学位論文要旨



No 114848
著者(漢字) 奥田,隆志
著者(英字)
著者(カナ) オクダ,タカシ
標題(和) 高親和性コリントランスポーターの同定
標題(洋)
報告番号 114848
報告番号 甲14848
学位授与日 2000.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3685号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 芳賀,達也
内容要旨

 コリン作動性神経は脳の認知機能に重要であり、アルツハイマー病患者脳では脱落することが知られている。コリン作動性神経はコリン生合成能を欠いているため、細胞外からのコリン取り込みは必須である。アセチルコリン分解産物のコリンは前シナプス末端の高親和性コリントランスポーターによって細胞内に取り込まれ、アセチルコリン合成に再利用される。この取り込みはアセチルコリン合成の律速段階であり、その活性は神経活動で制御されている。すでに主要な神経伝達物質トランスポーターのほとんどのcDNAが単離されているが、30年間生理的重要性が知られているにもかかわらず高親和性コリントランスポーターの分子的実体は知られていない。

 本研究では、ゲノム・プロジェクトの情報を利用して線虫C.elegansの高親和性コリントランスポーターのcDNA(cho-1)を単離し、このcDNAを用いてラットの相同分子(CHT1)を単離したことを報告する。

 高親和性コリントランスポーターのcDNAを単離するため、C.elegansゲノム・プロジェクトからNa+依存性トランスポーターファミリーのメンバーと予測されるcDNAを最初に調べた。完全長の候補cDNAから調製したcRNAをそれぞれアフリカツメガエル卵母細胞に注入し高親和性コリン取り込み活性を調べた。1 M hemicholinium-3(HC3)に対する感受性を高親和性コリン取り込みの判断基準とした。なぜなら哺乳類の脳シナプトソームでは高親和性コリン取り込みは1M HC3で完全に阻害される(Ki=10-100nM)のに対し、あらゆる細胞に分布すると考えられる低親和性コリン取り込みはより高濃度のHC3でのみ阻害されるからである(Ki=50M)。スクリーニングの結果、ゲノム・プロジェクトでC48D1.3と予測されていた遺伝子に対応するcDNAは1M HC3で阻害される有意なコリン取り込みを促すことが分かった(図1a)。この取り込みはNa+依存性であり、HC3のKiは50nMと推定された(図1b,c)。これらの性質は期待される高親和性コリン取り込みの基準を満たしている。そこでこのcDNAクローンをcho-1(high-affinity choline transporter-1)と名付けた。

図1 C.elegans cho-1の同定と機能解析

 cDNAとゲノム塩基配列の比較によりcho-1遺伝子は9つのエクソンから成ることが分かった。cho-1 cDNAの塩基配列から予想されるタンパク質は576アミノ酸残基である。入手可能なデータベースを検索したところcho-1のアミノ酸配列はNa+依存性グルコーストランスポーターファミリーのメンバーに対して弱いながら有意な相同性を示した。疎水性分析と他のトランスポーターとの比較から12回膜貫通領域をもつことが示唆される。

 cho-1を発現している細胞を同定するためにcho-1遺伝子上流5.1kbの領域を融合させたgreen fluorescent protein(GFP)遺伝子を線虫に導入した。GFPの発現は神経環や腹部神経索のコリン作動性運動神経を含む神経で観察された。これはcho-1がコリン作動性神経の高親和性コリントランスポーターであるという考えを支持する。

 次に脊椎動物のcho-1相同分子に注目した。cho-1から予想されるアミノ酸配列でデータベースを検索した結果、ヒトのgenomic survey sequence(GSS)で一つの候補(GenBank accession number AQ316435)を同定した。このヒトのゲノムDNAとC.elegans cho-1の塩基配列の相同性に基づいた縮重プライマーを用いたPCRでラット脊髄cDNAからcDNA断片を増幅した。この断片の塩基配列の情報を用いてラット脊髄cDNAライブラリーをスクリーニングし陽性のcDNAクローンを得た。最長の読み枠の塩基配列からcho-1に対して51%の同一性および70%の類似性を示す580アミノ酸残基のタンパク質をコードすることが予想された。そこでこのラットcDNAクローンをCHT1(high-affinity choline transporter-1)と名付けた。CHT1のアミノ酸配列はC.elegans CHO-1と同様にNa+依存性グルコーストランスポーターファミリーのメンバーと有意な相同性を示した(20-25%)。一方、酵母のコリントランスポーター、当初は高親和性コリントランスポーターと報告されていたクレアチントランスポーター、及び他の神経伝達物質トランスポーターとは相同性を示さなかった。CHT1のトポロジーはC.elegansのCHO-1と本質的に同じように12回膜貫通領域をもつと予想された。

 ノザン解析やin situハイブリダイゼーションでCHT1 mRNAの発現分布を調べた。ラットのさまざまな組織のノザン解析から〜5kbの長さの転写産物の発現を確認した。発現量は前脳基底部や脳幹、脊髄で多く、線条体では少なかった。これらの組織はいずれもコリン作動性神経を含むことが知られている。一方、脳の他の部分や非神経系の組織では転写産物は確認されなかった。これらの結果と一致して、in situ hybridizationでは線条体、前脳基底部の細胞群、脊髄前角などの主要なコリン作動性神経の細胞集団でCHT1 mRNAの発現が確認された。この発現分布はすでに報告されているコリンアセチルトランスフェラーゼや小胞アセチルコリントランスポーターの発現分布と本質的に同じである。これらの結果はCHT1 mRNAがコリン作動性神経に限局して発現していることを示している。

 次にCHT1によるコリン取り込みの性質をアフリカツメガエル卵母細胞発現系で調べた。CHT1 cRNAを注入した卵母細胞のコリン取り込みは水を注入した卵母細胞の取り込み(コントロール)よりも2-4倍高かった(図2a)。CHT1を介するコリン取り込みは高親和性であった(Km=2.2±0.2M,n=3)(図2b)。一方コントロールのコリン取り込みのKmは10Mより高かった。CHT1を介するコリン取り込みは0.1M HC3で完全に阻害された(Ki=2-5nM)(図2c)。それに対してコントロールでは10M HC3でわずかしか阻害されなかった。イオン依存性を調べるとNa+依存性だけでなくCl-依存性であることがわかった。これらの結果はCHT1が脳シナプトソームの高親和性コリン取り込みから期待される機能特性(コリンに対する高親和性、HC3に対する高感受性、Na+-,Cl--依存性)をもつことを示している。

図2 アフリカツメガエル卵母細胞におけるラットCHT1の機能解析

 次にCHT1 cDNAとベクターのみ(コントロール)をそれぞれ導入したCOS7細胞から調製した膜の[3H]HC3結合活性を調べた。CHT1を発現させた細胞の膜ではNa+依存的な特異的[3H]HC3結合が観察されたが、コントロールの膜では観察されなかった。平衡解離定数(Kd)は1.6±0.2nM(n=3)と計算された。この値は脳シナプトソームで報告されている数値とよく一致する。[3H]HC3の特異的結合はコリンで置換された。アセチルコリンによる置換はコリンよりも約10倍以上高い濃度が必要であった。これらの結果はCHT1が高親和性コリントランスポーターであるだけでなくHC3結合部位でもあることを示している。

 今回の高親和性コリントランスポーターのcDNAクローニングはC.elegansゲノム・プロジェクトの情報を利用して候補のcDNAを系統的にスクリーニングすることではじめて可能となった。ポスト・ゲノムプロジェクトの時代を迎えつつある今日の研究戦略の一つとして、生物学的に重要であるにもかかわらず未同定のまま取り残されているcDNAを機能的にクローニングするために今回と同様の手法が適用可能であると考えられる。

 コリン作動性神経は学習・記憶に非常に重要な役割を果たしており、アルツハイマー病ではコリン作動性神経の障害度と痴呆の重篤度は相関する。アセチルコリン合成の律速段階は高親和性コリン取り込みでありその活性は神経活動によって制御されているので、神経活動とアセチルコリン合成は相関することが推察される。高親和性コリントランスポーターCHT1のcDNAクローニングは高親和性コリン取り込みの機能調節機構を分子的に明らかにしたりアルツハイマー病の新しい治療薬を開発したりするための手段を提供すると思われる。

審査要旨

 本論文は前半は線虫C.elegansの高親和性コリントランスポーターの同定と解析、後半はラットの高親和性コリントランスポーターの同定と解析について述べられている。

 コリン作動性神経は脳の認知機能に重要であり、アルツハイマー病患者脳では脱落することが知られている。コリン作動性神経はコリン生合成能を欠いているため、細胞外からのコリン取り込みは必須である。アセチルコリン分解産物のコリンは前シナプス末端の高親和性コリントランスポーターによって細胞内に取り込まれ、アセチルコリン合成に再利用される。この取り込みはアセチルコリン合成の律速段階であり、その活性は神経活動で制御されている。すでに主要な神経伝達物質トランスポーターのほとんどのcDNAが単離されているが、生理的重要性が知られているにもかかわらず高親和性コリントランスポーターの分子的実体は知られていなかった。

 本論文では、ゲノム・プロジェクトの情報を利用して線虫C.elegansの高親和性コリントランスポーターのcDNA(cho-1)を単離し、このcDNAを用いてラットの相同分子(CHT1)を単離したことを報告している。

 まずC.elegansの高親和性コリントランスポーターcDNAを単離するため、ゲノム・プロジェクトからNa+依存性トランスポーターファミリーのメンバーと予測されるcDNAを最初に調べている。完全長の候補cDNAから調製したcRNAをアフリカツメガエル卵母細胞に注入し高親和性コリン取り込み活性を調べ、ゲノム・プロジェクトでC48D1.3と予測されていた遺伝子に対応するcDNAが有意なコリン取り込みを促すことが示された。この取り込みはNa+依存性であり、ラット神経末端でのコリン取り込みの特異的阻害剤であるヘミコリニウム3(HC3)によって阻害された。これらの性質は期待される高親和性コリン取り込みの基準を満たしていたので、このcDNAクローンはcho-1(high-affinity choline transporter-1)と名付けられた。

 cho-1 cDNAの塩基配列から予想されるタンパク質は576アミノ酸残基であった。データベース検索からcho-1のアミノ酸配列はNa+依存性グルコーストランスポーターファミリーのメンバーに対して有意な相同性を示した。疎水性分析と他のトランスポーターとの比較から12回膜貫通領域をもつことが示唆された。

 cho-1を発現している細胞を同定するためにcho-1遺伝子上流5.1kbの領域を融合させたgreen fluorescent protein(GFP)遺伝子が線虫に導入された。GFPの発現は神経環や腹部神経索のコリン作動性運動神経を含む神経で観察された。これはcho-1がコリン作動性神経の高親和性コリントランスポーターであるという考えを支持する。

 本論文の後半では、脊椎動物のcho-1相同分子に注目している。cho-1のアミノ酸配列によるデータベース検索でヒトのgenomic survey sequence(GSS)における一つの候補(GenBank accession number AQ316435)が同定された。このヒトのゲノムDNAとC.elegans cho-1の塩基配列の相同性に基づいた縮重PCRでラット脊髄cDNAからcDNA断片が増幅された。この断片の塩基配列の情報を用いてラット脊髄cDNAライブラリーがスクリーニングされ、陽性のcDNAクローンが得られた。最長の読み枠の塩基配列からcho-1に対して51%の同一性および70%の類似性を示す580アミノ酸残基のタンパク質をコードすることが予想された。そこでこのラットcDNAクローンはCHT1(high-affinity choline transporter-1)と名付けられた。CHTlのアミノ酸配列はC.elegans CHO-1と同様にNa+依存性グルコーストランスポーターファミリーのメンバーと有意な相同性を示したが(20-25%)、他の神経伝達物質トランスポーターとは相同性を示さなかった。CHT1のトポロジーはC.elegansのCHO-1と本質的に同じように12回膜貫通領域をもつと予想された。

 ノザン解析やin situハイブリダイゼーションでCHT1 mRNAの発現分布が調べられた。ラットのさまざまな組織のノザン解析から〜5kbの長さの転写産物の発現が確認された。発現量は前脳基底部や脳幹、脊髄で多く、線条体では少なかった。これらの組織はいずれもコリン作動性神経を含むことが知られている。一方、脳の他の部分や非神経系の組織では転写産物は確認されなかった。これらの結果と一致して、in situ hybridizationでは前脳基底部の細胞群、脊髄前角などの主要なコリン作動性神経の細胞集団でCHT1 mRNAの発現が確認された。この発現分布はすでに報告されているコリンアセチルトランスフェラーゼや小胞アセチルコリントランスポーターの発現分布と本質的に同じである。これらの結果はCHT1 mRNAがコリン作動性神経に限局して発現していることを示している。

 次にCHT1によるコリン取り込みの性質をアフリカツメガエル卵母細胞発現系で調べている。CHT1 cRNAを注入した卵母細胞のコリン取り込みは水を注入した卵母細胞の取り込み(コントロール)よりも2-4倍高かった。CHT1を介するコリン取り込みは高親和性であった(Km=2.2±0.2M,n=3)。一方コントロールのコリン取り込みのKmは10Mより高かった。CHT1を介するコリン取り込みは0.1M HC3で完全に阻害された(Ki=2-5nM)。しかしコントロールでは10M HC3でわずかしか阻害されなかった。イオン依存性を調べるとNa+だけではなくCl-にも依存性であった。これらの結果はCHT1が脳シナプトソームの高親和性コリン取り込みから期待される機能特性(コリンに対する高親和性、HC3に対する高感受性、Na+-,Cl--依存性)をもつことを示している。

 次にCHT1 cDNAとベクターのみ(コントロール)をそれぞれ導入したCOS7細胞から調製した膜の[3H]HC3結合活性が調べられた。CHT1を発現させた細胞の膜ではNa+依存的な特異的[3H]HC3結合が観察されたが、コントロールの膜では観察されなかった。平衡解離定数(Kd)は1.6±0.2nM(n=3)と計算された。この値は脳シナプトソームで報告されている数値とよく一致する。[3H]HC3の特異的結合はコリンで置換された。アセチルコリンによる置換はコリンよりも約10倍以上高い濃度が必要であった。これらの結果はCHT1が高親和性コリントランスポーターであるだけでなくHC3結合部位でもあることを示した。

 本論文は、その存在と生理的意義が古くから知られていたにも拘わらずその分子的実体が不明であった、高親和性コリントランスポーターの分子クローニングを世界に先駆けて報告したもので、神経系の分子的理解の進展に寄与するものである。また、コリンの取り込みがアセチルコリン合成の律速段階であり、アルツハイマー病ではコリン作動性神経の障害度と痴呆の重篤度が相関していることから、コリントランスポーター分子の同定がアセチルアルツハイマー病の新しい治療薬開発への道を開く可能性も考えられる。以上、本論文は博士(理学)の学位授与に値するものと認められる。

 なお、本論文の前半における線虫への遺伝子導入実験は国立遺伝研構造制御部門の石原健助手並びに桂勲教授の協力を得、アフリカツメガエル卵母細胞発現実験は杏林大学医学部薬理学教室の金井好克助教授と遠藤仁教授に最初に指導を受けたものであるが、本論文の主たる実験及び解析は論文提出者が主体的に行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

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