学位論文要旨



No 114872
著者(漢字) 李,双龍
著者(英字)
著者(カナ) リ,シュワンロン
標題(和) コミュニケーション・メディアと中国農村社会の変容 : 江蘇省後鎮朱家橋村のフィールドワークを中心として
標題(洋)
報告番号 114872
報告番号 甲14872
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第274号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 水越,伸
 東京大学 教授 小林,宏一
 東京大学 教授 橋元,良明
 東京大学 助教授 高見澤,磨
 東京経済大学 教授 田崎,篤郎
内容要旨

 1978年以降の改革・開放政策が実施されてから、中国社会が大きく変化してきたことは周知の通りである。しかし、その実態はどのようになっているのか。書物や新聞、テレビ、ラジオなどのマスメディアの情報や、社会のある部分に焦点を当てた世論調査だけでは、本当の変化の実態が見えてこない。とりわけ農村の場合、その人口は中国総人口の約8割を占めているにもかかわらず、これまで閉鎖的な環境に置かれ、かつ封建主義思想の影響で、その姿が一般に知られてこなかった。

 一方、80年代に入って東部沿海都市からはじまった経済発展は、次第にその周辺地域の農村地帯にも広がり、大きな変化をもたらした。これらの地域の数多くの農村は伝統的な手工業を基礎に郷鎮企業を興し、農村の余剰労働者を吸収し、農民の現金収入(農業以外の収入)を増加させ、村落の経済や社会生活を大きく改善してきた。これによって、数多くの農家が増築または新築され、耐久消費財が大量に購入され、マスメディアとの接触時間も著しく増加することになった

 本研究は中国の中で経済発展が進展している、沿海開放地域に位置する朱家橋村を対象にして、コミュニケーション・メディアの普及・利用によって、80年代以降、村落社会にどのような変化が起きているのか(What)、またこれらの変化がどういう過程をたどって起きたのか(How)、さらにこれらの変化が発生した要因(Why)とは何かなどについて、理論(文献研究も含む)と実践(フィールドワーク)双方から考察したものである。

 その結果、この村では、経済発展と共に、生活様式、往来方式、権威構造、自治意識などにも大きな変化が起きていることは明らかにされた。そして、これらの変化の過程をたどってみたら、農業の近代化の推移と農村工業化の進展などが、村落を封建的な、閉鎖的な環境から人々を脱却させ、近代的、開放的な環境へと転換させたことに大きな役割を果たしたことが実証できた。さらに、一連の変化が起きた要因として、経済の発展、政治の変革、社会の変動によるもののほかに、マスメディアの進出・オピニオン・リーダー的な存在である「精英分子」の誕生並びに90年代後半頃からのニューメディアの登場などがあったことも検証された。

 本調査は、国土の広い中国においては、特定地域に限定された微視的なコミュニケーション生活実態調査であるといってよい。しかし、経済や文化などが比較的に発展している東部沿海地域の農村地帯で実施したことには意義があったと考える。経済や文化の両側面においていまだ立ち遅れていて、これから開発される予定の中、西部地域の農村の調査を進める際の先行事例としての意義は少なくない。今後は内外の同類の研究調査を参照しつつ、追跡調査と比較調査などを通じて中国社会の持続可能な発展に適する開発コミュニケーション(Development & Communication)理論の構築を試みたい。

審査要旨

 この論文は、改革・開放政策が進む中国において、とくに農村地域を取り上げ、おもに1980年代以降のコミュニケーション・メディアの普及過程と、それによる人々のコミュニケーション生活や社会環境の変化の過程を、詳細なフィールドワークをもとに描き出したものである。調査は、進取の気風に富んだ上海近郊の江蘇省後鎮朱家橋村においておこなわれ、おもに日米のマスコミュニケーション研究の受容過程理論、普及論に依拠しながら、農村地域のコミュニケーション調査や、一部文化人類学の民族誌的調査の手法を学びつつ、進められた。

 本論文で評価される点は、おもに下記の三点である。

 第一に、これまで明らかにされたことがなかった中国沿岸部の農村地域におけるコミュニケーション・メディアと人々の関わりに焦点を当て、予備調査も含めれば一年弱に渡るフィールドワークをおこない、その実態を詳細に渡って明らかにした点である。第二に、調査地域の状況に根ざしつつ、米国のマスコミュニケーション研究で所与の前提とされてきたような価値観を批判的に検討し、中国におけるコミュニケーション研究の理論的枠組みを構築していこうとする展望と、それを実現するための方法論が備わっていることである。第三に、社会統計や先行調査に乏しい中国農村部において、統計調査とフィールドワーク調査をバランスよく織り交ぜながら研究を進めることに成功している点である。

 一方で、この論文で課題とされる点は、おもに二点あげられる。

 第一に、フィールドワーク調査に比重を置いた結果、従来日本や米国などで進められてきた農村地域のコミュニケーション研究などの先行研究の渉猟が、必ずしも十分になされていないという点である。第二に、対象地域のコミュニケーション・メディアの歴史社会的推移に対する検討や、政治経済的諸要因とコミュニケーション、メディアをめぐる諸要因の構造的連関が十分に明らかにされていないことである。ただし執筆者はこれらの課題や限界をはっきりと意識し、次の研究へと結びつけるかたちで克服しようとしていることが面接で明らかとなった。

 審査委員会では、以上の諸点を総合的に検討した結果、本論文は、中国のコミュニケーション、メディア研究においてこれまでにない新たな知見を明らかにするなど独自の学問的成果を持つとともに、今後の同領域における研究を牽引して行くだけの将来可能性を十分に持つものと判断した。したがって、審査委員会は、この論文に対して博士号取得を認めるという結論にいたった。

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