学位論文要旨



No 114852
著者(漢字) サファイア,ジャスマニ
著者(英字)
著者(カナ) サファイア,ジャスマニ
標題(和) クルマエビの卵黄形成に関する生理学的研究
標題(洋) Physiological studies on vitellogenesis in the kuruma prawn Penaeus japonicus
報告番号 114852
報告番号 甲14852
学位授与日 2000.02.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2079号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 会田,勝美
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 助教授 金子,豊二
 農水省国際農林水産業研究センター 主任研究官 マーシー,ワイルダー
 東京大学 助教授 鈴木,譲
内容要旨

 甲殻類は魚類と共に水産上重要な位置を占めているにもかかわらず,魚類の場合とは異なり,生物としての基本的な機能である生殖や成長(脱皮)現象の制御機構については不明な点がいまだに数多く残されている.甲殻類の中で最も早く大量種苗生産が可能となったクルマエビについても漁獲物から成熟親エビの入手が比較的容易であったために,生殖機構に関する研究は充分には行われてこなかった.近年,親エビの漁獲の減少やウイルスの感染などにより人為的に親エビを養成する必要が生じてきたが,性成熟を促す環境要因や卵黄形成・産卵の内分泌調節機構などの基礎的知見の欠如から有効な成熟促進法を確立するには至っていないのが現状である.

 そこで本研究では,クルマエビの卵黄形成に関する基礎的知見の集積をはかることを目指した.まず第1章では,卵黄蛋白(ビテリン)を精製しその化学的性質を明らかにした.得られたN末端アミノ酸配列により卵黄蛋白前駆物質(ビテロジェニン)cDNAのクローニングを可能とした.第2章では血中ビテロジェニン量の測定法を開発し,成熟に伴う変動を調べた.また,甲殻類では眼柄を切除すると成熟や脱皮が促進されることが知られており,眼柄切除が成熟や脱皮制御機構を研究する良いモデル系になることが予想されたことから,第3章では,眼柄切除により生じる生理学的変化を明らかにし,モデル系としての可能性について考察した.第4章では,ビテロジェニンcDNA情報および第3章における眼柄切除系および自然成熟エビを用いてビテロジェニン産生部位をin situハイブリダイゼーションおよびノザン解析により明らかにした.以下にその大要を述べる.

第1章卵黄蛋白の単離とその化学的性質

 まず成熟したクルマエビの卵巣からゲル濾過,イオン交換クロマトグラフィーにより卵黄蛋白を精製した.精製されたビテリンはnative-PAGEで単一バンドとなり,その分子量はnative-PAGEおよびゲル濾過で約530kDaと推定された.このビテリンをウサギに免疫し抗体を作成した.また精製ビテリンはSDS-PAGEにより91,128および186kDaのサブユニットからなることが分かった.ビテリンをさらに逆層HPLCにかけたところ,91kDaのサブユニットが単離された.なお、他のサブユニットは用いた条件下では溶出されなかった.得られた91kDaサブユニットのN末端アミノ酸配列を求めたところ10,14番目を除いた29残基目まで同定することができた.さらに91kDa蛋白をリジルエンドペプチダーゼで消化し,得られたフラグメントのうちから4フラグメントのN末端アミノ酸配列を明らかにした.

第2章血中ビテロジェニン量の測定系開発と卵巣成熟に伴う変動

 第1章で得られた抗体を用いてELISA法による血中ビテロジェニン量の測定系を作成した.スタンダードには精製ビテリンを使用した.倍々希釈した成熟雌血リンパの反応曲線はスタンダードと平行となった.アッセイ内変動係数は6.0%,アッセイ間変動係数は10.5%であった.また測定範囲は15.6〜1000ng/mlであった.この結果,開発した測定系は充分な精度と測定感度を有することが確認された.

 開発された測定系を用いて成熟に伴う血中ビテロゲニン量を測定した.材料には(社)日本栽培漁業協会百島事業所および沖縄の養殖場で飼育されたクルマエビを用いた.それぞれの個体の成熟状態は卵巣組織切片を作成したうえで最も成熟が進んだ卵母細胞の発達ステージとした.前卵黄形成期の個体ではビテロジェニン量は低値であったが内因性卵黄形成期の個体では高値を示す個体が出現し,前期外因性卵黄形成期の個体で最も高値となり,後期外因性卵黄形成期ではほぼその値が維持されることが分かった.この結果,血中ビテロゲニン量は卵黄球が現れる外因性卵黄形成期より以前に増加することが明らかとなった.

第3章卵巣成熟,血中ビテロジェニン量,脱皮および成長に及ぼす眼柄切除の影響

 未熟な雌クルマエビを眼柄切除群(18尾)と対照群(7尾)に分けた後,眼柄を切除した.血中ビテロジェニン量および血糖値を測定するため切除前,切除1,2,3週後に同一個体より繰り返し採血を行った.なお切除群では切除直後に2尾,脱皮後に5尾が死亡した.また対照群では開始5日目に1尾が死亡した.

 切除群は16尾中15尾が脱皮したが,対照群は6尾中3尾しか脱皮しなかった.脱皮に要した日数は切除群が12.5日,対照群が13.0日であった.この結果,眼柄切除により脱皮は促進されるが,脱皮に要する日数は変わらないことが分かった.

 切除群では卵黄蓄積が著しく進み3週間後の実験終了時にGSIは6%に達したが,対照群では0.22%であった.各群で脱皮した個体としなかった個体間でGSIに差は無かった.組織学的観察の結果,切除群では6尾が卵黄蓄積を終了し表層胞が出現した卵母細胞を持ち,4尾が後期卵黄形成期,1尾が前期卵黄形成期の卵母細胞を持っていたが,対照群では卵黄球の蓄積は認められなかった.血中ビテロジェニン量は眼柄切除群で1週間後から増加し始め,その後3週目にかけて急増した.一方,対照群では低値のままであった.

 実験開始時と終了時の体重を比較したところ切除群は対照群に比して3倍以上の増加率を示した.それぞれの群では脱皮した個体としなかった個体で差は無かった.また,比肝重値は実験終了時において切除群の方が低値を示した.血糖値は切除群で切除1週間後に半減し,3週後までその値が維持された.

第4章In situハイブリダイゼーション法によるビテロジェニン産生部位の同定

 第1章で得られた91kDaサブユニットのN末端アミノ酸配列(29残基)をちとに,所属研究室においてcDNAがクローニングされた.これをもとにcDNAプローブを作成してノザン解析を,またcRNAプローブを作成してin situハイブリダイゼーションを行いビテロジェニン産生部位の同定を試みた.併せてビテリン抗体を用いた免疫染色も行った.

 材料としては,眼柄を切除し成熟させた雌クルマエビとその対照群(切除前,1,2.3週後サンプリング)および日本栽培漁業協会百島事業所で飼育し各成熟段階(GSI1〜8%)にある雌クルマエビを用いた.

 切除群では切除前はGSI0.25%,1週間後1.36%,2週間後2.37%,3週間後6.19%と順調に増加したが,対照群では増加がみられなかった.ノザン解析の結果,切除群の卵巣内のビテロジェニンmRNA量は1週間後には有意に増加し,2週間後には最高値となり,3週後には1週後の値に戻った.in situハイブリダイゼーションの結果,切除1週間後の個体では内因性卵黄形成期の卵母細胞が出現し,これを取り囲む濾胞組織にシグナルが認められた.2週後の個体では前期外因性卵黄形成期の卵母細胞が出現し,これを取り囲む濾胞組織と内因性卵黄形成期の卵母細胞の濾胞組織に強いシグナルが認められた.3週後になると卵母細胞は後期卵黄形成期の卵が主体となり,濾胞組織は薄くなりシグナルも弱くなった.自然成熟した個体でも同様な結果が得られた.肝膵臓では切除1週後の内因性卵黄形成期の個体で弱いシグナルが,2,3週後の外因性卵黄形成期の個体で強いシグナルが認められた.自然成熟した個体でも同様な結果が得られた.他の組織ではシグナルは認められなかった.この結果,クルマエビではビテロジェニンは成熟開始と共に卵巣の濾胞組織と肝膵臓の両者で作られることが明らかとなった.

 以上,本研究ではクルマエビの卵巣からビテリンを単離して化学的性質を明らかにすることにより,ビテロジェニンcDNAのクローニングを可能とし,その成果を用いてビテロジェニン産生部位を明らかにした.分子生物学的手法によりビテロジェニンの産生部位を明らかしたのは本研究が甲殻類では初めてである.またビテロジェニンの測定法を確立し,成熟に伴うその動態を明らかにした.さらに眼柄切除が成熟および脱皮制御機構を研究する良いモデル系であることを明らかにした.

審査要旨

 甲殻類は魚類と共に水産上重要な位置を占めているにもかかわらず,魚類の場合とは異なり,生物としての基本的な機能である生殖や成長(脱皮)現象の制御機構については不明な点がいまだに数多く残されている.甲殻類の中で最も早く大量種苗生産が可能となったクルマエビについても漁獲物から成熟親エビの入手が比較的容易であったために,生殖機構に関する研究は充分には行われてこなかった.近年,親エビの漁獲の減少やウイルスの感染などにより人為的に親エビを養成する必要が生じてきたが,性成熟を促す環境要因や卵黄形成・産卵の内分泌調節機構などの基礎的知見の欠如から有効な成熟促進法を確立するには至っていないのが現状である.そこで本研究では,クルマエビの卵黄形成に関する基礎的知見の集積をはかることを目指した.その大要は以下の通りである.

1.卵黄蛋白の単離とその化学的性質

 まず成熟したクルマエビの卵巣からゲル濾過,イオン交換クロマトグラフィーにより卵黄蛋白(ビテリン)を精製した.精製されたビテリンの分子量は約530kDaと推定された.このビテリンをウサギに免疫し抗体を作成した.また精製ビテリンは91,128および186kDaのサブユニットからなることが分かった.さらに逆層HPLCで91kDaのサブユニットを単離し,N末端アミノ酸配列を求めたところ10,14番目を除いた29残基目まで同定することができた.

2.血中ビテロジェニン量の測定系開発と卵巣成熟に伴う変動

 前章で得られた抗体を用いてEIA法による血中ビテロジェニン量の測定系を作成した.倍々希釈した成熟雌血リシパの反応曲線はスタンダードと平行となった.アッセイ内変動係数は6.0%,アッセイ間変動係数は10.5%で,測定範囲は15.6〜1000ng/mlであった.この結果,開発した測定系は充分な精度と測定感度を有することが確認された.

 血中ビテロジェニン量は前卵黄形成期の個体では低値であったが内因性卵黄形成期の個体では高値を示す個体が出現し,外因性卵黄形成期前期の個体で最も高値となり,後期ではほぼその値が維持されることが分かった.この結果,血中ビテロジェニン量は卵黄球が現れる外因性卵黄形成期より以前に増加することが明らかとなった.

3.卵巣成熟,血中ビテロジェニン量,脱皮および成長に及ぼす眼柄切除の影響

 未熟な雌クルマエビを眼柄切除群と対照群に分けた後,眼柄を切除した.血中ビテロジェニン量および血糖値を測定するため切除前,切除1,2,3週後に同一個体より繰り返し採血を行った,この結果,眼柄切除により脱皮は促進されるが,脱皮に要する日数は変わらないことが分かった.切除群では卵黄形成が著しく進み実験終了時GSIは6%に達したが,対照群では0.22%であった,切除群では全ての個体が外因性卵黄形成期あるいは卵成熟期に達していたが,対照群では卵黄球の蓄積は認められなかった.血中ビテロジェニン量は眼柄切除群で1週間後から増加し始め,その後3週目にかけて急増した.一方,対照群では低値のままであった.実験開始時と終了時の体重を比較したところ切除群は対照群に比して約4倍の増加率を示した.血糖値は切除群で切除1週間後に半減し,3週後までその値が維持された.

4.In situハイブリダイゼーション法によるビテロジェニン産生部位の同定

 91kDaサブユニットのN末端アミノ酸配列をもとに,所属研究室においてcDNAがクローニングされた.これをもとにcRNAプロープを作成して各成熟段階にある雌クルマエビの各組織を用いてin situハイブリダイゼーションを行いビテロジェニン産生部位の同定を試みた.その結果,クルマエビではビテロジェニンは成熟開始とととに卵巣の濾胞組織と肝膵臓の両者で作られることが明らかとなった.

 以上,本研究は,クルマエビの卵巣からビテリンを単離してN末端アミノ酸配列を明らかにすることにより,ビテロジェニンcDNAのクローニングを可能とし,その成果を用いてビテロジェニン産生部位を明らかにするとともに,ビテロジェニンの測定法を確立して,成熟に伴うその動態を解明し,さらに眼柄切除が成熟機構を研究する良いモデル系であることを明らかにしたもので,学術上,応用上貢献するところが少なくない,よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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