学位論文要旨



No 114835
著者(漢字) 渡部,元
著者(英字)
著者(カナ) ワタベ,ハジメ
標題(和) 主として東京海底谷における漸深海性腐食性十脚甲殻類のファウナルゾネーション、共生および分類
標題(洋) Faunal zonation,symbiosis,and taxonomy of bathyal saprophagous decapods chiefly around the Tokyo Submarine Canyon
報告番号 114835
報告番号 甲14835
学位授与日 2000.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3680号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,秀
 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 武田,正倫
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨 1.序論

 漸深海性メガベントス研究の中で、分類とファウナルゾネーションの記載は、比較的巨視的な生物学的研究対象である深海生態系がいかなる個体間、種間相互作用等の生物学的要因によって維持、形成されているかを考察する上で最も基礎的な研究である。一方、比較的微視的な研究対象には、共生のような特殊な生物学的現象がある。ここでは両者ともに扱える研究材料として主に漸深海性タラバガニ類について研究した。

2.日本産オキナエビ属の分類学的検討

 主に本州中部漸深海域より採集された材料に基づき、日本産オキナエビ属Nephropsisの分類学的検討を実施した。この結果、日本近海には新記録2種を含む5種の存在が判明した。

 このうちヤサオキナエビ(新称)N.holthuisiの総模式標本を検討したところ、完模式標本(雄)と副模式標本(雌)に種レベルでの相違とみなせる大きな形態的相違が頭胸甲亜背面隆起と第一歩脚などに認められた。このため、別のオーストラリア産雄標本とあわせて新種として記載した。

3.東京海底谷漸深海域におけるエゾイバラガニ属の分類

 漸深海性タラバガニ類に関する生態学的知見は世界的にみても少ない。中でも、エゾイバラガニ属Paralomisは詳細な検討が特に少ない分類群である。ここでは東京海底谷漸深海域を調査海域とし、この海域で周年操業を行っている商業篭漁船を採集手段として、種間ゾネーション記述を主な目的として調査、解析を行った。なお、分類実践にあたってはErnst Mayrの分類学的推論を採用した。

 東京海底谷からはツブエゾイバラガニP.dofleini、イガグリガニP.hystrix、コフキエゾイバラガニP.japonicaの3種を確認できた。いずれも出現は比較的湾口部の、底層流が強い砂底から岩礁底に限定されたが、種ごとに微妙な選択性の差異が検出できた。出現水深については殆ど重なり合いのない種間ゾネーションを確認した。これは浅所から、P.hystrix(200-280m),P.japonica(280-320m),P.dofleini(320-450(?)m)の順となる。また、統計学的に有意ではないが、いずれの種でも雄個体の出現水深が雌個体よりも広いことが示唆された。今回の結果からはエゾイバラガニ属で共通して見られる繁殖周期について具体的な結果を得るには到らなかったが、断片的に得られた観察結果とあわせるならば、明確な繁殖周期は存在しないものと推察された。

4.東京海底谷漸深海域での腐食性十脚甲殻類のファウナルゾネーション

 エゾイバラガニ属では単位漁獲努力量あたりの採集個体数が比較的少ないが、腐食性漸深海性メガベントスとして分布および繁殖様式と摂食形態面で典型的な存在と見なせる。

 前章では東京海底谷での本属での水深勾配に対する種間ゾネーションを検出した。この特性がこの海域の腐食性十脚甲殻類での一般的傾向であるかどうかクラスター解析を通じて検討した。ここではエゾイバラガニ属での分布傾向をもとにして東京海底谷を3つのサブエリアに分割して、10m水深幅のコドラートを作成し、gradient analysisとcluster analysis of speciesを実施した。

 この結果、gradient analysisではサブエリアの別に関係なく、おおむね水深190m、260-280m、310-320mにて大幅な種組成の変化があり、cluster analysis of speciesでは、エゾイバラガニ属の各種がそれぞれの異なる種群とクラスター形成することが明らかになった。

 これらの結果は、東京海底谷漸深海域においてエゾイバラガニ属が腐食性十脚甲殻類相を代表していることを示している。同時に、大幅な種組成の変化がエゾイバラガニ属での種間ゾネーションと対応していることは、エゾイバラガニ属各種間での、異種個体間で生じる生活環境や餌などをめぐる相互作用、競争が主要な種間ゾネーション維持の要因ではないことを示唆している。

5.南奄西海丘におけるエゾイバラガニ属の分布様式

 エゾイバラガニ属は、通常大陸斜面や海山頂などの漸深海域から報告されているが、この水深帯の熱水噴出域、冷湧水帯にも認められている。ここでは、複数種がごく狭い海底環境に出現し、しかも熱水活動に関連づけられる明確な分布域の相違があることを示す。なお、沖縄背弧海盆の南奄西海丘C窪地(水深約700m)を調査した。潜水調査艇は、篭漁では得られない微細な生態的差異を観察したり、熱水噴出域のような水温、硫化水素、重金属イオンなどの物理化学的因子が急激に変化する環境下で検討個体がどのような分布上の相違を示すかを確認するのに有効である。

 この結果、この窪地からはP.dofleini、エンセイエゾイバラガニP.jamsteci、ゴカクエゾイバラガニP.verrilliを同定できた。この窪地の中央部および北、北西崖には多数の活動中のチムニーが林立し、周囲をシンカイヒバリガイ類が濃密に被覆するが、多数のP.jamsteci個体のみが確認された。窪地の中央部から北東平坦面にかけては砂礫底が広がるが、ここでは比較的低密度でP.dofleini個体が確認された。

6.駆逐による種間ゾネーション維持に関する生物学的要因の特定

 種間ゾネーションの維持機構を積極的に研究する最も簡便で、かつ結果の解釈が容易な例として、2種間のゾネーションを検出した後、いずれかを選択除去することが浅海域ではよく行われる。ここでは、東京海底谷にて重度の篭操業の結果発生したエゾイバラガニP.multispinaのイバラガニモドキLithodes aequispinaのオープンニッチへの侵入を解析した。

 この種間ゾネーションは水深800mを境界とし、浅所からL.aequispina,P.multispinaの順となる。1980年までにL.aequispinaの駆逐が成立した。しかし、1992年から1997年までに得られた検討P.multispina個体は10000個体を越えるにもかかわらず、ほぼ全数がもとの性が雄であり、ダイオウナガフクロムシBriarosaccus callosus個体に感染した異常個体であった。さらに、P.multispina個体の侵入に伴って、B.callosus個体の感染率は殆ど上昇しないにもかかわらず、駆逐され残ったL.aequispinaの性比も、それまで著しく雌に偏っていたのが雄に偏るようになった。

 以上より、東京海底谷におけるL.aequispina,P.multispinaで確認された種間ゾネーションは種間競争というよりは、それぞれの種内での繁殖に関連した同種個体間相互作用、および種特有の個体の示す生理的、生態的特質が強く作用した結果、形成、維持されていたと結論される。

7.Kentrogonid maternalization:共生のモデル

 フクロムシ亜目と対応するホストタクソンで認められる特異な個体間相互関係は、egg mimicryのような擬似母子相互作用やホスト個体の形態、内分泌面での著しい変化によって特徴付けられる。しかし、フクロムシ・ホストの組み合わせによってホストの変化が多岐にわたるため、生物学的現象としての適切な理解、位置付けが殆どなされていない。ここでは東京海底谷漸深海域産の、豊富な材料に恵まれた8例を検討した。なお、最も典型的なケース、B.callosus・P.multispinaについては光学ならびに電子顕微鏡観察も行った。

 検討した8つのケースに共通して、雌ホストの外面形態の変化は、去勢が成立する以外は比較的軽微であった。しかし、雌ホストの場合、去勢ばかりでなく,殆ど変形がない場合から完全な女性的形態獲得に到る場合まで多様であった。B.callosus・P.multispinaのケースでは、ホストの標的器官は胸部神経節であり、そのほかの臓器への接触、侵入は全く認められなかった。また、メラニン沈着を介したホスト免疫システムによるフクロムシの異物認識は、フクロムシのexternaが脱落している場合に限られていた。

 既存の報告と今回の結果をあわせて検討すると、フクロムシ・ホストの科以上のレベルでのタクソンコンビネーションにはほぼ例外なくカニ型甲殻類がホストタクソンに必ず含まれる。さらに、本来の性やジェンダーとは関係なく、ホストの擬似母親化の成立が強く期待されることを考慮し、この個体間相互関係をkentrogonid maternalizationと命名した。

審査要旨

 深海性メガベントスの生態学的研究で、いかなる個体間・種間相互作用によって深度勾配に対する分帯や種が維持・形成されているかは重要な課題である。本論文は主として東京海底谷の漸深海性十脚甲殻類、特にタラバガニ類の深度分帯とフクロムシ類との共生の生態学的解析を行いつつ、種個体群の維持機構を裏打ちする生態学的背景の記載にあてられている。主たる調査海域を東京海底谷漸深海域としたのは、この海域で周年操業する商業篭漁船を活用することで、研究船のみでは実現し難い多数標本、多測点に基づいて種間深度分帯を精細に記述するためであった。本論文は形式上9章からなるが、内容的に4部に纏めることができる。

 第1部では日本産オキナエビ属の形態分類学的再検討を行っている。日本近海には新記録2種を含み5種を産するが、このうち1種を新種として記載した。

 第2部では、まず、調査海域からエゾイバラガニ属3種を確認した。いずれも東京湾湾口部に近い底層流が強い砂底から岩礁底に限られていが、出現水深ではイガグリガニが200-280mに、コフキエゾイバラガニが280-320m、ツブエゾイバラガニが320-450(?)mと、殆ど重複しない種間深度分帯をなしていた。また、いずれの種でも雄個体の出現水深が雌個体よりも広かった。さらに、腐食性十脚甲殻類を2つのクラスター解析法で検討した結果、環境勾配分析法ではサブエリアの別に関係なく、水深190m、270m、315m付近で種組成が大きく変化し、種組成分析法からは、エゾイバラガニ属各種がそれぞれの異なる種群とクラスターを形成することを明らかにした。即ち、東京海底谷漸深海域において現在すでにエゾイバラガニ属各種間の相互作用と競争が種間深度分帯維持の主要因とはなっていないことを示唆し、エゾイバラガニ属が腐食性十脚甲殻類相の深度分帯を代表することを示した。加えて、沖縄背弧海盆の南奄西海丘C窪地(水深約700m)の熱水噴出孔の、物理化学的要因が狭い空間で急変する環境下で、エゾイバラガニ属のエンセイエゾイバラガニ、ツブエゾイバラガニ、ゴカクエゾイバラガニが、互いに重複しない空間分布をもつことを潜水調査艇を用いた高分解能調査で明らかにした。

 第3部では東京海底谷における重度の篭操業で発生したエゾイバラガニの乱獲を駆逐実験とみなして、種間深度分帯維持に関する生物学的要因を検討した。通常水深800mを境界として浅所にイバラガニモドキ、深所にエゾイバラガニという分帯が成立するが、1980年までにイバラガニモドキが乱獲で駆逐されてしまい、その後エゾイバラガニが800m以浅のイバラガニモドキがかつて占めていたニッチに侵入した。1992年から1997年までに得られたエゾイバラガニは1万個体を越えるにもかかわらず、ほぼ全数がもとの性が雄であり、ダイオウナガフクロムシに感染した異常個体であった。この結果は、種間深度分帯は種間競争よりは、種内での繁殖に関連した同種個体間相互作用と、種特有の個体の示す生理的、生態的特質が強く作用した結果、形成・維持されると結論した。

 第4部ではフクロムシ亜目とカニ型甲殻類に見られる特異な個体間相互関係を検討している。カニ型甲殻類とフクロムシ類はこれまでegg mimicryのような擬似母子相互作用やホストの形態・内分泌面での顕著な変化が報告されてきたが、ホストの変化が多岐にわたるため、適切な用語を欠き、統一的理解がなされていなかった。東京海底谷漸深海域の、豊富な材料に恵まれた8例の組み合わせを検討した結果、すべてのケースに共通して、雌ホストの外面形態の変化は、去勢が成立する以外は比較的軽微であった。しかし、雄ホストの場合、去勢ばかりでなく、殆ど変形がない場合から完全な女性的形態獲得に到る場合まで多様であった。ダイオウナガフクロムシーエゾイバラガニの場合は、ホストの標的器官は胸部神経節であり、他の臓器への接触と侵入は全く認められなかった。また、ホスト免疫システムによるフクロムシの異物認識は、フクロムシのexternaが脱落している場合に限られていた。既存の報告とあわせて検討すると、フクロムシーホストの科以上の組み合わせにはほぼ例外なくカニ型甲殻類が含まれる。さらに、本来の性やジェンダーとは関係なく、ホストの擬似母親化が成立することに着目し、この個体間相互関係をkentrogonid maternalizationと命名した。

 第1部では伝統的な形態分類学に基づく属のレビューと新種記載、第2部ではフィールド調査と生態学的解析によって深海生物の生活実態の記載、第3部ではヒューマンインパクトを現場駆逐実験として捉えた扱い、第4部ではカニ型甲殻類とフクロムシ類の個体間相互作用から共生現象を広く考察する視点を展開したことで、深海性底生生物の生態学・分類学への寄与が大きい。

 なお、本論文の第3章は飯塚栄一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって検討および記載を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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