集団中に多層構造を仮定するモデル(多水準淘汰)を用いて、協力が進化するための条件を考察した。本論文で得られた重要な知見は、以下のことである。すなわち、多水準淘汰メカニズムによって協力が進化しうるためには、群の継続的な分裂が必要である。その分裂に際しては、できるかぎり協力者は協力者同士、非協力者は非協力者同士集まる傾向があることが望ましい。この傾向は、"選り好み指数"として指標化することが可能である。ここでいう選り好み指数は、社会全体がもつマクロな特性である。そしてこの指標を使うことにより、先行研究において静的なものとしてとらえられていた内輪づきあいという概念の重要性を、動的な角度から再評価することが可能になる。このことを社会科学的にみれば、協力が進化するためには、協力者が非協力者を不断に排除する、もしくは定期的に交際範囲を見直すことによって彼らとつき合わないようにする、何らかの傾向が社会に存在することが重要である、ということがいえる。 以下論文の各章にそって、詳細を述べる。 まず、問題設定について。本論文で考察する"協力の成立可能性(進化)"問題とはつぎのようなものである: 「(1)2つの行動様式C(協力),D(非協力)があり、個別に相互作用すればDのほうが有利である。(2)ゆえに集団中のシェアとして見た場合、自然な流れに任せておけば、Dが主流になるはずである(個体選択均衡)。(3)しかし、集団中の全員がCをとった場合に各人が得るものは、集団中の全員がDをとった場合に各人が得るものよりも多い。このとき個体選択均衡以外の状態(=Cが主流になる)が実現するためにはいかなる条件が必要か」。ここで(3)、すなわち集団にとってのよさ(悪さ)とは、その集団に属するすべての個人に分割不可能な形でもたらされることが重要である。このため、少なくとも集団内においては集団にとってのよさに貢献した個人が報われることがない。しかし、集団相互で比較した場合、そこに競争が働くならば、間接的にではあれそうした個人が競争上有利に立つ可能性が出てくるかもしれない。本論文で扱う多水準淘汰モデルは、こうした考え方を具体化したものである[第1章第1節,以下1.1のように略記する]。 社会科学において、協力の進化問題を最初に本格的に扱ったのは、Axelrodである。彼の研究からは2つの示唆が得られる。第一に、彼が導入した繰り返しゲームにおける"Tit for Tat"戦略の優位性は、上記定義中の"個体の相互作用レベルでの自然な流れ"を変える解決法であり、本論文の問題設定にはそぐわない。第二に、内輪づきあいの重要性に関する彼の指摘は、本論文においても有用である。これは、"協力は非協力と対戦すると不利だが(個人にとっての悪さ)、協力同士で対戦すれば有利である(集団にとってのよさ)"という協力の成立可能性問題の前提を、有効に生かす道だからである[1.2]。 内輪づきあいの具体的メカニズムとしては、さまざまなものが考えられ、これまで研究されてきた。本論文で扱う多水準淘汰モデルは、このうち、エージェントが高度な個体識別能力をもつことを絶対条件とせず、厳格な空間的構造も要求しないタイプの、柔軟かつ一般的な内輸づきあいモデルと位置づけることができる[1.3]。 つぎに、本論文における進化のとらえ方について。進化の本質についてはさまざま考え方があるが、本論文では特に、以下のようなある種の論理形式としての側面に着目して、議論を組み立てている。すなわち、"自己複製されていく複数の情報が、環境与件から生じる変化法則にしたがって、集団におけるシェアを変化させていく力学系"。進化を論じる際には、均衡に至るまでの変化過程と均衡に至ったあとの安定性がともに重要であるが、本論文では前者に的を絞って、進化の動的側面を中心に考えていくことにする[2.1]。 なお、進化と社会科学との関係についても、これまでさまざまな議論が存在した。そのうち、記述的研究としてみた場合重要なのが、生物学的遺伝メカニズムと文化進化との関係である。この問題は今後生物学者によって急速に解明が進むものと期待されるが、本論文では上記のように進化を論理として考えるという立場をとるため、その詳細なメカニズムを前提にする必要は、少なくとも本論文に関するかぎりは存在しない[2.2]。 本論文で扱う多水準淘汰論とは、単に、群という個体より上位のレベルで選択が働く、という素朴な考え方に基づくものではない。本論文で扱う現代的な多水準淘汰論は、進化を自己複製されていく情報の力学系ととらえるとしても、個体に限らず進化のさまざまな階層で、同時に選択が起こることは、理論的に不思議ではない、という論理的基礎に基づいている[3.1]。 多水準淘汰モデルの先行研究である集団遺伝学モデルは、進化を確率過程としてとらえ、その定常状態において協力が優占するためのパラメータ間関係を、数学的に厳密に導出した。しかし、このモデルにおいては、諸パラメータの具体的由来が不明であり、かつ定常状態という数学的状態が具体的な現象(特に社会科学的な現象)にどのように対応し、どのような意味を持つのかも、明確でない[3.2]。 一方、多水準淘汰モデルのもう1つの代表的な先行研究である離合集散モデルは、多水準淘汰において協力が進化するためには、群の継続的分裂が重要であることを指摘した。しかし、このモデルは、まず進化を力学系としてとらえておらず、時間性の考慮が欠落している。また、群の離合集散と協力の進化との関係を、定量的・定性的に証明したものにはなっておらず、それを分析するための枠組みとしてすら、利用できるものになっていない[3.3]。 以下、本論文のモデルの本論に入る。本論文のモデルでは、囚人のジレンマ型の利得行列に基づき、力学系のシステム方程式を具体的に定式化し、実際の変化過程を分析している。その結果、まず得られた知見は、多水準淘汰によって協力が中長期的に進化するためには、群が継続的に分裂するという仮定が不可欠である、ということである。これは、協力が競争上有利になるのは群同士の競争においてのみだが、群同士の競争が有効に作用するには、協力者の比率のちがう群が一定数存在し続けることが不可欠だからである。多水準淘汰メカニズムには、それが成功して協力者比率の少ない群が絶滅するにつれて、肝心の群の多様性が失われ、自らが有効に働く条件を失うという根本的な緊張関係が存在する[4.1]。 さて群が分裂する際、ただ分裂するだけではなく、分裂の具体的なメカニズム、特に分裂後の2つの群における協力者比率の構成比を決める具体的な方法、が重要である。もしこれがランダムに決まると仮定するならば(ランダム分裂)、各群の個体数が十分少ない場合に限り、協力の進化にとって有効である。それに対して、協力者のみ、および非協力者のみからなる純粋な2群に分裂するとするならば(選択分裂)、ほぼ無条件で協力の進化は成功する[4.2]。 なお、選択分裂のような仮定をおくことは、協力の進化という結論を先取りしたものではない。というのは、個々の群の分裂において協力の進化にとって有利に見える現象がおこったからといって、それらの群が多数集まった全体システムにおいて、同じ傾向が保存されるとは限らないからである。この間の定量的関係を明らかにすること自体が、数理的に解明されるべき問題なのである[4.3]。 さて、ランダム分裂と選択分裂は、群の分裂が協力の進化に与える効果において両極端のモデルと考えられるが、一般にこの2つの極端の間をつなぐ、連続スペクトルを考えることができる。すなわち分裂において、協力者は協力者同士、非協力者は非協力者同士固まりやすい傾向を表す実数値関数である。本論文ではこれを選り好み指数と名づける[5.1]。 選り好み指数は人口集団全体としてのマクロな傾向性だが、個々の群の分裂においては、分裂後の実際の協力者比率はある程度確率的に決まると考えるほうが、モデルとして柔軟性と汎用性がある。そこで、個々の分裂において、選り好み指数から予測される構成比からずれる度合いの大きさを、理論的に制御するためのパラメータを定義し、これをコンティンジェンシーと名づけた[5.2]。 選り好み指数とコンティンジェンシーを制御パラメータとしてシステムの動態をシミュレートすると、一般に選り好み指数が大きいほど、そしてコンティンジェンシーが小さいほど、協力は進化しやすいことが確認できる。これは本論文で導入したこの2つの理論パラメータが、多水準淘汰による協力の進化を論じるにあたって、期待通りの役割を果たすことを意味している[5.3]。 以上の本論文の分析の意義を、多水準淘汰論の先行研究との関係において整理するならば、集団遺伝学に対しては、具体的利得構造に基づき、変化の過程を検討したことが、本論文のモデルの意義である。一方離合集散モデルに対しては、群の継続的分裂が協力の進化に与える影響を、定量的に証明したことが、本モデルの意義である[6.1]。 また協力の成立可能性問題に対する本論文のモデルの意義を一言で言うとすれば、それは、多水準淘汰によって協力が進化するための理論的条件、特に群の分裂が与える影響を、定量的に定式化したことである。その社会科学的な意味は2つある。第一は、本論文のモデルは、Axelrod以来強調されてきた内輪づきあいが、ある時点で存在するのみならず、継続的におこる(更新されていく)ことの重要性を指摘したこと。第二は、社会の状態を表すマクロのパラメータとして、選り好み指数やコンティンジェンシーといった概念を、数学的に使いうる形で導入したことである[6.2]。 最後に、本論文のモデルの限界は、選り好み指数やコンティンジェンシー自体が、進化の産物として説明できる可能性を考慮していない点である。これは本論文の直接の延長線上にある、今後の課題である[6.3]。 |