本論文はアジアの都市、郊外およびリモート地点における大気中非メタン炭化水素の特性についてまとめられたものであり、全体は8章から構成されている。第1章は序章で研究の目的、第2章は対流圏大気中でのオゾンを中心とした光化学理論、第3章はこれまでに行われてきた郊外およびリモート地域での炭化水素の季節変動のレビュー、第4章は本研究で用いられた実験装置・手法、第5章は本研究で用いられた試料サンプリング地点、について述べられ第6章以下が研究結果とその考察である。第6章では八方における非メタン炭化水素の季節変動の解析、第7章は隠岐における長距離輸送の解析、第8章ではネパール・カトマンズの都市および郊外における炭化水素濃度変動について述べられている。 非メタン炭化水素は窒素酸化物と共に対流圏におけるオゾンの前駆体物質として最も重要な化学種であり、近年注目されているアジアにおける対流圏オゾンの増加トレンドの解析・将来予測を行う上で、アジアにおける非メタン炭化水素の特性を明らかにすることは極めて重要である。しかるにこれまでアジア域においては、十分な地域代表性を持つリモート地点・ルーラル地点における非メタン炭化水素の測定と解析はほとんど行われておらず、本研究はこのギャップを埋めることを主目的としたものである。また、大気汚染が深刻化しているアジアの各都市においては、大気汚染抑止の観点からその発生源を明らかにする意味で非メタン炭化水素の組成を明らかにすることが重要であり、本研究では一つのケーススタディとしてネパールのカトマンズを取り上げている。 八方における非メタン炭化水素の季節変動(第6章) 東アジアのリモート地点における非メタン炭化水素の季節変動の観測はこれまでに行われていない。本研究では大気境界層の上の自由対流圏下部に位置する長野県・八方ステーション(海抜1840メートル)において、2週間に1回の割合で1年間にわたって、大気のキャニスターサンプリングを行い、その分析を行っている。その結果はエタンを初めとするアルカン類については、冬に極大、夏に極小を示す特徴的な季節変動パターンを示すことが明らかとなった。これらの季節変動は、OHラジカルによる消失反応を考慮した単純なボックスモデル計算結果と良い対応を示すことが明らかにされた。一方大気寿命の短いアルケン類については、周期的な季節変動は得られず、近傍からの放出源の影響が大きいものと考えられた。 隠岐における非メタン炭化水素の長距離輸送(第7章) 局所的な汚染の影響を受けないと思われる隠岐ステーションにおいて、夏期に2週間余りにわたり、一日に何回かのサンプリングを行い、非メタン炭化水素の組成分析を行った。測定結果について、後方流跡線解析手法を用いて、長距離輸送の影響についての考察を行った。流跡線解析から隠岐に飛来する空気塊のパターンは、中国からの大陸性気塊、東シナ海方面を通過してくる海洋性気塊、元は海洋性であるが日本上空を通過してくる気塊との三種類に大別されることが分かった。海洋性気塊中の非メタン炭化水素濃度は他に比べて低く、最も清浄であることが確認された。エタンおよびアセチレンのように比較的大気寿命の長い炭化水素の場合には、大陸性気塊と日本通過気塊との間でほとんど濃度差が認められないが、C4以上の寿命の短い炭化水素では大陸性気塊中の濃度は、輸送途中の反応により消失するため、日本通過気塊中にくらべはるかに濃度が低く、海洋性気塊中とほとんど同じ濃度であることが明らかとなった。 カトマンズにおける非メタン炭化水素の組成(第8章) カトマンズの市内およびそこから約30キロメートル離れた山岳地帯に位置するナガラコットにおいて、炭化水素の分析を行った。カトマンズ市内においては、平日のラッシュアワーに高濃度となり、祝祭日には低濃度となる自動車排気ガス起源の典型的な都市型の時間変動が見られた。また先進国との比較の意味で東京・渋谷での炭化水素組成との比較を行い、エタン、プロパンの濃度比がカトマンズの方が低いことが明らかとなった。このことはカトマンズでは自動車用燃料としてプロパンガスの使用がほとんど行われていないためと考えられた。またナガラコットでの非メタン炭化水素は、主にカトマンズから輸送されたものであることが分かり、輸送過程でのOHラジカルによる消失が重要であることが明らかとなった。 なお、第6-8章は秋元研究室のスタッフらとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると認められる。 よって本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |