学位論文要旨



No 114854
著者(漢字) 原口,悟
著者(英字)
著者(カナ) ハラグチ,サトル
標題(和) 古伊豆小笠原・マリアナ弧(九州パラオ海嶺と伊豆小笠原・マリアナ弧前弧域)の初期島弧性及びリフト性火成活動
標題(洋) Early arc and rifting volcanism in the paleo-Izu-Ogasawara-Mariana arc(Kyushu-Palau Ridge and Izu-Ogasawara-Mariana forearc region)
報告番号 114854
報告番号 甲14854
学位授与日 2000.02.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3687号
研究科 理学系研究科
専攻 地質学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石井,輝秋
 東京大学 教授 玉木,賢策
 東京大学 教授 中田,節也
 東京大学 助教授 徳山,英一
 東京大学 助教授 岩森,光
内容要旨

 四国海盆拡大前の「古伊豆小笠原弧」の初期島弧性火成活動は、四国海盆の拡大により伊豆小笠原弧前弧域と九州パラオ海嶺に分かれて分布している。東側ではその後の火成活動により大部分が埋没しているのに対し、西側では古い火成活動がそのまま保存されていると考えられる。古伊豆小笠原弧は典型的な海洋性島弧であったと考えられ、本研究では伊豆小笠原海域とともに九州パラオ海嶺の火山岩も詳細に解析することによって、四国海盆拡大以前の初期島弧性火成活動を始めとする古伊豆小笠原弧の火成活動の特徴を明らかにし、その活動史の復元を試みる。

 淡青丸KT95-9航海で小笠原海嶺南部から採取した火山岩を全岩・鉱物組成から「Low-Mg tholeiite(LMT)」と「High-Mg tholeiite(HMT)」に区分した。複輝石の共存温度は前者が高く、後者が低い。また、斜長石のAn成分含有量は前者が低く、後者が高い。従って前者は高温で水の含有量の少ないマグマ、後者は低温で水の含有量の多いマグマであると考えられる。全岩組成ではLMTとHMT、そして父島のボニナイトを加えた3系列はTiO2を含むHFSE濃度がLMTが高く、HMT、ボニナイトの順で低くなる変化を示す。また、微量元素のN-MORB規格化、REEのコンドライト規格化、各種元素のFMM(Fertile MORB Mantle)規格化パターン(Pearce and Parkinson,1993)にも違いが認められ、これらのパターンから各々の系列マグマを生じた元のマントルの枯渇度と部分溶融度をPearce(1982)、Pearce and Parkinson(1993)の手法で求めた結果は順に以下のとおりである。LMT:数%以下のマントルの枯渇;20-25%の部分溶融・HMT:10-15%;5%・ボニナイト:20%以上;10%程度。LMTとHMTの放射年代は従来小笠原地域で得られていた火山岩の年代に類似しており、小笠原地域の初期島弧性火成活動はマントルの枯渇度の違いに基づくLMT、HMT、ボニナイトの3系列の活動が前弧域で並行して起こっていたと考えられる。

 伊豆弧前弧域ODP Leg125 Site786の火山岩は従来ボニナイト系列の分化物とされ、Low-Ca,intermediate-Ca,high-Ca bonioniteの3系列に区分されていた(Arculus et al.,1992等)が、再検討の結果、岩相的には大部分を占めるintermediate-Ca boniniteの噴出岩中にソレアイト系列の岩石を見い出した。つまりガラス質で斑晶量、特に輝石が少なく、斑晶サイズもの小さいソレアイト系列と、石基の変質が比較的進んでいて斑晶量、特に輝石が多く、斑晶サイズが大きく、各鉱物の累帯構造が顕著なボニナイト系列である。鉱物組成は前者は複輝石の共存温度が高く、複輝石とともに斜長石の組成分布も単純であるのに対し、後者は複輝石の共存温度が低くて斑晶組成の幅が広く、特に斜方輝石にMg量の高いものが存在するという父島等のボニナイト系列に類似した特徴を持つ。両者はMgO、Al2O3量に顕著な差が認められるが、HFSE量は非常に低いとともにその差はごく小さく、REEパターンもともに全体が枯渇したボニナイト系列に独特のものである。このため、親マントルはともに枯渇度の高いマントルで部分溶融の割合も類似しているがマントル中の水の量の違いがマグマ組成の違いをもたらしたと考えられる。このような幅広い組成の火成活動を特徴とする初期島弧性火成活動は40Ma頃に終息し、これ以降はソレアイトに加え、カルクアルカリの島弧性火成活動が始まったと考えられる(Taylor,1992)。そしてこの活動も29Ma頃に衰えた(Hickey-Vargus and Reagan,1987)。

 九州パラオ海嶺北部は1970年代のGDP航海で調査が行われ、駒橋第二海山山頂部から珪長質の深成岩が報告された。淡青丸KT95-9、KT98-19の各航海では同地域の火山体内部からの岩石採集に重点を置いて調査を行い、駒橋第二海山からは中性-酸性の噴出岩及び深成岩、それ以外の海山からは玄部岩質から安山岩質の火山岩を採取した。

 駒橋第二海山の深成岩は黒雲母-角閃石トーナライトと角閃石トーナライトに分けられ、組織は完晶質でcumulate textureは認められない。HFSEは小笠原のHMTに類似した濃度を示すが、K2Oを含むLILE濃度は本論文で扱った火成岩中で最も低く(0.2-0.6%)、類似したものがない。また、REEパターンは全岩組成が分化するとともに全体のレベルが上昇し、Euの負異常が顕著になるという系統的な変化が認められる。これは玄武岩質マグマからの結晶分化によって深成岩体が形成されたためと考えられる。これらの岩石は約38Ma(K-Ar及びAr-Ar法による)を示し、伊豆小笠原前弧域の初期島弧性火成活動が終わってからの島弧性火成活動によるものである。

 フィリピン海プレート内の類似の深成岩体として四国海盆拡大後の火成活動による産物である丹沢複合深成岩体がある。丹沢と駒橋第二のトーナライトを比較すると、その主体は前者は黒雲母を含み(滝田・1974など)、後者は黒雲母を含まないという違いがある。また、前者はK2Oを含むLILE濃度が低い(Kawate and Arima,1998等)が、後者はさらに濃度が低い(SiO2=62%でK2Oは前者が0.5-0.6%、後者は0.2-0.5%)。前者はSiO2量が62%でHFSE、REE量のトレンドが変化しており、SiO2量の低い岩石にはcumulate textureが認められることからSiO2量が62%の初生マグマから結晶分化と鉱物集積によってこの深成岩体が形成され、マグマの起源は玄武岩質の下部地殻の部分溶融を考えている(Kawate and Arima,1998)。これに対して後者はSiO2量が55%より低い玄武岩質のマグマの結晶分化により形成されたと考えられ、初生マグマの起源としてマントルの部分溶融が考えられる。

 その他の火山岩類は単斜輝石玄武岩がほとんどで、複輝石玄武岩-安山岩は最北端の宮崎海山にのみ確認された。また、最北端に近い日南海山の火山岩は全岩組成的にはアルカリ系列に属している。複輝石火山岩はソレアイト系列で複輝石の共存温度は高温を示し、全岩主成分はLMTに類似している。

 九州パラオ海嶺北部の火山岩類は系列にかかわらず液相濃集元素がLILE、HFSEともに伊豆小笠原弧前弧域の火山岩、九州パラオ海嶺中部のDSDP Leg59Site448の火山岩に対して2倍から5倍の濃集を示すのが特徴である。小笠原海域の初期島弧性火成活動と同様MORB・コンドライト・FMM規格化パターンからマグマ活動を考察すると、これらの火成活動はいずれも親マントルは小笠原のLMTよりもさらに肥沃なマントルで、部分溶融度は日南海山のアルカリ岩は1%程度、宮崎海山の複輝石火山岩は数%程度、その他の火山岩は5%から10%程度だったと考えられる。火山岩の年代はほぼ一律に約24Maが与えられており、この年代は四国海盆拡大開始(25Ma;Kobayashi and Isezaki,1978)に近いことからこれらの火成岩類は背弧海盆の拡大に関係したと考えられる。

 伊豆小笠原弧前弧域の初期島弧性火成活動ではマントルの枯渇度の違いに基づくLMT、HMT、ボニナイトの3系列の活動が並行して起こっていたと考えられるが、これはウエッジマントルの組成が不均質であったためであろう。Scott and Stebenson(1989)は海洋性島弧の活動の場となる海洋プレートの上部マントルはプレート形成時に中央海嶺で上部ほど大量のマグマを放出したために枯渇しており、深くなるとともにその影響が弱まって枯渇度が小さくなる層状の構造を成していると考えたが、Tatsumi(1981,1982)等の岩石溶融実験との比較とも調和しており、上部からボニナイト系列、中部からHMT、下部からLMTが生じたと考えられる。また、Site786のボニナイト系列とソレアイト系列は同じ親マントルから生じたと考えられ、このようなマントルから対照的な組成のマグマを生じるモデルとして、スラブからの流体の供給量が不均一で、同じ枯渇度を持つマントルの層から水の量に差のあるマントルダイアビルが独立して生成した、あるいは水を含むマントルダイアピルがウエッジマントルの高温領域を上昇する時の加熱により高温で水の少ない外殻を作る(Tamura,1994)、というモデルも考えられる。

 ボニナイト系列等の伊豆小笠原弧の初期島弧性火成活動は、従来太平洋プレートの移動方向の転換(43.5Ma;Clauge and Darlymple,1973等)の結果、トランスフォーム断層が沈み込み帯に転化して開始した(Uyeda and Ben-Avraham,1972など)とされていた。しかし、Seno and Maruyama(1984)は父島の岩脈の研究から四国海盆拡大以前の伊豆小笠原弧は北西-南東方向に伸び、さらに北東からの沈み込みを指摘し、この沈み込むプレートを「北ニューギニアプレート」と名付けた。最近のAr-Ar法によると伊豆から小笠原、マリアナを経てパラオに至る前弧域の火山岩は一様に50Maから45Maの年代を示し(Cosca et al.,1998)、また、本研究でも小笠原のHMTが45.0Maの年代を示すことから、古伊豆小笠原弧では43.5Ma以前に沈み込みによる島弧性火成活動が開始していたと考えられる。

 九州パラオ海嶺北部の火山岩類の液相濃集元素は古伊豆小笠原の他の火山岩に比して高い濃集を示すのが特徴で、親マントルは小笠原のLMTよりもさらに肥沃なマントルであると考えられる。また、火山岩の年代は約24Maを示し(Ishizuka,pers.comm.)、この年代は四国海盆拡大開始(Okino et al.,1994など)に近い。背弧海盆が拡大する時には非島弧性のマントルプルームの上昇により拡大が起こると指摘されている(Tatsumi and Tsunakawa,1992)が、これらの火山岩はこのプルーム性マントルによる火成活動により形成されたと考えられる。

 以上の考察から四国海盆拡大までの古伊豆小笠原弧の火成活動は以上のような経過をたどったと考えられる。

 (1)古伊豆小笠原弧の島弧性火成活動は海洋プレート上での北東方向からの北ニューギニアプレートの沈み込みにより50Ma頃に始まった。当初はウエッジマントルが高温であり、前弧域で各種ボニナイト系列、ソレアイト系列等広い組成範囲のマグマを生じたが、スラブによる冷却のため前弧域の火成活動は40Ma頃に終息した。

 (2)40Ma以降はソレアイト系列の火成活動とともにカルクアルカリ系列の火成活動が始まり、同質の深成岩体も形成された。この活動は29Maごろに衰えた。

 (3)25Ma頃から高温のマントルプルームの上昇によるリフト性の火成活動により四国海盆の拡大が始まった。

審査要旨

 本論文は研究船淡青丸のドレッジおよび国際深海掘削(ODP)により、伊豆小笠原弧と九州パラオ海嶺から採取した多数の火成岩試料の岩石学的、鉱物学的解析を行い、四国海盆拡大以前の初期島弧性火成活動の特徴を明らかにしたものであり、全部で10章からなる。

 始めの4章では研究史、研究目的と研究の意義など、本研究の位置付けと、試料採集海域の全般的な地質の説明、研究方法が述べられている。四国海盆拡大前の第三紀の「古伊豆小笠原弧」の初期島弧性火成活動は、四国海盆の拡大により現在の伊豆小笠原弧前弧域と九州パラオ海嶺に分離して分布している。地形学的、地球物理学的調査研究は比較的進んでいるものの物質科学的解析に基づく系統的研究はあまり行われていない。申請者は豊富な岩石試料解析に基づき、この海域の第三紀の火成活動の解明を目的とした系統的な海底火山岩の採集、岩石学的、鉱物化学的研究を行い、その特色を明らかにした。

 第5章、第6章は伊豆小笠原前弧域の岩石研究の章であり、詳細な岩石試料観察に基づく新知見を提示している。第5章では小笠原海域産火山岩を全岩・鉱物組成から「Low-Mg theleiite(LMT)と「High-Mg tholeiite(HMT)」を区分した。輝石の共存温度から求めたマグマの温度は前者が高く、後者が低い。また、斜長石のAn成分含有量は前者が低く、後者が高い。したがって前者は高温で水の含有量の少ないマグマ、後者は低温で水の含有量の多いマグマであることを示した。全岩組成ではLMTとHMT、そして父島のボニナイトの3系列はTiO2を含むHFSE濃度がLMTが高く、HMT、ボニナイトの順で低くなる変化を示す。また、微量元素の濃度の比較から各々の系列マグマを生じた元のマントルの枯渇度はこの順に上昇、一方、部分溶融度は逆に減少することを示した。第6章では伊豆弧前弧域ODP Leg125 Site786のボーリング試料についての新たな発見について述べている。従来このSiteの火山岩は全てボニナイト系列の分化物とされていたが、詳細な観察の結果新たにソレアイト系列の岩石を区分した。鉱物組成はソレアイトは輝石の共存温度が高く、輝石とともに斜長石の組成分布も単純であるのに対し、ボニナイトは輝石の共存温度が低くて斑晶組成の幅が広いという特徴を持つ。全岩組成の性質から親マントルはともに枯渇度の高いマントルで部分溶融の割合も類似しているが、マントル中の水の量の違いがマグマ組成の違いをもたらしたと議論した。

 第7章、第8章は九州パラオ海嶺の岩石研究の章であり、質の高いデータによる検討が加えられている。九州パラオ海嶺北部の淡青丸航海では同地域の火山体内部からの岩石採集に重点を置いて調査を行い、駒橋第二海山からは中性-酸性の噴出岩および深成岩、それ以外の海山からは玄武岩質から安山岩質の火山岩を採取した。第7章で述べている駒橋第二海山の深成岩はK2Oを含むLILE濃度が低く(0.2-0.6%)、REEは分化に伴い濃度が上昇し、Euの負異常が顕著になるという変化を示す。これは玄武岩質マグマからの結晶分化によって岩体が形成されたためと考えられ、初生マグマの起源としてマントルの部分溶融を考えた。第8章で触れられているその他の海山の火山岩類は単斜輝石玄武岩がほとんどであり、液相濃集元素がLILE,HFSEともに伊豆小笠原弧前弧域の火山岩、九州パラオ海嶺中部のDSDP Leg59 Site448の火山岩に比して2倍から5倍の濃集を示すのが特徴である。これらの火成活動はいずれも肥沃なマントルに由来するもので、部分溶融度はかなり低く(1%〜10%程度)、火山岩の年代はほぼ一律に約24Maが与えられており、これらの火成岩類は背弧海盆の拡大に関与したと結論された。

 第9章、第10章は議論とまとめの章である、文献による火成岩年代を加味して「古伊豆小笠原弧」の形成モデルを提案している。伊豆小笠原弧前弧域の初期島弧性火成活動ではマントルの枯渇度の違うLMT、HMT、ボニナイトの3系列が平行して起こっていたことが示されたが、これを基にウエッジマントルの組成が深さとともに枯渇度が小さくなるマントルの層状のモデルを提出した。ボニナイト系列等の伊豆小笠原弧の初期島弧性火成活動は従来太平洋プレートの移動方向の転換の結果、トランスフォーム断層が沈み込み帯に転化して開始したとされていたが、最近のAr-Ar法によるとマリアナを経てパラオに至る前弧域の火山岩は一律に50Maから45Maの年代を示すことから、43.5Ma以前に沈み込みによる島弧性火成活動が開始していたと考えた。更に、九州パラオ海嶺北部の火山岩類の親マントルは肥沃なマントルであり、背弧海盆が拡大する時の非島弧性のマグマの活動により形成されたことを示した。

 以上の考察から四国海盆拡大までの古伊豆小笠原弧の火成活動について以下のモデルを提出した。(1)古伊豆小笠原弧の島弧性火成活動は海洋プレート上での北東方向からのプレートの沈み込みにより50Ma頃に始まった。当初はウエッジマントルが高温であり、前弧域でボニナイト系列、2種のソレアイト系列等のマグマを生じたが、スラブによる冷却のため前弧域の火成活動は40Ma頃に終息した。(2)40M以降はソレアイト系列の火成活動とともにカルクアルカリ系列の火成活動が始まり、同質の深成岩体も形成された。この活動は29Ma頃に衰えた。(3)25Ma頃からリフト性の火成活動により四国海盆の拡大が始まった。

 詳細な鉱物学的・岩石学的データに基づき、「古伊豆小笠原弧」の岩石学的特色・制約条件を明確に示し、岩石成因モデルを提示した。そしてそれを加味した「古伊豆小笠原弧」の初期島弧性火成活動を復元しようとする申請者のモデルはオリジナリティーが高く、この海域に限らず縁海を伴う島弧・海溝系の初期火成活動の理解に大きく貢献しうる。よって審査委員会は全員一致で申請者に博士(理学〉を授与できると認める。

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