシの実験個体群の動態

 ワムシの個体数の時系列変動様式を調べることを目的として培養を行った.全生存個体を毎日新しい1.5mlの人工海水培地(塩分33‰;0.5×106細胞/mlで餌料Tetraselmis tetratheleを懸濁;以下培地)に移し替え,個体数,携卵数,死亡数を記録した.

 ワムシの個体数変動はシグモイド曲線を示した.まず最初に2日間の停滞期があった後,個体数は6日間にわたって急増した(日間増殖率123.8〜364.3%,指数増殖期).その後45日目に最大個体数(1628個体)に達するまで個体数は徐々に増加し(指数増殖後期).それ以降は培養を終了した70日目まで若干の振幅を伴ってほぼ一定のレベルを保った(定常期).死亡個体は15日目前後から現われ,1日あたりの死亡数は培養期間を通じてほぼ一定となった(平均値±標準誤差,34.2個体/日±3.2).指数増殖期では,卵を携帯する個体とそれらが産んだ仔虫が個体群の大部分を占めた.指数増殖後期と定常期では,卵を携帯しない成熟個体が個体群全体の80〜90%を占めた.すなわち,指数増殖期から定常期へと至る過程の個体群の成長抑制は,出生率の急激な低下によってもたらされ,死亡率はほとんど影響していないことが明らかになった.

2.水温がワムシの生活史に及ぼす影響

 20,25,30℃の3水温区を設けた.各区に8個体ずつ計24個体のワムシ(<2時間齢)を1mlの培地に個別に収容して培養した(個別培養法).各個体を毎日新しい培地に移し替え,以下の7つの生活史特性値を求めた:寿命,初産卵齢(最初の卵を産出した齢),繁殖開始齢(第1仔が孵化した齢),繁殖終了齢(最後の仔虫を産んだ齢),繁殖期間(繁殖終了齢と繁殖開始齢の差),生涯産仔数(一生の間に産んだ仔虫の総数),繁殖率(1日あたりの産仔数).

 培養水温が低いほど初産卵齢と繁殖開始齢が有意に高くなり,また寿命と繁殖期間は長くなった,繁殖率は培養水温が低いほど有意に低くなったが,3水温区間の生涯産仔数には有意差がなかった.以上の結果から,ワムシの繁殖率は低水温で低くなるが,繁殖期間が長くなることで補償されるため,生涯産仔数は水温に関わらず一定に保たれることが分かった.

 次に,前培養期間の親世代の馴致水温が次世代の生活史特性に及ぼす影響を調べた.上記3水温で前培養した実験区で産まれた仔虫を直ちにそれぞれ3分して,3水温(20,25,30℃)区で個別培養した.

 親世代が培養された馴致水温に関わらず,次世代の仔虫の培養水温が低いほど初産卵齢と繁殖開始齢が有意に高くなり,繁殖期間と寿命は長くなった.また低水温区ほど繁殖率は有意に低かったものの,生涯産仔数には有意差がなかった.以上の結果より,ワムシの生活史特性は培養水温によって決まり,親世代の馴致水温には無関係であることが分かった.

3.培養濾液がワムシの生活史に及ぼす影響

 ワムシを0-100個体/mlの8段階の個体密度で48〜60時間前培養し,その培養液を濾過したものを培養瀘液とした.この培養濾液を用いて個別培養を行い,前述の7生活史特性値を比較した.また初産卵齢に達した時の被甲長および最大被甲幅を測定した.

 前培養時の個体密度が高かった培養瀘液区ほど,初産卵齢と繁殖開始齢は若齢になった.培養濾液区のワムシの寿命(9.4日±0.7)は,新鮮な培地を用いた対照区(11.4日±1.8)と比べて有意に短かった.生涯産仔数と繁殖期間は,培養瀘液区(26.4個体±0.5と6.5日±0.3)と対照区(25.8個体±0.6と7.1日±0.3)の間に有意差はなかった.以上の結果から,培養濾液により繁殖開始齢が若齢側に移行しても繁殖期間は変わらず,培養濾液区と対照区のワムシの生涯産仔数は一定であることが分かった.培養濾液区のワムシは,対照区よりも若齢から繁殖を開始したので内的自然増加率は増大した.一方,培養濾液区のワムシの初産卵齢時の被甲長(292.6〜299.2m)は対照区(311.7m)に比べて有意に小さく,また産出卵の孵化時間は有意に短かった(培養濾液区,19.7〜20.3時間;対照区,21.8時間).これらの結果は,培養濾液区のワムシ由来の卵が小サイズであり,そこから孵化する仔虫の飢餓耐性も対照区のそれらと比べて低いことを示唆する.つまり培養瀘液区のワムシは繁殖を若齢から始めたことで個体群の増殖率を高めたものの,その結果産まれた次世代の仔虫の生存能力は低下する可能性があるので,必ずしも繁殖に成功したとはいえない.

4.周期的な飢餓がワムシの生活史に及ぼす影響

 日周的に23時間もしくは21時間絶食させた2飢餓区(23時間,21時間飢餓区)と24時間を通じて給餌した対照区の間で,個別培養を行って生活史特性を比較した.また21時間飢餓区と対照区のワムシが産んだ仔虫を,飢餓条件下で個別培養して飢餓耐性を比較した.

 23時間飢餓区の初産卵齢と繁殖開始齢(5.3日±0.3と6.1日±0.4)および21時間飢餓区のそれら(3.4日±0.2と4.0日±0.0)は,いずれも対照区(1.0日±0.0と2.0日±0.0)に比べて有意に高齢だった,また23時間飢餓区の繁殖期間と寿命(18.2日±2.2と24.0日±2.5)および21時間飢餓区のそれら(17.3日±2.4と22.0日±5.5)は,いずれも対照区(6.6日±0.5と9.0日±1.4)に比べて有意に長くなった.2飢餓区の生涯産仔数(8.3個体±0.9,9.2個体±1.1;それぞれ23時間,21時間飢餓区)は,対照区(23.4個体±2.5)に比べて有意に少なかった.3区を併せて個体の寿命と生涯産仔数の関係を見ると,寿命が長いほど生涯産仔数は少なくなる負の相関関係が認められた.また寿命が長くなるほど繁殖期間は長かった.以上の結果から,ワムシは飢餓条件下では潜在的な繁殖能を持ちながらその能力を十分に発揮できないものの,寿命を長くすることで繁殖の機会を増大させていると考えられた.また,21時間飢餓区のワムシが産んだ仔虫の飢餓条件下での寿命(4.0日±0.3)は,対照区が産んだ仔虫のそれ(3.1日±0.2)に比べて有意に長くなることも分かった.このことは,親虫が餌不足の環境下で産む仔虫の数は少ないが,逆に産まれた仔虫の生存と繁殖の能力は高まっていることを示唆した.

5.齢がワムシの飢餓耐性に及ぼす影響

 齢が飢餓耐性に及ぼす影響を検討するため,1日〜4日齢まで給餌した後に絶食させた4飢餓区と,一生を通じて給餌した対照区の間で生活史特性を比較した.

 4飢餓区間では,より高齢まで給餌するほどその後の飢餓条件下での生存時間は短くなる負の相関関係が認められた.4飢餓区の生涯産仔数(4.7〜14.5個体)はより高齢まで給餌するほど有意に多かったが,いずれも対照区(27.3個体)に比べて有意に少なかった.すなわち,絶食させる前の産仔数が多いほど,その後の飢餓条件下での生存時間は短くなる負の相関関係が認められ,絶食前に次世代に投じたエネルギーの差がその後の飢餓耐性を支配したものと考えられた.

 次に0日齢の仔虫が生存・繁殖するのに限界の飢餓期間の長さ(齢)を調べるため,1日〜5日齢まで絶食させた後に給餌を開始した5飢餓区と,一生を通じて給餌した対照区との間で生活史特性を比較した.

 孵化後それぞれ1日〜3日齢まで絶食させた3飢餓区のワムシの寿命は,対照区と比べていずれも有意差がなかった.4日,5日齢まで絶食させた2区のワムシは,すべて給餌を開始する前に死亡した.つまり,ワムシは3日齢までに摂餌しないとその後生存できなくなることが分かった.1日〜3日齢まで絶食させた3飢餓区の生残した個体(25〜100%)は給餌開始後に繁殖を始めたが,これら3飢餓区の生涯産仔数(4.8〜16.4個体)は対照区(25.7個体)に比べて著しく少なかった.この結果から,ワムシの繁殖には孵化直後から摂餌による外部エネルギーの摂取が重要であることが分かった.

 個体密度の増大によって生じる餌不足や水温の低下などの環境変化によって,ワムシの繁殖は抑制される.それに対してワムシは柔軟に生活史特性値を変えることで,産仔数を最大にしていることが分かった.さらにワムシは自身の生活史特性だけではなく,仔虫の数と質(飢餓耐性)の釣り合いを変えることで,次世代の生存と繁殖を最適化している可能性が示唆された.ワムシの個体群は,良好な環境では高い内的自然増加率を示して短い世代時間で爆発的に増殖する(r-戦略型の生活史特性による指数増殖期).その後環境収容力の限界付近では,環境の悪化に対して繁殖を抑制することで長い繁殖期間・寿命,高い飢餓耐性,および高い質の仔虫を産む能力を獲得し,安定的に個体数の平衡状態を維持する方向に戦略を転換する(K-戦略型の生活史特性による定常期).しかし,こうしたワムシの適応能の範囲を越えた影響力を持つ大きな環境変化が生じると個体群は崩壊する.その後,再び環境条件の好転を待って大増殖が始まり,同様な個体群変動が繰り返されるものと考えられた.実際のワムシの個体群変動は複数の環境要因に影響を受けており,今後は複数要因の相乗効果を世代間の影響も考慮したうえで明らかにしていくことが必要である.また生活史特性の変化を制御する分子機構の解明も次の重要課題である.

審査要旨

 本研究は,爆発的に増減を繰り返す生物の個体数変動機構を理解するために,水産上重要な餌料生物のシオミズツボワムシBrachionus plicatilis(以下ワムシ)をモデル生物として用い,その生活史特性と個体数変動のメカニズムを解明することを目的とした.諭文は7章からなり,緒言と第2章の総説に続き,第3章から第7章では以下の結果を得た.

 まず第3章では,実験個体群の個体数の変動様式を明らかにした.最長70日間にわたる培養を行い,個体数,携卵数,死亡数を記録した.ワムシの個体数変動はシグモイド曲線を示し,停滞期,指数増殖期,指数増殖後期,定常期の4期に分かれた.指数増殖期では,卵を携帯する個体とそれらが産んだ仔虫が個体群の大部分を占めた.指数増殖後期と定常期では,卵を携帯しない成熟個体が個体群全体の80〜90%を占めた.すなわち,指数増殖期から定常期へと至る過程の個体群の成長抑制は,出生率の急激な低下によってもたらされ,死亡率はほとんど影響していないことが明らかになった.

 次に第4章では,水温がワムシの生活史に及ぼす影響を検討した.20,25,30℃の3水温区において,培養水温が低いほど初産卵齢と繁殖開始齢は有意に高くなり,また寿命と繁殖期間は長くなった.繁殖率は培養水温が低いほど有意に低くなったが,3水温区の間で生涯産仔数には有意差はなかった.以上の結果から,ワムシの繁殖率は低水温で低くなるが,繁殖期間が長くなることで補償されるため,生涯産仔数は水温に関わらず一定に保たれることが分かった.

 第5章では,培養瀘液がワムシの生活史に及ぼす影響を検討した.ワムシを0〜100個体/mlの8段階の個体密度で48〜60時間前培養し,その培養液を濾過したものを培養濾液として個別培養を行った.前培養時の個体密度が高かった培養濾液区のワムシほど,若齢から繁殖を開始した.培養瀘液区のワムシの寿命は,新鮮な培地を用いた対照区と比べて有意に短かった.生涯産仔数と繁殖期間は,培養瀘液区と対照区の間で有意差はなかった.以上の結果から,培養濾液はワムシの生涯産仔数には影響を及ぼさないが,繁殖スケジュールを若齢側に移行させるので,その結果内的自然増加率を増大させることが明らかになった.一方,培養瀘液区のワムシは対照区に比べて有意に小さい体サイズで卵を産み,その産出卵の胚発生時間は有意に短かった.これらの結果は,培養濾液中でワムシが産んだ仔虫の飢餓耐性が対照区のそれと比べて低くなることを示唆した.つまり培養瀘液は個体群の増殖率を高めたものの,同時に次世代の仔虫の生存能力を低下させる可能性も示唆された.

 さらに第6章では,飢餓がワムシの生活史に及ぼす影響を検討した.1日に23時間もしくは21時間絶食させた2飢餓区(23時間,21時間飢餓区)と,24時間を通じて給餌した対照区の間で生活史特性を比較した.その結果,2飢餓区の繁殖期間と寿命は,いずれも対照区に比べて有意に長くなった.2飢餓区の生涯産仔数は,対照区に比べて有意に少なかった.また,飢餓区と対照区のワムシが産んだ仔虫の飢餓条件下での寿命を比較したところ,飢餓区の仔虫の寿命は対照区の仔虫のそれに比べて有意に長くなった,以上の結果から,ワムシは飢餓条件下では高い潜在的繁殖能を抑制しつつ,一方で寿命を長くすることにより自身の繁殖の機会を増大させ,さらに高い飢餓耐性の良質の仔虫を少数産むものと考えられた.次に,産仔数とその後の飢餓耐性の関係を見たところ,産仔数が多いほどその後の飢餓耐性時間は短くなった.すなわち,ワムシは繁殖に多く投資するほど自身の生存の可能性が低下することが明らかになった.

 最後に第7章の総合考察では,ワムシの繁殖戦略と個体数変動機構について考察した.一連の個別培養実験の結果から,ワムシは"繁殖"と"生命の維持"で特徴づけられる2つの型の生活史を有し,環境条件に応じてこれらを柔軟に転換する繁殖戦略を持つことが明らかになった.ワムシは餌が豊富な環境下では"繁殖"に最大限投資し,その結果個体数は爆発的に増加する.しかし,環境が劣化すると"生命の維持"に戦略を転換して繁殖を抑制し,これによって個体群が安定して維持される.こうしてワムシは繁殖戦略を転換することによって,ニッチェの迅速な獲得と安定した個体群の維持を可能にしていると考えられた.しかしながら,ワムシが繁殖戦略の転換によって適応しうる環境条件には限度があり,これを越えた環境条件下では個体群は崩壊し,環境が好転すると再び個体数が爆発的に増えることで,ワムシの個体数の大変動が繰り返されるものと考えられた.

 以上本研究は,環境の変動に対応して生じる個体数変動において,ワムシが生活史特性値を大きく変化させ,柔軟に繁殖戦略を転換していることを明らかにしたものである.これにより本種の個体数の変動メカニズムを解明した点で高く評価される一方,生活史特性値の変化というこれまでになかった新しい視点を生物の個体数変動機構の研究に導入したものとして,学術上,応用上寄与することが少なくないと判断された.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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