学位論文要旨



No 114837
著者(漢字) 飯村,由子
著者(英字)
著者(カナ) イイムラ,ユウコ
標題(和) 免疫学的見地からの、ハチミツガ幼虫(メイガ科、鱗翅目)のアポリポホリンIIIの生理学的・生物学的研究
標題(洋) Physiological and Biological Studies on Apolipophorin III of Galleria mellonella Larvae(Pyralidae,Lepidoptera):from Immunological Aspects
報告番号 114837
報告番号 甲14837
学位授与日 2000.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3682号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 野中,勝
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 久保,健雄
内容要旨

 昆虫は、さまざまな免疫機構を持っているが、参加する成分により、便宜的に細胞性免疫と液性免疫とにわけられる。細胞性免疫としては、昆虫の血球による食作用が前世紀にメチニコフによって発見された。液性免疫としては、抗菌物質の産生が非常に良く知られた現象である。しかし、ほ乳類の免疫系とは大きく異なる昆虫の免疫系には、いまだ不明な点が多く残されている。もっとも大きく異なる点はイムノグロブリンを持たないということである。その昆虫の細胞性免疫現象である包囲化現象において、自己・非自己認識はどのようになされているのだろうか?

 近年、昆虫において、自己・非自己認識、あるいは、血球間相互作用の介添え役として注目されているのはレクチンである。レクチンは、糖特異的に赤血球(細胞)を凝集させる分子のことである。たとえば、細菌の細胞壁の糖や糖脂質の組成によって、種や系統が特徴づけられてることを考えても、昆虫が糖によって、自己・非自己認識を行うのは合理的といえる。イムノグロブリンを持たない免疫系がどのように効率的に非自己を認識・排除するのか、実際にレクチンのような非自己認識の介助因子が関与しているのかどうかを、鱗翅目昆虫Galleria mellonellaハチミツガにおいて検討した。

 本研究は、第一部では、アポリポホリンIII(アポIII)の血球凝集能の発見と、結合糖の特定、第二部では、アポIIIの基本的・生理学的性質を知るための種々の内分泌学的実験、第三部では、他の昆虫のアポIIIとの生理学的・分子生物学的比較・解析の三部からなるものである。

第一部:ハチミツガの幼虫体液中のレクチン様因子(=血球凝集素)の探索

 血球凝集因子の探索は、ほ乳類、および鳥類の赤血球を凝集を指標に行った。ハチミツガ終齢幼虫の体液を採取し、遠心で血球を除いたものと、種々の赤血球を、U底体タープレートのウェル内で一定時間インキュベートしたところ、血球凝集が観察された。つづいて血球凝集因子の精製を試みると同時に、この血球凝集因子の結合基質の探索を行った。血球凝集因子として精製された18kDaのタンパク質は、その部分アミノ酸配列の結果からアポIIIであることがわかった。また、アポIIIによる血球凝集は細菌の細胞壁の構成成分であるリポポリサッカライド(LPS)により阻害されたことから、LPSとの結合性が特定された。さらに、低いpHや、EDTAによっても血球凝集が阻害されることがわかった。

表1:ハチミツガ・アポリポホリンIIIの結合基質
第二部:エクジステロイドと脂肪体動員ホルモンのアポIIIへの影響

 アポIIIは従来、脂質輸送に関連するタンパク質として知られてきた。飛翔時などに、脂肪体動員ホルモンによって脂肪体組織から緊急に放出された脂質はHigh Density Lipophorin(HDLp)に取り込まれる。脂質を取り込んだHDLpはLow Density Lipoporin(LDLp)に成長し、表面に疎水性の高い分子が露出するが、これをアポIIIがカバーすることで、複合体の可溶性を維持している。本研究で報告している、血球凝集活性は、アポIIIとしては初めての知見であり、他の昆虫では知られていないあそこで、アポIIIの基本的性質としてこれまで知られているものが、血球凝集能という特異な機能を持つハチミツガ・アポIIIでも観察されるかどうかをしらべた。

 具体的には、正常発生にともなうアポIIIの量的推移、遊離腹部へのエクジステロイド投与により誘導された変態の際のアポIIIの量的推移、脂肪体動員ホルモン投与による幼虫脂肪体からの脂質放出の可能性と、放出された脂質のHDLpへの取り込みを観察した。その結果ハチミツガでは、例外的に幼虫期の体液中にアポリポホリンIIIが大量に存在する事がわかった。蛹期にわずかに減少するものの、成虫期にも大量に存在するため、ほぼ一生を通じて、アポリポホリンIII量は高いレベルに保たれていた。エクジステロイドにより誘導した遊離腹部の変態時にも同様の推移が観察された。脂肪体動員ホルモン投与では、他の昆虫と同様、幼虫脂肪体が感受性をもたないためか脂質の放出はみられず、LDLpへの出現は認められなかった。まとめると、ハチミツガ体液中には、HDLpあるいはLDLpと無関係に、従来の機能から考えると過剰量のアポIIIが存在しているということになり、これが他の昆虫と非常に異なる点である。

第三部:鱗翅目昆虫アポIIIの比較生理・分子生物学

 ハチミツガ・アポIIIの血球凝集能が、ハチミツガ特異的なものなのか、アポIII一般的な性質なのか、すでに研究が進んでいるカイコ、タバコスズメガおよびハチミツガの属するメイガ類と、ハチミツガのアポIIIとの間で、生理学的・分子生物学的比較検討を行った。まず、各種のガからアポIIIを精製し、血球凝集能の有無を検討したが、いまのところ血球凝集能は確認できていない。つぎに、新たにメイガ3種のアポIIIをクローニングし、GenBankにあるハチミツガ、カイコ、タバコスズメガのcDNAデータ、およびアミノ酸配列データとの比較をした。また、それぞれにつて2次、3次構造予測をおこない、1次構造の相違点をもとに血球凝集能を規定する部位の特定を試みたが、アポIIIの変異率が高いため、特定にはいたらなかった。予測されたハチミツガのアポIIIの3次構造の確かさを裏付けるために、circular dichroism(CD)のパターン検討も行った。その結果、ハチミツガ・アポIIIは他の昆虫同様、-helixに富むことが確認された。また、アポIII溶液中にEDTAがある場合、アポIIIの-helixが変性することがわかった。これは、タバコスズメガ・アポIIIでは見られない現象である。このEDTAによる-helix構造の変性は、Ca2+イオンや、結合基質の候補であるKlebsiella pneumoniaのLPSの添加で復帰することがわかった。

図1:ハチミツガ・アポリポホリンIIIのCDパターンFig.1:Circular dichroism spectra of apoLp-III in various condition.Fig.1-a,apoLp-III in sodium phosphate buffered saline(SPB),as control-;Tris-EDTA buffered saline(TSE)-;TSE containing Ca2+-;TSE containing Mn2+-.Fig.1-b,-is as control;TSE containing Ca2+-;TSE containing Ca2+ and LPS of Klebsiella pneumonia-;TSE containing Ca2+ and LPS of Pseudomonas aeruginosa-.

 最後に、アポリポホリンIIIの血球凝集因子としての機能モデルを提示する。

 今後は、部位特異的変異体の作出や、アポリポホリンIII-LPS結合複合体の、複合体の状態での生物物理学的解析などが、アポIIIの新規な機能としての血球凝集能のメカニズムと意義を明らかにする助けになるであろう。

図2:ハチミツガ・アポリポホリンIIIのLPS結合機能モデル
審査要旨

 本論文は、3章からなり、第1章では、アポリポホリンIII(アポIII)の血球凝集能の発見と、結合糖の特定、第2章では、アポIIIの基本的・生理学的性質を知るための種々の内分泌学的実験、第3章では、他の昆虫のアポIIIとの生理学的・分子生物学的比較・解析を行った。本研究の端緒となったのは、イムノグロブリンを持たない昆虫で近年自己・非自己認識、あるいは血球間相互作用の介添え役として注目されているレクチン、あるいはレクチン様因子の探索である。

第1章

 血球凝集因子の探索は、ほ乳類、および鳥類の赤血球凝集の有無を指標に行われている。まず、ハチミツガ体液の血球凝集を確認し、つづいて血球凝集因子の精製を試みると同時に、この血球凝集因子の結合基質の探索が行われた。血球凝集因子として18kDaのタンパク質を単離し、その部分アミノ酸配列の結果からアポ昆虫の脂質輸送関連因子としてしられるアポリポホリンIII(アポIII)であると同定した。更に、様々な糖にういてアポIIIによる血球凝集の阻害を検討した結果、細菌の細胞壁の構成成分であるリポポリサッカライド(LPS)、特にKDO部分によって阻害されたことから、LPSとアポIIIとの結合性を主張した。さらに、低pHや、EDTAによっても血球凝集が阻害されることを観察した。

第2章

 元来、脂質輸送に関連するタンパク質として知られてきたアポIIIの、生理学的特徴を把握した。本研究で報告している、血球凝集活性は、アポIIIとしては初めての知見であるため、アポIIIのこれまで知られている基本的な性質が、血球凝集能という特異な機能を持つハチミツガのアポIIIでも観察されるかどうかを検討した。具体的には、正常発生にともなうアポIIIの量的推移、遊離腹部へのエクジステロイド投与により誘導された変態の際のアポIIIの量的推移、脂肪体動員ホルモン投与による幼虫脂肪体からの脂質放出の可能性と、放出された脂質のHDLpへの取り込みを観察している。その結果、普通成虫期に発現の亢進が著しいアポIIIが、ハチミツガでは例外的に幼虫期の体液中に大量に存在し、ほぼ一生を通じて、高いレベルに保たれていることを明らかにしている。エクジステロイドにより誘導した遊離腹部の変態でも同様に推移することを観察している。脂肪体動員ホルモン投与では、他の昆虫と同様幼虫脂肪体が感受性をもたないため脂質の放出はみられず、LDLpが出現しないことを確認した。これにより、ハチミツガ幼虫の体液中には、脂質輸送と無関係にフリーなアポIIIが大量に含まれていると推論。

第3章

 ハチミツガ・アポIIIの血球凝集能が、ハチミツガ特異的なものなのか、アポIII一般的な性質なのか、カイコ、タバコスズメガおよびハチミツガの属するメイガ類と、ハチミツガのアポIIIとの間で、生理学的・分子生物学的比較検討を行っている。まず、各種のガからアポIIIを精製し、血球凝集能の有無を検討しているが、いまのところハチミツガ以外での血球凝集能は確認できていない。また、新たにメイガ3種のアポIIIをクローニングし、GenBankにあるハチミツガ、カイコ、タバコスズメガのcDNAデータ、およびアミノ酸配列データも加え、分子的特徴の比較をした。2次、3次構造予測をおこない、1次構造の相違点をもとに血球凝集能を規定する部位の特定を試みたが、アポIIIの変異率が高いため、特定にはいたらなかった。予測されたハチミツガのアポIIIの3次構造の確かさを裏付けるために、circular dichroism (CD)のパターン検討も行った。その結果、ハチミツガ・アポIIIは他の昆虫同様、-helixに富むことを確認した。また、アポIII溶液中にEDTAがある場合、アポIIIの-helixが変性することを観察している。これは、他の昆虫のアポIIIでは見られない現象だが、このEDTAによる-helix構造の変性が、Ca2+イオンや結合基質の候補であるKlebsiella pneumoniaのLPSの添加によって、適合誘導をおこし、回復することも観察した。

 最後に、アポIIIの血球凝集因子としての機能モデルを提示し、新規な機能である血球凝集能のメカニズムについて考察した。

 本論文では、第1章ではDr.F.Sehnal、石川統博士、山本一夫博士、第2章ではDr.F.Sehnal、石川統博士、第3章では石川統博士、土田耕三博士が共著者となっているが、論文提出者が主体となって分析および検証を行っており、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク