学位論文要旨



No 114840
著者(漢字) 原田,史子
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,アヤコ
標題(和) 神経細胞特異的に発現する蛋白質Nadrinの同定と機能解析
標題(洋)
報告番号 114840
報告番号 甲14840
学位授与日 2000.02.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第898号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨

 神経系は多くの段階と時間を経て構築され、その最終的な過程であるシナプス形成やミエリン形成は哺乳類では生後に行われる。シナプス形成は神経終末と標的細胞との接触により始まり、様々な成熟シナプス特異的な分子の発現の開始、増大やリセプター、チャネルなどのサブタイプの変化を経て、最終的に成熟したシナプスに特異的な構造となる。しかしこの過程の制御及び成熟したシナプスの構造の維持にかかわる機構についてはまだ充分にはわかっていない。私はシナプス形成の盛んな時期に発現が増大する神経細胞特異的な新たな蛋白質としてNadrinを見出し、その構造決定と機能の解析を行なった。

1.NadrinのcDNAクローニングと構造上の特徴

 私はこれまでにマウス胎児由来細胞株m5S/1Mに対して作成したモノクローナル抗体群の一つ3A10によりラットにおいて生後3週までの間に発現の増大する脳特異的な蛋白質群が検出されることを見いだしている。この時期はラットにおいて神経系成熟の最終段階であるシナプス形成及びミエリン形成の盛んな時期にあたる。そこで私はこの抗原群が上記の過程に関与している可能性を考え同定を試みた。同定したうちの一つはシナプスの主要蛋白質であるシナプシンIa/bであった。もう一つはアミノ酸780aaからなる新規分子であった。そこでこの新規分子をNadrin(Neuron-associated and developmentally-regulated protein)と名付けた。アミノ酸配列上の情報より、Nadrinは3つのドメインからなると考えられた。1つはアミノ酸240残基からなるN末側の領域であり、ここには蛋白質間の相互作用に関わる構造であるcoied-coilが3か所存在した。2つめはその隣にある低分子量G蛋白質のRho-familyに対するGTPase活性促進蛋白質(Rho-GAP)の活性ドメインである。Rho-GAPはRho-familyの活性型から不活性型への変換を促進することから、NadrinがRho-familyの活性調節を介してアクチン系細胞骨格の制御に関わる可能性が示唆された。3つめは320残基からなるC末側の領域である。この領域には既知の蛋白質とのホモロジーは認められなかったが、セリン、スレオニン、プロリンが豊富であり、構成アミノ酸の約50%を占めるという特徴を有していた。また連続する29個のグルタミンが存在した。これらはいずれも転写調節因子の転写活性化ドメインによく見られる特徴である。以上のことからNadrinはアクチン系細胞骨格のダイナミクスから遺伝子発現への橋渡しという非常にユニークな機能をしている可能性が考えられた。

2.発現時期、分布の検討

 Nadrinの抗ペプチド抗体を作成し、ラットでの発現の分布、時期を検討した。10週齢のラットより腎臓、肺、胸腺、脾臓、副腎、肝臓、脳を採取し、臓器分布を調べたところ脳にのみ発現が認められた。次に成長に伴う発現の変化を調べた。胎生19日目の脳では発現は認められなかった。そこで生後3、8、14、21、28、70日目の大脳皮質、小脳、海馬、嗅球での発現を調べた。いずれの部位でも生後発現を開始し、3週齢までに成体と同様の発現量に達することが確認できた。さらにNadrinが発現している細胞の種類を調べるため胎生15日目のラット大脳皮質由来の神経細胞、グリア細胞それぞれの初代培養を行ない、培養15日目の細胞でのNadrinの発現を調べた。その結果グリア細胞には存在せず、神経細胞においてのみ発現が認められた。以上のことからNadrinは生後発現を開始し、脳内で広範に発現している神経細胞特異的分子であると考えられた。

3.PC12細胞を用いての機能解析

 Nadrinの機能解析の手ががりを得るため、PC12を用いて細胞内分布の検討を試みた。作製した抗体は細胞染色には向かなかったため、遺伝子導入により発現させたgreeen-fluorescence protein(GFP)融合蛋白質(Nadrin-GFP)の分布を調べた。GFPと異なり、Nadrin-GFPは核を除く細胞全体に散らばる斑点状の分布を示した。そこでNGF刺激により神経突起の伸長を促したNadrin-GFP発現細胞を分泌小胞上の蛋白質であるシナプトタグミンの抗体で染色し、分布を比較した。その結果、Nadrin-GFPは神経突起の先端部においてのみシナプトタグミンと同様な局在をしていると思われた。さらにNadrinのN末端からGAPドメインまでを含む部分(Nhalf-GFP)及びC末端側の領域のみ(Chalf-GFP)をそれぞれ発現させて分布を調べた。Nhalf-GFPはNadrin-GFPとよく似た分布を示したことより、Nadrinの分布を決めている構造はNhalfのなかに存在すると考えられた。一方Chalf-GFPは核に局在が観察された。

 神経突起の先端部にNadrinが存在していたことから、シナプス小胞のサイクルに関わっている可能性を考えた。そこで調節性開口放出にNadrin関与するか否かをPC12からの大型有芯小胞(LDCV)からの分泌で検討を行なった。PC12では遺伝子導入により発現させた成長ホルモン(hGH)はLDCVに集積し、種々の刺激によりノルエピネフリンと同様に分泌される。従ってhGHと他の遺伝子を共発現させ、刺激によるhGHの放出を測定することによりその遺伝子の開口放出への影響を測定することができる。この系を使用して高カリウム刺激でのhGHの放出に対する影響を検討した。刺激によるhGHの細胞外液への放出はGFPを共発現させた場合には変化がなかったが、Nadrin-GFPの共発現により約15%増大した。またNhalf-GFPの共発現によっても、同様の効果が見られた。このことよりNadrinは伝達物質放出に関与している可能性が示唆された。また開口放出の促進にはC末側の領域は必要ではないと思われた。Rho-GAPドメインを除いたN末側の領域のみを共発現させると、hGHの放出は約20%阻害された。従って開口放出の促進にはRho-GAPドメインが必要であると考えられた。また、阻害がみられたことはN末側の領域がドミナントネガティブ的に働いたことを示している。このことから、N末側の領域も開口放出に関わっていると考えられた。

4.まとめと考察

 本研究において私は新規分子Nadrinを見出し、成長に伴い神経細胞特異的に発現する分子であることを示した。さらにPC12細胞においてNadrinの過剰発現により大型有芯小胞(LDCV)からの分泌が増大することを示し、Nadrinが神経終末からの伝達物質の放出に関わっている可能性を示唆した。実際に伝達物質の放出に関わる一連の過程にNadrinがどの様に関わっているのかは今後の課題である。しかし、構造上の特徴からアクチンとの関連が強く示唆されることから、伝達物質放出におけるアクチンネットワークの再構築に関与している可能性が考えられる。今回の解析ではC末側の領域の役割については不明であるが、この領域のみを細胞に発現させると核に局在がみられることや、一次構造上の特徴より、転写調節に関わる可能性が考えられた。実際にそのような機能を有するとすれば、Nadrinは伝達物質放出による遺伝子発現の調節に寄与しているのかもしれない。したがって、神経系の可塑性への関与という観点からも興味深い役割を担っている蛋白質である可能性もあると考えている。

審査要旨

 本研究は神経細胞に特異的に発現する新規タンパク質を発見し、Nadrinと命名し、その機能を解析したものである。

 マウス胎児由来細胞m5s/1Mに対するモノクローン抗体の抗原を同定する試みの過程で、これら抗体のなかにラットの神経細胞と特異的に結合する活性を有するものを見つけた。この抗原をラット神経由来細胞株を用いて同定したところ、アミノ酸残基780からなる新規タンパク質であった。このタンパク質はcoiled-coilを3箇所有するN末端領域、Rho+familyに対するGTPase活性促進タンパク質(Rho-GAP)の活性ドメイン、さらにセリン、スレオニン、プロリンが豊富でグルタミンが連続して29残基あるC末端領域から成り立っていた。C末端領域は転写調節因子の転写活性化ドメインの特徴をそなえており、構造的特徴からアクチン系細胞骨格制御と遺伝子発現制御との橋渡し役というユニークな役割を演じている可能性が強い。このタンパク質のmRNA発現が神経系特異的であり、また発生の時期に応じて発現することからNadrin(Neuron-associated and developmentally regulated protein)と命名した。

 Nadrinの発現時期、部位をタンパク質レベルで特定するために、Nadrinの抗ペプチド抗体を作製した。本タンパク質はニュウロン特異的に発現し、また胎生期にはまったく発現せず、生後すぐに発現し始め3週齢で成体と同程度に発現が達することも明らかになった。

 PC12細胞にNadrin-GFP融合タンパク質を発現させ細胞内分布を調べたところ神経突起の先端部に局在が認められた。本タンパク質のN末端領域部分がドミナントネガティブ的に伝達物質放出を阻害したことから、Nadrinが神経終末からの伝達物質の放出過程に関わっている可能性が示された。この可能性はさらにPC-12細胞にNadrinを過剰発現させると伝達物質分泌が増大する事実からも支持された。

 以上、本研究は神経細胞、組織に特異的に発現する新規タンパク質を発見し、機能を解析したもので、神経化学の発展に寄与するところがあり博士(薬学)に値すると判断した。

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