学位論文要旨



No 114823
著者(漢字) 川村,洋子
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,ヨウコ
標題(和) 契約損害賠償法における約束行為帰責の法理の形成史序説
標題(洋)
報告番号 114823
報告番号 甲14823
学位授与日 2000.01.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第152号
研究科 法学政治学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 高橋,宏志
 東京大学 教授 北村,一郎
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 教授 内田,貴
内容要旨

 1 本稿は、平井宜雄『損害賠償法の理論』(以下『理論』)が四半世紀前に設定した主題を今日的状況において継承することを試みる。『理論』は、民法四一六条がコモン・ローのHadley v.Baxendale判決のcontemplationルール(以下Hadley準則)に系譜するとする制定史分析を踏まえて、通説が同条の解釈理論としてドイツ民法学から継受した相当因果関係論の「仮象理論」性を明らかにすると共に、同条の原意に照らした解釈理論を提示した。その際、『理論』は、Hadley準則と相当因果関係論を直接対峙させるのではなく、前者をアメリカのグリーン学説に置き代える。相当因果関係論が契約損害と不法行為損害を包摂している点と、金銭賠償を給付義務の債務転形として捉えている点の、二点において、グリーンの保護範囲説は、枠組において前者と重なり、内容において前者と対照的であり(結果不法に対して行為不法)、批判スキームとして有効と判断したことによろう。この選択は相当因果関係「論」克服のためには有効であった。その反面、Hadley準則像、従って四一六条の原意は、曖昧になる。なぜなら、同準則は、金銭賠償原則を母胎にもち、金銭賠償構成を金銭賠償対象としての約束の法理に還元するものであったからである。もっとも、コモン・ローと大陸法を対置し、日本民法を後者に属するとする『理論』の立場からは、それこそが同条のあるべき解釈であるのかもしれない。しかし、ラーベルに発する統一売買法制定への潮流は、Hadley準則を契約損害賠償ルールのモデルとして、ウィーン国際条約の締結、ヨーロッパ統一法の起草と着実な歩みを進めている。四一六条を取り巻く国際環境は『理論』の主題設定当時と較べて大きく変化している。このような時代状況の変化をうけて、同条を、役割を了えた相当因果関係論批判の土俵から解き放して、世界史的潮流の中に位置づけ直してみよう、これが私の起稿の動機である。

 2 売買法の国際統一、その一環としての契約損害ルールのコモン・ロー・ルールによる統合という歴史的事実が、コモン・ローと大陸法を対峙させる発想の修正から出発している。それは、四一六条によるHadley準則の継受の把握をめぐっても、大陸法の幹にコモン・ローの-ルールが接ぎ木されたとする発想からの転換を迫るものであろう。同条は、フランス民法-一五〇-五一条を下敷きとする旧民法財三八五条がHadley準則の前・後段テストをモデルとして発展的に構成し直されたものである、とする制定史認識を本稿は『理論』と共有する。両者の分岐は、それを大陸法の幹にコモン・ローのルールが接ぎ木されたとみるか、同じ金銭賠償原則のうえで開花した約束行為帰責の法理が意思主義の約束法理のもとに跼蹐していたそれ(フ民一一五〇条)から表示主義の約束法理(interplay between notice and liability)を踏まえたそれ(Hadley準則)へ発展した姿として受け止めるか、の分岐にある。同じ分岐は日本民法の骨格の理解をめぐっても生ずる。Hadley準則を受容した日本民法の骨格は、大陸法なのか或いは四一六条と同質な金銭賠償原則に立脚する幹なのか、という分岐である。以上を作業仮説として、日本民法(第一編)、さらに比較法制度史(第二編)にそくして検証したのが本稿である。

 3 初めに、大陸法なる類概念の措定が妥当であるか、が問われる。大陸法という類概念の根底にはローマ法継受国の法という把握がある。しかし、フランスとドイツとで継受ローマ法の内容は同じであろうか。例えば、ドイツの不能論の原型は厳正契約・厳正訴訟の不能論であるのに対して、フランスのそれは誠意契約・誠意訴訟にそくしたそれである。フランス民法典は金銭賠償原則を採り、ドイツ民法典は反対に給付保障原則を採る。確かに、コモン・ロー裁判所のような金銭賠償の専権管轄制度は知られておらず、両国の裁判所とも金銭賠償形式と給付保障形式との双方を運用している。ただし、フランスでは給付保障構成は金銭賠償構成に準ぜられ、ドイツではその逆に金銭賠償構成が給付保障対象が債務転形した二次的救済に位置づけられる。加えて、コモン・ロー裁判所の金銭賠償の専権管轄も、これを補完するエクイティ裁判所の給付保障の専権管轄との機能分担関係において捉えると(ラーベル)、同国の約束保障の実体はフランス民法典のそれと重なってくる。こうして、対比されるべきは大陸法とコモン・ローではなく、フランス民法典並びにコモン・ローの金銭賠償原則とドイツの給付保障原則ということになる。

 そこで、第一編では、金銭賠償原則をとるフランス民法典やコモン・ローの契約関係の構成原理であるcontractの法理と、給付保障原則をとるドイツ民法典のそれであるVertragの法理とを索出手段として、日本民法の契約法がいずれの構成原理により組み立てられているかにより日本民法の契約法の帰属を探る、という方法的アプローチをとった。前者の金銭賠償対象としての約束は、約束違反に起因する損害リスクの引受同意として一方的債務負担約束であることを特徴とする。対価的両債務の成立上・消滅上の牽連関係は、約束構成の外から、約因の機構によって保障される。対照的に、後者の給付保障対象としての約束は、給付の履行による契約関係の展開の相互性に照らして、交換的給付約束であるのを特徴とし、単位約束レベルで交換的債務負担約束と構成される。契約的債務は各単位債務の発生並びに機能(履行と消滅)に即して双務関係において構成される(ドイツ民法三二〇条以下)。

 日本民法は、1)売約による所有権の移転効果をめぐっては、ドイツ民法の「二重原因構成」を踏まえた所有権の給付義務の履行(=物権行為)による移転という構成(同四三三条→九二五条ないし九二九条)を採用せず、フランス民法(七一一条)やイギリス動産売買法(二条及び一六条以下)と同じ債権的合意による自動的移転効果を規定している(民法五五五条と一七六条)。2)危険負担処理においても同様である。ドイツ民法では、特定物債務危険は双務関係の消滅効果を基礎づける(同三二三条)。対照的に、フランス民法では、特定物債務危険は、売約が基礎づける二重効果のうち、直接には物の引渡債務の消滅効果を基礎づけるにとどまり、それが所有権の自動的移転効果にどうかかわるかは、特定物債務危険の発生時に所有権が売主に留まっていたか、既に買主に移転していたか、に応じて異なる。後者の場合には売主の与える債務は既にその役割をおえ、買主の代金債務が未履行である限り契約関係は一方的契約関係に移行して効果を持続する。特定物債務危険は買主の所有権危険(物の危険)として所有者である買主の負担に帰する。反対に、所有権の自動的移転効果の生ずる時点以前の特定物債務危険は売主の与える債務の後発的不能化をもたらすと共に、未履行約因の法理にもとづき買主の代金債務の消滅効果を導く。特定物債務危険はここでは、契約関係の消滅効果をつくる契約危険である。ドイツ民法で一律に契約危険処理がなされるのと対照的である。民法五三四条の危険債権者負担は、物の危険を原型にもつそれの変種である。

 4 こうして日本民法の契約法がcontract法理に帰属することが明らかになったとしたうえでも、さらに、旧民法財三八五条のHadley準則による修正という民法四一六条の成立史にそくして、フランス民法一一五〇条とHadley準則との二層の母法モデル相互の関係をめぐり、それが意味するのは大陸法とコモン・ローとの接ぎ木か、同根の発展関係か、という問題が提起されてくる。

 第二編の主題である。まず、フランス民法一一五〇条の形成史が継受ローマ法と連続と非連続の二つの発展関係において跡づけられる。連続の発展関係は、誠意契約・誠意訴訟の危険と過責の分化法理の継承である。それはフランスにおける約束行為帰責の法理の早熟な醸成に向けて働いた。ただし、前者が後者に発展するためには、ローマ法の無方式売約の古典後期的構成を売約の単一原因構成をもって置き換える、断絶の歴史過程の介在が必要であった。前者は中世都市の体制経済を継承者としてもち、後者はその狭間に成立する局地的市場圏内の経済慣行に発する。当時の主流ドノー学説は前者の要請を充たし得、非主流のデュムラン学説は後者の法学的投影である。約束行為帰責の法理はデュムラン学説として萌芽する(第一部)。

 ほぼ時期を同じくしてイギリスでも農村工業を担い手とする局地的市場圏の形成がみられる。しかも、取引慣行としてうまれた無方式契約(並びに売約の単一原因構成)は既に一七世紀前半に国王裁判所による引受訴権による法的保障を獲得している。にもかかわらず判例法という法源形式が障害となって、無方式契約の帰責法理は二世紀に亙り厳格約束法理のうちに跼蹐する。ところが、産業革命は合理的な資本計算の確保の要請から金銭賠償内容の確定額化を促し、厳格約束帰責の全実損害賠償に応分の歯止めを求める。まず、全実損害賠償は違反時市価による代品調達資金賠償のうちに止揚される。そのために代品不調達リスクを買主へ転嫁する措置がとられる。産業革命の一層の展開は隔地者間の表示売買の発達を介して表示主義の約束法理の形成を促す一方、損害リスク情報へ債務者が自力で近づくことを許さない損害類型を産み落とす。違反された契約と同時的に債権者が第三者と結んでいた並行取引から期待された経営利益の喪失損害はその典型である。資本主義はこれらの損害リスクについても資本計算の可能性を要請する。表示主義の約束法理に立脚した約束行為帰責が追完されてくる。Hadley準則の登場である(第二部)。

審査要旨

 本論文は、契約違反を理由とする損害賠償法の構造に合意的・約束的要素がどのようにかかわっているかという観点から、比較法的考察をもとに2つのモデルを抽出し、これを視座として我が国の損害賠償法の特徴をとらえようという構想のもとに書かれたものである。そこでいう2つのモデルのうちの第1は、当事者が契約で合意した給付内容の実現を約束し(これを「給付保障」ないし「履行保障」という)、その実現が不可能となった場合には、給付請求権は消滅するが、給付不能について債務者に帰責事由があるときには、金銭賠償義務に転化するというものである。従って、ここでは金銭賠償義務の帰責の根拠は、当初の約束そのものよりも、給付義務が不履行となったことについての帰責事由に求められる(著者はこれを「不履行帰責」と呼ぶ)。そしてこのような帰責構造のもとでの損害賠償の範囲も、当初の給付約束によってではなく、不履行との因果関係によって決まることになる。これに対して第2のモデルは、契約当事者の合意が給付義務のみならず、不履行の場合の金銭賠償までをも直接的に根拠づけるというものである。すなわち、当初の約束行為自体が金銭賠償の帰責根拠とされているのであり(これを著者は「約束行為帰貴」と呼ぶ)、損害賠償の範囲も約束行為によって契約当事者がどこまで引き受けたかによって決まる。第1のモデルは、ドイツ法に見られるものであり、第2のモデルはフランス法・イギリス法に見られるものである。

 本論文は、一方で、ローマ法、フランス法、イギリス法を素材として、このような2つの損害賠償法モデルが形成されるプロセス、とりわけ第2のモデル(約束行為帰責の法理)が形成される歴史および背景を分析し、他方で日本の契約法がどのような帰責原理に基づいているかについての分析を行うものである。

 論文の構成は、「第1編 日本法」で著者の問題意識と日本法の問題状況が提示された後、「第2編 比較法制度史」の「第1部 ローマ法とローマ法継受諸国における法理の形成」において主としてフランス民法典に至って完成する約束行為帰責の法理についての考察が、また「第2部 コモン・ローにおける法理の形成」においてイギリスにおける約束帰責法理の形成が考察される(全体でB5版ワープロ書き1247頁)。

 「第1編 日本法」は、さらに「序章 問題提起」、「第1章 制定史論争へのコミットメント」、「第2章 判例史へのコミットメント」からなる。その序章において著者は、平井宜雄博士による『損害賠償法の理論』(以下「平井理論」と呼ぶ)が民法416条の損害賠償の範囲に関する問題について果たした役割と限界について論じ、自らの課題を設定する。すなわち、平井理論はもともと予見可能性で損害賠償の範囲を画定するという構造を有している民法416条に対して、因果関係で損害賠償の範囲を画そうとする相当因果関係理論を批判するという課題を標傍して登場したが、それに成功したことでその役割を終えた。しかし、平井理論は、その課題設定に制約されて、損害賠償法理をその帰責根拠(約束法理)にまで還元してとらえる点では十分でなかった。平井理論が相当因果関係説を批判するに際して依拠したアメリカのグリーンの学説は契約責任と不法行為責任とを統合する理論であったのであり、契約違反の損害賠償を約束法理に立ち入って考察するものではなかった。ここに平井理論の限界があり、著者はこれを克服することを本論文の課題とするものである。かくして本論文は、約束法理という視点から損害賠償法を分析することに向かうことになる。

 「第1章 制定史論争へのコミットメント」では、民法416条の制定の際の議論を、背景となるイギリス・フランスの議論をも参考にしながら、約束法理という視点からあらいなおす作業をする。その結果、平井理論が日本民法を基本的に履行請求権を保障する給付保障の体系としてとらえた上で、それに履行請求権が損害賠償請求権に転化した場合の賠償範囲を制限する原理としてのハドレー・ルールが接ぎ木されたものとして理解したのに対して、著者は、ハドレー・ルールとともにそれが前提としている帰責構造(約束行為帰責の構造)、すなわち金銭賠償形式を原則とする約束保障原理が日本民法にも導入されたとみるべきことを主張する。しかし、金銭賠償形式は、商品経済が発達した社会で初めて十分機能しうる制度であり、当時の日本では金銭賠償原理が機能する社会的基盤がなかったとする。そのためその後の判例がたどった道はその意味で416条の制定史からは乖離であるが、当時の社会的状況のもとではやむを得なかった、と論ずる。

 「第2章 判例史へのコミットメント」では、民法典制定後の民法416条に関する判例についての分析と評価が示される。従来の学説が416条の制定史をもとに、その後の判例が制定史から乖離したことを批判したり、逆に判例史から制定史を見るというように、両者を直結させて考察することが多かったのに対して、著者は、両者を切り離して見ることを主張する。それによって一方で、判例の立場をそれぞれの時代背景のもとで客観的に考察することが可能となり、他方で判例の内在的な展開を明かにすることでかえって判例が416条の原意からどのような意味で乖離したのかを明かにすることができるからである。このような視点から、著者は、価格差損害(中間最高価格)をめぐる判例の分析を行い、判例のレベルでは416条の原意である約束行為帰責的構成から不履行帰責的な理解が支配的となり、富喜丸事件判決でその枠組みが完成するプロセスを明かにする。しかし、経済が発展し、転売が盛んに行われるような状況になるにつれ富喜丸事件の枠組みでは適切な賠償額を決定することができない状況が到来したこと、それゆえ再び、416条の原意である金銭賠償原則に基づく解決が現在必要となっていると結論付ける。

 「第2編 比較法制度史」の「第1部 ローマ法とローマ法継受国における法理の形成」では、金銭賠償形式による約束保障を原則とし、約束時の予見可能性によって賠償範囲を制限するフランス民法1150条の形成史が考察される。

 「第1章 前史その1〜ローマ法」では、後にドイツ型の履行保障原理とフランス型の金銭賠償形式の約束保障原理へと分岐する元にあるローマ法を概観する。もともと所有権の移転方式が厳格に定められていて(握取行為)、ローマ市民しか所有権を取得できなかった「握取物」についても、時代が下るとともに、無方式売買が認められるようになり、しかも非ローマ市民が契約当事者となることができるようになる。しかし、その場合にも、「市民法上の所有権」は移転せず、「握取物の事実上の支配」を移転する義務が売主に生じるにすぎない。そして事実上の支配が引渡によって買主に移転すると、買主は「法務官法上の所有権」を取得したとして保護される。その後、「市民法上の所有権」と「法務官法上の所有権」という区別は解消するが、所有権(タイトル)が移転するのは引渡によってであり、「売約」(売主の約束)そのものによっては移転しないという構造は維持される。そのため、売主の契約違反によって生じる損害賠償を、売約そのものによっては基礎づけることができず(せいぜい事実上の支配が移転しないことによる損害賠償しか基礎付けられない)、所有権(タイトル)の不移転に基づく損害賠償は、売買目的物の引渡義務違反を根拠として初めて認められることになる。後のドイツ法の不履行帰責構成は、このローマ法の特徴を温存させたものであり、他方、フランス法は、このような構成そのものを廃棄して売約そのものによって物の事実上の支配のみならず所有権(タイトル)の移転をも基礎づける構成に成功したことによって約束行為帰責の法理を成立させることになる。

 「第2章 前史その2〜中世注釈学派から人文主義法学派主流まで」では、アツォ、アックルシウスなどの注釈学派からドノー、クジャースに至る損害賠償法理論の形成の過程をたどる。ローマ法では、売約を原因とする引渡債務の不履行による損害賠償としては、物の事実上の支配の不移転による直接損害を判決時を基準に金銭評価した額と、審判人が諸般の事情を考慮して加算した額の合計が売約違反の損害賠償額とされていた。しかし、審判人という制度がなくなった注釈学派の時代には、審判人の加算という操作をしないで損害概念(id quod interest)を操作することで適切な賠償が得られる努力がされた。逸失利益の中に価格差利潤を取り込んだのもその1つであり、これは遠隔地交易の取引の要請にも応えるものであった。さらに16世紀になると、フランスの法学者ドノーは、引渡によって初めて所有権が移転するという従来の基本構造を維持しつつも、所有権移転のための引渡は占有改定で足りるとすることで、売買契約時点で観念的に所有権が移転することを可能にし、その結果、引渡義務違反は単なる物の占有の不移転ではなく「所有権を体現している物の不移転」ととらえられるようになる。このような法律構成を通じて、所有権不移転による損害賠償を請求することが可能となる。このようにして契約違反を理由とする損害賠償の法理は当時の商品交換取引の利益を保護しうるものとなっていった。しかし、ドノー学説は所有権移転の根拠が引渡であるという構造を維持していたために、所有権不移転の損害賠償の範囲を確定する根拠は売約ではなく、目的物の引渡義務違反とならざるを得ず(不履行帰責)、フランス民法典のとる約束行為帰責にまでは至らなかった。他方クジャースは、履行強制(引渡強制および行為債務の強制)を認める立場をとり、これは金銭賠償形式の約束保障構成と両立する範囲でフランス民法典に引き継がれることになる。なお、著者によれば、ドノーもクジャースも、当時の都市の問屋制家内工業を足場とする支配層の利害と要請に応える法理論であるが、ドノーはこれら経営主体が原材料を外部市場から調達したり、生産物を外部に販売する商品交換取引の側面(ここでは履行強制よりも金銭賠償が適している)を、クジャースはこれらが問屋制前貸資本として手工業親方を支配下におく生産諸関係の側面(ここでは履行強制が必要)での要請に応えているとする。

 「第3章 ユマニスムとデュムラン学説」ではデュムランによる売約を根拠とする制限賠償スキームと、これを約束行為帰責として完成させたポティエ、そしてフランス民法典への流れが考察される。ドノー学説が、所有権の移転を売約そのものではなく、観念化された所有権移転行為(占有改定)にもとめたことから、所有権(タイトル)の不移転を理由とする損害賠償(金銭賠償)は、売約そのものを帰責根拠とすることができず、目的物の引渡違反に根拠を求める不履行帰責の構造を維持していた。これに対して、デュムランは、所有権移転を売約そのものを根拠とする。これは約束行為帰責への一歩を踏み出したことを意味する。このような契約違反の帰責構造の捉え方に対応して、損害賠償の範囲も所有権の不移転(従って売約目的物の交換価値そのもの)が範囲に含まれるようになる。同時に契約時に予見できなかった損害は賠償範囲から除外される。デュムランがユスティニアヌス帝勅法7・47・1の解釈を通じて示した契約違反の損害賠償法の構造はこのようなものであった。そして、著者によれば、このようなデュムラン学説は、「都市の狭間で成立する局地的市場圏での農村手工業者中心の新しい取引秩序をモデル」に売買契約を構成し、その要請に応えるものであったとされる。デュムラン学説は、1572年の聖バソロミューの虐殺事件を契機とするデュムランの国外逃亡によってフランス国内ではしばらく直接の後継者を見いだすことができなかったが、約200年後にポティエによって承継・完成され、フランス民法典の基本構造として引き継がれる。

 こうしてポティエを経てフランス民法典に結実したのは、売約を単一の原因として目的物の引渡債務と所有権の観念的な移転の両方を基礎づける構成であり、いわゆる「与える債務(obligation de donner)」である。損害賠償の範囲も売約によって引き受けられた範囲を想定することで画定されるという意味で約束行為帰責にそった構成が取られる。もっとも、フランス民法典は意思主義的な約束法理を基本としてしていたために、売約によって画定される損害の範囲は、債務者が実際に認識しうる範囲の損害に限定されることになる。それは約束違反によって通常惹起される損害結果に限定されることを意味する。非類型的・非通常的な損害は、意思主義的な約束の中には含まれない。これは債務者の故意(dol)を要件として初めて賠償範囲に取り込まれるというのがフランス民法の意思主義的な約束行為帰責法理の特徴である。

 「第2編 第2部 コモン・ローにける法理の形成」は、約束行為帰責に支えられた金銭賠償原理にとってのもう1つの柱であるコモン・ローにおける形成史を考察するものである。「第1章 コモン・ローにおける約束行為帰責の法理の展開」では、ハドレー・バクセンデール事件の意義を論じる前提として、そこに至るまでのイギリスの契約法理と帰責構造を歴史的に叙述する。具体的には、ギルド的な利益に適合する中世的な約束保障(履行保障)から、金銭賠償訴訟によるサンクションを中身とする引受訴訟への展開、片面的な約束である引受約束を約因によって結びつけることで双務契約的な保護を実現する過程などの契約理論の発展が丹念に分析される。しかし、金銭賠償形式を内容とする契約責任は、厳格責任化の道をたどる。すなわち、売主などが任意履行できない場合にも金銭賠償債務は消滅することはないという扱いを受けることで、債務者の過責に基づかない「危険」についても債務者が責任を負う厳格責任が支配する。このような厳格責任構成のもとでは、帰責に関係なく責任を負わせることになるから、約束行為帰責の法理は展開しない。また、損害賠償の効果という側面から見たときにも、厳格責任は損害賠償の範囲に関して帰責の観点からではなく、因果関係の存否だけで判断するスキームを成立させる。これが現実損害(real damages)ルールである。このような厳格責任と現実損害ルールとの組み合わせでは、近代的な企業経営が要求する合理的なリスク配分の要請に応えることはできない。

 損害賠償の範囲を合理的な範囲に限定する約束行為責任スキームが成立するうえでの障害のうち、厳格責任については段階的に緩和されてきたが、ハドレー事件の10年後の1863年にテイラー対コールドウェル事件によって最終的に否定される。

 「第2章 コモン・ローの裁判過程論を通してみたHadley v.Baxendale」では、これまでの考察をふまえて、約束行為帰責の法理の確立にとってのハドレー対バクセンデール事件の意義が詳細に検討される。同事件は、直接的には損害賠償の範囲に関するそれまでの現実損害ルール(real damages)では適切な対処ができない非類型的損害について、通常損害と特別損害を区別し、特別損害は約束時の予見可能性(contemplation)によって基礎づけるという制限賠償スキームを提示するものである。これは一見フランス民法典が約束時の予見可能性で賠償範囲を限定するのと同じように見えるが、著者は、両者の間に重大な違いもあることを指摘する。すなわち、意思主義的なフランス法のもとでは、非類型的な損害を賠償範囲に取り込むことが困難であったのに対して、表示主義的な契約理論が構築されていたイギリスでは契約当事者によって表示された内容が契約内容に取り込まれるために、非類型的損害についても表示によってそのリスク情報を提供することで約束の中に取り込むことができる(interplay between notice and liability)。ハドレー事件が特別損害として賠償範囲に取り込む道を開いたのはまさにこの部分であったことを著者は指摘する。かくして、経済活動にとってますます重要となっていた企業経営に生じる非類型的な損害の賠償を合理的な方法で賠償範囲の中に取り込むことができるようになった。ハドレー対バクセンデール事件で示されたこのような賠償範囲の画定方法は、その前提に要件論のレベルにおける約束行為帰責の考え方が基礎となっている。要件のレベルにおける厳格責任から約束行為帰責の法理への転換が完成するのはハドレー事件から10年後のテーラー対コールドウェル事件であるが、ハドレー事件は約束行為帰責の法理の中ではじめて正しく位置づけられる。

 最後に、本論文は「総括と展望」において、約束行為帰責の法理にもとづく金銭賠償を原則とする約束保障の法制度が経済秩序の形成を基本的に経済の自律に委ねるという政策と密接な関係があること、その意味で今後の日本にとっても重要な意味を持つことを指摘する。そして著者によれば我が国の民法典はもともと金銭賠償形式を原則とする約束保障構成のもとで与える債務についてのみ履行保障形式をも併存的に認める体系を取っており、今後の課題としてはこうした416条の原意に立ち返った解決をめざすことが重要である、として本論文を締めくくる。

 以上が本論文の要旨である。以下、評価を述べる。

 まず、本論文の評価すべき点としては、次の諸点を上げることができる。

 第1に、本論文は契約違反を理由とする損害賠償の範囲の問題をその帰責構造と関連させて議論することで極めてスケールの大きな理論を提示した点で評価できる。これまでの議論は損害賠償の範囲に関する問題だけが単独で論じられていたり、契約の帰責構造との関連が示唆されたりすることはあっても、本論文ほど鮮明な問題意識のもとで論じたものはあまりなかった。本論文が提示した「不履行帰責」と「約束行為帰責」の比較、それに対応する損害賠償の範囲確定の構造的違いなどは、今後学界における共通財産として評価されることになろう。

 第2に、本論文が約束行為帰責の法理の形成過程をフランス法およびイギリス法において描いたことは、論証が不充分なところがあるとはいえ、これまでの先行研究と比べると、その努力は十分に評価に値するといえる。本論文ほど約束行為帰責の形成史について立ち入った分析をしたものはこれまでなく、その意味でも本論文は高く評価される。

 第3に、本論文が扱う研究対象は時間的・地域的に広い範囲にわたっているにもかかわらず、全体を見失うことなくテーゼを組み立てる構想力には著者の優れた資質が見られる。

 もっとも、本論文について注文をつけるべき点がないわけではない。

 第1に、著者は法律の各学説をその当時の歴史的・社会的・経済的な背景のもとで理解しようとする余り、強引な説明を試みている部分がないではない。たとえば、フランスのドノー、クジャース、デュムランの学説の違いを、それぞれが代弁する当時の社会各層の利害の違いに還元して説明できるかのような記述は、仮説としてはともかく、十分な論証がされているとはいえない。

 第2に、フランスやイギリスにおける約束行為帰責の法理の形成史についてはともかく、日本法の分析として、約束行為帰責の法理で統一的に説明することが可能なのかについてはなお検討の余地がある。

 第3に、文章の表現、章立てなどについて、わかりやすい論文を書くための一層の努力と工夫を要する点がある。

 しかしながら、以上の問題点も本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、契約責任に関する基本問題についての重厚で綿密な考察によって、これまでの学問的水準を上げることに大きく貢献するものである。従って、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク