学位論文要旨



No 114834
著者(漢字) 梅森,健成
著者(英字)
著者(カナ) ウメモリ,ケンセイ
標題(和) HERAにおける光生成反応による光子放出断面積の測定
標題(洋) Measurement of Prompt Photon Cross Section in Photoproduction at HERA
報告番号 114834
報告番号 甲14834
学位授与日 2000.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3679号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 永江,知文
 東京大学 助教授 手嶋,政廣
 東京大学 教授 梶田,隆章
 東京大学 助教授 相原,博昭
 東京大学 教授 藤川,和男
内容要旨

 光子はQEDにおいては、構造を持たないゲージボゾンとして知られている。しかし、その一方で、不確定性原理によりクォーク・反クォーク対にゆらぐことが可能であり、さらにグルーオン放射、クォーク・反クォーク対分裂が起こり得る。その結果、光子はクォークやグルーオンといったパートンの源として考えることができ、ハドロンのようにパートン描像により記述することができる。

 27.5 GeV電子・820 GeV陽子衝突型加速器であるHERAにおいては、電子がQ2(光子のもつ移行運動量の自乗の負数)がほぼ0の実光子を放射し、それが陽子と散乱することにより光生成反応が起こる。終状態に高い横運動量をもつ粒子を生成するハードな光生成反応は、光子内部、陽子内部のパートンの間での散乱として記述される。そのため、ハードな光生成反応により光子内部のパートン分布を探ることができると期待される。

 今までは主に、電子・陽電子散乱での二光子反応により光子の内部構造の研究が行なわれてきたが、現段階ではまだ実験誤差が大きく、十分理解されているとは言い難い状況である。光生成反応を通して、二光子反応とは別の角度から光子のパートン分布を探るのは有用なことであると考えられる。

 そのような反応の一つとして終状態に高い横運動量をもった光子が生成するprompt photon生成があげられる。Prompt photon生成の例は図1に示されている。(a)は直接光子反応の例で、光子そのものが陽子内部のクォークと反応し、終状態には、光子とジェットが観測される。一方(b)は光子分解反応の例で、光子内部のパートンが陽子内部のパートンと反応する。この場合も、終状態に光子とジェットが観測される。この光子分解反応を通して光子内部の構造を探ることになるが、今回、解析に用いた運動学領域での断面積からは、特にクォーク分布に関する情報を得ることができると期待される。光生成反応では、より断面積の大きなジェット生成についての研究が広く行なわれているが、それに対してprompt photon生成の研究の利点として、破砕化による影響が極めて小さいことがあげられる。

図1:Prompt photon生成過程のファインマン図。(a)直接光子反応(b)分解光子反応。

 解析を行なう上での重要なポイントは、バックグラウンドの除去である。主なバックグラウンドはジェットの破砕により生じるパイオンやエータのような中性中間子によるものである。これらの中性粒子がまわりに他の粒子を伴って生成することが多いのに対して、prompt photonは他の粒子からは分離されて生成する傾向が強い。この特徴から、光子のまわりに他の粒子からのエネルギーが少ない(この解析ではある領域内に10%以下)ことを要求してバックグラウンドの削減を行なうが、ジェット生成の断面積が大きいために、シグナルと同程度の数のバックグラウンドが最終サンプルの中に残ってしまう。

 今解析においては、カロリメターに落ちた光子のエネルギーのパターンを調べることで、これらのバックグラウンドとシグナルとの分離を行なった。光子のエネルギー全体と最も大きいエネルギーを落としたカロリメターセルでのエネルギーの比,fmax,を用いて分離を行なった。モンテカルロ事象を用いた結果、光子、パイオン、エータ中間子を足し合わせることでデータのfmax分布をうまく再現できることがわかった。また、この分布から、明らかに光子からの寄与があるということを見ることができた。

 実際には、fmax>0.75を満たす割合をモンテカルロ事象を用いて、光子、パイオン、エータ中間子についてそれぞれ求め、データにおいて同条件を満たしている事象の割合との比較を行い、方程式を解くことによりprompt photonシグナルの数を求めた。

 さらに得られた分布に対し、アクセプタンスを補正した後に、-0.7<<0.9、>5 GeV、0.22<1 GeV2でのisolated prompt photon(<10%)の断面積を得た。HERAにおけるprompt photonの微分断面積の測定は初めてである。図2に得られた断面積(a)d/dと(b)d/dを示す。GSとGRVという代表的な光子のパートン分布を用いて計算されたNLO QCD理論計算の結果と比較してある。

図2:測定されたprompt photon断面積d/dとd/d。2つの理論グループによる計算結果が示されている。実線(GRV)と破線(GS)は異なる2種類の光子のパートン分布を用いた場合の計算結果を示す。

 得られた断面積d/dは前方では理論計算と一致するが、後方では理論計算より高めであるという傾向がみられた。この傾向は、低いyでより強くみられた。横運動量d/dの傾きは理論計算とよい一致を示した。

審査要旨

 本論文は9章から成り、第1章は、序章、第2章は、光子放出過程の特徴、第3章は、ZEUS実験及び実験装置の概要、第4章は、解析のために用いられるモンテカルロ計算の内容、第5章は、光子放出事象の選別の仕方、第6章は、バックグラウンド事象の除去方法、第7章は、光子放出断面積の導出、第8章は、実験で得られた断面積と量子色力学による理論計算との比較、第9章には、結論が述べられている。

 本論文の研究は、27.5 GeV電子・820 GeV陽子の衝突型加速器HERAを用いて、電子からほぼ実光子に近い光子が放射されて陽子と散乱をする光生成反応の中で、終状態に高い横運動量をもった光子が生成される過程の断面積を測定したものである。このようなハードな光子生成反応は、光子内部のパートンと陽子内部のパートンとの間の散乱として記述される。陽子内部のパートン分布については、レプトンによる深部非弾性散乱などの研究により良く分かっているので、この反応により、光子内部のパートン分布を探ることが可能である。本論文の研究で対象とした運動学的領域においては、このうち特にクォーク分布が大きく寄与していることが知られている。

 従来、このような研究の一つとして、電子・陽電子散乱における二光子反応を用いた研究があるが、本研究の特徴は、光子の運動量の大部分をクォークが担っている領域の情報をより良い統計精度で引き出したところにある。また、電子・陽子散乱の光生成反応においても、終状態に2個のジェットが生成される反応を用いることにより、同様の研究が可能である。この2-ジェット過程の断面積は、本研究で用いた光子放出断面積より大きいので、HERAの実験においてもこれまでに測定されている。しかし、この場合、ジェット生成の破砕過程に理論模型の不定性が入ってしまうことが避けられない。この意味で、本研究で用いた光子放出過程の方が有利である。

 論文提出者は、HERAのルミノシティが増強された好機を捕らえて、これまで測定がなされていなかった光子放出断面積の測定を試みた。この測定の困難な点は、非常に大きなバックグラウンド事象としてジェット中の中性パイ中間子やエータ中間子等の崩壊によって生成される大量の光子が存在することである。論文提出者は、これを除去し光子放出過程の信号を捕らえるために、モンテカルロ法により生成した擬似データを使って、最適の解析条件を求めることを綿密かつ精力的に行った。なかでも、電磁シャワーのビーム軸方向への広がりの違いと、電磁シャワーのエネルギー蓄積形状の違いに着目し、この2つを組み合わせることにより、バックグラウンド事象と信号との分離に成功した点は特筆に値する。本論文の付録Bには、電磁シャワーのエネルギー蓄積形状の違いに関する検討が詳述されている。

 本論文の実験結果となる光子放出断面積は、光子の横方向エネルギー及び放出角度の関数として第7章で示されている。この断面積の系統誤差についても、実験と解析の様々な条件からくる寄与について、綿密な解析が行われている。この実験結果は、第8章に於いて、これまでに知られている代表的な2つの光子パートン分布を使った量子色力学による理論計算と比較がなされている。横方向エネルギー分布については理論計算と実験値との一致はかなり良い。しかし、放出角度分布で見ると、特に後方における断面積が、理論計算より大きめになっていることが指摘されている。このことは、本論文の研究の特徴である、光子の運動量の大部分をクォークが担っている領域での分布関数に変更が必要であることを強く示唆する結果となっており、本論文の実験結果の意義を示すものとなっている。

 なお、本論文は、HERA加速器を用いたZEUSグループの共同研究であるが、特に第5章から第7章にかけて光子放出過程を選別しその断面積を導出する部分については、論文提出者が主体となって独自の解析方法により分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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