学位論文要旨



No 114833
著者(漢字) 湯本,正典
著者(英字)
著者(カナ) ユモト,マサノリ
標題(和) 整合電荷密度波のピン止めのはずれに対する不純物効果:局所的に不均一な系における核生成
標題(洋) Impurity Effects on Depinning of Commensurate Charge Density Waves:An Example of Nucleation with Local Inhomogeneity
報告番号 114833
報告番号 甲14833
学位授与日 2000.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3678号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 福山,寛
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨

 核生成は、初めに存在する相の中に局所的に新しい状態が出現する現象である。この時、初めの相はエネルギー的に準安定であり、新しく出現する状態はエネルギー的により安定である。そして、核生成の多くは一次相転移が起こるきっかけの現象として出現する。このような核生成は、物質科学の各分野で観測され、重要な研究対象である。この核生成をミクロなモデルに基づき解析した理論的な研究として1967年に行なわれたJ.S.Langerの系統的な核生成の理論体系がある。Langerは、特に強磁性体における磁化の反転を取り上げ、その反転が熱揺らぎによって局所的に起こり始めることを核生成として考えて、一般的な理論体系を創った。しかし、Langerが行なった核生成の理論は均一な系での理論であり、またその後多く行なわれている核生成の理論的研究も、その多くが均一系における研究である。そして、核生成に対する不均一性の効果をミクロなモデルに基づき理解した研究はまだほとんど行なわれていない。ところが、現実の系には不純物が存在し、その不均一性が核生成に大きな影響を及ぼすことは経験的に良く知られている。すなわち、核生成は不均一な部分から起こる。この核生成に対する不均一性の効果をミクロなモデルに基づき理解することが、本論文の目的である。

 不均一性を取り入れた核生成の理論を構築する試みのモデルとして、電荷密度波(CDW)の運動を記述する位相ハミルトニアンを採用した。CDWとは擬一次元電子系の伝導体に特有の電荷の秩序状態であり、結晶を構成する格子上にできる長周期の電荷密度の波である。CDWが存在する状態は自発的に並進対称性が破れた状態であるので、それに伴う波数がゼロのGoldstoneモードとして、slidingと呼ばれる励起エネルギーを必要としない並進運動モードが存在する。この並進運動はCDWの秩序変数の位相によって記述される。CDWの波長と元の格子定数との比が有理数の場合、整合というが、この整合CDWでは、元の格子構造によって、系の並進不変性が破られているために、slidingは有限の励起エネルギーを必要とするようになる。これを整合CDWのピン止めと呼ぶ。このピン止めされたCDWに電場をかけると、ある有限な閾電場、T、でCDWは動きだし、電流が流れる。これをCDWのピン止めのはずれと呼ぶ。この現象は位相ハミルトニアンを用いて、よく説明されている。ここで、整合CDWのピン止めのはずれは、広い意味での動的相転移と解釈できる。すなわち、ピン止めされた相からCDWが動いている相への相転移である。局所的にCDWが動き出す現象がこの相転移のきっかけとなる核生成に相当する。

 本論文では、1次元の整合CDWに不均一性として1個不純物を入れたモデルを考え、位相ハミルトニアンを用いて絶対零度の場合を考察した。不純物ポテンシャルはデルタ関数型の引力ポテンシャルと仮定する。まず閾電場を古典的な場合に計算した。その結果、不純物が1個存在する場合の閾電場、c、は、不純物が存在しない場合の閾電場、T、よりも低下する場合があることが明らかになった。この場合cは、不純物の位置を表すパラメータ、、と不純物ポテンシャルの強さを表すバラメータ、、に依存する(図1)。これは次のようにして理解できる。位相ハミルトニアンで記述される現象は、傾いた洗濯板型ポテンシャルの中の紐の運動と同じである。このポテンシャルの谷に配置された紐が洗濯板を傾けていった場合、どこまで傾ければ紐が動き出すかという問題がCDWの閾電場を求める問題と一致する。さて、この場合、不純物ポテンシャルの効果はその一点で紐を引っ張る効果に相当し、が引っ張る方向を、が引っ張る力の大きさを決める。そして不純物が、電場によって紐が受けている力の方向に紐を引っ張る配置の場合に閾電場の低下が起こる。さらに、cを最小にする位置に不純物を固定して、を大きくするとcは低下するが、→∞においても、ある有限な値に収束することがわかった。

 また、この場合のピン止めのはずれは、不純物付近で起こる位相変数の局所的なすべり(local sliding)によって引き起こされることを解明した(図2)。これが、不純物付近での核生成に相当する。

図1:閾電場、c、の依存性(a)と依存性(b)。閾電場、c、を不純物がないときの閾電場、T、で規格化して表示した。ここで、=-/Mは、元の格子の格子定数を1としたときに、-1/2の位置に不純物が存在することを意味する。ただし、不純物がないときに整合エネルギーが最も低下するCDWの配置の由の位置を原点にとり、電場をかける方向を正にとる。また、Mは整合度で、元の格子定数、、とCDWの波長、(2)/(2kF)、の比である。不純物がこの=-/Mと=-/(2M)の間の領域の位置にある場合のみ、閾電場の低下がおこる。

 以上のように、不純物の存在に伴う闘電場の低下と、不純物付近でのlocal slidingは、経験的な描像、すなわち、核生成は不純物によって促進され、不純物付近から起こるという描像に一致する。本論文はこの描像を、ミクロなモデルから初めて導いた。

 さらにこの系の運動は、「不純物サイトの位相変数」という一変数のみを用いて記述できることが明らかになった。これにより、位相ハミルトニアンという場の理論から一変数で記述できる有効ラグランジアンを導くことに成功した。そして、このラグランジアンに基づき、経路積分法を用いて、量子トンネル効果による核生成を議論した。具体的にはトンネル確率を計算し、閾電場付近での電場依存性を調べた。その結果、によって、トンネル確率の電場依存性が不純物のない場合に比べて変化することが解った(図3)。

図表図2:位相変数の局所的なすべり(local sliding)の概念図(c)。Aが基底状態で、Bがlocal slidingの起こり始めの形状を示している。ここで、xiは不純物の位置である。 / 図3:トンネル確率、imp、の電場依存性を決める指数、、の依存性。指数、、はとして定義される。ここでに依存する定数である。一方、にはほとんど依存しない。
審査要旨

 一次の相転移現象は自然界で最も一般的な物理現象の一つである。大気中の霧の発生などはその典型例である。核生成とは、エネルギー的に準安定な相の中に、より安定な別の相が局所的に出現する現象で、これをきっかけに系全体は安定相に不可逆的に転移する。これまでの核生成のミクロな理論的解析は、均質な物質中に熱揺らぎや量子揺らぎによって臨界核が生成するとしたものがほとんどである。ところが、現実の系には不純物が不可避的に存在し、その不均一性が核生成に大きな影響を及ぼすことが経験的に良く知られている。霧の例で言えば、核生成は大気中の塵などの不純物近傍で選択的に起きる。本論文は、一次元電荷密度波(CDW)状態に電界をかけたとき、静止したCDWが動き始める現象を一種の一次相転移ととらえ、その核生成に対する不均一性(不純物)の効果をミクロなモデルに基づき議論したものである。

 本論文は全体で6章から成る。第1章では、一次相転移と核生成の一般論が示されるとともに、本研究の背景と論文の概要が述べられている。続いて第2章では、フェルミ面のネスティング効果によって生ずる一次元の整合CDW状態と、その「ピン止め」について解説されている。一般に、自発的並進対称性の破れに伴ってスライディングと呼ばれる励起エネルギーゼロのCDWの並進運動モードが存在し得るが、実際の擬一次元伝導体では背後に格子構造があるので、スライディングは有限の励起エネルギーをもつ。これを整合CDWのピン止めと呼び、その並進運動はCDW状態の秩序変数である位相を用いた位相ハミルトニアンで記述できる。

 第3章では、ピン止めされたCDWに、ある有限な閾値より大きな電場をかけたとき、CDWが動き出して電流が流れ始める現象、すなわちCDWの「ピン止めのはずれ(depinning)」が解説されている。この現象は、CDWがピン止めされて静止した状態からピン止めがはずれて動いているスライディング状態への、運動状態に関する一次相転移と考えることができる。ここでは、絶対零度における位相ハミルトニアンを用いた理論的な取り扱いが、古典および量子的な場合について説明されている。

 第4章と第5章は本論文のオリジナルな部分である。ここでは系の不均一性の具体例として、第3章で扱った均一な系にデルタ関数型の引力ポテンシャルで表される1個の不純物を入れた場合を考察している。第4章では、絶対零度の場合について位相ハミルトニアンを用いた古典的な場合の計算がなされている。ここではポテンシャルが引力であるにも係わらず、不純物の位置によっては不純物なしの場合よりも閾電場(c)が低下することが分かった。CDWのdepinningは、傾いた洗濯板型ポテンシャルの谷に置かれた紐が、洗濯板を傾けた場合どこで動き出すかという問題と同等である。この場合、不純物ポテンシャルの存在はその一点で紐を引っ張る効果に相当する。洗濯板を傾ける方向と不純物が紐を引っ張る方向とが一致するときcが低下すると考えれば、この結果は定性的にも妥当である。さらに、cを最小にする位置に不純物を固定して、不純物ポテンシャルの強さ(v)を無限に大きくすると、cは低下するもののある有限値に収束することが分かった。以上は、核生成が不純物によって促進され、不純物付近から起こるという経験的な描像に一致する。本論文はこれをミクロなモデルから初めて導いたものとして評価できる。

 第5章では、前章の議論を量子論に拡張するため、まず、この系の運動が「不純物サイトの位相変数」という一変数のみで記述できることが示されている。これによって、位相ハミルトニアンという場の理論から一変数で記述できる有効ラグランジアンが導かれた。次に、このラグランジアンに基づいて経路積分法を使って量子トンネル効果による核生成が議論されているが、具体的には、c付近でのトンネル確率の電場依存性が計算されている。その結果、不純物が1個存在するときの量子depinningは、均質な場合と異なり、トンネル確率の電場依存性がvに依って変化することが初めて分かった。

 以上のように本論文は、一次元整合CDW状態のdepinningが、不純物付近での位相変数のコヒーレンス長程度の局所的なすべり(local sliding)が核生成となって引き起こされることを、ミクロな議論から初めて示したものである。エネルギー散逸が大きいときにlocal slidingがその後のマクロなdepinning現象に直結するのか、あるいは逆に散逸が小さくトンネル確率が大きいときのWKB近似の適用範囲はどうかなど、今後より定量的検討を要する問題も一部あるが、本論文の着想の斬新さは高く評価できる。

 なお、本論文第4章は指導教官である福山秀敏氏と松川宏氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したもので、論文提出者の寄与は本質的かつ十分であると判断される。

 したがって、審査委員会は全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク