内容要旨 | | 本稿は,死刑犯罪で有罪となった被告人に対し死刑を科すか,終身刑にとどめるかにつき,陪審が行使する量刑裁量に焦点をあて,合衆国における刑事陪審の現代的意義を検討する.従来の陪審研究は,有罪・無罪を判断する陪審の事実認定機能を中心に分析し考察するものがほとんどであった.しかし,本稿では,一方で謀殺罪という典型的な犯罪の処理における,量刑の妥当性をも含めた陪審の機能に焦点をあてつつ,同時に公判での機能にとどまらず,実体法の影響など刑事司法全体における陪審の位置づけを常に意識しながら,その現代的意義を探る.そのために3つの観点から考察を試みた.第1に,イングランドおよび合衆国における陪審の量刑裁量の成立過程を跡づけ,第2に,現代合衆国の死刑陪審法制の概要を把握し,第3に,死刑陪審の実態に関する最近の研究を紹介し分析する.最後に,刑事陪審の現代的意義を考察する. 第1章では,イングランドと合衆国における陪審による死刑量刑制が成立する過程を探る.そのため,19世紀までのイングランドおよび植民地時代からの合衆国の歴史を検討する. イングランドにおいては,伝統的に陪審機能は事実認定だけとされ,制度上陪審は量刑に関与しなかった.しかし,実態面に眼を向ければ,陪審は有罪・無罪の判断を行う際,死刑という刑罰の妥当性まで考慮していた.つまり,当時の絶対的死刑制度の下では,陪審の有罪評決が即,死刑を意味したため,陪審は,被告人の罪が明白であっても,罰則である死刑が過剰と感じ,時折無罪評決を行った.これは,いわゆるジュリー・ナリフィケーション(陪審による法の適用拒否)の問題であるが,本稿ではそれを陪審量刑制の萌芽と捉える. さらに,合衆国では,独立過程で果たした重要な役割,および,国内での州権派と連邦派(中央政府派)の対立から,イングランド以上に陪審を重視した.その結果,建国初期は,伝統的な機能である事実認定だけでなく,法律判断,一般刑事事件の量刑,死刑事件における量刑なども陪審に委ねられた.今日でも,第2の非死刑事件での陪審量刑制は少数ながら維持され,さらに,死刑事件における被告人に死刑を科すか否かの判断は,死刑を持つ州の大多数で陪審が行う. 合衆国において死刑陪審量刑制が創設されたのは,ジャクソニアン・デモクラシーが高揚した1830年代であるが,その過程は死刑縮小の流れと緊密な関係にあった.そもそもイングランドに比べ植民地時代から死刑犯罪が少数だったことに加え,18世紀末から4つの方向から死刑の縮小化が起る.第1に,死刑相当犯罪が謀殺のほか2,3の犯罪に限定化されるだけではなく,19世紀前半には死刑縮小運動が最高潮に達し,実際,数州で死刑の全廃が行われた.第2に,近代的刑務所の成立によって,18世紀末から刑罰としての拘禁刑が確立する.第3に,犯罪の等級化がなされ,同一犯罪類型内でも,罪の重さによって死刑相当犯罪とそれ以外の罪へと分化する.第4に,絶対的死刑制度から陪審による裁量的死刑制への移行である.このような死刑限定化の背景には,死刑に対する民衆の躊躇とそれを反映した陪審の行動があった.イングランド同様,陪審は絶対的死刑制に反発し,死刑の過剰さを理由に,実際には有罪の者を無罪とした.このような状況を回避するため,陪審量刑制が創られた.つまり,合衆国においては,非公式的もしくは制度的に,犯罪者に死刑を科すかどうかの判断は,常にコミュニティを代表する陪審に委ねられてきた.このような歴史は,陪審と裁判官の機能区分についての伝統的な説明である「陪審は事実問題を,裁判官は法律問題を決定する」という命題の不十分さを改めて浮き彫りにする. さて,合衆国の死刑運用においては,陪審を通じたコミュニティの関与にその正当性を大きく依存するが,それだけでは運用の適正さを担保できなかった.つまり,1960年代までは明らかに人種差別的,恣意的運用がなされていたために,死刑の適正な運用を確保する何らかの手だてが必要であった.このような現代合衆国における死刑運用の法的規制をめぐる問題点については第2章で検討した. 合衆国(連邦)最高裁は,「残酷で異常な刑罰」を禁止する合衆国憲法第8修正を根拠に,死刑の決定過程に対し詳細な手続的規制を行う.死刑自体の実体ではなく,決定過程という手続を問題とするのは,連邦制と密接に関係する.すなわち,連邦憲法が本来連邦政府の権限行使に対する制約を目的とするものであることに加え,「残酷かつ異常」という第8修正の文言が明確な倫理的判断を要求するために,大多数の国民が死刑を支持し,多くの州が死刑制を維持する状況では,最高裁は違憲判断に消極的にならざるをえない.それに対し,手続的規制は裁判所の伝統的な領域であり,かつ,公正な裁判の促進という目的が批判の対象になり難いという利点を持つ. そして,Furman(1972)およびGregg判決(1976)によって,死刑決定過程の手続的規制が本格的にはじまり,現代的な死刑制度の枠組みが形成される.しかし,その後も連邦制への配慮がなされ,具体的な手続策定のイニシアティブは常に州に委ねつつ,連邦最高裁はそれらの適正さを事後的に判断するという手法をとる. 現代の死刑決定過程における最大の懸念は,恣意的な運用の可能性である.そこでは,死刑判断者として基本的に陪審が予定され,陪審の裁量のコントロールが中心課題となる.死刑陪審の量刑裁量に対する規制には,3つの場面がある.第1に,陪審員の人的構成の問題であり,具体的には信念として死刑に反対する者を排除する実務に対する規制である.現代の基準では,死刑に何らかの躊躇いを持つだけでは不十分で,死刑反対の信念が適正な量刑判断を実質的に阻害する場合だけに排除が許容される.第2は,死刑判断にあたって考慮しうる情報の規制である.そのため,罪責審理と量刑審理を分離する2段階手続,および,量刑判断のための指針を与える指針つき裁量制が採用された.一般的には,考慮要因の範囲につき,加重事由は制定法に限定列挙され,反対に,死刑を科すべきではないという判断に関連する減軽事由は限定できない.第3は,陪審員の役割認識に対する規制である.死刑という究極の刑罰を科す以上,陪審がその役割を正確に理解し,重大な責任を自覚しなければならない.そのため,決定責任を低減するような言動は禁止される.連邦最高裁は,これらの3類型の規制により,真に死刑が必要な犯罪者を適正に選出できると想定する. このような連邦最高裁による想定の現実的効果を検討するため,第3章では死刑決定過程の実態面に焦点をあてる.第1に,死刑反対者の排除実務が死刑判断に与える影響についての研究によれば,一般刑事事件の陪審を基準とした場合,女性,人種的少数者がより多く排除される死刑陪審は,被告人に対して非寛容で有罪傾向が強いことが示された.第2に,最高裁による量刑審理への規制について,詳細な研究を行った死刑陪審プロジェクトの成果についても詳しく紹介し分析した.まず,2段階審理・指針つき裁量制という基本構造,考慮要因の範囲および立証のルールについて,陪審の理解は不充分なものであった.また,実際の判断過程で重要なのは,法定事由か否かに関係なく,被告人の将来の危険性であり,それは死刑が科されない場合の刑期,それも直感や不正確な情報に基づく陪審の推測から判断されていた.さらに,陪審は死刑についての決定責任を負うことに消極的で,可能な限りその責任を軽減するよう努力していた.それでも裁判官と比較すれば,依然として陪審による死刑評決の割合は低く,被告人に寛容であることも示された. 本稿のむすびとして,陪審の領分,連邦制度下における陪審,死刑事件における陪審の意義という3つの問題を考察した.まず陪審の領分については,量刑判断の機能的分析によれば,量刑作業には,陪審が伝統的に得意な事実認定やコミュニティの応報感情の算定がしばしば含まれる.つまり,陪審量刑制の歴史,および,量刑作業の機能的分析からみると,制定法の定義を絶対視し,陪審の領分を犯罪の構成要件に限定する連邦最高裁判例の問題点が明らかになる.従って,仮に,陪審の領分が歴史および課題の機能的分析によって画定されるとすれば,量刑においても陪審の権利を保障すべきであるという主張が十分可能であることを確認した.第2に,McGautha判決(1970)のHarlanとBrennanの対立を参考にしつつ,連邦制度における陪審の位置づけが,従来の理解とは異なり,陪審の重視が直接的に被告人の人権保障の促進に繋がらない可能性を示す.つまり,連邦制度の下では,陪審を重視しつつ,連邦による州への規制・介入を否定することにより,結果的に,被告人の救済を否定するという議論が一定の説得力を持ち,それがアメリカにおける陪審の意義および限界を考える上で重要であるとの示唆をした.最後に,死刑事件における陪審の意義を,死刑の特殊性の観点から考察した.すなわち,死刑という究極の刑罰は倫理的な問題で,個人の正義感,信条に密接な関係があり,また,政治的にも意見が鋭く対立する問題であるために,運用の一貫性,合理性を維持することは至難の業であった.そして,本稿は,そのような困難な判断を陪審に委ね,適正さを担保しようとしたところに,アメリカ社会の姿勢および陪審制の意義を見出した. |