破産、民事再生あるいは会社更生など、わが国の倒産処理手続は、債務者などによる手続開始申立ての効果として直ちに手続が開始される法制をとらず、申立てを受けた裁判所が、それぞれの手続開始要件について審査の上、手続開始決定をすることによってはじめて手続開始の効果、すなわち債務者の管理処分権に対する制限や債権者をはじめとする利害関係人の権利行使に対する制限などが生ずる法制をとっている。したがって、手続開始の申立てから手続開始決定の効果が生じるまでの間に一定の時間的ギャップが生ずるのを避けられず、その間における債務者や利害関係人の行為によっては、開始に続いて行われる手続本来の目的-公平な清算や継続企業価値の維持・配分など-の実現が妨げられる危険が生じる。本論文が研究の対象とする倒産保全処分は、このような危険に対処するための制度であり、本論文は、倒産保全処分が備えるべき本来的機能を明らかにすることによって、それにかかわる解釈論上および立法論上の問題に対する解決を示そうとするものである。 本論文の研究方法上の特徴は、次に3点にまとめられる。 第1に、破産などの清算型手続と民事再生などの再建型手続とを横断的に考察の対象とし、さらにそれぞれの手続における保全処分の機能を手続本来の機能との関係で縦断的に考察することによって、倒産保全処分に関する一般的基礎理論を構築しようとしていることである。第2に、「現状固定型」保全処分と「管理監督型」保全処分の対概念を創出し、日本法の母法であるドイツ法、およびその姉妹法ともいうべきオーストリア法について、歴史的発展を踏まえた詳細な比較法的分析を行うことによって、保全処分が手続開始との関係でどの程度の効果をもつことが正当化されるかを考察していることである。第3に、以上の考察にもとづいて、倒産保全処分に関する個別的論点に関して、解釈論および民事再生要綱案(本論文執筆当時)を含めた立法論の両領域にわたって、ほぼ網羅的に著者、松下祐記氏の考え方を示していることである。 本論文の構成は、第1章「日本法の現状と問題点」、第2章「ドイツ法」、第3章「オーストリア法」、第4章「考察」の4章から構成され、第1章において明らかにされた日本法の問題点について、それぞれ対応するドイツ法およびオーストリア法について比較法的検討を加え、その成果を踏まえて、第4章において問題点についての著者自身の見解を明らかにするという構成をとっている(分量は、A4判ワープロ書き664頁)。 論文の概要は、次のとおりである。 第1章では、倒産保全処分を2つの類型、すなわち利害関係人の行為の制限、および債務者財産の現状固定を主眼とする「現状固定型保全処分」と、債務者の財産管理処分権を制限ないし剥奪し、倒産処理手続の前倒し的一部実現を主眼とする「管理監督型保全処分」に分け、この対概念を用いて、破産手続、和議手続、会社整理手続、特別清算手続、および会社更生手続における保全処分について、その目的、手続的規律、および内容的規律に関して説かれてきたところを、従来の判例および学説を材料として分析する。分析の結果として、たとえば、手続的規律に関しては、手続の開始可能性が手続の目的、あるいは保全処分の種類などとの関係でどのような意義を認められるべきかについて、従来必ずしも十分な検討がなされていないこと、保全処分の内容についても、手続構造との関係が十分に考慮されていないこと、その結果、処分禁止保全処分、弁済禁止保全処分、強制執行等の停止・禁止の保全処分、第三者に対する保全処分、および保全管理命令など各保全処分において、その効果あるいは許容性について整合的な説明がなされていないことが指摘される。 第2章では、まず第1節において、倒産保全処分に関するドイツ法を、普通法時代の学説に始まり、1793年プロイセン普通裁判所法、1855年プロイセン破産法、1877年ライヒ破産法に至る歴史的経過に沿って分析する。著者は、この歴史的展開の中で、弁済禁止保全処分や譲渡禁止保全処分など、債務者による財産減少行為や、債権者による抜け駆け行為を抑止する手段としての倒産保全処分の骨格が徐々に形成されてきたことを明らかにする。続いて、ライヒ破産法の下での定型的保全処分とされた「一般的譲渡禁止命令」-債務者による財産処分および債権者による強制執行を包括的に禁止する命令-について、その違反にもとづいて生じる効果、すなわち命令違反行為の効果たる無効の意義、債務者の管理処分権への影響、登記手続や強制執行手続上の効果、善意取得者など第三者に対する影響、契約関係に対する効果、取戻権者や別除権者に対する効果などを、破産手続開始の効果と比較して分析する。 さらに、ライヒ破産法の下でのもう一つの定型的保全処分であった「保管命令」(Sequestration)-債務者に代わって事業経営を続行し、これによって財団の価値を維持する保管人を選任する命令-について、目的物との関係での民事保全手続における保全との差異、特に債務者の事業自体を保管の対象とすることができるかなどの問題、また保管人の法的地位および権限にかかる問題について判例・学説を詳細に分析する。そして、この保全処分が破産手続開始の前倒したる意義をもつものかどうか、換言すれば、保管人の権限は破産管財人の権限とどう違うかに関して、両者は区別されるという建前を維持しつつも、保管命令が前述の一般的譲渡禁止命令と結合されることによって、通常の方法にしたがった財産管理処分権が保管人に与えられ、また、それを超える処分も、裁判所の許可等を要件として認めることによって、事実上破産管財人の管理処分権に接近していったことを明らかにする。その上で、さらに各論として、債務者の業務の継続、財産換価・売却、営業譲渡、双方未履行双務契約についての選択権、債務負担行為、債務の弁済などの問題を分析し、財産の通常の維持管理を超える行為については、なお保管人の権限を破産管財人のそれと区別する考え方が維持されていることを指摘する。 続いて、第2章第2節では、1935年ドイツ和議法における財産保全処分に関する規律を分析する。1935年法は、それ以前の1927年和議法において財産保全処分に関する規律を欠いていたことの反省の上に立って、仮管財人の選任処分や財産保全処分を新設した。財産保全処分の内容は、債務負担の制限、仮管財人の監督権、あるいは譲渡禁止などから構成されるものであるが、ケルン区裁判所和議部における実務運用によって生み出された「ケルン型和議手続」では、仮管財人に対して定型的に金銭収支の権限が与えられる一方、債務者に対して一般的譲渡禁止が命じられる特徴をもったものであることを紹介する。ケルン型手続は、手続開始前の段階から仮管財人と債務者の共同によって債務者の事業を継続し、その財産価値を維持することを目的としたものであり、その本質は、債務者財産の現状維持を超えて、和議手続目的の一部を実現しようとする管理監督型保全処分であることを明らかにする。 また、同じく1935年法によって新設された強制執行一時停止の保全処分については、債権者や債務者に対する影響など保全処分の要件を検討し、和議手続の目的達成のために、債務者を名宛人とする保全処分だけではなく、強制執行に着手している債権者を名宛人とする保全処分も許容されていることを指摘する。 さらに、第2章第3節においては、1994年新倒産法における財産保全処分に関する規律を分析する。著者はまず、立法の経緯を詳細に考察し、1985年の倒産法委員会第1報告書において、仮管財人の監督権限、債務者に対する一般的処分禁止を媒介とする仮管財人の管理処分権などが、保全処分の内容として提言されることによって、財産の現状固定にとどまらない、手続の一部実施という考え方が色濃く現れていることを指摘する。これを受けて成立した1994年新倒産法は、倒産処理手続の一本化、債権者集会の判断による清算か再建かの選択、手続関係人のイニシアチブ重視などの特徴をもつものであるが、保全処分に関しては、仮倒産管財人の選任、債務者に対する一般的処分禁止命令を媒介とした、仮管財人への管理処分権の付与、全債権者に対する強制執行の禁止、担保権にもとづく別除権実行の一時停止などの内容をもつものであることを紹介する。 しかし、第1報告書が手続の前倒しを重視していたのと比較すると、1994年法の保全処分においては、現状固定の考え方が全面に出ていること、これは、第1報告書の立場と異なって、再建が最優先とされなかったことと関係すると指摘する。また、仮管財人の権限に関しても、それが必要最低限の財産保全に限定されたことは、第1報告書の立場と比較すると、新倒産法の立法者が手続の前倒しに消極的になったことを象徴するものであると指摘する。この立法者の姿勢を具体的に示す例として、たとえば、仮管財人による企業継続についても、財産価値の維持に必要な場合には、企業の閉鎖をすべきこととされ、むしろ企業継続の見込みについて客観的調査をすることが仮管財人の任務とされたこと、財産換価権が緊急の必要がある場合に限定されたこと、営業譲渡の可能性が明定されなかったこと、双方未履行双務契約についての選択権が与えられなかったこと、仮管財人の行為によって生じた債務が当然に財団債権とされるわけではないこと、などを挙げる。 第3章では、オーストリア法を扱う。まず、第1節においては、オーストリア破産法における財産保全処分の規律を、1982年改正の前後を通じて分析する。1982年改正前の破産法には、手続開始前の財産保全処分に関する明文の規定が存在せず、一般保全処分によるとの考え方と、手続開始後の処分を類推するとの考え方が対立していたことを紹介する。これに対して、1982年破産法は、はじめて手続開始前の財産保全処分に関する明文の規定を置き、債務者財産の保全および事業継続のために一定内容の保全処分が認められたこと、しかし、債権者による強制執行については、手続開始後こそそれが排除されるものの、手続開始前については明文の規定が存在せず、解釈に委ねられていることを紹介する。 引き続いて、第2節においては、オーストリア和議法における財産保全処分の規律を、同じく1982年改正の前後を通じて分析する。まず、82年改正前には、手続開始前の財産保全処分に関する明文の規定が存在しなかったことは、破産法の場合と同様であり、しかも、学説も、破産法の場合とは異なって、一致してその可能性を否定していたことを紹介する。次に、1982年改正和議法においては、1982年破産法と同様の内容の財産保全処分が認められたこと、これに対して、債権者による強制執行停止については、これも破産法と同様に、明文の規定を置かず、解釈に委ねられているが、一般に学説は否定的であること、を紹介する。 第4章では、第2章のドイツ法、および第3章のオーストリア法についての比較法的考察を基礎として、手続開始前の倒産保全処分に関する基本原理、およびその内容に関する解釈論および立法論上の検討を行っている。まず、第1節において、基本原理に関しては、保全処分観として本論文の冒頭で提示した現状固定型と管理監督型の二つの軸に沿って、ドイツ破産法・和議法、オーストリア破産法・和議法を、その歴史式発展に即して位置付ける。そして、歴史的発展の方向としては、現状固定型から管理監督型への拡大がみられること、管理監督型の必要性を基礎づけるものが事業継続の必要性であることを指摘する。 これを基礎として、第2節では、手続開始前の保全管理命令について、わが国の破産手続においてもそれが許容されること、また債務者の管理処分権が存続する和議手続においても、合理的必要性にもとづいて期間や対象を限定すれば、保全管理命令を認める余地があること、立法論としては、民事再生要綱案(執筆当時)における管理命令制度が支持されることなどを指摘する。次に、処分禁止命令の効果については、従来からいわれていた相対的無効の概念を詳細に分析した上、処分禁止にもとづく無効が破産債権者の利益保護を目的としているという意味での相対性は認められるものの、それ以外の者に対する関係では有効とする意味での相対性は否定されるべきであり、この考え方を絶対的・不確定的無効説と称する。さらに、処分禁止命令などに反する処分がなされた場合の善意者保護については、特に破産手続開始後の効果との均衡から、債務者財産の保全目的を達するためには、善意取得を排除することが適当であるとする。 第3節においては、債権者を名宛人とする保全処分、特に強制執行に対する停止・禁止の保全処分については、処分禁止の仮処分が発令されているときには、著者のいう絶対的・不確定的無効の効果によって強制執行そのものが違法になるとの結論も考えられるが、債務者の管理処分権が剥奪されることによって直ちに債権者による強制執行が違法になるものではないとする。しかし、保全処分の相手方を債務者のみに限定する合理的理由に欠ける以上、処分禁止の保全処分とは別に、債権者に対する強制執行禁止・停止の保全処分が認められるとする。そして、その場合の要件としては、手続目的の達成に必要であることと、執行債権者に不当な損害が生じないことの両者を必要とする。また、将来の強制執行を一般的に禁止する保全処分については、倒産手続前倒しの視点から、債務者に対する一般的処分禁止保全処分が発令されていることが条件になるとする。著者は、このような理由から、立法論としても、民事再生要綱案における包括的強制執行禁止命令を支持する。 第4節では、担保権者を対象とする現状固定として、担保権実行中止保全処分を論じる。清算を目的とする破産においては、保全管理命令が併せて発令されている場合にのみ、保全管理人による換価権行使を保障する趣旨から、担保権実行中止保全処分の可能性があるのに対して、和議においては、再建目的実現のために、一般的にその許容性が認められるとする。 第5節では、第三者に対する現状固定として、否認権行使を前提とする保全処分について論じ、解釈論としては困難であるが、立法論としては、特に保全管理人が選任される場合については、この種の保全処分を認める理論的根拠が存在するとする。 第6節では、保全管理命令の適法性を前提として、その権限行使について、債務者の利益および債権者の意思をどのように反映させるべきかを論じる。また、権限行使の具体的態様、すなわち営業譲渡、あるいは双方未履行双務契約の処理などについて論じ、裁判所の許可などの手続的要件を践むことを前提とすれば、一般的にこれらの権限を排除する必要はないとする。また、保全管理人の行為の結果として生じた債務についても、破産管財人などの行為の結果と同様に、これを財団債権とすることが認められるとする。 第7節では、保全処分の内容的特質についてその暫定性を確認し、また、発令要件として特に担保の要否について検討している。 本論文の概要は、以上である。以下、本論文の長所および問題点を述べる。 本論文の長所の第1は、倒産保全処分に関する体系的包括的研究であることである。従来の日本の倒産法学は、倒産手続開始決定の効果に最大の焦点を当てる反面、保全処分は単にそれまでの一時的・暫定的なものと位置づけてきた。これに対して、本論文は、開始後の手続の成否を決定するのは、いかなる保全処分によって手続開始まで債務者の財産や経営を維持するかであるとの認識から、保全処分の内容として現状固定型および管理監督型という新概念を提唱し、その要件、効果およひ限界を、清算型手続、再建型手続と関係づけつつ論ずる、きわめてスケールの大きな論文である。 第2に、ドイツおよびオーストリアの倒産法における保全処分の立法、学説および判例の展開を丹念に掘り起こし、さまざまな保全処分観、それに基づく要件論・効果論の変遷を明らかにしていることである。著者は、論旨の展開と必ずしも直接には関係しないドイツおよびオーストリア保全処分法の沿革の細部まで考察の対象としており、この部分は保全処分法史それ自体としてみても、これまでこのような研究がなかっただけに学界に対する貴重な寄与となろう。 第3に、本論文で展開された解釈論および立法論にも評価すべきものが多い。解釈論で言えば、保全処分に違反する債務者の行為の効果として従来言われてきた相対的無効の意味を詳細に分析して提唱した、絶対的・不確定的無効という概念は、保全処分の効果、さらには開始決定の効果に関する従来の議論のレベルを格段に引き上げたものであるし、立法論で言えば、ドイツ、オーストリア法の沿革の分析から演繹した再建型手続における管理監督型保全処分の必要性の主張は、民事再生法における保全処分の位置づけと一致するものである。 以上の長所に対して、本論文にも問題点がないわけではない。 第1は、著者は日本法の母法とその姉妹法ともいうべきドイツ、オーストリアの研究から様々なアイデアを汲み取っているが、それだけでなく、法系の異なるもう一カ国を比較研究の対象に加えれば、もっと別の観点が出てきたのではないか、ということである。 第2は、一つ一つの文章は明快で、記述は正確であるにもかかわらず、全体としてきわめて読みにくい論文になっていることである。その理由は、論旨の展開とは別に資料の正確な紹介というもう一つの目的に拘泥したこと(これは第2の長所の裏返しである)、単調な記述に終始しているため、全体を貫く主題が十分に強調されていないこと、また、各章の結びつき、とくに総論としての第1章と各論としての第4章との結びつきが悪いこと、などによると思われる。 しかし、これらの問題点も、本論文の価値を著しく損なうものではない。本論文は、全体としてみる限り、倒産保全処分に関する体系的包括的な研究として日本の学界に寄与するところがきわめて多く、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。 |