学位論文要旨



No 114867
著者(漢字) 安形,康
著者(英字)
著者(カナ) アガタ,ヤスシ
標題(和) 成層火山体の地形発達と湧水湧出プロセスの変化過程
標題(洋)
報告番号 114867
報告番号 甲14867
学位授与日 2000.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3690号
研究科 理学系研究科
専攻 地理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 茅根,創
 立正大学 助教授 鈴木,裕一
内容要旨

 河川の流出特性のうち,低水流出特性は気候条件の影響を受けない流域固有の性質である.低水流出特性を表す指標として逓減定数および渇水比流量がよく用いられるが,このいずれの指標も著しい地域差を示す.特に,流域内に第四紀火山岩が分布する流域において,逓減定数が小さく,渇水比流量が大きくなる,すなわち,いわゆる「保水力」が非常に高くなる傾向をもつことが知られている.

 ところが,第四紀火山岩の分布する流域ならば必ずこのような傾向が見られるのではなく,例外もまた数多く存在する.また,逓減定数・渇水比流量については第四紀火山岩流域の中でもばらつきが大きい.この事実は,第四紀火山岩流域の流出特性として他の地質の流域よりも保水力が大きいという大雑把な捉え方では不十分であることを示している.

 火山岩流域で流域ごとに低水流出特性が異なるのは,火山体自体の水文特性が多種多様であるからだと考えられる.これまでに数多く行われ,多大な成果を挙げてきた火山体水文学的研究でも,この火山ごとの水理地質構造・地形などの条件の個別性・特殊性が強調されてきた.

 しかしながら,火山は地形学的に見ると数少ない発達史パターンに分類され,特に成層火山においてはその侵蝕解体過程まで一定の様式をとる.したがって,各火山の水文特性の違いを支配する地質地形条件の差異は,単に火山体ごとにまちまちなのではなく,この一定の地形変化シークエンスに従って統一的に理解できる可能性がある.

 このような観点から,一定のパターンを従って地形が変化してゆくと考えられる成層火山を対象に,その水文流出特性,とくに低水流出特性を複数のフィールドについて比較検討し,それらがどのような地形的条件に規定されているか明らかにすることを試みることが必要であると考えた.

 わが国の成層火山5座(利尻岳・後方羊蹄山・寒風山・富士山・南八ヶ岳)について,山体全体の面積降水量・蒸発散量を気候値メッシュデータから推定し,これにより水入力量I(降水量-蒸発散量)を計算した.また,最近公刊された湧泉データベースをもとに各山体について山体全体からの湧泉湧出量を計算した.

 湧泉湧出量を山体の面積で除した値を湧泉湧出高qと定義すると,qは水入力量(降水量-蒸発散量)に近い値をとる火山とそれよりはるかに小さい値をとる火山があることが分かった.また,qの値は周辺河川の渇水比流量と高い相関がみられ,火山体が周辺河川の低水流出特性に大きな影響を与えていることが確かめられた.

 湧泉湧出高qの値が水入力量Iの値に近い3火山では,qの値はIの値に規定されるので,qの値自体には気象の影響も無視できない.そこでこの影響を捨象するために湧水湧出率r=q/I(%,ただしqとIは時間スケールを統一した値)を導入した.この値も火山毎に大きく異なる値を示したが,これは気候の効果が含まれないことから,火山体自身の水文特性を強く反映している指標であると考えられる.

 各火山について計算された湧水湧出率rの値と火山体の地形量との関係を検討した結果,rは火山体の開析度Ddに強く規定されることが分かった(図).また,rが100%に近い火山については,比高が大きい火山ほどrが大きくなる傾向が見られたが,これはDdの影響による差に比べるとわずかな効果しかもたなかった.その他,火山体の底面積・体積・傾斜の指数などとの間の関係も検討したが,Ddほどの影響をもつ要因は見つからなかった.傾斜の指数(平均比高と底面積の平方根との比に比例)との相関はA1型火山については見られなかったが,これはこの指数のレンジがA1型火山については他のタイプの火山にくらべて狭く,A1型火山が大局的には似たような断面形をしていることを示している.

図 成層火山における解析度と湧泉湧出率の関係.F:富士山,S:後方羊蹄山,K:寒風山,R:利尻岳,Y:南八ヶ岳

 成層火山においては,開析比の大小は侵蝕ステージの進行程度を表す.火山体の低水流出特性の指標rが開析比と大きな関係を持つことは,この値が侵蝕ステージに伴って変化してゆくことを示唆している.この考察は,すべての火山において,八ヶ岳のように集中観測を行うことにより流動系を明らかに出来れば実証的に検討できるのだが,これは現段階では現実的ではない.そこで,湧泉のタイプをその湧出場所の特性で分類し,各火山についてそれぞれどのタイプの湧泉から多くの水が湧出するか比較検討することにより,侵蝕ステージの進行に伴う地下水流動系の変化を推測することを試みた.

 その結果,侵蝕ステージ最初期(富士山)・初期(後方羊蹄山)の火山では熔岩流や火砕流・ 泥流の末端から湧出するL1型湧泉が湧泉数・湧出量ともに卓越し,侵蝕ステージが進む(利尻岳・南八ヶ岳)と山麓扇状地の扇面あるいはその開析谷から湧出するF型湧泉が増加する.侵蝕ステージが進んだ火山の場合でも,八ヶ岳のように熔岩流から小規模な湧泉が多数湧出する場合は,湧泉数の上ではF型湧泉の卓越度はそれほど高くはない場合があるが,いずれにせよ湧出量の点では他のタイプの湧泉を圧している,ということが分かった.

 L1型湧泉が卓越する侵蝕ステージ初期の火山についてさらに詳しくみてみると,富士山のように特定の熔岩流の末端から大量の湧水が見られるという熔岩流制約型と,後方羊蹄山のように特定の熔岩流地形とは一見関係なく山体基部から湧出するパターンの2者がある.しかし後者の場合も熔岩の露頭から湧出する大規模湧泉が見られる.

 これより,侵蝕ステージの変化に伴う地下水流動系の変化を推測すると次のようになる.侵蝕の最初期は熔岩流・火砕流の中を大量の水が流動して末端で湧出するが,侵蝕がやや進むとそれらの側面からも湧出が始まる.侵蝕ステージがさらに進行して熔岩流などが山麓まで連続しないようになり,山麓に扇状地が広く発達しはじめると,山体に浸透した水が扇状地で湧出する深い流動系が卓越するようになる一方で,降雨が速やかに開析谷から流出するために湧泉湧出率が低下してゆく.

 従来の火山体水文学では,火山ごとの地質地形条件の個別性・特殊性が強調されてきたため特定の火山についての詳細な議論に終始しがちであった.しかしこれでは火山ごと,ひいては第四紀火山岩を含む流域ごとの低水流出特性の地域性が何によって生じるかという重要なテーマに対して大きな寄与はできない.この目的のためにはそれぞれの火山についての知見を比較対照しながら本質に迫る地理学的考察が必要となると思われる.本研究はそのような流れの端緒となるべく,火山毎の流出特性を表す統一的な指標を考案してその有効性を確かめ,その値を用いて比較火山水文学を展開した.そして山体ごとの水文特性の差を規定する地質地形条件は一見火山ごとにランダムにばらついているように見えるが,この個別性もまた,火山の地形発達史という大きな枠組みの中で捉えれば統一的に理解しうることを示した.

審査要旨

 火山体における陸水の貯留・湧出プロセスの解明は火山国である日本においてはもとより、火山が多数分布する変動帯における水資源の検討を行う上でも、また陸水環境の理解を深める上でも重要な課題である。火山体からの湧出量については多くの研究が行われ、地質構造の違いによって流出特性が異なること等が指摘されてきた。しかし、これらの研究においては流出特性が火山ごとに説明・解釈され、流出特性の地域的違いは未だ体系的には理解されていないと言える。本論文は火山湧水の流出特性の変化を火山体の開拆過程と結び付けて発達史的にモデル化し、火山体からの湧出プロセスの地域的相違を体系的に理解しようと試みたものである。

 本論文は7章からなる。第1章「河川の流出特性の地域性と火山の影響」では、河川流出機構及び火山体水文学に関する研究のレビューを行い、火山体からの流出特性の研究の意義、低水流出特性の性格および本研究で検討対象として選んだ理由を述べている。また、火山地形の発達史的研究において分類されているA1(カルデラを持たない成層火山)、A2(カルデラを持つ成層火山)、B(巨大カルデラを持つ火山)、C(単成火山)の内、発達過程が明確なA1タイプの火山を研究対象にすること、および、本研究の目的・意義を論じている。

 第2章「対象とした火山についての概説」では、湧水資料の豊富な成層火山として利尻岳、後方羊蹄山、寒風山、富士山、南八ヶ岳を選定したこと、それぞれの火山の地形・地質の説明、および、使用したデータの所在を明示している。

 第3章「データ」では、採り上げた成層火山5座について、調査対象区域の設定、火山の底面積、体積、平均比高、傾斜、開析度等の地形量の定義を述べ、各火山の計測値を示している。また、気候値メッシュデータから各火山の降水量および蒸発散量を推定し、水入力量(降水量-蒸発散量)を算出し、また、湧泉データベースから各火山ごとに山体全体からの湧泉湧出量を求め、これを山体の面積で除して湧泉湧出高を算出した。

 第4章「火山体の水文特性を表す指標」では、水入力量と湧泉湧出高との関係を検討し、水入力量と湧泉湧出高は火山ごとに大きく異なること、湧泉湧出高が水入力量と類似の値を示す火山と湧泉湧出高が水入力量を大幅に下回る火山のあることを指摘している。また、湧泉湧出高は周辺河川の渇水比流量と高い相関を持ち、したがって、火山体が周辺河川の低水流出特性に大きな影響を与えていることを明らかにした。これらの検討を踏まえ、渇水比流量との関係も高く、気候の影響を捨象し、火山体自身の水文特性を明確に示す湧泉湧出率(湧泉湧出高/水入力量)を新たに考案し、湧泉湧出率が水文特性を表す指標として妥当であることを述べている。

 第5章「湧泉湧出率と火山体の地形量の関係」では、第4章で定義した湧泉湧出率を各火山ごとに計算し、これと火山体の底面積、体積、平均比高、傾斜、開析度等の地形量との関係を吟味している。その結果、湧泉湧出率と底面積、体積、平均比高、傾斜は相関関係が低く、湧泉湧出率は火山体の開析度に強く規定されることを明らかにしている。

 第6章「考察」では、A1タイプ成層火山の侵食ステージを開析度によって早初期(富士山)、初期(後方羊蹄山、寒風山)、後期(利尻岳)、末期(南八ヶ岳)に分類し、侵食ステージが進むにしたがって湧泉湧出率が低下することを指摘している。また、湧泉湧出形態を熔岩流末端型、熔岩流側壁型、扇状地型、基盤型の4タイプに分類し、各火山の湧出形態別割合および湧出量を検討し、基盤型湧泉は数および湧出量ともに、いずれの火山においても割合は小さいこと、および、侵食ステージが進行するにしたがって、湧出形態は熔岩流末端型から熔岩流側壁型を経て、扇状地型へと変化することを指摘している。以上の検討から、火山体の侵蝕ステージの変化に伴う湧泉湧出プロセスおよび地下水流動系の変化を以下のようにモデル化している。すなわち、侵蝕の早初期には熔岩流の中を大量の水が流動して熔岩流末端で湧出する。侵蝕がやや進むと溶岩流を刻んだ河谷が発達し、それらの側面からも湧出が始まる。侵蝕ステージがさらに進行すると熔岩流が河谷に分断され、山麓まで連続しないようになる。このステージでは山麓に扇状地が広く発達しはじめ、山体に浸透した水は扇状地で湧出し、火山体には深い流動系が卓越するようになる。一方で、降雨が速やかに開析谷から流出するため湧泉湧出率は低下する。

 第7章「まとめと今後の課題」は、本論文の内容と結果を簡潔にまとめ、非火山山地においても山地地形の発達過程に応じた湧泉プロセスの系統的変化があることの可能性を指摘するとともに、本研究で検討できなかった他のタイプの火山の湧水プロセスの検討、湧水以外の形態での火山体からの排水プロセスの把握等残された課題を指摘している。

 以上のように、本論文は成層火山を対象として、火山地形の発達過程とともに変化する湧泉湧水プロセスをモデル化したものである。従来火山ごとにランダムにばらついて見え、火山の個性として捉えられていた湧泉湧出プロセスは火山の地形発達史という大きな枠組みの中で捉えることにより統一的に理解し得ることを実証的に示したものと評価できる。本論文は陸水学に新たな視点を提示し、火山体の水資源・陸水環境の理解の深化に貢献するとともに、自然地理学、とくに水文学の学術的発展に寄与するところが大きい。したがって、博士(理学)を授与できると認められる。

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