昆虫は、さまざまな免疫機構を持っているが、参加する成分により、便宜的に細胞性免疫と液性免疫とにわけられる。細胞性免疫としては、昆虫の血球による食作用が前世紀にメチニコフによって発見された。液性免疫としては、抗菌物質の産生が非常に良く知られた現象である。しかし、ほ乳類の免疫系とは大きく異なる昆虫の免疫系には、いまだ不明な点が多く残されている。もっとも大きく異なる点はイムノグロブリンを持たないということである。その昆虫の細胞性免疫現象である包囲化現象において、自己・非自己認識はどのようになされているのだろうか? 近年、昆虫において、自己・非自己認識、あるいは、血球間相互作用の介添え役として注目されているのはレクチンである。レクチンは、糖特異的に赤血球(細胞)を凝集させる分子のことである。たとえば、細菌の細胞壁の糖や糖脂質の組成によって、種や系統が特徴づけられてることを考えても、昆虫が糖によって、自己・非自己認識を行うのは合理的といえる。イムノグロブリンを持たない免疫系がどのように効率的に非自己を認識・排除するのか、実際にレクチンのような非自己認識の介助因子が関与しているのかどうかを、鱗翅目昆虫Galleria mellonellaハチミツガにおいて検討した。 本研究は、第一部では、アポリポホリンIII(アポIII)の血球凝集能の発見と、結合糖の特定、第二部では、アポIIIの基本的・生理学的性質を知るための種々の内分泌学的実験、第三部では、他の昆虫のアポIIIとの生理学的・分子生物学的比較・解析の三部からなるものである。 第一部:ハチミツガの幼虫体液中のレクチン様因子(=血球凝集素)の探索 血球凝集因子の探索は、ほ乳類、および鳥類の赤血球を凝集を指標に行った。ハチミツガ終齢幼虫の体液を採取し、遠心で血球を除いたものと、種々の赤血球を、U底体タープレートのウェル内で一定時間インキュベートしたところ、血球凝集が観察された。つづいて血球凝集因子の精製を試みると同時に、この血球凝集因子の結合基質の探索を行った。血球凝集因子として精製された18kDaのタンパク質は、その部分アミノ酸配列の結果からアポIIIであることがわかった。また、アポIIIによる血球凝集は細菌の細胞壁の構成成分であるリポポリサッカライド(LPS)により阻害されたことから、LPSとの結合性が特定された。さらに、低いpHや、EDTAによっても血球凝集が阻害されることがわかった。 表1:ハチミツガ・アポリポホリンIIIの結合基質第二部:エクジステロイドと脂肪体動員ホルモンのアポIIIへの影響 アポIIIは従来、脂質輸送に関連するタンパク質として知られてきた。飛翔時などに、脂肪体動員ホルモンによって脂肪体組織から緊急に放出された脂質はHigh Density Lipophorin(HDLp)に取り込まれる。脂質を取り込んだHDLpはLow Density Lipoporin(LDLp)に成長し、表面に疎水性の高い分子が露出するが、これをアポIIIがカバーすることで、複合体の可溶性を維持している。本研究で報告している、血球凝集活性は、アポIIIとしては初めての知見であり、他の昆虫では知られていないあそこで、アポIIIの基本的性質としてこれまで知られているものが、血球凝集能という特異な機能を持つハチミツガ・アポIIIでも観察されるかどうかをしらべた。 具体的には、正常発生にともなうアポIIIの量的推移、遊離腹部へのエクジステロイド投与により誘導された変態の際のアポIIIの量的推移、脂肪体動員ホルモン投与による幼虫脂肪体からの脂質放出の可能性と、放出された脂質のHDLpへの取り込みを観察した。その結果ハチミツガでは、例外的に幼虫期の体液中にアポリポホリンIIIが大量に存在する事がわかった。蛹期にわずかに減少するものの、成虫期にも大量に存在するため、ほぼ一生を通じて、アポリポホリンIII量は高いレベルに保たれていた。エクジステロイドにより誘導した遊離腹部の変態時にも同様の推移が観察された。脂肪体動員ホルモン投与では、他の昆虫と同様、幼虫脂肪体が感受性をもたないためか脂質の放出はみられず、LDLpへの出現は認められなかった。まとめると、ハチミツガ体液中には、HDLpあるいはLDLpと無関係に、従来の機能から考えると過剰量のアポIIIが存在しているということになり、これが他の昆虫と非常に異なる点である。 第三部:鱗翅目昆虫アポIIIの比較生理・分子生物学 ハチミツガ・アポIIIの血球凝集能が、ハチミツガ特異的なものなのか、アポIII一般的な性質なのか、すでに研究が進んでいるカイコ、タバコスズメガおよびハチミツガの属するメイガ類と、ハチミツガのアポIIIとの間で、生理学的・分子生物学的比較検討を行った。まず、各種のガからアポIIIを精製し、血球凝集能の有無を検討したが、いまのところ血球凝集能は確認できていない。つぎに、新たにメイガ3種のアポIIIをクローニングし、GenBankにあるハチミツガ、カイコ、タバコスズメガのcDNAデータ、およびアミノ酸配列データとの比較をした。また、それぞれにつて2次、3次構造予測をおこない、1次構造の相違点をもとに血球凝集能を規定する部位の特定を試みたが、アポIIIの変異率が高いため、特定にはいたらなかった。予測されたハチミツガのアポIIIの3次構造の確かさを裏付けるために、circular dichroism(CD)のパターン検討も行った。その結果、ハチミツガ・アポIIIは他の昆虫同様、-helixに富むことが確認された。また、アポIII溶液中にEDTAがある場合、アポIIIの-helixが変性することがわかった。これは、タバコスズメガ・アポIIIでは見られない現象である。このEDTAによる-helix構造の変性は、Ca2+イオンや、結合基質の候補であるKlebsiella pneumoniaのLPSの添加で復帰することがわかった。 図1:ハチミツガ・アポリポホリンIIIのCDパターンFig.1:Circular dichroism spectra of apoLp-III in various condition.Fig.1-a,apoLp-III in sodium phosphate buffered saline(SPB),as control-;Tris-EDTA buffered saline(TSE)-;TSE containing Ca2+-;TSE containing Mn2+-.Fig.1-b,-is as control;TSE containing Ca2+-;TSE containing Ca2+ and LPS of Klebsiella pneumonia-;TSE containing Ca2+ and LPS of Pseudomonas aeruginosa-. 最後に、アポリポホリンIIIの血球凝集因子としての機能モデルを提示する。 今後は、部位特異的変異体の作出や、アポリポホリンIII-LPS結合複合体の、複合体の状態での生物物理学的解析などが、アポIIIの新規な機能としての血球凝集能のメカニズムと意義を明らかにする助けになるであろう。 図2:ハチミツガ・アポリポホリンIIIのLPS結合機能モデル |