学位論文要旨



No 114859
著者(漢字) 李,貞満
著者(英字)
著者(カナ) イ,ジョンマン
標題(和) 戦後日本の地方財政調整政策 : その決定過程と帰結
標題(洋)
報告番号 114859
報告番号 甲14859
学位授与日 2000.03.02
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第237号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,彌
 東京大学 教授 山本,泰
 東京大学 助教授 道垣内,弘人
 東京大学 助教授 加藤,淳子
 政策研究大学院大学 助教授 辻,琢也
内容要旨

 戦後日本において地方財政調整資金の総額決定及び配分に関わる主要な決定権は、中央政府によって握られており、その資金の利用についても自治体の自律性は制約されてきた。その一方、地方支出経費については完全補てんに近い財政調整が行われてきた。こうした点で、戦後日本の地方財政調整政策を「集権的財源補てん型」と呼ぶことができる。

 戦後日本の地方財政調整において「集権的」な側面とともに、「財源補てん的」な側面が同時に現れているという、この二面的な特質がなぜ戦後を通して次第に拡大・深化されてきたかについては、従来の研究は必ずしも十分納得のいく説明を与えているとはいえない。

 この地方財政調整政策の中心アクターは「超ミニ官庁」といわれる自治省である。自治省についての既存研究は、自治省の役割について地方の「代弁と統制」という二面的な役割を担ってきたという点でほぼ共通している。が、自治省がなぜそのような相反する行動をとってきたかについては、「省益」という暗黙的な前提をおいてはいるが、自治省の行動の決定要因についての説明は必ずしも明確になされているとはいえない。

 本稿は、自治省が地方財政調整政策の決定過程において組織的・制度的制約の中でどのように組織目標を実現してきたかを分析することによって、自治省の二面的な行動が、どのような要因によって生じており、それが「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策といかに結びついてきたかを明らかにすることをねらいとしている。

 「自治省設置法」によれば、自治省の組織任務は「地方自治の本旨の実現」と定められている。しかし、地方交付税や地方債の運営をめぐる権限及び財源の確保は、自治省全体の組織利益にとって最も重要なものであったといえる。自治省の組織目標が、中央政府からの移転財源の確保に重点が置かれていることは、それらの移転財源を主に扱う財政局が自治省内で主導的な位置を占めていることを見ても明確である。

 こうした組織目標の実現を図る自治省の行動は、地方財政調整政策の決定をめぐる組織関係によって制約を受けている。自治省は、地方財源の抑制を主張する大蔵省からの同意調達と地方財源の拡大を求める自治体からの支持調達という相反する要請を同時に充足しなければならない組織的立場に置かれているのである。自治省の行動は、こうした相反する要請を自らの組織目標でもある地方財源の確保・拡大の実現に有利な方向に接合していくことにその重点を置いてきたとみることができる。

 このような視点に基づいた本稿の分析内容を各章ごとにまとめてみると、以下の通りである。

 第2章では、自治省中心の地方財政調整政策の決定構造を支える制度が戦後改革期を通してどのように形成され、定着していくかを検討するとともに、それらの制度が自治省の組織目標の実現とどのように関わっているかをみた。その結果、自治省は、戦前の内務省がもっていた地方官に対する人事権など権力的権限は失ったものの、地方財源の確保・拡大という組織目標の実現に有利な組織的特性及び制度的手段を保有した地方行財政の専管機関としての地位を確立してきたといえるのである。

 第一に、自治省は、地方行財政以外の個別の行政事務をもたない地方行財政の企画・調整官庁として、省内に異なる政策選好の事業部局を抱えていない。自治省が、地方利益の擁護を全省あげて積極的に主張できることも、このように強い同質性を保っている組織的特性によるところが大きい。第二に、自治体以外には、いわゆる特定の業界団体を抱えていない。さらに、自治省は、自治体への職員派遣による太い「人的ネットワーク」を形成してきた。こうした組織的特性は、自治省にとって、自治体の財政事務を押さえつつ、自分の予算上の主張について特殊利益の代表ではないとして、地方自治の理念と結びつけて正当化させるのに有利に作用している。第三に、自治省は、強い地域間財源再配分志向の政策選好を示すことによって、凝集力の強い「地方行政族」のみならず与野党を超えた広範な政治的支持を得ることができた。こうした政治的支持は、自治省が大蔵省との折衝を有利な方向に進めることを助けてきたといえる。

 戦後日本の地方財政調整制度は、1940年の制度改革の際に整備された地方財政調整制度の基本的な仕組みを継承しながらも、はるかに強い地方財源保障の原則を取り入れた点で、戦前の制度とは一線を画するものということができる。こうした戦後の「財源保障型」の地方財政調整制度は、大蔵省からの地方歳出削減の圧力に対する歯止めの役割を果たし、地方財源の確保・拡大という自治省の組織目標の実現を促進してきたのである。

 第3章では、1950年代半ばから1970年代初め頃までの高度経済成長期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容を分析している。その結果、高度経済成長期の地方財政調整政策は、産業基盤型の公共事業と結びつくことによって、移転財源の量を拡大しつつ、地方財政を中央政府の公共投資政策に誘導・動員させる財政手段の性格を格段に強めていったということができる。

 この時期の地方財政調整政策は、公共事業にかかる自治体の財政負担を手厚く補てんする一方、その財政調整資金の使途が中央政府の定めた公共投資政策によって制約されていった点で、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策が強化されたとみることができる。これは、自治省が地域開発政策の進展に伴う財政需要の増加に対応した地方財源措置を大蔵省に認めさせるために、地方財政を中央政府の公共投資政策に動員させようとした大蔵省の要求を受け入れる過程の中で促進されていた。自治省は、大蔵省の要求を部分的に受け入れつつ、地方財政調整政資金の積算基準と産業基盤型の公共事業とを結びつけることによって、地方財源全体のパイを拡大させてきたのである。

 第4章では、1970年代半ばから1980年代前半までの財政危機期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容を分析した。その結果、1975年度以降の2兆円を超える巨額な地方財源不足額は、交付税特別会計の資金運用部からの借入と地方債の増発によって補てんされ、地方債が交付税増額の代替財源となり、地方財政歳出を建設事業など中央政府のフィスカル・ポリシーへ動員する機能を果たしていたことが判明した。

 このような地方交付税と地方債の錯綜は、フィスカル・ポリシーを強調し、地方財源不足額をできるだけ地方債の増発によって補てんしようとした大蔵省に対し、一定の地方交付税の増額と一定割合の政府資金なみの地方債資金が確保できるなら、大きな抵抗をすることなく、大蔵省の方針に妥協していた自治省の戦略行動によるところが大きかったとみることができる。

 こうして財政危機下においても、地方財政の自律性の制約につながりうる二つの「借金」による応急的な補てん措置とはいえ、巨額の地方財源不足額は地方財政計画のうえでは完全に補てんされていた意味で、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、一貫して維持されていたということができる。

 第5章では、1980年代初め頃から後半までの財政再建期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容を分析している。この時期の地方財政調整政策は、補助負担金の削減及び税制改革に伴う地方税財源の減収補てん措置を中心に展開された。自治省は、補助負担金の削減及び地方独立税の縮小整理という大蔵省の財政再建の要求には応じながらも、それに伴う地方税財源の減収額に対しては、完全な補てん措置を主張していた。この主張が功を奏した形で、財政再建期においても補助負担金及び地方独立税は削減されたものの、地方交付税・譲与税は増額され、地方税財源の減収額は、ほぼ完全に補てんされた。

 地方独立税源が削減され、移転財源によって補てんされた意味で、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、いっそう強化され、地方財政の二面的な特質は拡大・深化される方向に向かっていたといえる。

 以上の分析結果から、次のように結論づけることができる。

 第一に、自治省は、地方財政調整政策の決定過程で地方財政の自律性より移転財源を中心とした財政調整資金の確保・拡大の方に重点を置いた戦略行動をとってきたことである。このような自治省の戦略行動は、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策と不可分に結びつき、それが戦後日本の地方財政の二面的な特質を拡大・深化する方向に作用してきたといえる。

 第二に、自治省が、地方財政の自律性より財政調整資金の確保・拡大の方に優先順位を置いた戦略行動をとってきたのは、自治省が地方財政調整政策をめぐる組織関係、とくに大蔵省の同意調達という制約の中で自らの組織目標を実現するためであったということができる。つまり、地方財政調整資金の複雑な操作によって地方財源の利用に制約が加えられるようになったのは、自治省が当初から意図したものというよりは、大蔵省との交渉関係で地方財源の拡大を図っていく過程の中で生じたものであったとみることができる。これは、従来の自治省研究でいう地方の「代弁と統制」という自治省の二面的な行動の決定要因を、地方財政調整政策の決定構造という制度的要因と、自治省の組織目標の実現過程という政策過程的要因とを統合的に捉えることによって、明確にしたといえるであろう。

 第三に、このような自治省の戦略行動は、自治体からの支持調達の要請とも矛盾していなかったことである。ほとんどの自治体は、現行の地方財政制度のもとでは自らの徴税努力を要する地方独立税よりも移転財源の確保を望んでおり、その移転財源の総量が確保される限り、その利用に一定の制約が加えられることは問題とせず、自治省を支持する態度をとっていたからである。「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、自治体の要望・支持のうえで実現されていたともいえる。

 第四に、地方財源の確保・拡大という自治省の組織目標が、なぜ一貫して実現できたか、その要因は、戦後の「財源保障型」の地方財政調整制度が大蔵省の地方歳出削減の圧力に対する歯止めの役割を果たし、自治省の組織目標の実現を促進したこと、また、自治省は、地方財源の抑制と直接の関係のない地方財政の自律性を制約しかねない大蔵省の要求には、比較的に柔軟な対応をとり、その見返りに財源補てんの要求を認めさせてきたこと、さらに、自治省は、組織目標の追求に有利な組織的特性をもっており、自治体からのみならず与野党を超えて広範な政治的支援を受けていたことなどをあげることができる。

 1990年代に入ってから最近に至るまでも、5兆円を超える過去最悪の地方財政不足額が発生しつづけるなかで、1970年代の財政危機下において繰り返されていた二つの「借金」による財源補てん措置を踏襲してきた。「借金」による完全な財源補てん措置が講じられる一方、地方財政調整政策は、建設事業中心の地方単独事業を促進することによって、地方財政を中央政府の定めた景気対策の公共投資に誘導・動員する財政的手段の性格を増してきた。その結果、地方財政の「借金」の残高は膨らみつづけ、1999年度末で176億円に達する見通しであり、「集権的財源補てん型」の地方財政調整システムは、もはや限界に達しつつあり、「分権型地方財政システム」を目指す抜本的な制度改革が求められている。

審査要旨

 戦後日本における地方財政調整資金の総額及び配分に関わる主要な決定権は、中央政府によって握られており、その資金の利用についても自治体内自律性は制約されてきたといわれる。その一方、地方歳出については完全補てんに近い財源保障が行われてきた。「戦後日本の地方財政調整政策-その決定過程と帰結-」と題する本論文は、この「集権的」な側面と「財源補てん的」な側面がどのような形で財政調整政策として定着し、それがなぜ戦後を通して次第に拡大・深化してきたかを明らかにしようとするものである。構成としては、「第1章」で著者の問題関心、先行研究の検討、分析の視点を示した後、本論文の中心部分をなす、地方財政史的な4つの章が続き、第6章の「自治省の交渉戦略とその帰結」をもって結ばれている。A4版で247頁、本文400字×約700枚の業績である。

 「第1章」で著者は、戦後日本の地方財政調整政策を「集権的財源補てん型」と命名し、この政策の中心アクターが「超ミニ官庁」といわれる自治省であることに着目する。自治省についての既存研究は、自治省の役割について地方の「代弁と統制」という二面的な役割を担ってきたという点でほぼ共通している。しかし、自治省がなぜそのような相反する行動をとってきたかの要因についての説明は必ずしも明確になされているとはいえないとし、著者の分析視点を設定している。自治省が、地方財政調整政策の決定過程において組織的・制度的制約の中で、どのように組織目標を実現してきたかを分析することによって、自治省の二面的な行動が「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策といかに結びついてきたかを解明するすることができるのではないかとし、本論文のねらいを明らかにしている。

 著者の着眼は、自治省の行動が地方財政調整政策の決定をめぐる組織関係によって制約を受けているとする点にある。それは、地方財源の抑制を主張する大蔵省からの同意調達と地方財源の拡大を歩める自治体からの支持調達という要請を同時に充足しなければならない立場に置かれていることである。自治省の行動は、こうした要請を自らの組織目標でもある地方財源の確保・拡大の実現に有利な方向に接合していくことに重点を置いてきたとみる。このような視点に基づいて、著者は、戦後の地方財政調整政策の歴史を辿っている。

 「第2章 制度の形成と定着」は、自治省中心の地方財政調整政策の決定構造を支える制度が戦後改革期を通してどのように形成され、定着したかを検討するとともに、それらの制度が自治省の組織目標の実現とどのように関わっているかが跡づけている。著者によれば、自治省は、戦前の内務省がもっていた地方官に対する人事権などは失ったものの、地方財源の確保・拡大という組織目標の実現に有利な組織的特性及び制度的手段を保有する、地方行財政の専管機関としての地位を確立してきたとし、その特色を次の3点に見い出している。第1に、省内に異なる政策選好の事業部局を抱えず、地方利益の擁護を全省あげて積極的に主張できること、第2に、いわゆる特定の業界団体をもたず、自治体への職員派遣による太い「人的ネットワーク」を形成することによって、自治体財政の執行事務を統制しつつ、予算上の主張を特殊利益の代弁ではないことを地方自治の理念と結びつけて正当化しやすいこと、第3に、強く地域間財源再配分志向の政策選好を示すことによって、凝集力の強い「地方行政族」のみならず与野党を超えた広範な政治的支持を得ることができ、これを後ろ盾にして大蔵省との折衝を有利に展開できることである。

 「第3章 高度経済成長期の政策誘導型の地方財政調整政策」では、1950年代半ばから1970年代初め頃までの高度経済成長期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容を分析している。それによれば、高度経済成長期の地方財政調整政策は、産業基盤型の公共事業と結びつくことによって、移転財源の量を拡大しつつ、地方財政を中央政府の公共投資政策に誘導・動員させる財政手段の性格を格段に強めていった。この時期は、公共事業にかかる自治体の財政負担を手厚く補てんする一方、その財政調整資金の使途が中央政府の定めた公共投資政策によって制約されていた点で、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策が強化されたとみることができるという。自治省は、地域開発政策の進展に伴う財政需要の増加に対応した地方財源措置を大蔵省に認めさせるために、地方財政を中央政府の公共投資政策に動員させようとした大蔵省の要求を受け入れつつ、地方財政調整政資金の積算基準と産業基盤型の公共事業とを結びつけることによって、地方財源全体を拡大させたのである。

 「第4章 財政危機と「借金」による地方財政調整政策」では、1970年代半ばから1980年代前半までの財政危機期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容が分析されている。1975年度以降の2兆円を超える巨額な地方財源不足額は、交付税特別会計の資金運用部からの借入と地方債の増発によって補てんされ、地方債が交付税増額の代替財源となり、地方財政歳出を建設事業など中央政府のフィスカル・ポリシーへ動員する機能を果たしていたという。財政危機下でも、二つの「借金」による応急的な補てん措置とはいえ、巨額の地方財源不足額は地方財政計画のうえでは完全に補てんされた。その意味で「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、一貫して維持されていたということができるというのが著者の認識である。

 「第5章 財政再建と減収補てん型の地方財政調整政策」では、1980年代初め頃から後半までの財政再建期における地方財政調整政策の決定過程と政策内容を分析している。この時期の地方財政調整政策は、補助負担金の削減及び税制改革に伴う地方税財源の減収補てん措置を中心に展開された。自治省は、補助負担金の削減及び地方独立税の縮小整理という大蔵省の財政再建の要求には応じながらも、それに伴う地方税財源の減収額に対しては、完全な補てん措置を主張した。これによって財政再建期においても補助負担金及び地方独立税は削減されたものの、地方交付税・譲与税は増額され、地方税財源の減収額は、ほぼ完全に補てんされたのである。著者によれば、地方独立税源が削減され、移転財源によって補てんされた意味で、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、いっそう強化され、地方財政の二面的な特質は拡大・深化される方向に向かったのである。

 終章の第6章では、著者は、以上の分析結果から、戦後日本の地方財政調整政策の特色をまとめている。著者の新たな知見は以下の通りである。第1は、自治省が、地方財政調整政策の決定過程で地方財政の自律性より移転財源を中心とした財政調整資金の確保・拡大の方に重点を置いた戦略行動をとってきたことである。このような自治省の戦略行動は、「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策を生み出し、戦後日本の地方財政の二面的な特質を拡大・深化する方向に作用してきたといえる。第2は、地方財政の自律性より財政調整資金の確保・拡大を重視する自治省の戦略行動は、地方財政調整政策をめぐる組織関係、とくに大蔵省の同意調達という制約の中で自らの組織目標の実現と照応していたことである。地方財政調整資金の複雑な操作によって地方財源の利用に制約が加えられるようになったのは、自治省が当初から意図したものというよりは、大蔵省との交渉関係で地方財源の拡大を図っていくうえで生じたものであったとみることができる。第3は、このような自治省の戦略行動は、自治体からの支持調達の要請とも矛盾していなかったことである。ほとんどの自治体は、現行の地方財政制度のもとでは自らの徴税努力を要する地方独立税よりも移転財源の確保を望み、その移転財源の総量が確保される限り、その利用に一定の制約が加えられることは問題とせず、自治省を支持する態度をとったからである。「集権的財源補てん型」の地方財政調整政策は、自治体の要望・支持のうえで実現されてきたとってよい。第4は、地方財源の確保・拡大がなぜ一貫して実現できたか、その要因として次の点を見い出すことができることである。すなわち、戦後の「財源保障型」の地方財政調整制度が大蔵省の地方歳出削減の圧力に対する歯止めの役割を果たし、自治省の組織目標の実現を促進したこと、また、自治省は、地方財源の抑制と直接の関係のない地方財政の自律性を制約しかねない大蔵省の要求には、比較的に柔軟な対応をとり、その見返りに財源補てんの要求を認めさせてきたこと、さらに、自治省は、組織目標の追求に有利な組織的特性をもっており、自治体からのみならず与野党を超えて広範な政治的支援を受けてきたことである。

 最後に著者は、1990年代に入ってから最近に至るまでも、5兆円を超える過去最悪の地方財政不足額が発生しつづける中で、1970年代の財政危機下において繰り返されていた二つの「借金」による財源補てん措置を踏襲してきたことの意味合いに触れている。「借金」による完全な財源補てん措置が講じられる一方、地方財政調整政策は、建設事業中心の地方単独事業を促進することによって、地方財政を中央政府の定めた景気対策の公共投資に誘導・動員する財政的手段の性格を増してきた。その結果、地方財政の「借金」の残高は膨らみつづけ、1999年度末で176兆円に達する見通しであり、「集権的財源補てん型」の地方財政調整システムは、もはや限界に達しつつあり、「分権型地方財政システム」を目指す抜本的な制度改革が求められていると結論づけて、本論文を閉じている。

 以上が本論文の要旨である。以下、評価を述べる。

 まず第1に、本論文は、戦後日本の地方財政調整のメカニズムを制度的要因と政策過程的要因を統合的に捉えることによって全体として解き明かすことに成功し、地方財政、とくに地方交付税を中心とした財政調整政策の研究に新たな光を与えたといえる。すなわち、地方財政調整における「集権的」側面と「財源補てん的」側面がなぜ結合しつつ戦後、次第に拡大・深化してきたかに関し、本論文は初めて十分納得できる説明を与えたといえる。

 第2に、著者の命名になる「集権的財源補てん型」の地方財政政策が自治省・大蔵省の交渉過程の中で描かれているが、著者は、そのことを通して、地方財源の確保・拡大とそれを組織目標とする自治省の行動様式を明らかにし、財政調整政策に関する学問的な理解の水準を高めたと評価できる。しかも、この交渉過程の分析が、政治家の個別介入を排除してきたことを逆照射することによって、財政調整の「政治性」を示唆するものともなっている。

 第3に、従来、自治省に関しては自治体の「代弁と統制」という二面性が指摘されてきたが、この「超ミニ」の調整官庁の存在と役割を組織論的観点から地方財政の展開過程の中で明らかにすることによって、自治省研究に大きな前進をもたらしたといえる。他にこれだけの詳細な本格的研究がないだけに先駆的な業績として価値の高いものであると評価できる。しかも、それは、このような中央省庁の存在と役割が国と地方の財政調整のあり方にどのように関係しているかに関する比較研究に新たな視座を開く可能性を秘めるといえる。

 もっとも、本論文にも注文をつけるべき点がないではない。まず、本論文での新たな知見が、既存研究のうち、例えば集権・分権-融合・分離といった国地方関係モデルにどのような修正を迫るものか必ずしも明らかではない。むしろ、既存研究を乗り越えたというよりも、従来とは違った視点から分析を行ったのではないか。それならば、著者がどのような独自のモデルを示唆できるのかを検討してもよかったと思われる。また、歴史の記述としては、自治省の交渉戦略が大蔵省や自治体などのアクターや税の自然増収などの要素とどのような因果関係にあるのかについて、もう少し「時と人」の生きた記述や数量的裏づけがほしかったところである。さらに、「集権的財源補てん型」の地方財政調整方式がどのような比較研究上の意味をもちうるのかについて他の諸国の制度と運営実態に言及があってもよかったのではないか。それによって本論文はさらに厚みのあるものとなったと思われる。

 しかしながら、以上のような問題点も本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、戦後日本の地方財政調整政策の展開過程に関する研究に新たな一頁を開く貴重な貢献を学界にもたらすものである。したがって、本論文は博士(学術)の学位を授与するに相応しいものと認める。

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