学位論文要旨



No 114832
著者(漢字) 村上,雅一
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,マサカズ
標題(和) 2次元電子系における秩序状態
標題(洋) Possible Ordered States in Two-Dimensional Electron Systems
報告番号 114832
報告番号 甲14832
学位授与日 2000.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3677号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 生井澤,寛
内容要旨

 近年、銅酸化物高温超伝導体のCuO2面で実現されている2次元電子系の振舞いについて、様々な角度から研究が行われているが、half-filledの状態にキャリアをドープした、half-filled近傍における電子状態に関しては依然不明な点が多い。一つ注目すべき実験的事実として、観測されるフェルミ面が(,0),(0,)近傍で異常に平坦になっているということが挙げられる。(,0),(0,)は1粒子分散の鞍点を表しており、バンド理論によれば、このような鞍点は1電子状態密度におけるvan Hove特異点(vHs)を生じるが、特に2次元系の場合は、vHsにおいて状態密度が対数発散するという著しい性質を持つ。従って、フェルミ面が(,0),(0,)近傍にある場合には、まずこの近傍の電子の散乱過程を考慮する必要があると考えられる。もっとも、観測されている’異常な’平坦さは電子間の強い多体相互作用の結果として生じるとの理論的指摘があるが、ここではむしろ一体のバンド計算で予測されるフェルミ面の形状がこの平坦さの度合を除いて実験で観測されているものとよく一致することに注目して、次のような問題設定を行った:「1粒子分散の鞍点(,0),(0,)近傍にフェルミ面があり、この領域の電子間相互作用が優勢になっている場合に、系はどのような秩序を生じ得るか?」このような観点から、本論文では2次元電子系において可能な秩序状態について、特に、(1)(,0),(0,)近傍の電子、(2)複数の秩序の共存・競合、に注目して研究を行った。

 第3章では、鞍点(,0),(0,)近傍の電子間に働く相互作用のうち、運動量移動の大きな後方散乱、すなわち’ウムクラップ’過程(g3)及び’交換’過程(g1)に注目した場合に可能な秩序状態について考察し、特に興味深い斥力相互作用の場合(g3>0,g1>0)に関して、平均場近似による相図を温度とキャリアドーピングの平面で決定した。その結果、波の対称性を持つ超伝導(d-wave superconductivity:dSC)、反強磁性秩序スピン密度波(antiferromagnetism:AF≡spin-density-wave:SDW)、及び-triplet対の3者が共存する状態が低温、half-filled近傍において、フェルミ画の形によらずごく一般的に安定化され得ることを見出した。ここで、我々は次の重要な事実を指摘した:「dSCとAFの共存について議論する場合には、-triplet対の存在を最初から考慮しなければならない。なぜならdSCとAFの共存は一般に-triplet対を生じ、かつこの-triplet対はdSCとAFの共存に影響を及ぼすからである。」特に今の場合、単独では凝縮し得ない-triplet対がdSCとAFの共存の結果初めて生じ、dSCとAFの共存領域を広げる役割を果たしていることを指摘した。また、この共存状態は、half-filled近傍で、AFがdSCより高温で秩序化する場合に出現しているが、これは、half-filled近傍ではAF相においてもフェルミ面が残るため、このフェルミ面での準粒子がより低温でクーバー対を形成することによって超伝導が出現したものとして理解できる。

 後方散乱のみを重視した上記の相互作用は、運動量移動の小さい前方散乱を含んでおらず、また波数依存性が簡単のため無視されているという点であまり現実的ではない。しかし、以上の考察によって、dSC+AF+-tripletの共存状態がなぜ安定化されるかが明らかとなった。ところで、上記の相互作用をフーリエ変換して2次元正方格子上での表示に直し、同一サイト及び隣り合うサイトの電子間に働くクーロン相互作用U,Vのみを考慮すると、g3>0,g1>0の場合はU>0,V<0の場合に対応していることがわかった。つまり、より現実的な拡張ハバードモデルの場合においてもU>0,V<0ならばdSC+AF+-tripletの共存状態が実現するものと期待される。また、U>0,V>0の場合も物理的に大変興味深く、特にhalf-filled近傍での複数の秩序の共存の可能性については過去の研究では詳しく調べられていない。従って、第4章では、拡張ハバードモデルを用いて、U>0,V≠0の場合にhalf-filled近傍で可能な秩序状態について考察した。

 まず、平均場近似に基づき、half-filled近傍、絶対零度における相図をU>0とVの平面で決定した。V<0の場合はdSC+AF+-triplet対の共存状態が確かに安定化されること、特に今の場合、単独では凝縮し得ない-triplet対がdSCとAFの共存の結果初めて生じ、dSCとAFの共存領域を広げる役割を果たしていることを指摘した。しかし、ここでのV<0のように、一般に有限到達距離の引力がある場合には、系は相分離を起こす可能性があるため、平均場近似で求まった各基底状態における電荷圧縮率を乱雑位相近似(RPA)で評価することにより、相分離の影響を調べた。その結果、この共存領域は相分離によって著しく狭められるものの生き残り、長距離クーロン斥力の効果として例えば次近接斥力相互作用V’>0を考慮することによってさらに広がることが明らかとなった。一方、V>0の場合には、CDW、SDW及び強磁性秩序(ferromagnetism:FM)の3者が共存する状態が安定化され得ることを見出した。ここで、我々は次の重要な事実を指摘した:「CDWとSDWの共存について議論する場合には、FMの存在を最初から考慮しなければならない。なぜならCDWとSDWの共存は一般にFMを生じ、かつこのFMはCDWとSDWの共存に影響を及ぼすからである。」特に今の場合、単独では安定化し得ないFMがCDWとSDWの共存の結果初めて生じ、CDWとSDWの共存領域を広げる役割を果たしていることを指摘した。この共存状態の特徴としては、フェリ磁性を示すこと、いわゆるhalf metalの状態(すなわちフェルミ準位が少ない方のスピンを持つ電子のエネルギーバンドのみを横切っている状態)にあることが挙げられる。前章での考察と同様、U>0、V≠0におけるこれらの共存状態は、half-filled近傍において、高温でSDWあるいはCDWが最初に秩序化してフェルミ面が残っている場合に、より低温(特に絶対零度)で出現し得る。

 次に、平均場近似で求めた各秩序状態に対する揺らぎの効果を考慮するため、我々は(,0),(0,)がフェルミ面直上にあるという特別な電子濃度の場合にのみ適用できるくりこみ群の方法を適用し、U>0,V≠0の場合の相図を議論した。この方法は各秩序相関を独立に扱うため、複数の秩序の共存について直接議論することはできないが、最も高い臨界温度で生じ得る秩序を知ることが出来る。まず、平均場近似の結果と定性的に異なる結果として、U>0,V0の場合でも超伝導が最も有利になる領域が存在し、超伝導ギャップの対称性はU>4V,U<4Vでそれぞれ波,s波になることが明らかとなった。この超伝導以外の相に関しては、少なくとも相互作用があまり大きくない限り、平均場近似で各相関を独立に考えた場合と定性的に同じ結果を得た。すなわちSDW、CDWはそれぞれU>4V、U<4Vの領域で最も有利になり得ること、引力V<0が大きいと相分離を起こすこと、特に-triplet対やFMの相関はそれぞれ単独では最も支配的になり得ないことを指摘した。ここで、くりこみ群の相図において、SDW,CDWの臨界温度が最も高くなる領域が存在することが重要である。なぜなら、平均場近似での考察によると、このhalf-filled近傍でのSDWあるいはCDW相ではフェルミ面が残ると考えられるため、より低温でこのフェルミ面上の準粒子が新たに秩序化することによって副次的な相転移を起こす可能性が残るからである。くりこみ群の方法ではこの副次的な相転移つまり複数の秩序の共存の可能性について何も議論することはできない。一方、平均場近似では複数の秩序の共存を定量的に取り扱うことが出来たが、今考えている2次元系の場合には一般に揺らぎが大きいと考えられ、その妥当性がしばしば問題にされる。しかし、我々の平均場近似に基づく計算は、高温でまずくりこみ群の方法でその存在が示されたSDWがU>4Vにおいて出現した後、より低温で(1)dSCさらには-triplet対の共存状態、(2)CDWさらにはFMの共存状態が生じる可能性を初めて指摘したものと解釈することができるだろう。同様に、U<4Vでは、くりこみ群の方法が示すようにCDWが高温でまず出現した後、より低温でSDWさらにはFMの共存状態が生じる可能性を指摘したと言える。

審査要旨

 高温超伝導発現のメカニズムを理解するためには、2次元系のモット絶縁体に少数のホールが導入された状態を理解することが最も重要ではないかと考えられている。このことを念頭においた理論研究は数多くあるが、本研究はそれに対する1つの試みである。まずモット絶縁体とは、クーロン相互作用によるウムクラップ散乱によって生じると考えられる。さらに、高温超伝導体では2次元波数空間中での(,0),(0,)付近において異常が見られ、状態密度が非常に大きくなっていると予想されている。この2つの波数間の散乱はちょうど2次元のウムクラップ散乱に相当している。このため、本研究ではウムクラップ散乱の効果をとくに強調して、得られる基底状態を調べた。その結果、3種類の秩序変数が共存するという特殊な状況が実現する可能性を指摘した。

 強相関電子系において、平均場近似という手法が正当化されるかどうかということについては議論の多いところであるが、本研究では平均場近似の範囲内でどのような状態が実現するかを議論することを主眼においている。主な結果は、ウムクラップ散乱のために反強磁性と異方的超伝導(この場合はd波対称性)および-triplet超伝導対という3種類の長距離秩序が基底状態において共存する可能性があるということを示した点である。今まで反強磁性とd波超伝導の共存の可能性を議論した研究は多くあるが、両者が共存した場合に-tripletという非常に特殊な超伝導秩序変数が、平均場近似の範囲内では共存するはずであるということを見出した点が新しい観点であるといえる。ただしこの-tripletの秩序変数が物理的にどのような現象を生むのか、また新しい物理的概念に結び付くかどうかなどについては未解決のままである。しかしその可能性を初めて指摘したという点は評価できる。

 本論文の第一章は序、第二章では今まで理論的に考えられてきた2次元電子系の長距離秩序状態、および本研究で議論される-triplet秩序変数に関する研究を紹介している。第三章では、とくに(,0),(0,)の間のウムクラップ散乱を強調した仮想的なモデルについて、平均場近似による相図を計算した。その結果、反強磁性とd波超伝導が共存する場合には新たに-tripletの秩序変数も共存することを見出した。ただしこの章で用いたモデルは非常に特殊なものであるので、より現実的なモデルとして第四章では拡張ハバードモデルを用いて同じような平均場近似による相図を決定した。その結果やはり3種類の秩序変数の共存が実現する可能性を指摘した。

 しかし以上の結果は平均場近似の範囲内での答えであり、2次元電子系のように揺らぎが大きな系において、正しい答えを与えているかどうが不明な点がある。そのため第四章では、揺らぎの効果を調べるために、特殊なフェルミ面の場合に適用することができるくりこみ群の手法によっても拡張ハバードモデルを調べた。くりこみ群の手法によると、どのような秩序変数が最も有利になるかということが調べられるが、この点については平均場近似の結果と定性的に同じ結果が得られた。ただし、くりこみ群の手法ではさらに低温での共存状態などについての情報は得られないので、平均場近似の結果が正当化されたわけではない。しかし両者の結果が矛盾しないということは示された。最後の第五章は結論に当てられている。

 このように本論文では、2次元電子系のモデルに基づいて、今まで考えられてこなかったような3種類の秩序変数の共存が実現する可能性があることが示された。これはモット絶縁体近傍のウムクラップ散乱の効果と考えられ、強相関電子系の研究の上での1つの示唆を与える可能性がある。本論文の内容の一部は、英文雑誌に掲載済であり、一部は投稿中である。以上をもって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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