学位論文要旨



No 114849
著者(漢字) 更科,功
著者(英字) Sarashina,Isao
著者(カナ) サラシナ,イサオ
標題(和) ホタテガイにおける殻内基質中の可溶性タンパク質の一次構造
標題(洋) Primary structure of the major soluble protein in the shell matrix of the scallop Patinopecten yessoensis
報告番号 114849
報告番号 甲14849
学位授与日 2000.02.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3686号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 長澤,寛道
 石巻専修大学 助教授 大越,健嗣
 東京大学 助教授 大路,樹生
内容要旨

 軟体動物の殻体は単なる無機質の鉱物でできているのではなく、鉱物質結晶中に主にタンパク質から成る有機成分を含む。これらの有機成分は無機成分との相互作用を通じて、殻体形成において重要な役割を演じていると考えられている。しかし、これらの殻内タンパク質は単離精製が困難なため、それらの詳細な構造や機能に関する研究は立ち後れていた。そこで、本研究では軟体動物の殻体形成機構に関する基礎データを提出することを目的として、二枚貝類イタヤガイ科に属するホタテガイ(Patinopecten yessoensis)、イタヤガイ(Pecten albicans)、アズマニシキ(Chlamys farreri)の殻体外層(カルサイト)中の可溶性タンパク質の分離・精製を行い、3種間でそれらの生化学的特徴を比較した。さらに、ホタテガイ殻体に含まれる主要な可溶性タンパク質(MSP-1)について、分子生物学的手法を使ってその全アミノ酸配列を決定した。これらの研究により、以下の知見が得られた。

1.殻内可溶性タンパク質の分子量とアミノ末端のアミノ酸配列

 ホタテガイ殻体中の可溶性タンパク質は,分子量の異なるものが8種類存在し、SDS-PAGEによって推定されたそれらの分子量はそれぞれ150,125,104,77,49,42,40,15kDであった。PAS染色の結果、8種類全てが糖タンパク質であり、Stains-All染色の結果、150,125,104,77kDの4種に陽イオン結合能があることが示唆された。イタヤガイ殻体中の可溶性タンパク質は,分子量の異なるものが4種類存在し、それらの分子量は77,49,42,18kDであった。PAS染色の結果、18kD以外の全てが糖タンパク質であることがわかった。一方、アズマニシキ殻体中の可溶性タンパク質は,分子量の異なるものが3種類存在し、それらの分子量は65,30,17kDであった。PAS染色の結果から、ホタテガイやイタヤガイのものとは異なり、いずれも糖タンパク質ではないことが示唆された。

 ホタテガイから検出された104,77,49kDの3種類のタンパク質のアミノ酸配列をエドマン法により解析した結果、決定されたN末端18残基のアミノ酸配列は全て共通であることがわかった。また、イタヤガイについても77,49,42kDの3種類で決定されたN末端13残基のアミノ酸配列は全て共通であった(図1)。アズマニシキについては、17kDのタンパク質についてのみ、N末端8残基のアミノ酸配列を決定した(図1)。

 ホタテガイとイタヤガイは、分子量が一致する糖タンパク質を3種類(77,49,42kD)共有する。さらに2種は、N末端配列がそれぞれ共通で、分子量の異なる複数のタンパク質が存在するという点で類似性がある。アズマニシキの殻タンパク質は、分子量、糖鎖の付加の有無において他の2種のものと異なる。しかし、決定されたN末端の配列は3種間で類似しており、一つおきに酸性アミノ酸が配置するという共通の特徴を有する(図1)。

図1 ホタテガイ、イタヤガイ、アズマニシキの殻内可溶性タンパク質のN末端アミノ酸配列。太字は酸性アミノ酸、星印はホタテガイと共通のアミノ酸残基を示す。アミノ酸の一文字表記は、図2の説明を参照。

 3種の殻内可溶性タンパク質のN末端には、一つおきに酸性アミノ酸が配置するという共通した特徴があることから、酸性アミノ酸がカルシウムイオンと相互作用している可能性がある。

2.ホタテガイ殻体外層中の主要な可溶性タンパク質(MSP-1)をコードする相補的DNAの基本的特徴

 ホタテガイの外套膜より抽出した全RNAからcDNAを合成し、上述のN末端アミノ酸配列に基づいて作成したプライマーを使用して、RACE法によりMSP-1をコードするcDNAの全長を増幅させた。また、得られたDNA断片をクローン化して塩基配列を決定し、MSP-1の全アミノ酸配列を明らかにした。得られたcDNAは2978塩基対(bp)あり、5’末端から35 bpの部位に開始コドンが、2555 bpの部位に終始コドンが存在する。2927 bpの部位にポリA付加シグナルと予測される配列(ATTAAA)が存在し、2952 bpの部位からポリA尾部が始まる。開始コドンから60 bP下流からエドマン法で決定されたMSP-1のN末端配列が始まる。N末端の上流20アミノ酸は、シグナル配列と考えられ、その中には13残基の疎水性アミノ酸が含まれる。

 シグナル配列を除いたMSP-1のアミノ酸配列は820残基からなり、その分子量の理論値は74.5kDである。また、計算によって求められた等電点は3.2で、MSP-1は典型的な酸性タンパク質であると言える。MSP-1のアミノ酸組成は、セリン、グリシン、アスパラギン酸の割合が高く(それぞれ32,25,20%)、これまでに報告されたホタテガイその他の二枚貝類の殻内可溶性タンパク質全体のアミノ酸組成のデータとよく一致することから、MSP-1は殻内可溶性タンパク質の主成分であることが示唆される。

 MSP-1は上述したように酸性タンパク質であると考えられ、その場合SDS-PAGEによる見かけの分子量は、実際のそれより大きくなることが知られている。さらにMSP-1は糖鎖の付加やリン酸化などの翻訳後修飾を受けていると考えられるので、SDS-PAGEのゲル上の77,104,125,150kDのバンドの中の一つがMSP-1を示していると考えられる。

3.MSP-1の反復モジュール構造

 本研究で明らかにしたMSP-1の一次構造は、中央部に良く保存された4つの繰り返しユニットを持った"反復モジュール構造"をしていることが大きな特徴である(図2)。-ヘリックス構造をしていると予測される酸性のN-terminal domainに続いて、K-G-x-xというモチーフが5回繰り返すBasic domainが存在する。中央部に4回繰り返すユニットは、それぞれ3つのドメイン(SG domain,D domain,G domain)から成る。SG domainは巻貝の殻内不溶性タンパク質であるLustrin AのGS domainとの類似性が認められる。それはターン構造に富むと予測され、柔軟性をもつ構造である可能性がある。D domainはユニットの中でも特に保存性が高く、MSP-1の中で最も重要なドメインであると考えられる。リン酸化および糖鎖付加の可能性のある配列はこのD domainに集中している。D-G-S-DまたはD-S-Dという繰り返しモチーフを含み、酸性アミノ酸であるアスパラギン酸(D)がカルシウムイオンあるいは他の塩基性アミノ酸などと相互作用をすることが推察される。一方、従来可溶性殻内タンパク質に存在し、殼体形成時に鋳型の役割を果たしていると予想されていた(D-x)nというモチーフは、D domain(およびMSP-1の他のドメイン)には見いだされなかった。また、酸性アミノ酸にはアスパラギン酸とグルタミン酸の2種類があるが、MSP-1の他の酸性ドメインに比べてD domainにはアスパラギン酸が圧倒的に多く、負に帯電したカルポキシル基の位置の正確さが要求される機能を担っていることが予想される。G domainはその中心に塩基性アミノ酸が集まった部分があり、酸性アミノ酸を含むドメインと相互作用する可能性が考えられる。

図2.MSP-1のモジュール構造。数字はアミノ酸残基の位置、太字は酸性アミノ酸。G glycine A alanine V valine L leucine P proline F phenylalanine E glutamate H histidine S serine T threonine N asparagine K lysine Q glutamine Y tyrosine D aspartate R arginine
4.予想されるMSP-1の機能

 軟体動物の殻内可溶性タンパク質は、(1)結晶成長の阻害(2)結晶成長の鋳型(3)結晶多型(カルサイト/アラゴナイト)の制御(4)硬組織の強度の増加(5)酵素(炭酸脱水素酵素など)としての機能、等の役割を果たしていると考えられてきた。この内の(1)と(2)について、MSP-1の構造から予想される、殻体形成過程の二つのモデルを議論する。

 ホタテガイの殻体外層は、図3に示すようなカルサイトの単結晶からなる葉状構造を示す。面Bと面Cでは結晶成長が起こらず、面Aのみが成長する結果、このような形の結晶が形成されると考えられる。また、D domain中のアスパラギン酸は規則的に配列しており、MSP-1が立体構造を取ったときに、アスパラギン酸は2次元的な広がりを持って規則的に配置されることが予想される。この場合、D domainは(110)面と(101)面の片方のみに、特異的に吸着する可能性がある。

図3.ホタテガイの葉状構造カルサイトの結晶の模式図。数字は 菱面体晶形の面指数。

 1)D domainが(110)面に特異的に吸着する場合

 まず不溶性タンパク質のシートが形成され、その間で結晶が成長する。面Cは不溶性タンパク質と接しているため、成長しない。面AとBはMSP-1を含んだ外套膜外液と接しており、MSP-1は(110)面である面Bのみに吸着し結晶成長を阻害する。その結果、面Aのみが成長し、葉状構造の単結晶が形成される。

 2)D domainが(101)面に特異的に吸着する場合

 1)と同様に、不溶性タンパク質のシートの間で結晶が成長し、そのために面Cは成長しない。面AとBは外套膜外液と接しており、面BはMSP-1以外の可溶性タンパク質が吸着することにより成長が阻害されている。MSP-1が外套膜外液に分泌されると、MSP-1は(101)面である面Aに吸着して結晶成長を阻害する。MSP-1のG domainが基質(たとえば不溶性タンパク質)と相互作用することにより、MSP-1は基質にシート状に覆われる。再びMSP-1が分泌されると、G domainが基質に吸着することにより、D domainは外套膜外液側に配置される。規則的に配置されたアスパラギン酸が外套膜外液中のカルシウムイオンを吸着して結晶成長の核を生成し、(101)面の成長が開始される(この場合に形成される有機質膜は、いわゆるサンドイッチモデルと符号する)。

 今後、MSP-1の抗体を使って、MSP-1の殻体中の分布を調べることにより、このモデルのどちらかが妥当であるかを明らかにすることができると考えられる。

審査要旨

 本論文は,ホタテガイ(Patinopecten yessoensis:軟体動物二枚貝類)の殻体に含まれる水溶性糖タンパク質MSP-1の全アミノ酸一次配列を記述し,その特徴を推定される機能と関連づけて論じたものである.

 化石として残される生物の遺骸は,多くの場合,骨・歯・貝殻などの生体硬組織の部分である.従ってその形成機構の理解は古生物研究において重要な意味を持つ.硬組織を構成する生体鉱物は,常温常圧下あるいは無機的な環境下では通常形成されない結晶形や精緻な形状をしばしば呈すことが知られ,その形成過程においては,鉱物中に含まれる微量な有機成分が重要な働きを担っていると推察されている.炭酸塩生体鉱物の代表として多くの研究がなされている軟体動物殻体においても,主にタンパク質から成る殻体有機マトリックスが結晶成長の制御や結晶の方位・結晶形の決定などに関与していることが古くから指摘されてきた.しかし,これらのタンパク質の機能を考える上で重要な基盤となる一次構造についての情報は最近までほとんど得られていなかった.本論文で明らかにされたMSP-1の全アミノ酸配列は,アスパラギン酸を多く含む酸性糖タンパク質,すなわち軟体動物の典型的な殻体内水溶性タンパク質として世界で初めての報告であり,生物における鉱物形成すなわちバイオミネラリゼーションにおけるタンパク質の機能を考察する上できわめて重要な知見を与えた画期的な成果であると評価できる.

 論文提出者は本論文でまずホタテガイの殻体外層から抽出・粗調製された有機成分の生化学的な特徴について述べている.SDS電気泳動の結果から少なくとも8種類の分子量の異なるタンパク質が存在し,PAS染色およびStains-All染色の結果からこれらがいずれも糖タンパク質で,そのうちの4つに陽イオン結合能があることを示した.またエドマン法によりこれらのタンパク質のN末端のアミノ酸配列を解析した結果,少なくとも3つのタンパク質は分子量が異なるにも関わらず決定された18残基のアミノ酸配列が共通であることを明らかにした.

 論文提出者はさらにエドマン法により求められたN末端のアミノ酸配列をもとに遺伝子の側からMSP-1の全一次構造を推定した結果を述べている.まず殻体の分泌にかかわる外套組織より抽出した全RNAから相補的DNAを合成し,これを鋳型としてN末端のアミノ酸配列に対応する部分を縮重プライマーを用いたPCR法により増幅し,塩基配列を決定した.さらにこの結果を基に特異的プライマーを作成し,RACE法によりMSP-1遺伝子の完全長cDNAを増幅し,常法により遺伝子クローニングと全塩基配列の決定を行った.また,クローン化されたDNAをプローブとして用いたノザン法により同じサイズのmRNAが外套組織において発現していることを確認した.

 得られた塩基配列を解析した結果,MSP-1は(1)820個のアミノ酸残基から成り,(2)そのうちの約80%がセリン,グリシン,アスパラギン酸の3種類のアミノ酸によって占められており,(3)その配列は3つのドメインから成るユニットが4回タンデムに繰り返した「反復モジュール構造」を示す,などの特徴を持つことが明らかにされた.

 論文提出者は,この繰り返しのユニット一つがある決まった機能を担っており,それが繰り返して存在することにより,より少ない分子数で効率的にその機能を発揮しているのではないか,という可能性を示すとともに,この繰り返しユニットを構成する3つのドメインのそれぞれについて予想される機能を他のタンパク質との比較に基づいて考察している.その中でカルシウムイオンとの相互作用という観点から,酸性アミノ酸であるアスパラギン酸に非常に富んだドメイン(Dドメイン)に特に着目し,Dドメインにおいては,従来のアミノ酸組成分析およびカルサイト結晶におけるカルシウムの原子間距離に基づく理論的な考察からの予測とは異なり,アスパラギン酸が一つおきに配置した構造にはなっていないことを指摘した.一方でDドメインにおけるアスパラギン酸の配置に一定の規則性があること,そしてその配置が繰り返しユニット間できわめてよく保存されていることから,Dドメインがカルサイトのある特定の結晶面と特異的な相互作用をし,それによってホタテガイ殼体外層の示す特徴的な葉状構造が形成されるという仮説を提唱した.またタンパク質と結晶面の相互作用は従来考えられていたような一次元的なモデルでは説明できず,少なくとも二次元的な対応関係を想定する必要があることを論じた.

 なお,本論文は遠藤一佳博士との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験,解析および考察を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.バイオミネラリゼーションは,広く生物界一般に見られる現象であり,古生物学のみならず鉱物学,生化学,医学,材料科学,地球環境学など幅広い分野とも関連する.本論文で論文提出者が明らかにしたタンパク質の全一次構造は疑いなく今後のバイオミネラリゼーション研究の基礎的なデータとなるであろう.よって,審査委員全員は論文提出者が博士(理学)の学位を受けるに十分な傑出した論文を提出したと判断した.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54749