学位論文要旨



No 114876
著者(漢字) 安藤,史江
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,フミエ
標題(和) 組織学習と組織内地図
標題(洋)
報告番号 114876
報告番号 甲14876
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第136号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 佐藤,博樹
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
内容要旨

 本研究の目的は、大きく分けて2つある。1つは、未だ体系化が十分ではない組織学習の既存研究の整理を行い、その中から組織学習論の現状と今後の方向性についての知見を得ることである。既存の組織学習論では、次々に新たな研究成果を発表するものの、組織学習論がどのような歴史をたどって発展してきたか、現在の組織学習論の位置付けは何か、などの基本的な問題を積み残してきていた。そこで、本研究では、それらの整理を行い、その過程で明らかになった既存研究の不足点や研究方法を少しでも改善するよう、実証研究を行っていくものとする。もう1つは、組織メンバーの主体性についての考慮が、今後の組織学習研究において必要であることを主張することである。先行研究は、1つのまとまりとしての組織にばかり着目し、各組織メンバーの役割にすら、ほとんど注目してこなかった。そこで、本研究では組織メンバーの主体性が大きく絡む「組織内地図」という新概念を用いて分析を行うことにした。

 こうした目的のため、本研究は序章のほか、理論編と実証編、結論から成る3部7章構成をとることにした。理論編として第1章と第2章、実証編として第3章から第6章、そして結論の7章を用意している。(以上、序章部分)

 組織学習論への関心は1980年代後半から飛躍的に高まった。だが、未だにその体系化は進んでいない。そのため、多くの基本的な問題が山積みになっている。その代表的なものが、組織学習論と経営組織論の関係や、組織学習論の発展の歴史などである。そこで、こうした問題意識に基づいて既存研究を整理した結果、現在の組織学習論は隆盛期を通り越して、むしろ「理論的停滞期」に突入している可能性を指摘することができた。この現状を改善するため、先行研究をその議論前提・問題関心の違いによって、大きく3系統に分類することを提案した。それぞれの研究の参考文献を探るうち、ある系統に属すると考えられるものは、主にその系統内の研究ばかり取り上げ、他系統の研究はほとんど引用しないことに気づいたためである。(以上、第1章)

 こうした第1章の結論を受けて、3系統のうち、Hedberg系とArgyris系の2系統の比較を行った。両者とも、組織学習は組織が発展する上で必要不可欠なプロセスと捉える点で一致していたが、組織観、目標とする組織学習の水準など、様々な点で根本的な違いが見られた。こうした比較を通じて初めて、現在の組織学習研究の問題点が明らかになった。それは、各系統とも研究手法や研究関心が限られてしまっている点、ほとんどの既存研究が組織メンバーの主体性を考慮していない点であった。こうした点を改善しなければ、今後の組織学習研究に本来期待できる発展可能性を狭めてしまうことになりかねない。そこで、以上の不足点を補いながら、第3章から始まる実証編に取り組むことにした。(以上、第2章)

 実証編では、組織学習における組織文化の役割というテーマに着目することにした。そのテーマに関して既存研究を整理し、理論的フレームの作成を行うのである。現在までの組織学習論では、より良い条件を備えた組織文化と高次学習の成立との間には正の相関があるとのコンセンサスがあった。その真偽を実証しようというのである。先行研究を整理した結果、いわゆる組織文化の中には、各組織メンバーがそれを自分なりに咀嚼して解釈し直すプロセスまで含まれてしまっていることが判明した。だが、両者は全く異なるものである。そこで、「組織内地図」と命名し、組織文化から分離することにした。一方、高次学習も2種類に区別されることがわかった。1つは、企業全体の価値を学習対象とする「企業レベルの高次学習」、もう1つは、仕事に関わるより具体的な価値を学習対象とする「ビジネス・レベルの高次学習」である。その上で、高次学習と密接な関係にあるのは、実は、いわゆる組織文化ではなく、組織内地図であるとの仮説を持つに至った。(以上、第3章)

 第4章では、第3章で作成した理論的フレームワークの妥当性を事例分析を通じて検証する。本章で用いる事例は、社内の意識改革運動に取り組んだA社とB社の2社である。両者は一見類似した運動を展開したが、その成果には違いがあった。成功したB社と失敗したA社である。この両者を対比すれば、高次学習の成立に必要な要素が組織内地図であるか否か、検証できる。また、このうちB社は、既存研究では十分に説明できない、組織学習論における理論上の矛盾を抱えるケースであった。「2種類の高次学習」という考えがこの矛盾の解決に役立てば、3章のフレームに妥当性はあったと考えることができる。分析の結果、A社とB社の違いには、組織内地図の形成度合の違いが深く関わっていることが明らかになった。また、B社の矛盾は「2種類の高次学習」という考え方を導入することによって、すっきりと整理することができた。さらに、この過程の中で、組織内地図と密接な関係があるのは、ビジネス・レベルの高次学習であることも確認できたのである。(以上、第4章)

 第4章でその妥当性が確認された理論的フレームを用いて、組織内地図とビジネス・レベルの高次学習の関係を統計的に分析することにした。分析には、質問票調査「組織活性化のための従業員意識調査」から得られたデータを用いる。まず、半ば定説のようになっている組織文化とビジネス・レベルの高次学習との関係から検証を開始し、ついで組織内地図との関係も確かめた。具体的には、相関分析やパス解析を行った。その結果、組織文化は、組織内地図の形成という過程を経て初めて、ビジネス・レベルの高次学習を実現する可能性が高まることが見出せた。いわば、組織文化とビジネス・レベルの高次学習との関係は見せかけのものであり、組織内地図こそ、ビジネス・レベルの高次学習の必要条件の1つであったと考えられるのである。以上の結果は、調査対象起業8社を、地図形成度と学習活発度の2軸の上にプロットすることによっても確認された。(以上、第5章)

 第6章では、5章の分析結果を活用し、企業が現実に直面している「バブル期社員の問題」の解明を試みた。バブル期に入社した社員は、それ以外の時期に入社した社員と比較して、著しく学習能力や人材が劣ると指摘されることが多い。その真偽を探るとともに、真実である場合、その現象を「組織内地図」の観点から説明できるか考察を行った。入社時期の違いにより、調査データをバブル期以前(3つ)、バブル期、バブル期以後の5つに分け、分析を行った。その結果、やはりバブル期入社組の学習活発度が最も低いことが明らかになった。同時に、彼らの組織内地図の形成度も最も低く、バブル期の学習程度の低さは彼らの地図形成度と深く関わる可能性が指摘された。ここでさらに、バブル期のみ問題となった原因を探るため、C社の事例を用いた。C社の事例は、バブル期が一時的に従業員育成の仕組みが崩壊した時期にあたることを示唆していた。そのため、バブル期の社員のみ、地図形成に支障が出たと考えられるのである。最後に、こうした問題の解決には、経営トップによるリーダーシップのあり方が重要になることにも言及した。(以上、第6章)

 最後に、理論編、実証編それぞれの結論を述べるとともに、全体を通して本研究が組織学習研究に為し得たと考えられる貢献について考えた。また、今後の課題や展望についても2、3取り上げた。(以上、第7章)

審査要旨 論文の構成

 組織学習プロセスとは、一般的には、組織が新たな知識や価値観を、顕在的あるいは潜在的にも習得していく過程を指すが、広くは、こうした(1)知識獲得のみならず、(2)獲得した情報の分配、(3)情報解釈、(4)組織記憶まで含めたプロセスまで含めて考えるものまである。この論文は、広義の組織学習プロセスに関する調査研究を自ら進める中で「組織内地図」の概念を新たに導き、その重要性に着目した研究である。この論文は7章構成で議論を進めている。

 まず第1章のイントロダクションの後、第2章では、組織学習に関する既存研究のレビューを行い、この論文と同様に、主観的な側面から組織学習現象を捉えようとしている研究の整理を行っている。従来、組織学習研究は大きく一括りにされていたが、この論文では、先行研究はその議論前提の違いから3つの系統に区別して扱うべきだと主張している。その3つとは、組織ルーティンの変化を研究対象とするMarch系、アンラーニングを研究の中心に据えるHedberg系、そして、組織介入による組織変革を研究するArgyris系のことを指す。以上のように既存研究を3つのグループに区別した上で、March系ではなく、Hedberg系とArgyris系の組織学習研究におけるこの論文の位置付けを明確にすることも行っている。

 第3章では、既存研究の整理を通じて、組織文化から組織内地図を分離する必要性を指摘し、その上で、組織文化と組織学習との関係をより正確に理解するのに、新概念である組織内地図が有用に働くような理論的フレームを作成している。

 第4章では、第3章で作成した理論的フレームを使って、事例分析を行っている。対象は、社内意識改革運動に取り組んだA社とB社の2社である。2社はほぼ同様の運動を行いながら、その成果としての学習活動には違いが見られた。この2社の比較を通じて、組織学習プロセスにおいて組織内地図という概念が重要である可能性が指摘されている。また、従来、同一視されていた組織文化と組織内地図が、本質的に異なる概念であることも確認されている。

 第5章では、事例分析でも確認された本研究の理論的フレームを、8社の約1000人のホワイトカラーから得られた質問票調査のデータを使って統計的に分析している。組織文化と組織内地図は異なる概念であるかどうか、組織学習プロセスにおいていずれの概念がより重要であるかが検討される。

 第6章では、第5章の結果をさらに発展させて、入社時期の違いという変数を新たに導入した上で、バブル期入社組の学習活動の低さに、組織内地図という新概念がどのようにかかわっているのかを集中的に分析している。さらに、バブル期のみ学習活動が低いとされている原因について、質問票調査の対象企業の1つであったC社の事例についても考察を行っている。

 第7章では、この研究で得られた理解をまとめ、今後の課題・展望について述べられている。

論文の主要な貢献

 組織学習論自体は既に30年以上の歴史があり、一見かなり体系的な整理が行われてきたように見える。ところが、組織学習プロセスの実証分析を行うにあたっては、理論的フレームワークとしての問題点も多い。例えば、この論文が試みているように、実際に組織文化と組織学習との関係を実証分析しようとすると、組織学習論の既存研究には、ある共通する問題点が存在していることが鮮明になる。それは「より良い条件を備えた組織文化のもとでは、より優れた組織学習が実現しうる」という暗黙の前提の存在である。実際には、この暗黙の前提では十分に説明しきれない組織現象も多々存在している。第4章で取り上げられたB社の事例のように、組織文化に大きな変化はないのに、ある時期から急に組織の学習活動が活発になるケース。あるいは、第6章で取り上げられたC社の事例のように、同じ組織文化のもとで組織活動を営んでいるにもかかわらず、入社時期の違いによって学習活動に大きな差が生じるケースもある。このように既存研究の「暗黙の前提」を前提としていては、組織現象の実態を十分に分析することができないという現実にぶつかったことで、この論文の研究動機が生まれている。

 それでは、なぜ既存研究では、より良い条件を備えた組織文化のもとで、より優れた組織学習が実現しうるということが暗黙の前提となってしまったのであろうか。実は、事例分析の場合も理論構築型研究の場合も、先行研究では、最初から、組織文化の特性と優れた学習活動(その結果としての組織の業績)の2変数の関係にのみ限定した分析が行われることが多く、この場合、組織は一つの同質的単位として単純化され、組織内部の差異や個人的差異に特別な配慮が向けられることはなかったのである。組織としての学習の原点であるはずの具体的な個々の「組織メンバーの学習活動」は忘れ去られ、組織文化が組織メンバーの思考や行動に対して持つ画一的かつ回避不可能な影響力を仮定して、組織文化と組織学習の2変数の関係のみに限定した議論を行うことが多かった。既存研究は、組織内部において重要な組織メンバーの感受性や認知能力が持つ作用には、ほとんど注意を向けずにきたのである。

 こうした既存研究の多くに見られる研究スタンスは、組織学習現象のおおよその傾向を把握するという点にかけては成功してきたかもしれないが、本来、組織学習の主役であるはずの組織メンバー個人の視点を完全に抜きにして、真の組織学習現象を理解しようとするのは不可能であろう。先に少し触れた本研究の第4章のケースや第6章のケースに関して発生している問題も、既存研究のこうした偏った基本スタンスに原因していると考えることができる。そこで、この論文では、先行研究とは異なり、組織メンバー側に軸足を置いて組織学習研究を行うというスタンスをとっている。具体的には、組織学習の原点であるはずの個々の組織メンバーの学習活動にさかのぼって、彼らが物事をどのように受け止めた場合に、学習活動が促進されるかを分析・考察することにしている。そのために新たに分離された概念が、第3章で詳述される「組織内地図」である。

 組織内地図を組織文化から分離する必要は、安藤氏によれば組織学習に関する事例分析を積み重ねる過程から浮かび上がってきている。第4章で触れられるB社にヒアリング調査を行った際、このB社では、意識改革運動を通じて、社内に優れた組織学習や活発な組織学習を実現することに成功していたが、組織文化とそれを個人が加工して良い形に作用させることとは別物と受け止められていたのである。しかも、必ずしも両者が連動した動きをするものではないことも認識されていた。この後者、つまり、個人が加工して良い形に作用させたものこそ、この論文が「組織内地図」と名づけることにしたものであり、組織文化とは、明確に区別する必要があったのである。

 組織内地図とは「1人1人の組織メンバーによっていったん咀嚼され、各自が利用しやすいように自分なりの解釈をしたり、加工した組織文化」のことを指す。この定義から明らかなように、組織内地図という概念は、組織文化の概念から分離されたものである。既存研究ではこれまで、組織内に漠然と存在する組織価値や組織特性としての「いわゆる」組織文化と、組織内地図のような組織メンバーによる加工を経た組織文化とを区別せず、混同して扱ってきた。なぜなら、既に述べたように、既存研究では、組織は一つの同質的単位として単純化され、組織内部の差異や個人的差異に特別な配慮が向けられることはなかったからである。組織文化が組織メンバーの思考や行動に対して持つ画一的かつ回避不可能な影響力を仮定していたために、組織内地図を組織文化から分離する発想は生まれなかったのである。組織文化を各組織メンバーが咀嚼したかどうかなどは考察の対象にもならなかった。

 だが、両者は本質的に異なるものである。組織文化は組織全体に広く共通したものであるが、組織内地図は組織メンバーの内部に深く関わる、個々人で微妙に異なる存在だからである。しかも、両者は必ずしも連動するものではない。すなわち、この論文の第5章・第6章で明らかになるように、組織文化は共通でも、個々のメンバーの組織内地図は異なっている場合がある。極端な場合、組織メンバーによっては組織内地図が形成されないかもしれないのである。

 この論文の実証研究によれば、より良い組織文化の存在は、個々の組織メンバーの組織内地図形成を促し、その結果として、間接的にビジネス・レベルの高次組織学習の実現に貢献するというおおよその関係はある。しかし同時に、ビジネス・レベルの高次組織学習の成立と直接的に関係があるのは、組織文化ではなく、組織内地図の方なのだということも明らかにされた。

 このように、既存研究がこれまで意図的に見落としてきた組織内部での差異に着目し、組織文化から組織内地図を異なるものとして分離すること、これは、個々の組織メンバーの側から組織学習現象を捉えようとする本研究の基本スタンスがあって初めて可能になったことである。既存研究では似たようなものとして混同されて扱われていた組織文化と組織内地図を正しく区別した点が、この論文の最大の貢献と考えることができる。

論文の評価

 以上のように、組織内地図の概念を組織文化から新たに分離し、なおかつ、両者が必ずしも連動しない別個の変数であることを統計分析で明確に示したことは、組織学習論、組織文化論に対するこの論文の大きな貢献である。また組織文化の点では遜色のないバブル期入社組の学習活動の低さを組織内地図の観点から説明してみせる部分は、現実の組織現象や問題に対するモデルとしての切れ味、説明力を存分に発揮しており、組織学習論の面目躍如といったところで清々しくさえある。組織学習の原点であるはずの個々の組織メンバーの学習活動にさかのぼって分析するという、言われてみればきわめて当たり前のことが、これまで組織学習論ではなおざりにされてきたことの重大性と深刻さを改めて再認識させられる。この論文の第5章・第6章が元にしている論文は、評価の高いレフェリー付き学術誌である『組織科学』に掲載されただけではなく、1999年度の組織学会賞高宮賞(論文部門)を受賞しており、既に学会で高い評価を得ている。

 論文の他の章も多くは既に学術書の中の章として公刊済であるが、例外的に書き下ろし部分といえる第2章は、文献のレビューであるが、実はこのような形で明解に組織学習論を整理したのは、国内外を通して、おそらく初めてであり、審査委員の一部から高い評価を得た。文献レビューとはいえ、この第2章の部分が発表されれば、学会で混迷を続ける組織学習論の研究動向に大きな影響を与えることは間違いない。

 もちろんこの論文にも問題点はある。第4章で扱われている事例研究は、組織内地図の概念からするとやや異質であり、そのせいもあって、第4章と第5章・第6章とでは組織内地図の意味が異なっているような印象を与えている。第5章・第6章がこの論文の中核であることを考えれば、第4章についてはその扱いを軽くするか、もしくは論文全体の中での位置づけを変える必要がある。しかし、こうした問題を残しているとはいえ、この論文が提起した組織内地図は有望な概念であり、今後の研究の進展によっては、組織学習論における重要なキー・コンセプトとして発展していく可能性を秘めている。

 以上により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。

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