審査要旨 | | 本論文は人間の立体視の要素の一つである,陰影からの形状復元について従来の研究の視点に再検討を加え,新しい研究方略を提案するとともに,その方略の有効性を実験的に検討したものである.全体は「1.反射率地図アプローチの提案」,「2.反射率地図の定量的推定」,「3.反射率地図の変化」,「4.全体的考察」四章からなる.この論文のなかで筆者は,斬新な視点からこの問題を理論的,実験的に検討し新たな研究方略を確立することに成功している. 陰影からの立体形状の知覚にあたって、視覚系は反射率地図と呼ばれる関数を用いている.反射率地図は画像強度と物体表面の傾きの関係を表すもので,陰影から形状を推定するためには不可欠な要素である.しかし,これまでの研究においては、反射率地図の重要性は深く認識されておらず,実験者が先験的に定めた反射率地図に沿った知覚が正しい知覚であると考えられてきた.本研究では,こうした従来に研究とは反対に形状復元においては,視覚系内部に実装され,観察者が実際に用いている反射率地図がもっとも重要な要素であるという観点から陰影からの形状復元の問題を理論的に検討し,筆者が「反射率地図アプローチ」と呼ぶ新しい研究方略を第一章において提案している. 第二章では,立体形状の知覚特性を実測し,そのデータをもとに視覚系が持つ反射率地図を測定し,実験心理学的な裏付けを持つ反射率地図の推定を行っている.さらに第三章の第一節では,こうした得られた反射率地図をもとに生成した陰影画像からの形状復元の特性を測定し,そうした画像に対しては精度の高い形状復元が可能であるという結果を得て,ここで提案されたアプローチの有効性を確認している. 第三章第二節以降においては,巧妙な実験を繰り返し行うことによって,視覚系が持つ反射率地図が固定されたものではなく,適応的なものであること,さらにそうした適応的な変化が二段階ではなく,多段階の変化であることを示すことに成功している.その上で,実験結果を詳細に検討し,そうした変化には画像周辺部の平均輝度が重要な役割を果たしているという仮説を得,その仮説をコンピュータシミュレーションによって確認している. 本研究は,従来の研究の常識にとらわれることなく,陰影情報からの形状復元に関して新しい視点を提案するとともに,そのアプローチの有効性を実証的に示すことに成功している.反射率地図の適応的な変化のメカニズムについては,今後検討すべき問題も多いが,視覚研究の新しい方略を開拓したと言っても過言ではない.そうした観点から,本審査姿員会は、本論文が博士(心理学)の学位にふさわしいものと判断した. |