内容要旨 | | 本論文では,惑星大気内での伝搬路の屈折によって発生するドップラー周波数シフトをレイトレーシングによって推定して,受信信号のS/N比が低い場合においても受信周波数を補償し,効果的にアレイングを行うための手法についての研究結果を述べている.NASA(米国航空宇宙局)の惑星探査機ボイジャー2号(Voyager 2)が1989年に海王星を探査した際の電波オカルテーション観測データを用いて,この方法の適用と検証を行なっている. 第1章では,本研究の研究の背景となった海王星観測とその観測の中で行なわれた電波オカルテーション観測について概略を解説する.また,本論文のあらましについて紹介する. 第2章では,海王星の電波オカルテーション観測と,その初期の観測の結果について述べる.ここでは,日本の臼田,オーストラリアのキャンベラとパークスで受信された信号と受信局の諸元について述べ,各局で行われたオカルテーション観測について述べる.次に,この観測データを用いて行なわれたコヒーレントシグナルアレイングに関して,その原理と結果について述べる.一般に,複数のアンテナから受信された信号をコヒーレントに合成することによって,信号のS/N比を向上させることが可能であり,アンテナアレイングの様に個々のアンテナ素子が近接する場合は,位相差補償・制御と信号合成によって容易に実現する.本研究のコヒーレントシグナルアレイングで目指すものは,このアレイアンテナとは異なり,例えば日本とオーストラリアのように離れて位置する異なる受信局の受信信号の受信周波数,伝搬時間差,位相差を比較・解析し,受信周波数と位相差を補償してシグナルアレイングを行なうことである.過去の研究では,直線伝搬を仮定してドップラー周波数を推定し,周波数差を補償していた.この方法では惑星大気中を伝搬し探査機からの電波が屈折する場合には,送信波の出射方向などが変化するので,ドップラー周波数に偏差が生じ,周波数差の補償は不完全になる.そこで,補償できない周波数変移成分については,スペクトルから経験的に周波数推定と周波数補償をおこない,アレイング処理が行なわれていた.この様に従来の方法では,ドップラー周波数の周波数補償をスペクトルから周波数推定せねばならず,この推定結果の良否によってアレイングの成否が左右された.そこで,特に受信信号のS/N比が低い場合にはアレイングの性能が劣化し易いことについて述べ,この問題を解決することを目指して,レイトレーシングを用いたアレイングを提案することにした. 第3章では,レイトレーシングを用いたアレイングに必要な惑星大気のモデリングについて論ずる.受信周波数(ドップラー周波数),伝搬時間差などの推定にレイトレーシングを適用する場合には,伝搬路上での屈折を模擬する必要があり,特に本研究において扱う海王星の大気中においては強い屈折が現れる.この屈折のシミュレーションのために必要とされる海王星の大気組成の垂直プロファイルは,ボイジャ-2号の電波オカルテーション観測から得られているものしかなく,特定緯度のものしか得られていない.そこで,その限られた惑星大気の観測データを外挿する手法を考案し,惑星の時点軸に対称で,惑星の偏平な形状を反映した大気モデルの構成を可能とした.外挿手法としては,海王星の重力ポテンシャルを求め,大気が静水圧平衡を満たして,等ポテンシャル面上では大気圧が一定であるという仮定をする方法を提案した. 第4章では,第3章で構成した大気モデルを用いて伝搬路を推定するレイトレーシングの方法について論じている.最初に,不均質に分布する大気モデルを多層(layer)に分割し,各層は均質でその中では光線は直進し,層と層の境界では光線はスネルの法則に従って屈折するものとして扱い,伝搬路を推定する方法について検討した.この方法では,入射角に対する屈折角の変化が単純でなく,かつ不連続にもなり,精密な伝搬路の推定には不適切であることが明らかになった.そこで,この問題を克服するために,惑星大気の屈折率分布モデルに基づいて,微分方程式で表現される光線の方程式を元にして伝搬路を逐次的に追跡する方法を考案した.さらに,この手法を用いて探査機のドップラー周波数を求めて,その有効性を議論した.また,波長以下の精度で伝搬路長を求めるための正確な伝搬路推定のために,レイトレーシング時に,各計算ステップの設定が重要であることについても述べた. 第5章では,第4章で提案したレイトレーシングを海王星最接近時のジオメトリに適用した.まず,地球,惑星,探査機の位置関係と逐次的な伝搬路推定の手順について説明した.次いで,レイトレーシングの繰り返し(iteration)によって伝搬路を効率的に推定する方法を論じた.更に,ドップラー周波数遷移を含む受信周波数を推定し,その精度の評価から手法の有効性について考察した.この結果,約10Hz程度の高精度なドップラー周波数推定結果が得られ,コヒーレントシグナルアレイングに必要な周波数推定精度を達成することが可能になった. 第6章では,まず前半では,第5章で述べた方法で精密に推定した受信周波数を用いて,受信信号をベースバンドに変換し,2受信局の周波数差および位相差を除去し,アレイングする処理について述べた.この方法の検証にはボイジャー2号の海王星大気オカルテーション観測時のS-band(2.3GHz)の受信信号を用いた.アレイングの結果,理論計算通り,総じて約2dBのS/N比の向上が見られる結果を得た.後半ではレイトレーシングを活用して,ディフォーカシングと呼ばれる惑星大気を通過するビームが広がる現象のシミュレーションについて論じた.そして,このシミュレーションの結果と受信信号の信号強度を比較し,両者が同じ傾向を示し,惑星大気によるオカルテーション時の信号の減衰の主因はディフォーカシングであることが明らかにした. 最後に,第7章では,本研究についての結論として,コヒーレントシグナルアレイングの研究結果を総括する. |