学位論文要旨



No 114868
著者(漢字) 京谷,啓徳
著者(英字)
著者(カナ) キョウタニ,ヨシノリ
標題(和) 君主称揚のレトリック : ボルソ・デステとスキファノイア宮殿「12カ月の間」装飾壁画
標題(洋)
報告番号 114868
報告番号 甲14868
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第270号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 片山,英男
 東京大学 助教授 浦,一章
 京都大学 助教授 中村,俊春
内容要旨

 フエッラーラ君主ボルソ・デステ(在位1450〜1471)が生涯のあらゆる局面において称揚されることを好んだのはつとに知られるところである。ボルソがいささか俗物めいた人物であったことも確かではあるが、彼が称揚を受けることを好んだことの理由はただそれのみというわけではなかったということを、トリスターノやローゼンバーグらによる近年の歴史学研究が明らかにしている。庶子であったボルソのフェッラーラ君主への就任は、先々代君主ニコロ3世の遺言に背くものであったが、ボルソはこの不法な権力継承という状況下にあって、その治世を安定させるためにいくつかの自らのイメージを作り出そうとし、そのイメージに即した称揚を受けるよう自らを演出していたと考えられるのである。ボルソにとって、称揚を受けるということは、彼が形作ろうとした君主としての自らのイメージを普及させていく手段でもあった。

 そのイメージとは、自分が正当なる継承者であるというイメージ、ニコロ3世の遺言に反して自分を君主に選出してくれたフェッラーラ市民に対しては親密かつ有益な君主であるというイメージ、そしてニコロの遺言に執着する親ニコロ派貴族に対しては、ボルソがニコロの遺言を尊重する、すなわち家督をニコロの嫡子である弟エルコレに譲るという意志を表明するイメージなどである。彼は以上のようなイメージ通りの君主であることを広く知らしめようとしたことであろうし、そうであればこそ彼がパトロネイジした美術作品においても彼はそのように称揚されているのである。

 本論文では、今日フェッラーラに残る15世紀後半の大壁画の唯一の作例であるスキファノイア宮殿「12カ月の間」装飾壁画(1470)を、以上に述べた「家督の相続の不法性を克服するためのイメージ作り」そしてそのイメージの普及のための「君主称揚のレトリック」という枠組みから検討する。

 第1章では「君主の美徳」について論じる。ボルソ・デステは、彼の家督相続の違法性に由来する脅威を克服するために、伝統的な「君主の美徳」のリストの中から遵守すべき美徳を選択した上でそれらを実行したが、スキファノイア壁画においてそれらの美徳すべてが、様々の方法によって視覚化されているのである。

 第2章ではボルソ・デステがインプレーザ(ルネサンス期に広く用いられた個人的な紋章)を用いていかなるイメージを伝えようとしたかを考察する。ボルソは自らのインプレーザのモチーフとして、彼がフェッラーラ市民のために行った公共事業(ポー河の治水干拓)を暗示するモチーフおよびその事業により可能となった産業の振興を直接的に想起させうるモチーフを選択し、それらをスキファノイア壁画をはじめ、身辺あらゆるところに表現させることにより、市民にとって有益な君主としての自らのイメージを作りだそうとしたのである。

 第3章では、スキファノイア壁画「12月」上段の主題である≪ウェスタの凱旋≫が、ペトラルカの『勝利』に基づく≪純潔の勝利≫に見立てられていることを明らかにし、ボルソの美徳「純潔」によってつつがなく弟エルコレに家督が委譲され、エステ家が未来においても存続繁栄するというメッセージがこの場面に与えられていると考えられることを指摘する。

 第4章では、スキファノイア壁画南壁面右端に当時ローマのサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂に存在した所謂「サン・ロレンツォのフリーズ」が引用されていることを指摘し、その事実よりこの場面が、ボルソ・デステが1471年4月14日ローマにおいて教皇より初代フェッラーラ公爵に任ぜられた式典のクライマックスたる「金の薔薇」の授与の様子を表していると考えられることを論ずる。

 第5章では、スキファノイア壁画「12月」上段に描かれた水瓶と「9月」上段に描かれた盾の典拠、およびそれらのモチーフがロームルスの受胎および誕生を暗示すべきものであることを指摘し、フェッラーラ公国の創始者ボルソ・デステをローマの建設者ロームルスに比して称揚するという図像プログラムが仕組まれていたことを明らかにする。

 なお、附録1では、ボルソ・デステに仕えた宮廷画家コスメ・トゥーラの制作になるフェッラーラ大聖堂オルガン扉絵外側≪聖ゲオルギウスと王女≫の図像解釈を通じて、異教トルコに対する「キリストの騎士miles Christi(あるいは、キリスト教の騎士miles christianis)」としての君主称揚の手法について考察し、また附録2では、「壁画制作の経緯」、「アトリビューションの問題」、そして本論中で部分的にしか扱うことのできなかった「上段と中段のイコノグラフィー」に関する諸研究を筆者の見解も交えつつ紹介し、本論の理解に供することとする。

審査要旨

 フェッラーラのエステ家スキファノイア宮殿「12ヵ月の間」に残る15世紀後半の上下3段の大壁画は、ボルソ・デステによって治世の最晩年に注文され、制作された。ボルソは庶子でありながら、父候ニコロ3世の遺言に背いた形で市民の推挙によって君主に就任した。

 本論文は、この負い目ある君主としての事情に着目し、文字および画像の同時代資料を幅広く渉猟しつつ、ボルソが壁画の中に、正当な家督継承者、市民に対しては善良で有徳な君主、ひいては初代フェッラーラ公爵という自分のイメージをいかに巧みに盛り込み、治世の安定と繁栄を喧伝したかを、説得力をもって解明した。

 論文の序から第2章までは、第3章以下の独創的な図像解釈への導入部である。すなわち、同公が自己イメージ作りに美術パトロネイジを大いに活用し、伝統的な「君主の諸美徳」から「正義」、「気前の良さ」、「豪華さ」と、わけても「純潔」を選別して有徳な君主としての自己イメージを様々に絵画化させたこと、公共事業および産業の振興を想起させるインプレーザ(個人的な紋章)を多用して市民にとり有益な君主のイメージ作りをしたことを説明する。

 第3章では壁画「12月」上段の主題<ウェスタの凱旋>に、ペトラルカの『勝利』に基づく「純潔の勝利」の見立てを看破し、生涯独身を守ったボルソ公の「純潔」によって父候の嫡子である弟エルコレに家督が委譲され、エステ家が益々繁栄するという祈願のメッセージを読み取る。第4章は、同間の南壁面右端の場面がボルソの初代フェッラーラ公爵位拝受の一連の式典のうち、ローマ教皇による「金の薔薇」授与の情景の絵画化であることを、同時代文献や、当時ローマのサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂に存在した所謂「サン・ロレンツォのフリーズ」からのモティーフ引用を指摘して、明らかにする。第5章では、壁画「12月」上段に描かれた特殊な器形の水瓶と「9月」上段に描かれた楯の文学的典拠を突き止め、それらのモティーフがそれぞれの月におけるローマの建設者ロームルスの受胎と誕生を暗示し、壁画の図像プログラムにフェッラーラ公国創始者ボルソをローマの建国者に比して称揚する君主称揚の絵画的レトリックが組み込まれていることを指摘した。続く付録1、2は、本論の理解が一段と深められるようにと、概ね、先行および筆者自身の研究成果から要約した内容である。

 本論文は新知見、新解釈に富み、特に第3章以下で論じられた独創的で画期的な図像解釈が、行き詰まり気味のスキファノイア宮殿壁画研究に大きな貢献をなしたとして、高く評価できる。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するにふさわしいと判定した。

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