学位論文要旨



No 114851
著者(漢字) 沼本,晋也
著者(英字)
著者(カナ) ヌマモト,シンヤ
標題(和) 森林斜面における表層崩壊の動態に関する研究 : 東京大学千葉演習林における1970年豪雨事例を中心として
標題(洋)
報告番号 114851
報告番号 甲14851
学位授与日 2000.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2078号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,猛彦
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 八木,久義
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 助教授 芝野,博文
内容要旨

 本研究は,日本の森林の変遷からみた豪雨時における表層崩壊発生の危険度の変化を明らかにするために,東京大学千葉演習林における1970年豪雨時の表層崩壊発生事例の調査資料を用いて,林齢と崩壊面積率の関係を明らかにし,最近50年間を主たる対象として,森林斜面における崩壊発生の危険度の推移について検討したものである.

 日本列島は沈込み帯の造山運動により形成されており,列島内部には幾つもの大断層や破砕帯が存在するなどにより複雑な地質構造と急峻な山岳地形を有している.また,気象の点からみても大陸東端の多降水地域であり,このことが,日本において発生する自然災害のなかで,土砂災害の存在を際立たせている.しかし,土砂災害の発生形態や被災形態は時代とともに変化し,その対策は依然として大きな課題となっている.土砂災害発生形態の変化の原因のうちの一つとして「森林の変化」が考えられるが,その影響を検討するためには,日本の地表植生を代表する人工林の状況の変化が,土砂災害発生とどのように関係しているか,について考察をしなければならない.

 伐採・植栽時点からの経過時間と崩壊発生頻度との関係については,若齢林よりも高齢林の崩壊発生が少ないという点が,従来から指摘されてきた.研究方法としては,根茎の腐朽による斜面安定度の低下や新植根茎の生長による安定度の増加,根茎の効果を含めた安定解析などが主要なものであるが,森林伐採・植栽後の経過年数と崩壊確率に関する定量的なデータは明らかに不足している.このため,これまでは個々のプロセスの解明にもとづいた研究成果は幾つか存在するが,「林齢-崩壊確率」の直接的な関係に着目し,かつ森林の実態をもとにして崩壊発生危険度を評価するまでには至っていない.

 そこで本研究では,豪雨にともなって森林斜面に発生する表層崩壊において,崩壊面積率と林齢との関係を明らかにするための好適な資料である「東京大学千葉演習林における1970年豪雨事例」に着目し,林齢-崩壊面積率の関係を明らかにすることを通して,日本の森林の変遷から見た豪雨に起因する表層崩壊発生の危険度の推移について検討した.

 第1章では,研究目的・研究課題を述べ,既往研究を整理した.

 第2章で,土砂災害による被害実態について,人的被害としての死者と行方不明者数を指標に,最近50年間を対象にして一般に公表されている資料を検討しその動向を調査した.これらの資料では起因・誘因・被災形態などで複雑に区分されていたものを,土砂災害の形態による被害者数に注目して再区分し検討した結果,(1)地震・火山噴火を直接的原因とする土砂災害被害者数と降雨に起因する土砂災害被害者数とを比べると,最近50年間では地震・火山によるものは,より間欠的かつ少数であること,(2)数十年単位での経年的動向を論ずるには自然災害被害者のうち「地震・火山によるものを除く気象災害被害者」と「地震・火山による直接被害を除く土砂災害被害者数」を対比して比べることが妥当であること,(3)気象災害被害者数と土砂災害被害者数はどちらも減少傾向を明瞭に示しており,特に10年移動平均をとり,片対数グラフ表示をするとその傾向が明瞭になること,(4)気象災害被害者の減少より土砂災害被害者数の減少傾向の方が大きく,1970年代に土砂災害被害者数は気象災害被害者数の2/3を占めていたが1980年代以降2/5に減少していること,が明らかになった.

 第3章では,森林植生と斜面安定度の関係を論ずるために,「東京大学千葉演習林において1970年に発生した豪雨による斜面崩壊」事例を対象とするために,当該地域の気候・地質・森林植生および,関連する既往の研究成果の整理を行った.この事例は,「林齢と崩壊面積率」の関係に着目し,一定以上の広さの森林面積がある,地形地質がほぼ一様である,森林植生が多段階に異なる林齢別に別個の区画により構成されている,森林植生の履歴が調査可能である,豪雨イベントが発生し,崩壊が多発した履歴をもつ,詳細な崩壊調査が記録されている,などの要件を満たしている.

 第4章では,東京大学千葉演習林において1970年の記録的な豪雨により引き起こされた崩壊は,1970年から25年間は再崩壊・山火事・マツ枯などの撹乱もなくほぼ一方向的な植被回復過程にあるので,その植生回復の過程を簡易オルソ化処理を施した5時点の航空写真を用いて比較する手法により解析した.その中で,植生回復を追跡する手法として,崩壊発生時の崩壊面積と経過年数を対比する手法を提示し,解析の結果,(1)小面積の崩壊地は大面積のものよりも早く回復する,(2)細長い形状の崩壊地は面積の割に回復が早い,ということの他,(3)150m2程度の崩壊地は約10年で,1500m2程度の崩壊地は約20年で周囲の植生と見分けがつかなくなっていく,ということを明らかにした.

 第3章で述べた事例は,豪雨にともなう森林斜面崩壊の調査事例としては,降雨分布資料が存在し,若齢林から老齢林まで多様な齢級で構成される森林を含んだ地域で調査されたという点において極めて有用な資料である.そこで第5章では,この崩壊調査データをもとに,これまで明らかでなかった20年生以下の若齢林を含む詳細な林齢-崩壊面積率の関係を人工林及び天然生林の両者について明らかにした.

 崩壊面積率を算定した結果,植栽前後は小さく,7〜10年生の人工林で7.61%,天然生林で5.04%というピークを持ち,20年生以降の林分に対してはそれぞれ2%あるいは1%の値に低減していく「林齢-崩壊面積率」関係が得られた.

 第6章では,一つの地域に分布する林分の林齢構成とその地域の斜面崩壊発生危険度について,千葉演習林における1970年豪雨時の林齢-崩壊面積率の関係を用いた崩壊面積率指標を提案し,その危険性の推移を検討した.その結果,(1)千葉演習林北西域の1970年以降2010年まで林齢構成(将来部分については伐採無しとして想定)を用いた崩壊面積率指標の推移は,1980年から2000年にかけて危険度の急減を示した.1970年に生じたものと同等の豪雨が現在生じた場合,崩壊面積率が当時の約半分であるという推定結果である.この期間の伐採・新植面積の低下による高齢林分の増加が斜面崩壊の危険度を低下させている.(2)法正林を想定した各林齢の面積が等しい林分構成のモデルを用いて,伐期の長期化と,崩壊発生危険度の低下の関係を調べた.長伐期化は,斜面崩壊の危険度を低下させるが,伐期が60年をこえるとその低下率はわずかとなる.(3)さらに日本全体の人工林面積の推移に対し,同様の方法を適用した結果,第二次世界大戦後の日本の人工林における斜面崩壊発生の危険度は,1980年頃まで高い状態で推移し,それ以降急に低下するという結果を得た.法正林での結果を基準とした場合に,1980年以前は短伐期に相当する危険度であったものが,1990年以降,長伐期の法正林施業に相当するまでに安全な森林となり,2000年以降は,法正林施業の100年輪伐期相当の崩壊危険度よりもさらに安全側に推移するという予測となる.また,これらを通して,この危険度の変化点である1980年代は,土砂災害被害者数が気象災害に占める割合の変化点とも一致しており,戦後の日本の森林の変化の実態が土砂災害被害が変化してきた原因のひとつとして関連付けられる可能性が示唆された.

審査要旨

 本論文は、1970年の豪雨により東京大学千葉演習林内に発生した表層崩壊の調査資料を用いて「林齢と崩壊面積率の関係」を詳細に解析し、その結果をもとに、齢級構成や長伐期化が表層崩壊の発生に及ぼす影響を解明するとともに、戦後の人工林の齢級構成の変化を考慮した、日本の山地における豪雨による表層崩壊発生の危険度の長期変化傾向を分析しようとしたしたものである(第1章)。

 第2章は申請者が本研究を行うきっかけとなった先行研究の成果を記述した部分である。すなわち、近年自然災害の被害者数の減少が漠然と語られている中で砂防や治山が直接関わる土砂災害被害者数の動向を端的に示す災害統計が存在しない点に注目して、過去約50年間の各種災害統計資料を再整理し、豪雨による土砂災害の被害者数の変化を水害を中心とする気象災害の被害者数の変化と比較した。その結果、両者はいずれも減少傾向にあるが、土砂災害被害者数の減少傾向の方が大きく、1970年代に土砂災害被害者数は気象災害被害者数の2/3を占めていたが、1980年代以降2/5に減少していることを明らかにした。

 第3章では、第4章以下の解析に「東京大学千葉演習林内に1970年に発生した豪雨による斜面崩壊」資料を用いるため、まず当該地域の各種自然条件と、関連する既往研究を整理し、さらに同資料に取りあげられている各崩壊について、林齢と降雨条件を考慮して再整理を行い、地形・地質・降雨条件がほぼ同一で、「林齢と崩壊面積率」の詳細な関係を検出するに足る"各種林齢が配置されている地域"が存在することを確認するとともに、崩壊跡地の自然回復過程の追跡が可能であることを見いだした。

 そこで第4章では、1970年に発生した崩壊地のその後の植生回復過程を簡易オルソ化処理を施した5時期の航空写真を用いて追跡した結果、150m2程度の崩壊地では約10年、1500m2程度の崩壊地では約20年で写真上植生が回復したと見なせ、小面積の崩壊地は大面積のものより回復が早い、あるいは細長い形状の崩壊地は丸い形状のものより回復が早い等を明らかにした。

 一方第5章では、降雨条件がほぼ等しい千葉演習林北西地域の1970年崩壊調査データを林齢別に再整理して、人工林と天然生林のそれぞれについて林齢と崩壊面積率の詳しい関係、すなわち、植栽直後は小さく、7〜10年生の人工林で7.61%、天然生林で5.04%のピークを持ち、20年生以降はそれぞれ2%と1%に低減していく林齢-崩壊面積率分布曲線を得た。この結果は、従来漠然と説明されていた林齢と崩壊発生との関係を、広い林齢範囲にわたって具体的な数値として示した最初の例として高く評価できる。

 最後の第6章では、前章で得られた林齢-崩壊面積率分布曲線を仮定し、任意の林齢分布に対して計算可能な「崩壊面積率指標」を定義して、崩壊発生危険度の長期変化傾向を探る3種類のシミュレーションを行った。まず、千葉演習林北西地域の1970年時点の林齢構成を用いて2010年までの当該地域の崩壊発生危険度評価を行い、1980年から2000年にかけて危険度は急減し、1970年豪雨の再来を仮定するとき崩壊面積率は当時の半分程度になると推定した。次に、法正林を想定し輪伐期の長期化に伴う崩壊発生危険度の変化をシミュレーションした結果、伐期の長期化は確実に危険度を低下させるが、伐期が60年を超えるとその低下率はわずかとなることを示した。さらに、1990年の日本全国の齢級別人工林面積分布を用いて第二次世界大戦後の日本の人工林における崩壊発生危険度の変化を推定すると、危険度は1980年頃まで高い状態で推移し、その後急激に低下するという結果を得た。これは第2章で得た土砂災害被害者数の減少割合が気象災害被害者数の減少割合に比べて大きくなった年代と一致しており、戦後の日本の森林の変遷が土砂災害被害者数の変遷に反映されている可能性が示唆された。

 以上要するに本論文は、林齢が表層崩壊発生に及ぼす影響を詳細かつ具体的に示すことに成功するとともに、崩壊発生危険度は齢級構成に強く依存すること、長伐期化は崩壊危険度を低下させること等を明らかにした。さらに本論文は、日本では近年森林の伐採が極端に減少しているが、このことは豪雨に対する山地の安定に大きく寄与していることを示したとも言え、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として十分な価植を有するものと判断した。

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