ヒマラヤはユーラシアプレートとインドプレートが始新世(45Ma)に衝突したことにより形成された、世界で最も高く若い造山帯である。大陸同士の衝突帯の典型として古くから注目されており、その運動は現在なお活発である。衝突以降も5-7mm/年で沈み込み続けるインドプレートは、ヒマラヤ周辺のみならず中央から北東アジアに多く発達する横ずれ断層の形成や東南アジアの側方への押し出しなどアジア全体の変形に影響をもたらしたと考えられている。また、この地域は隣接するチベット地城と併せて広域的に高い標高を保っており、その成因として地殻厚化や地殻の沈み込み、地殻の付加などが想定された。これに対し、80年代から90年代の半ばにかけて数多くの国際共同研究が行われ、地下深部構造の詳細が明らかにされた。インドプレートは現在大陸地殻を伴ってチベット南部まで沈み込んでおり、内部に巨大な衡上断層帯を生じている様子が観測された。このような衝上断層帯は衝突帯に特徴的な地質構造で、古い造山帯では中心部から前縁・後縁に向かってほぼ対称的に発達する。衝上断層は地上では数本に分かれるが、中で最もプレート境界よりの衝上断層が主中央衝上断層(MCT)である。MCTはヒマラヤ山脈の下底に位置する巨大逆断層で、変成岩が上下に露出する。 研究地域はヒマラヤ衝突帯の中央部に位置し、研究対象の主中央衝上断層は先に述べた衝上断層群の中の一つで唯一変成岩を伴っている。断層は山脈の基底を成しており、一連の変成岩は衝突過程に伴う地殻深部から浅部に至る変形構造を示す。変成帯の最上部はアンナプルナデタッチメント断層(ADF)と呼ばれる断層で区切られておりその上部からインダスツァンポ縫合帯にかけては弱〜非変成のテチス海の堆積物が分布する。ヒマラヤの高峰を構成するのがこのテチス堆積物でとくに山脈付近では大量の花崗岩に貫入されている。その構造的下位にあるのが本論ではHHSと呼んでいる結晶質な中〜高度変成岩で、MCTの運動により低変成の低ヒマラヤ堆積物帯、LHSの上に衝上しナップを形成している。LHSはインド楯状地とほぼ同じ構成をもつ堆積物でゴンドワナ堆積物を含み、北部には一部浅海性堆積物も伴っており、同じくMBTという衝上断層を境に下位のシワリーク堆積物の上に衝上している。このシワリーク堆積物帯はヒマラヤから供給されたモラッセ堆積物から構成されている。 野外・鏡下における構造解析より4つの変形段階が確認された。衝上断層を伴う剪断運動が長期にわたって続いて地殻の厚化が起こり、後期なって変位が少なく局所的な弱い展張が卓越する様子が露頭観察より明らかにされた。微細構造はいずれも面構造と垂直な方向に圧縮が働く一軸短縮を示すような変形組織を形成しており、特に下盤で伸長変形が卓越する。野外において、変形を受ける以前の構造は一般には見えないことが多いが、LHS下部ではよく保存されており、とくに砂岩層ではリップルマークや斜交葉理などの堆積構造が観察される。第一の変形段階はMCTの衝上運動に伴った激しい褶曲構造と面構造の形成を特徴とする。変形は流動的で変成帯全域に渡っており、変成鉱物が定向配列をしている様子から変成作用とほぼ同時もしくは若干後に起こったことが予測される。層内褶曲やひきずり褶曲が巨大断層付近で特に顕著に発達している様子が示された。この時期に形成された面構造が最も明瞭で、北へ緩やかに傾斜している。褶曲構造の詳細な観察の結果、著しい層内褶曲が積算して現在の見かけの面構造が形成されたことが分かった。層内褶曲や引きずり褶曲の軸は面構造と平行な方向に散らばるが、線構造と平行な断面でのみ根無し褶曲や寄生褶曲が観察できる。これらの褶曲をずらして、或いは切って第二段階の変形、S-C構造などの非対称複合面構造が形成されている。第一段階よりもやや広く、巨大断層付近から下盤にかけて顕著に発達している。線構造はこの時期のものが最も明瞭で、南北から北東南西方向に発達した伸長線構造が地域全体の傾向となっている。第二段階の変形は前段階に比べ変位が小さいという特徴をもち、MCT付近とADF付近ではその運動方向は異なる。MCT付近では第一段階の変形に連続して衝上運動を示すが、ADF付近では上盤が北東方向におちる正断層センスを示す。両者の間ではブーディン構造が著しく発達している。最後の変形はこれまでの構造の全てを切る、剪断節理を中心とした微小変位を伴う高角な面構造を形成する変形である。下盤では広く観察されるが、上盤はKali Gandaki沿いのみで観察された。 この第二段階の変形構造、複合面構造についてより定量的な解析を行った。その結果C’面が先に発達したS面を0-40度にかけて少しずつずらし、岩石を塑性流動させて面構造の方向に伸長させている様子が明らかとなった。これらの構造が前段階の変形と同じ衝上剪断方向を示しながらひきずり、切っていることから、時間的ギャップをもってこれらが発達し、岩石を厚化というよりはむしろ伸長変形させたことが分かった。また、これらの伸長性剪断変形が巨大断層以外の数カ所でも著しいことが判明した。これらは前段階の褶曲運動による厚化の後に伸長剪断変形により岩石の流動が起こって薄化が生じたことを示すと考えられる。 岩石学的な研究ではまず鏡下の観察より構成鉱物の組み合わせを決定し、変成分帯を行った。その結果、下盤から連続的にMCTにかけての変成度が高くなるような逆転温度構造が再確認された。また、下盤において初めて珪線石を発見した。後退変成作用を示す組織は上盤全体と特にMCT付近と下盤内の眼球状片麻岩付近で観察された。圧力降下もしくは温度上昇を示す藍晶石から珪線石、白雲母への分解反応が上盤の下限付近で認められた他、伸長剪断変形に伴って緑泥石の形成が認められた。 この地域の泥質片岩の基本的な組み合わせは石英+斜長石+黒雲母+白雲母+ザクロ石+緑廉石±緑泥石±藍晶石(珪線石)である。ザクロ石の微細組織より組織分帯を行った。剪断運動を示すと考えられるスパイラル構造はMCT下盤の中程からMCT付近にかけてのみ分布しており、この部分で初期の剪断変形が著しかったことが予測された。またMCTを挟んで下盤から上盤にかけて連続的に自形・半自形・多形と外形が変化する様子が示された。組成マップとの対応から高変成度を示す上盤では拡散が進んでおり、しばしば縁部で黒雲母と交代組織を示すことから反応による分解が進んだために多形となった可能性が指摘された。このことは上盤のザクロ石について温度圧力計を用いることが不適切もしくは注意を要することを示す。その他、MCT直下100mでのみ中央にスパイラル構造を持ち外部では示さない2重構造を示すザクロ石の存在が認められた。スパイラル構造を示すザクロ石は、いずれも外縁部の累帯構造が非対称な伸長剪断変形を伴うC’面によりきられているが、2重構造のものはスパイラル構造の外部に成長した部分が切られている。累帯構造は下盤から上盤にかけて規則的に正累帯・正一逆累帯・逆累帯と変化し、正一逆累帯はこの2重構造を示すザクロ石と一致しており、切られて成長した部分が逆累帯を示すことが分かった。これらはザクロ石が初期に剪断変形を被ったのちにMCT付近のみで何らかの温度圧力変化があり、さらに後期にMCT付近ではザクロ石が後退変成作用を被りながら成長する条件でもつと下盤ではザクロ石が不安定な条件で伸長性剪断変形が起こったことを示すと考えられる。 次にこれらの組織がどのような変成条件下で起こったのかを明らかにすべく組成累帯構造から温度圧力変化を計算するギブス法を用いて定量的にLHSの変成経路を推定した。その結果、スパイラル構造のみを示すザクロ石が温度が350℃から500℃に変化する間に330MPaから720MPaまで変化し、2重構造のザクロ石は同じくスパイラル構造を示す部分で580℃から10-20℃変化する間に100-200MPaに圧力上昇した後、圧力降下もしくは圧力上昇を伴いながらさらに30℃温度上昇し、最後に150MPaほど圧力降下したことが示された。スパイラル構造が圧力上昇を示すことから、この組織が沈み込み時に形成されたことが予測される。また、2重構造の外側部分が温度上昇を示すことからMCTの運動によりHHSがこの部分にのみ温度を与えた可能性が指摘された。両者の明かな温度・圧力ギャップは現在隣り合うこれらの岩石が異なる深度で変成作用や変形運動を被ったことを示すと考えられる。 以上を総合して大きく3段階のテクトニックモデルを想定した。即ち、沈み込みの後に巨大断層を伴う上昇運動が進行して上盤では分解反応と拡散が進行し、その後主に巨大断層の下盤で比較的低温な条件下で伸長変形を伴う露出運動があったと予測された。 |