学位論文要旨



No 114871
著者(漢字) 長谷川,貴彦
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,タカヒコ
標題(和) アソシエーションの生成 : 近代イギリスにおけるヴォランタリズムの社会的起源をめぐって
標題(洋)
報告番号 114871
報告番号 甲14871
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第273号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,和彦
 東京大学 教授 木村,靖二
 東京大学 教授 石井,規衛
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 森,建資
内容要旨

 本論文の課題は、ヴォランタリー・アソシエーションに焦点を当てながらイギリス名誉革命体制下で形成されてくる社会政策の特質を把握しようとすることである。その際、本論文では対象を二つの次元に分けて考察する。

 第一に、地方都市バーミンガムにおけるローカルな事例から、ヴォランタリー・アソシエーションの発生する社会的起源を基底的レベルにおいて捉え直す。医療と教育の領域でのヴォランラリー・アソシエーションの発生は、既存の救済システムの不備を補う形で発展してくる。まず教育の領域において、日曜学校が設立された。既存の慈善学校は、18世紀前半に設立されたが、宗派毎に分裂した学校が併存し、平日学校のため労働に携わる児童が参加できないという欠陥を持っていた。アメリカ独立革命戦争後の「国民」的危機意識の高揚は、「非宗派的日曜学校」という慈善学校が孕んでいた問題を一挙に解決する方法が提示されることになった。しかし、危機意識の衰退と新たな政治的社会的対抗関係の生成によって、この運動は分裂を余儀なくされてゆく。これ以後、児童教育は宗派原則に基づいて展開することになる。他方、医療の領域では、七年戦争後の大衆的貧困状況に対応するために「任意寄付制病院」が設立された。確かに、バーミンガムにおいては、ワークハウス付属の「施療院」が存在していたが、これはセツルメント(定住権)を持つ者の救済に限られることになる。都市化に伴う労働力の移動のたかまりによって、定住権とを持たない労働者の流入が増大し、救貧法体制の不備が明らかとなる。こうした状況を改善するため、身体的治療に加え、モラル・リフォメーションの役割を担うバーミンガム総合病院が任意の寄付によって設立されたのである。この病院は、アソシエーションの原理を持ち、新興のミドルクラスに社会活動と階級的結合の機会を提供することにもなったのである。バーミンガムの事例が示すように、ヴォランタリー・アソシエーションの結成は、工業化や戦争などの社会変動によって既存のセイフティネットが破壊されたとき、それを再構築するためにイギリス固有の文化的諸資源を動員しながら行われたものであった。

 第二に、ロンドンに本部を置き全国組織として結成されてくるヴォランタリー・アソシエーションは、各地域間の連絡と調整という機能を担うことになった。伝統的に社会政策への取り組みは、教区レベルでの救済システムを基礎としつつ、個別課題ごとに議会制定法やアソシエーションの設立することによって、基本的には名誉革命体制の「地方的自律性」の枠内で処理されてきた。しかし、ナポレオン戦争への戦時体制への大衆的動員によって発生する貧困状況に対して、既存の統治政策には自ずと限界が示されることになる。戦争によって惹起される救貧税の高騰、それに加えて食糧危機・疫病・失業・道徳的アノミーといった諸問題に対して、教育・医療など福祉全般に関わる総合的対策が求められていたのである。「貧民の状態改善協会」the Society for Bettering the Condition and Comfort of the Poor)が設立されるのは、まさにこうした戦時動員体制の社会的矛盾が大衆的貧困状況の形を取って全国的規模に於いて噴出し始めたその時期であった。それは、ナポレオン戦争中に発生した食糧危機を直接の契機として設立され、戦争の終焉とほぼ時を同じくする1817年にその20年あまりの活動に幕を閉じることになった。この団体の実際の影響力という点に関する限り、1785年に設立された商工業者の圧力団体である「全英商工会議所」、或いは、1840年代の「反穀物法同盟」に結集されたブルジョワ急進主義のエネルギーとその政策的インパクトに比べてあまりに小さく、それはまた同時代に無数に設立された他のヴォランタリー・アソシエーション同様、ヴィクトリア期の社会改革者から「ベヴァリッジ報告」へと駆け抜けてゆく戦後福祉国家形成史のいわば前史となる一つのエピソードにすぎないのかもしれない。だが、「協会」が確立した「構造的複合体としての福祉」(Mixed economy of welfare)という視点は、単なるエピソードという領域を越えて現代福祉国家論に連なる問題構成を持っていると私には思われる。本稿では、この団体の活動をナポレオン戦争期固有の国家と社会の関係性のなかに位置づけて考察しているが、そのことはまた、福祉国家成立後も社会の基底に綿々と存在するヴォランタリー・アソシエーションの役割を組み込むことでイギリス近現代史を再解釈しようとする一つの試みに他ならないのである。

審査要旨

 イギリス近代史研究は近年、大きなパラダイム転換をとげている。一国史という枠組への正当な批判をかかげて、一方では歴史的現象を資本主義世界システムのなかの表徴として論じるもの、他方では社会層の精緻だが静態的な分析が、この間、量産されてきた。

 本論文は、そうした学界の流行とは一線を画した、長谷川自身の問題意識にもとづく発生史的研究である。18世紀後半から19世紀初めにいたる、対仏戦争中のイギリスにおける戦争・国家・公共政策・地域社会の連関に注目し、また社会層のうちとりわけ中間層ないし中間階級が時代の係争問題にどう対処しようとしたかという局面に焦点を絞り、問題を批判的に再構成しようとする意欲的な論文である。序論では、18世紀イギリス国家における教会と貧民・労働者をめぐる時論、そして財政の有機的関係が確認され、課題と方法が設定される。第1章では、新興工業都市バーミンガムにおける日曜学校の設立・運営が「モラル改革」という同時代の運動と地域社会のなかで分析される。第2章は、やはりバーミンガムに設立された総合病院のための拠金と運営にかかわる、社会層とヘゲモニーの分析である。第3章では、全国的広がりのもとに、やや時代を延ばしてナポレオン戦争の終結にまでいたる時期の「貧民の状態改善協会」と、これを推進した国教会内外の福音主義者たちの言説を分析する。

 この実証研究のために、長谷川はバーミンガムとオクスフォードにおける計2年の留学によって収集したローカルな、そして全国的な未公刊史料・刊行史料を活用し、また貧困および公共政策をめぐる長大な研究史を要領よく自分のものとして議論を組み立てている。またこれは、現在、イギリスの近代史研究者のあいだで議論されている福祉国家およびヴォランタリズムの起源という論点に棹さす営みである。

 この研究により、バーミンガムという急速に成長しつつある地方都市における階級関係と社会・文化的ヘゲモニーが具体的係争をつうじて形成されてくる様相が明らかにされ、また地域社会と中央政界、そして臨戦態勢の緊迫のあいだの関わりも証される。付随的に名誉革命以来のリベラルで自発的な改善策が、対仏戦争の終結による膨大な帰還兵と不況により効力を失い、やがてベンサム的改革の時代へ転じるという展望も明らかになる。

 本論文について、留保すべき点も多々あり、全体の緊密な構成という面で不満が残る。日本語・英語の表記の乱れ、先験的な用語法、歴史像を描くよりは解釈の枠組を変えることに関心が向いているがゆえの痩せた筆致、せっかく参照していながら脚註および巻末の文献表に挙がってない研究文献が少なくないこと、などがそれである。こうした欠点は、今後の精進により改善することを促したい。とはいえ、真摯な探求により学界に貢献する仕事であり、将来の活躍を期待させるものがある。

 以上により、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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