学位論文要旨



No 114877
著者(漢字) 李,亨五
著者(英字)
著者(カナ) イ,ヒョンオ
標題(和) 企業間システムの選択に与える製品特性と組織能力の影響 : 日本の化学繊維産業の分析を中心に
標題(洋)
報告番号 114877
報告番号 甲14877
学位授与日 2000.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第137号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 大東,英佑
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 橋本,寿朗
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
内容要旨

 本論文の目的は,製品特性と組織能力が企業間システムの選択に与える影響を分析することである.具体的には,日本の化学繊維産業において原糸メーカーが川下分野に対して構築してきた様々な企業間システムを考察し,原糸メーカーがなぜそのような企業間システムを選択したかを,製品特性と組織能力の観点から分析することである.

 この研究目的の下で,本論文の研究課題は,系列システムの一種であり,長期取引的賃加工システムという特徴をもつ「PTシステム」の存在状況と関連する次の三つの事実を分析することである.その事実とは,第一に,化学繊維の様々な製品分野の中で,PTシステムが合成繊維長繊維分野のみに顕著に見られること,第二に,合成繊維長繊維分野においても,PTシステムの重要度は,産業規模の変化パターンとは逆に,高・低・高というU字型的変化パターンを示したこと,第三に,今日の合成繊維長繊維分野において,PTシステムに投入される原糸は主に差別化原糸であることである.

 企業間システムの選択に関するこうした原糸メーカーの行動を分析することには,まず,既存理論による分析を試みた.既存理論として,文化論,比較制度分析論(現代日本経済システム戦時源流説),二重構造論,取引コスト論,関係特殊的機能論を取り上げ,それぞれの理論によって,原糸メーカーの行動を説明することにした.その結果,既存理論は,原糸メーカーの行動を部分的には説明するが,三つの事実全てを包括的に説明することには至らないことを議論した.

 こうした既存研究の限界を踏まえて,本論文では,取引コスト論が注目する製品特性と,関係特殊的機能論が注目する組織能力に注目し,製品特性と組織能力,両方を考慮する分析枠組を提示した.同分析枠組においては,企業間システムは,複数の機能活動に対する取引形態の組合せであり,各取引形態は,製品特性の要因である「機能活動間の相互依存性」と,組織能力の要因である「組織能力の比較優位性」によって決められるということを議論した.

 そして,原糸メーカーの行動を分析する前に,企業間システムの選択に関して,原糸メーカーが実際行ってきた行動を,三つの章で詳しく考察した.こうした考察を踏まえた上で,原糸メーカーの企業間システムの選択に関する上記の三つの事実を,本論文の分析枠組によって,次のように分析した.

 第一に,PTシステムがレーヨン長繊維と,レーヨン及び合成繊維の短繊維にはあまり見られず,合成繊維長繊維のみに顕著に見られるという事実に対しては,本論文の資料だけでは本格的な分析ができないという限界があるものの,次のような分析を行った.

 まず,PTシステムが,レーヨン長繊維には採用されなかったことについては次のように分析した.戦前のレーヨン長繊維の場合は,原糸メーカーと織布企業の間で商社が原糸の流通に主導的な役割を果たし,しかも,同繊維は製品が標準化されていたので,原糸メーカーは,織物に関わる活動に関与する必要もなく,それらの活動を行う企業と緊密な連携を採る必要もなかった.その結果として成立したのが短期取引的原糸販売システムであった.なお,戦後は朝鮮動乱後の反動不況の中で,織物の自主販売能力を失った織布企業を救済する形で賃加工システムが形成されたが,それは短期取引的性格のものであり,同システムの採用も部分的であった.

 次に,レーヨン及び合成繊維の短繊維分野においてもPTシステムが成立しなかったことについては,紡績糸メーカーの多くは戦前からの大企業であり,短繊維メーカーが紡績糸の開発や販売において紡績糸メーカーに比べて優位な組織能力を持っているとは限らないことを議論した.それ故,短繊維メーカーが賃加工システムを採用せず,主に原綿販売システムを採用するとともに,紡績兼業短繊維メーカーは自社の紡績設備を活かすために部分的な垂直統合システムを採用したと議論した.しかも,短繊維の開発・生産と紡績糸の開発・生産との間の相互依存性が低いので,原綿販売システムは短期取引的であると議論した.

 第二に,合成繊維長繊維分野においてもPTシステムの重要度がU字型的変化パターンを示したことについては,次のような分析を行った.その分析では,先発メーカーである東レのケースに対する分析を先に行い,同社に見られた行動パターンが他の原糸メーカーにおいても類似な形で見られ,その結果として産業全体としても,PTシステムの重要度がU字型的変化パターンを示したと議論した.東レのケースに関する分析は以下の通りであるが,その分析では,産業の進化に伴う東レの製品戦略が企業間システムの変化に重要な影響を与えたと議論した.

 まず,産業の生成段階における状況を見ると,朝鮮動乱後の反動不況によって繊維商社や織布企業が織物の自主販売能力を失い,原糸メーカーが賃加工システムによって織物販売までを行わざるを得なくなった.こうした歴史的初期条件を持ちながら,東レは合成繊維長繊維事業を開始した.しかも,当時の合成繊維は技術的に見て製織や染色が難しい繊維であり,原糸の開発・生産と織物の開発・生産間には高い相互依存性が存在する製品であった.それ故,同産業の生成期には,東レは企業間システムとしてPTシステムを採用した.

 ところが,1960年代半ばから第一次石油危機発生以前までの産業の成長期においては,合成繊維長繊維の製織や染色は技術的に容易になり,しかも東レは,コスト優位戦略の下で原糸の生産を拡大していった.この製品戦略の下では,東レは,増産した原糸の全てを自社の責任で織物化することには限界があり,しかも技術指導無しで一般の織布企業や染色企業が織物を生産することが可能になった.その結果,自社の織物販売能力を超過する部分については主に定番原糸を中心に原糸販売システムを採用し,しかも賃加工の中でも短期取引の部分を拡大させた.これらの代替的システムの拡大によって,この時期にPTシステムの重要度は低下することになった.

 しかし,東レの原糸生産拡大の戦略は第一次石油危機の後に後退する.同社は1970年代後半からは,原糸増産が規制された環境の下で,織物事業に重点を置くとともに,原糸の差別化戦略を推進した.差別化原糸の場合は,原糸の開発・生産は特定の織物の開発・生産を前提として行われており,それ故,原糸の開発・生産と織物の開発・生産との間の相互依存性が高い.その結果,東レは,織物の開発と販売に関する自社の能力を活かしながら,織布企業及び染色企業との緊密な相互調整を前提とするPTシステムを強化してきた.

 第三に,今日,PTシステムが主に差別化原糸に対して採用されるという事実に関しては次のように分析した.この分析においては,東レと帝人のケースを取り上げ,当事者に対するインタビュー内容による分析と,質問票調査による分析を行った.同分析では,両社ともにおいて,原糸の類型によって,異なる企業間システムが採用されることを分析し,両社間の相違点についても若干議論した.

 まず,原糸類型と企業間システム類型間の関係については,原糸を定番原糸と差別化原糸に分類し,定番原糸の場合は短期取引的原糸販売システムが,差別化原糸の場合はPTシステムが採用されることを確認した.なお,短期取引的賃加工システムに全面的に投入される原糸は存在しないが,同システムは,主に中程度の差別化原糸を対象にし,PTシステムに対する補完的システムとして利用されることを確認した.そして,原糸の類型と企業間システム類型間のこうした関係は,各原糸類型において,織物開発・生産・販売というそれぞれの機能活動に対する原糸メーカーの比較優位性と,それらの活動が原糸メーカーのコア活動に対してもつ相互依存性によって説明されると分析した.特に,差別化原糸の場合は,原糸メーカーは織物開発・販売に対して高い比較優位性をもっており,しかも,原糸開発・生産と織物生産との間に高い相互依存性が存在する故,PTシステムが採用されると分析した.

 次に,原糸メーカー間の相違に関しては,東レが帝人に比べて,より積極的にPTシステムを採用し,しかも短期取引的賃加工システムをも依然として活用していることを指摘した.この相違は,東レが織物開発や販売に関して,帝人が原糸販売に関して,相対的に高い能力をもつことに起因し,この能力上の相違は両社における歴史的経緯に起因すると分析した.

 以上の分析を行った上,本論文のもつ実践的また理論的インプリケーションを議論した.実践的インプリケーションとしては,本研究が,系列システム構造の多様性に関する我々の理解を深めてくれること,また,日本における系列システム一般の有効性に関して示唆点を与えることを議論した.次に,理論的インプリケーションとして,企業間関係をシステム的に分析する必要があること,また,企業間システムの選択に影響を与える要因としては製品特性と組織能力両方を考慮する必要があることを議論した.

 最後に,今後の研究課題としては,まず,分析枠組に関する課題としては,本論文が提示した概念の内容を明らかにし,それらの概念をより詳しく測定するための下位概念や分析ツールを開発すること,また,どのような機能活動に対して能力を構築すべきかという問題に関して研究することを取り上げた.次に,実証上の課題としては,化学繊維産業における企業間システムに関して国際比較研究を行うこと,また,化学繊維以外の製品分野における企業間システムを研究し,産業間の比較分析を行うことを取り上げた.

審査要旨

 本論文は、日本の化学繊維企業において観察された長期取引的賃加工システム(いわゆる「PTシステム」)などに関する実証分析と理論的考察を通じて、製品特性と組織能力が「企業間システム」の選択に与える影響を明らかにすることを目的としている。論文は、全体で7章からなり、第1章が問題設定、第2章が既存研究の検討と分析枠組の提出、第3章から第5章が化学繊維産業における歴史と実態の詳細な把握、第6章が以上の事実に対する理論分析枠組を使った分析、そして第7章が総括と今後の課題の提示となっている。また、実態把握の部分では、第3章で製品分野により企業が選択する企業間システムが異なること、第4章で同じ製品分野でも時期によって選択される企業間システムが異なること、第5章で同じ製品分野でも企業によって選択される企業間システムが異なることが、日本の代表的化学繊維企業である東レ株式会社のケース分析などを通じて明らかにされている。

 第1章では、本論文の目的を「製品特性と組織能力が、企業による企業間システムの選択に与える影響を分析すること」と規定し、研究全体のアウトラインを示す。具体的な実証分析の対象としては、日本の代表的な合成繊雑企業(東レなど)における、製織企業や商社を含む「企業間システム」(安定的なパターンを持つ複合的な取引関係の束)を取り上げる。まず、糸と織物の開発・生産・販売に関して、「販売」(売りきり)、「賃加工」、「垂直統合」(内製)の3タイプの企業間システムに分け、前二者は長期取引と短期取引に分類する。この中で特に注目するのは、長期取引的賃加工システム、いわゆる「PTシステム」である。そして、東レなど原糸メーカーによるこうした「企業間システム」の選択に関して、説明すべき3つの事実を提示する。すなわち、(1)「PTシステム」は主に合成繊維長繊維で採用されたが、短繊維では「短期的販売」が中心であったこと、(2)長繊維分野でも、戦後における「PTシステム」の採用率は、時とともに「U字型カーブを描くように変動したこと、(3)同じ長繊維分野でも、二大原糸メーカーである東レと帝人では相違と共通点があること、である。そして、これらを詳細に記述し、そうした事実を整合的に説明しうる理論的分析枠組みの提出を目指すものとして本論文を位置付ける。最後に、より広い文脈における本論文の貢献として、系列システム(特に自動車などと異なる川下系列システム)への理解を深めること、個々の取引ではなく複合的な取引関係の束、すなわち「企業間システム」という分析単位を提示すること、そして企業間システム選択の要因として製品特性と組織能力とを同時に分析する枠組を提供すること、などを主張している。

 以上を踏まえ、第2章では、前章で示した3つの基本的事実を説明する可能性のある既存理論を検討し、その結果を踏まえて本論文の理論的枠組を提示する。既存理論としては、以下の5つを検討する。(1)ドアに代表される文化論は、日本固有の文化特性(信用、長期指向、責任感、友好指向など)で長期取引関係(関係的契約)を説明するが、製品特性や時期により選択される企業間システムが異なるという事実を説明できないとする。(2)青木・奥野・岡崎らに代表される「比較制度分析論」は、制度的補完性と経路依存性を分析ツールとして制度の進化を説明するが、戦時体制を「現代日本経済システム」の源流とするその応用版は、戦後発達したPTシステムを説明できず、また製品間の選択の違いを説明できないとする。(3)「二重構造論」は、大企業(中心領域)による小企業(周辺領域)のバッファー的利用や低賃金利用を下請け制の成立要因として重視するが、やはり製品間・時代間での企業間システム選択の違いを説明できず、また長期取引と短期取引が併存することも説明できないとする。(4)ウィリアムソンに代表される「取引コスト論」は、財や取引の特性(不確実性、取引頻度、資産特殊性)によって、取引形態(市場的スポット取引、長期取引、垂直統合)間の相対的な取引コストが異なり、したがって、取引コスト最小化を基準とする取引形態の選択結果も製品や取引の特性によって異なりうる、と考える。この理論は、前三者に比べると、本論文の「説明すべき事実」に対する説明力がより大きいが、なぜ不確実性の高い差別化糸で内製でなくPTが選ばれるか、なぜ短繊維で「販売(市場取引)」が選択されたか、なぜ企業により選択が異なるのか、などを説明できないとする。(5)最後に、淺沼の「関係特殊的技能論」は、取引形態(承認図、貸与図方式など)により、関係企業に要求される組織能力(関係特殊的技能)が異なるとしている。この枠組は、取引コスト論の弱点である個別企業の違いの説明に威力を発揮するが、逆に、取引コスト論で展開された[製品特性による取引形態の違い」と言う視点はやや希薄になっている、と論者は指摘する。

 以上をふまえて、論者は、製品特殊的な特性としての「機能活動間の相互依存性」と、組織特殊的な特性としての「組織能力の比較優位性」とを同時に考慮する分析枠組を提示する。その理論的源流は、前者については技術派の組織コンティンジェンシー理論(特に相互依存性に着目したトンプソンの古典的著作)、後者については、近年、戦略論などで注目されるようになった「経営資源・組織能力」アプローチである。また、説明すべき現象を「個別の取引関係」ではなく、それらが複合的な束となった「企業間システム」とする。この結果、「機能活動間の相互依存性」と「組織能力の比較優位性」の二要因によって企業間システムの選択を説明しようとする、本論の分析枠組が提示される。より具体的には、開発・生産・販売などの機能活動それぞれに関して、他企業よりも自社の組織能力が高い場合は「内部取引」が選択され、他社の組織能力が高い場合は「外部取引」が選択され、さらに後者の場合、コア活動との相互依存性が高ければ「長期取引」、低ければ「短期取引」が選択されるとする。そして、この基本仮説を「企業間システム」のレベルで適用することにより、本論の「説明すべき事実」を説明しようと言うわけである。

 以上を前提に、第3章〜第5章では、前述の「説明すべき3つの歴史的事実」が詳細に記述される。まず第3章では、製品分野によって選択される企業間システムが異なっていたことが歴史的データの分析により確認される。

 第3章は、戦前・戦後のレーヨンおよび合成繊維産業の歴史を製品分野別に概観している。まず、戦前は綿糸中心だったが戦後は化学繊維に移行したこと、化学繊維の中では、戦前はレーヨン、戦後は合成繊維が主役であったこと、レーヨン生産企業の多くがレーヨン衰退期に合成繊維分野に参入したことが、統計資料などで確認される。また、合成繊維、とりわけ長繊維の中では、1950〜60年代にナイロン長繊維がまず主力となり、その後ポリエステル繊維が主役となったこと、長繊維の主要産地は戦前のレーヨンから戦後のナイロン、ポリエステルまで福井県と石川県であったこと、第一次石油危機以降は輸入増加によって国内の合成繊維生産量は頭打ちになったことが明らかにされる。

 次に「企業間システム」の推移を見ている。戦前のレーヨン短繊維では紡績企業による垂直統合もみられたが、レーヨン長繊維では商社や取引所を介して原糸メーカーが糸を市場取引するのが基本だった。戦時・戦後の統制時代を経て市場取引が復活したが、朝鮮動乱後の不況下で、レーヨン長繊維では短期の貨加工システムが出現した。糸の相場暴落で糸商と織物業者が衰弱する中で、原糸メーカーが織物業者を救済するための苦肉の策として採用したのが賃加工システムである。さらに、相前後して台頭したナイロン長繊維では、この賃加工システムが、特定織物企業への長期の技術指導を伴いつつ継承された。これがPTシステム、すなわち長期取引的賃加工システムである。賃加工システムの採用率は、特に1960年代以降、ナイロン長繊維とポリエステル長繊維で高かった。一方、レーヨン短繊維では紡績企業による垂直統合、ポリエステル短繊維では原糸販売(市場取引)が多かった。このように、第3章では、「企業間システム」の選択は、長期的に見ても製品分野により異なることが、歴史的な発生経緯も含めて示されたのである。

 第4章では、PTシステムが集中的に観察された合成繊維長繊維の場合でも、よくみると時代によってPTシステムの採用率が変動していること、具体的にはU字型(高→低→高)に波打っていること、およびその要因を明らかにする。まず、産業レベルの統計をもとに、賃加工システムへの原糸投入比率が概ねU字型に推移したことを確認する。次に、代表的企業である東レに焦点を絞り、統計データと当時の関係者の証言を傍証的に積み重ねる形で、賃加工、とりわけPTシステムの発生と変動を説明している。すなわち、レーヨン長繊維で1950年代の不況期に賃加工システムが成立し、それと相前後したナイロン長繊維の技術導入を契機に、技術指導などの必要性からこれが長期的取引関係に転化し、「PTシステム」が成立したこと、1965年のナイロン不況を機に建値制が崩れ、その後の成長期に(技術指導や気密保持の必要性が低下したこともあって)PTの織物生産能力を超える分の原糸供給が原糸の市場販売に回ったこと、第一次石油危機以降の需要停滞・国際競争激化期に、原糸販売先であった産元商社が弱体化する中で、東レは再び織物の開発・販売機能を強化したこと、国内生産品の国際競争力が低下する中で、ポリエステル長繊維を中心に糸と織物の差別化戦略(特品化戦略)が採られ、これが80年代以降の「新合繊」につながったこと、そして以上が、第一次石油危機後のPTシステムの再拡大・再強化の背景にあったこと、等々が説明されている。

 第5章では、2大原糸メーカーである東レと帝人の企業間システムが比較分析されている。まず、両社のポリエステル長繊維において、差別化原糸が半分前後を占めている事実が確認される。次に、企業間システムの選択に関して両社を比較し、どちらも定番糸(標準化された汎用糸)で短期取引的原糸販売、差別化糸(用途の特定された原糸)でPTシステムを採用する傾向があるものの、全体としては東レの方が賃加工依存度が高く、帝人の方が原糸販売依存度および商社依存度が高いことが示される。その背後には、両者の戦略的重点の違い(東レは織物販売優先、帝人は原糸販売志向)がある。また差別化糸でPTが選択されやすいことの背景には、原糸メーカーの織物販売能力、および差別化糸と織物の開発・生産における相互連携の必要性があることが示唆される。また、東レの場合は、中程度の差別化度の糸に関して短期取引的賃加工システムをパッファー的に併用していることが紹介されている。また、両社において糸の品種単位で行なった質問票調査によって、以上の比較分析が概ね裏付けられている。

 第6章では、以上の事実確認に基づいて、本論の理論枠組を用いた分析が展開される。これは、聞き取り調査に基づく「当事者の見解」の分析と、アンケート調査に基づく統計分析を組み合わせて行なわれる。

 第一に、原糸メーカーの「コア活動」を原糸の生産・開発と規定し、「当事者の見解」の聞き取りによって、他の活動における組織能力と相互依存性を評価した。(1)定番原糸に関しては、製品が標準化しているためコア活動と織物開発・生産・販売との相互依存性が低く、また商社が織物の開発・販売に関して組織能力の優位性を持つため、短期取引による原糸販売(売りきり)が選択された、と説明する。(2)これに対して、差別化原糸の場合は、織物の開発と原糸の開発が密接に連動しており、原糸メーカーが織物開発に関しても比較優位を持つため、原糸メーカーが織物開発も内部で行なう。織物の生産は、織物メーカーが比較優位を持っており、外部取引が有利だが、コア活動との相互依存性が高いため長期取引となる。差別糸を使った織物の販売に関しては、資本力や開発との連動性、価格形成能力などの点で、原糸メーカーが有利と見る。この結果、差別化原糸では、原糸メーカーが糸の開発、糸と織物の開発、織物の販売を行ない、織物の生産を長期賃加工で外部に出す「PTシステム」が選択された、と説明される。(3)また東レの場合、中程度の差別化原糸は、織物生産の相互依存性が相対的に低いことから、短期取引的賃加工システムが選択されたと説明される。

 次に、東レと帝人の違いについては、歴史的に東レは織物の販売、帝人は糸の販売に強い、という組織能力の違いによる説明を試みる。すなわち、原糸販売に強く織物販売に弱い帝人は、差別糸以外では原糸販売に頼り、またPTの稼動責任に関して商社に任せ、差別化の程度の低い糸の織物販売も商社に任せる傾向があったと指摘する。

 続いて、質問票調査による分析を行なっている。「原糸の差別化度」「機能活動間の相互依存性」「織物の機能活動別の組織能力の比較優位性」を説明変数、企業間システムの特性を非説明変数(いずれも複数指標)とする、回帰分析を試みている。各変数は、企業内の回答者による、リカートスケールでの主観的評価に基づき測定された。

 分析は各機能ごとに分解して、段階的に行なわれた。まず、織物開発と織物販売における原糸メーカーの比較優位性を、原糸差別化度(製品特性)と企業ダミー(組織能力)で回帰した結果、概して差別化度が高い程、原糸メーカーの織物開発・販売の比較優位性が高く、また東レの方が帝人より高いことが示された。次に、以上の原糸メーカーの織物開発・生産の比較優位性が内部取引/外部取引の選択に影響しているかを調べた結果、開発・販売それぞれにおける原糸メーカーの比較優位性が、賃加工システム(織物の開発・販売を内部化している)の選択率に正の相関を持つことが示された。

 次に、同じ賃加工であっても、原糸の差別化度が高ければ原糸メーカーのコア活動(原糸生産・開発)と織物の生産活動の相互依存性が高く、長期取引の選択率、したがってPTシステム選択率が高い、という仮説を吟味した。その結果、原糸の差別化度が高い程、原糸生産と織物生産の相互依存性、原糸開発と織物生産の相互依存性の双方が高くなること、また、そうした相互依存性が高い程、長期取引の賃加工(PTシステム)の選択率が高いことが、回帰分析により示された。また、コア活動と織物開発・販売活動との間の相互依存性も、差別糸の場合の方が定番糸より高い傾向が確認された。つまり、統計分析の結果は、概して、本論の分析枠組による説明と整合的であった。

 第二に、PTシステムの選択率が、時代とともにU字型を描いて推移した点の分析が行なわれた。ここは、主に東レのケースを中心とした定性的分析である。まず、戦前のレーヨン長繊維(原糸が標準化されている)では短期取引的原糸販売が中心であったが、朝鮮動乱後の不況化で商社と織布企業が資金不足から織物販売力を失い、このギャップを埋める形で短期取引的賃加工が成立、その後、原糸と織物開発・生産の相互依存関係の強いナイロン長繊維の登場により、賃加工が長期取引化し、いわば経路依存的にPTシステムが成立したとする。次に、1965年の「ナイロン不況」(ナイロン原糸の過剰生産)においては、原糸メーカーの織物販売能力(賃加工による原糸吸収能力)を超える部分は原糸販売(売りきり)を余儀無くされ。またナイロン原糸の定番糸化(差別糸比率の低下)もあって、この時期のPTシステム依存度が低下した、と説明する。さらに、第一次石油危機の時代になると、日本の定番原糸および定番原糸系織物の国際競争力が低下し、自主販売路線の産元商社が破綻したため、東レなどは差別化原糸への傾斜(特品化)と織物開発・販売部門の強化で対応せざるを得なくなった。この結果、PTシステムへの原糸投入比率は再び高まったのである。また、類似のパターンは東レ以外の原糸メーカーの場合も見られたとする。

 第三に、PTシステムは、合成繊維長繊維において採用されたが、レーヨンや合成繊維短繊維ではあまりみられなかった、という歴史的事実を、レーヨンと合成繊維の製品特性の違いと歴史的経緯から説明する。(1)原糸が標準化していたレーヨン長繊維では、戦前の商社が設立した原糸メーカー(東レ、帝人など)は当然原糸の販売を商社に依存していたが、朝鮮動乱後の不況で商社・織布企業の販売能力が低下したため、短期賃加工と原糸販売が併存することとなった。(2)レーヨン短繊維も標準化した製品であり、戦前の短繊維メーカーは紡績メーカーが多く、かつ商社が原綿販売能力を持っていたことから、紡績との垂直統合が短期取引が中心であった。織物企業の販売力も維持されたため、賃加工比率は低位に留まった。(3)ポリエステルなど合成繊維短繊維も、開発力・販売力のある紡績メーカーに綿混用の原綿を売り切るパターンが中心で、やはり賃加工は主流とならなかったのである。

 第7章では、この論文の要約とインプリケーション、今後の課題の導出を行なっている。実践的インプリケーションとしては、まず、従来研究が集中していた加工組立型の対川上系列システムに対して、川下展開型の繊維産業の系列システムを研究することにより、系列システム研究の幅が広がった点を指摘する。自動車などと同じく長期取引・少数取引・共同開発を特徴としながらも、PTシステムの様な独特の企業間システムを形成してきた、繊維産業の系列研究の持つ意義が強調される。また、系列システム、とりわけ長期取引の有効性について、機能活動間の相互依存性の高い領域においてはその有効性が持続するとの見通しを示す。

 理論的インプリケーションとしては、一対一の取引関係ではなく、複数の機能活動、複数の企業が関係する「企業間システム」を分析の単位とすることの意義を主張する(PTシステムもそうした「企業間システム」の一例である)。また、「企業システム」の形態選択の要因として、製品特性(相互依存性)と組織能力を同時に考慮し、しかもそれを各機能活動ごとに具体的に説明する、という本論のアプローチが、個々の要素に分解すれば全く新しくはないものの、全体としては新たな試みであることが主張される。

 最後に、今後の課題として、本論で取り上げた組織能力や相互依存性の内容をさらに具体的に明らかにする取り組み、いわば所与の外生要因の様に扱われた「組織能力」の形成過程そのものを、戦略構築という観点から歴史的に分析すること、化学繊維の企業間システムに関する国際比較研究を行なうこと、化学繊維以外の産業との比較分析を行なうことを提示し、本論を終えている。

 論文の概要は以上の通りだが、これに対する審査委員会の評価は以下の通りである。第一に、これまで、自動車などに比べて実証分析の少なかった、合成繊維産業の系列システム、とりわけ「PTシステム」を、一貫した視点から詳細に記述・分析していることは、実証分析として意義深い。合成繊維メーカーの企業間関係を、ここまで体系的に論じた研究は、これまであまり無かったといえる。極めて多岐にわたる統計データ、関係者の証言、歴史的資料などを読み取り、説明すべき三つの基本的事実を抽出した粘り強い思考力は特筆に値する。「企業間システム」すなわち取引関係の複合的な束を分析単位として、合成繊維企業による取引形態選択という重要な問題をうまく整理している。PTシステムを「長期取引的な賃加工システム」と規定し、他の取引形態との違いを明解な論理で説明している点も高く評価できる。

 第2に、こうして抽出された基本的事実を分析する枠組も、そのねらいも明確である。製品特性としての「機能活動間の相互依存性」と。組織特性としての「組織能力の比較優位性」とを同時に考慮する分析枠組は、極めて独創的なものとはいえないが、上記の極めて複雑な現象を一貫した論理で説明する点において有効性を発揮する。また、単に合成繊維の取引関係のみならず、より幅広い範囲での応用可能性が期待できる。本論文の理論面での貢献も、十分に認められる。全体として、歴史的な分析・理論的分分析・統計分析のバランスがよく、全体を破綻なくまとめている。

 反面、本論文は以下の点で改善が求められる。第一に、「企業間システム」を分析対象とするとしながら、原糸メーカーの詳細な分析に比べて、取引の一方の主体である北陸産地の織物企業や整理・染色企業の意思決定パターン・組織能力・競合関係などに対する分析が不十分である。このため、組織能力の企業間の差が企業間システムの選択に影響を与える、という本論文での基本論理が、十分に展開されていない感がある。また、これに関連して、本論のキー概念である「PT」が、原糸メーカーを含む「企業間システム」全体を指すのか、原糸メーカーの取引相手群のみを指す概念であるのかが、必ずしも明確にされていない。総じて、分析の視点が原糸メーカーに片寄っているきらいがある。

 第2に、理論面においては、既存の枠組である文化論、比較制度分析、二重構造論、取引コスト論、関係特殊的技能論が、単独で実態を説明しきれないことはかなり明確に論証されているものの、これら(特に取引コスト論と関係特殊的技能論)を組み合わせれば本論文の基本的事実をうまく説明できる、という可能性を排除していない。こうした既存枠組の組み合わせよりも、著者の枠組みの方が実態の説明力あるいは整合性において優れていることが、必ずしも明確にされていない。本書の分析枠組の有効性を、もっと積極的に示す必要があろう。

 第3に、第3〜5章の事実確認において、せっかく企業間システムのダイナミックな進化を、環境や競争や競争軸の変動や経路依存的な組織能力構築といった視点から明らかにしていながら、第6〜7章における分析がやや静態的・解剖学的なものに留まっているきらいがある。この結果、環境と組織能力の相互作用を通じて経路依存的に企業間システムが選択されていく、という本論の研究対象の持つ面白さが、十分に引き出せていない。

 以上のような問題点を残すとはいえ、本論文は、それらを勘案した上でもなお、論文提出者の独立した研究者としての資格と能力を確認するに十分な内容を有していると考えられる。特に、長期にわたる複雑な企業間システムの変動を、一貫した論理で説明する手際は際立っており、学界への貢献は十分に認められる。こうした理由により、審査委員会は全員一致で、本論文を博士(経済学)の学位請求論文としての合格水準に達し、同学位授与に値するものと判定した。

 以上

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