学位論文要旨



No 114870
著者(漢字) 瀬山,淳一郎
著者(英字)
著者(カナ) セヤマ,ジュンイチロウ
標題(和) 陰影からの形状復元に関する計算論的研究 : 反射率地図アプローチ
標題(洋)
報告番号 114870
報告番号 甲14870
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第272号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 助教授 高野,陽太郎
 東京大学 助教授 横澤,一彦
 専修大学 教授 中谷,和夫
内容要旨 1.反射率地図アプローチの提案

 我々は画像の濃淡、すなわち陰影から立体感在得ることができる。このことは、我々の視覚系が何等かの方法で、陰影から形状(立体形状)を推定している事を意味している。陰影から形状正推定するには、反射率地図と呼ばれる関数が必要である。これは、画像強度と物体表面の傾き(本研究では、視線と物体表面の法線の成す角である傾斜角で表現する)の関係を表す関数であり、物体の材質や、照明条件(物体を照明している光源が存在する方向や、照明光の強度など)をパラメータとして定義される。ある画像が与えられたとき、画像上の各点はそれぞれ特定の画像強度を持つので、反射率地図を調べることで、その画像強度に対応する傾斜角が分かる。従って、与えられた画像から、反射率地図を介して、物体の形状を傾斜角表現として得ることができる。このようにして陰影から形状を推定することを、陰影からの形状復元と呼ぶ。

 我々の視覚系も、何等かの反射率地図を用いて陰影から形状を推定しているはずである。そして、その反射率地図の特性によって、我々が陰影から知覚する形状は大きく規定されていると考えられる。従って、我々の視覚系が行っている陰影からの形状復元を理解するには、視覚系が用いている反射率地図の特性を明らかにする必要がある。それにも関わらず、視覚系が用いている反射率地図に関する実証的な研究は、これまで全く行われてこなかった。そこで本研究では、5つの実験を通して、我々の視覚系がどのような特性を持つのかを明らかにすることを試みた。また、このような問題意識に基づく研究を、先行研究と区別して、反射率地図アプローチの研究と呼ぶことを提案する。

2.視覚系が用いている反射率地図の実験的推定:実験1

 実験1では、視覚系が用いている反射率地図を推定するために、球の画像と円柱の画像を刺激画像として用い、そこから知覚される形状を測定した。そして、刺激画像の画像強度と、測定された知覚形状の傾斜角の関係から、視覚系が用いている反射率地図を推定した。このとき得られた反射率地図は、実験心理学的な裏付けを持つ反射率地図の最初のデータであり、先行研究の報告にはなかったものである。

 先行研究の多くは、被験者の知覚を解釈する前提として、拡散反射面の反射率地図を用いている。拡散反射面は、ハイライトを生じないつや消しの面のことであり、その反射率地図は、余弦関数状となる。本実験で得られた反射率地図を、先行研究で用いられた拡散反射面の反射率地図と比較したが、本実験で得られた反射率地図は拡散反射面の反射率地図とは異なっており、むしろ、ハイライトに対応する鏡面反射成分を含むものと解釈できた。

3.実験1の結果に基づく被験者の知覚の予測:実験2

 実験2では、刺激形状の画像を、実験1で得られた反射率地図を用いて生成した。実験1の結果が妥当なものであれば、その刺激画像から知覚される形状は刺激形状と一致するはずである。そこで、被験者が知覚した形状を測定したところ、刺激形状と良く一致するという結果が得られ、実験1の結果の妥当性が確認された。

4.視覚系は反射率地図を変化させているか?:実験3・実験4・実験5

 実験3の目的は、視覚系が反射率地図を変化させている可能性を検討することである。実験3では、5種類の柱面を刺激形状として定義し、それらの画像から被験者が知覚した形状を測定した。そして、刺激画像が持つ画像強度と知覚形状の傾斜角の関係から、視覚系が用いている反射率地図を求めた。刺激形状が5種類あるので、5つの反射率地図が得られ、それらが二つのグループにはっきりと分離するという結果が得られた。このことは、視覚系が反射率地図を変化させていることを示唆している。なお、実験4,5として、系統的に変化する多種類の刺激画像を用いて反射率地図を推定した結果、視覚系が反射率地図を多段階に変化させていることがわかった。

5.まとめ

 本研究では、視覚系が行っている陰影からの形状復元を理解するためには、視覚系が用いている反射率地図の特性に基づいて被験者の知覚を分析していく必要があることを指摘し、そのような研究を反射率地図アプローチの研究として提案した。そして、反射率地図アプローチの研究を実践した結果、視覚系が用いている反射率地図が鏡面反射成分を含むものであることと、刺激条件に応じて視覚系が反射率地図を変化させていることを示す実験結果を得た。反射率地図アプローチの研究は、単に被験者の知覚が正確か不正確かを問題としていたに過ぎない先行研究に代わるものとして、今後更に発展させていく価値があると思われる。

審査要旨

 本論文は人間の立体視の要素の一つである,陰影からの形状復元について従来の研究の視点に再検討を加え,新しい研究方略を提案するとともに,その方略の有効性を実験的に検討したものである.全体は「1.反射率地図アプローチの提案」,「2.反射率地図の定量的推定」,「3.反射率地図の変化」,「4.全体的考察」四章からなる.この論文のなかで筆者は,斬新な視点からこの問題を理論的,実験的に検討し新たな研究方略を確立することに成功している.

 陰影からの立体形状の知覚にあたって、視覚系は反射率地図と呼ばれる関数を用いている.反射率地図は画像強度と物体表面の傾きの関係を表すもので,陰影から形状を推定するためには不可欠な要素である.しかし,これまでの研究においては、反射率地図の重要性は深く認識されておらず,実験者が先験的に定めた反射率地図に沿った知覚が正しい知覚であると考えられてきた.本研究では,こうした従来に研究とは反対に形状復元においては,視覚系内部に実装され,観察者が実際に用いている反射率地図がもっとも重要な要素であるという観点から陰影からの形状復元の問題を理論的に検討し,筆者が「反射率地図アプローチ」と呼ぶ新しい研究方略を第一章において提案している.

 第二章では,立体形状の知覚特性を実測し,そのデータをもとに視覚系が持つ反射率地図を測定し,実験心理学的な裏付けを持つ反射率地図の推定を行っている.さらに第三章の第一節では,こうした得られた反射率地図をもとに生成した陰影画像からの形状復元の特性を測定し,そうした画像に対しては精度の高い形状復元が可能であるという結果を得て,ここで提案されたアプローチの有効性を確認している.

 第三章第二節以降においては,巧妙な実験を繰り返し行うことによって,視覚系が持つ反射率地図が固定されたものではなく,適応的なものであること,さらにそうした適応的な変化が二段階ではなく,多段階の変化であることを示すことに成功している.その上で,実験結果を詳細に検討し,そうした変化には画像周辺部の平均輝度が重要な役割を果たしているという仮説を得,その仮説をコンピュータシミュレーションによって確認している.

 本研究は,従来の研究の常識にとらわれることなく,陰影情報からの形状復元に関して新しい視点を提案するとともに,そのアプローチの有効性を実証的に示すことに成功している.反射率地図の適応的な変化のメカニズムについては,今後検討すべき問題も多いが,視覚研究の新しい方略を開拓したと言っても過言ではない.そうした観点から,本審査姿員会は、本論文が博士(心理学)の学位にふさわしいものと判断した.

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