1・研究目的:社会経済的地位の上昇とは必ずしも直接結びつかない女性の学歴に、教育機会の拡大と社会階層といった要因がどのようにかかわったのか。この問題に照準をあてることにより、韓国社会の形成にとって教育がいかなる役割を果たしたかを解き明かすことが、本論文の中心課題である。教育機会の階層間格差を生み出す要因について、マクロな社会変動とミクロな人々の意識の双方を視野にいれ、実証的に解明するために、本論文は、ソウル市内の8校の大学・短大の学生を対象に実施した質問紙調査を分析することによって、上記の課題に応えようとするものである。 2・分析知見:第一章では、韓国の教育機会拡大の過程を「定員政策」を中心に考察した。韓国の高等教育拡大政策は、国民の教育機会拡大のニーズに応じる形で押し進められてきた。その結果、高等教育への進学機会が著しく拡大し、高等教育の大衆化が実現した。その背景には、塾や家庭教師などの学校外の学習活動である「過熱課外」への経済負担によって、階層間の教育機会の不平等が拡大するのではないかという懸念があった。こうした不平等問題に対し、政府は、「課外禁止」と高等教育の門戸開放を通じて解決を図ろうした。このような政策理念の分析を通じて、政府による教育機会の拡大政策の背後に、機会均等の理念が存在していたことが明らかとなった。さらに、高等教育の拡大は国家財政による支援を伴わない受益者負担の原則、すなわち学生や親が教育費のほとんどを負担する私学を中心とするものであったことを明らかにしたうえで、それゆえ、大学進学機会の拡大にもかかわらず、結果的にはそれが教育費負担能力による教育機会の構造的な不平等を温存するものであったことを指摘した。 第二章においては、このような教育拡大の背景となった社会のメリトクラシー意識を階層構造との関連で検討した。高等教育の大衆化政策の方向づけにもっとも重要な影響を与えた「教育熱」、すなわち子どもに可能なかぎり高い教育を与えようと努力する背景には、所得や職業など社会経済的地位の獲得にとって、学歴が主要な手段となる構造があり、このような階層的地位の獲得と学歴との結びつきが「教育熱」として現れていたのである。そして、高等教育の大衆化が実現した1981年を境に、能力があるにもかかわらず経済的な理由によって大学進学ができないという階層不平等意識が薄れていった。高等教育の大衆化によって、少なくとも意識の面では社会経済的地位達成に必要な学歴取得には出身階層の影響よりも、能力や努力などの業績が重要であると見る意識が強まっていることを、学校教育の量的拡大との関連で検証した。 ところが、このような人々の意識とは裏腹に、現在の韓国社会においては、階層構造の固定化が進行する状況が現れている。その点を、学縁など社会資本と言われる文化的要因として、学歴が階層地位の獲得にとって重要な役割を果たしていることを明らかにした。すなわち、韓国の階層構造化は、所得といった経済的な位置よりも、文化的な諸活動を通じて進行していること、そしてこのような新しい階層秩序のなかで女性の学歴が階層と結びつくのは学歴同類婚(educational homogamy)を通じてであること、さらには女性の学歴が職業に結びつくことにより階層地位の強化につながっていることを明らかにした。 つぎに第三章では、大学進学者の親の職業と学歴階層の分析から、平等に開かれているはずの高等教育機関の進学機会には、親の職業のみならず、親の学歴という文化的階層も強く影響していることを指摘した。さらに、高等教育機関のタイプやランクにまで分け入ると、一流大学への進学機会には階層差があり、拡大した高等教育の機会が階層ごとに異なる機会の拡大であったことを検証した。また、高等教育機関のタイプやランク別進学機会を男女別にみると、男子の場合には親の経済・文化的な階層の影響がほとんど現れない地方出身者が、ソウル所在の一流大学に多く進学していることを明らかにした。それに対し、女子の場合には、出身地域と関係なく出身階層の影響がこれら一流大学への進学機会を強く規定していること、地方出身者の一流大学進学者が少ないことを明らかにし、男女間で、地域や階層要因の影響の仕方が異なることを発見した。このようなメカニズムの違いにより、女子では短大よりも大学、そして学力ランクの高い一流大学への進学チャンスが親の階層要因によってより大きく左右されていることを確認した。そして、これらの実証分析の結果から、教育機会が著しく拡大したにもかかわらず、大学進学は無論のこと、一流大学への進学機会にも階層差があり、業績主義原理によって誰にでも開かれていると信じられている高等教育には階層の再生産機能が内在していること、すなわち入学者の学力と卒業生の進路によって可視的に把握できる高等教育機関における序列構造を通じて階層の再生産が行われていることを明らかにした。 第四章では、このようなマス教育状況のなかでの教育機会の階層構造を考慮に入れた上で、階層間の教育機会の不平等を隠蔽し、単に個人の能力の違いのみによって教育機会が与えられているかのように見なしてしまう意識構造の特徴について考察した。まず、教育への経済的・心理的投資ともいえる家庭における「業績志向の社会化」が教育へのレディネスとして働くことにより、階層間の教育機会の違いを生み出すメカニズムを分析した。その結果、学生の出身階層ごとに異なる社会化のプロセスが存在し、それが学業成績に転換され、学歴・学校歴取得機会の階層差を生み出していることを明らかにした。 さらに、大学生の階層別学歴・学校歴意識を分析した結果、高い階層では「教養」重視、低い階層では「就職」重視といったように、階層間に学歴意識の違いがみられることを明らかにした。同様に、大学タイプ・ランク別にみると、ランクの高い大学の学生は学歴・学校歴を教養という象徴的価値として捉え、低ランクの学生は就職という手段的価値を重視する傾向が見られることも確認した。しかしながら「教養」と「就職」というように、階層によって学歴・学校歴の価値づけの仕方が異なるものの、階層や大学ランクによらず、それらを能力の指標と見なす点では共通性を持っており、その意味でメリトクラシー意識が広く共有されていると見ることができる。従って、このようなメリトクラシー意識を通じて、学歴・学校歴による職業地位の獲得過程が正当化され、その結果、学歴・学校歴取得における出身階層間の格差を問わない社会が誕生すると考えられることもできる。 一方、男女の違いに着目すると、女子の進学パターンや将来の進路選択においては、出身階層による異なる社会化の影響が男子の場合よりも強く現れた。とくに女子においては男子以上に、教育への価値づけが階層によって異なり、その違いが能力へと変換され、不平等を生み出す傾向が強いことが確認された。 高等教育をめぐる階層別進学機会や意識の違いが、男子よりも女子においてより鮮明に現れるというこれまでの分析を踏まえて、第五章では、社会階層とジェンダーという二重の再生産過程を理解し、両者の関係を解明するために、女子学生の意識に焦点を当てた分析を進めた。まず、女性にとっての学歴の取得が必ずしも職業地位の獲得に結びついているわけではない理由として、仕事よりも家庭に価値を置く「女らしさ」にコミットした性役割観を取り上げ、この性役割観の存在が女性のキャリア達成にとって一つの障壁となっていることを示した。しかも、将来のキャリアパターンの選択には、出身階層ごとに異なる社会化が重要な影響を及ぼしていることを確認した。これらの知見によって、高い階層出身の女子学生は、女性=家庭という性別役割の否定と勉学や学業達成の奨励が相互に結びついた形で社会化を経験することによって、継続就業という進路選択意識を強くもつことが明らかとなった。また、大学ランクが高いほど継続就業への進路選択がなされることや、学業達成のレベルが高いほど、女子学生の能力評価も高くなることから、階層ごとに異なる業績主義への志向性の差異が、学校を媒介として、高学歴女子のなかでも将来展望に影響していることを明らかにした。これらの分析から、女子の学歴・学校歴の取得が社会階層構造の再生産に貢献する一方で、学歴取得の過程を通じて業績主義の価値観を強く内面化させることにより、女=家庭という社会のジェンダー構造に変容がもたらされる可能性が含まれていることを提示した。 3・研究の意義:階層的な視点から、学歴取得に含まれる階層差の実態と、それをめぐる人びとの意識とを実証的に分析した研究は、これまで韓国では十分に行われていなかった。しかも、そこにジェンダーがどのように関係しているのかといった点や、大学教育の拡大にもかかわらず、大学ランク間の差異が階層やジェンダーとどのように関っているのかについて検討した研究は、本論文以前には皆無であった。大学生対象という限られたデータによるとはいえ、この点を実証的に解明できた点が、本論文の最大の貢献であり、意義である。 さらに、日本以上に急速な拡大を遂げた韓国の高等教育が、どのような学歴社会を作り上げたか、それを支えた人びとの意識は、階層構造とどのように関係していたのかを明らかにすることによって、日本とは異なる学歴社会と階層との関係を示すことができた。とくに、高い学歴・学校歴を、教養であれ、就職に役立つ専門性であれ、肯定的に受け入れる意識の広がりが、学歴取得の階層差を問題にさせにくい背景となっていることを示した点で、日本の学歴主義と階層研究を相対化する視点を提供できた。この点も、本論文の意義といえる。 |