学位論文要旨



No 114889
著者(漢字) 石金,浩史
著者(英字)
著者(カナ) イシカネ,ヒロシ
標題(和) 視覚系における並列情報処理に関する研究 : 網膜神経節細胞群の周期的、同期的発火とその刺激依存性の解析
標題(洋)
報告番号 114889
報告番号 甲14889
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第275号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 助教授 横澤,一彦
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 教授 長谷川,壽一
内容要旨

 視覚は心理学誕生以来の研究対象であり、知見の蓄積は膨大なものである。しかも近年の神経科学的手法の発達が、精神物理学的研究の成果と結びつくことで視覚の機序に対する理解を急速に深めた。近年、視覚皮質細胞において受容野外の光刺激によって応答の性質が変化することが報告され、知覚統合との関連が示唆されている。応答の変化は、個々の細胞のスパイク発火頻度のみならず、細胞間の同期的発火頻度にもあらわれる。そこで視覚系における網膜で処理された光情報を脳に送る神経節細胞間における同期的発火の特性を調べるために、網膜にマルチ電極を適用して、複数の神経節細胞から光応答を同時記録し、光刺激条件や受容野間距離とスパイク発火相関との関係を調べた。被験体としてその網膜が高度に抽象化された光情報を脳に転送していると考えられているカエルを使用した。神経節細胞のなかでも、オフ持続型応答を示すディミング検出器に着目し、時間的に正弦波状(0.25 Hz)に変調する光で刺激した時に発生するスパイク発火の時間パターンを相関解析した。光刺激は任意の画像をコンピュータで生成してCRTにより提示し、光学系により網膜に縮小して投影した。各ディミング検出器の受容野のマッピングにはランダムピクセルの系列提示とスパイク発火との相関から算出する「逆相関法」を適用した。

 自己相関関数解析の結果、網膜の広い領域を光刺激すると、ディミング検出器は約30 Hzで周期的に発火することが明らかになった。また、細胞を組み合わせて相互相関関数解析を行った結果、そのような刺激が提示された場合、受容野が重なるような近接した細胞間でも、数mm離れて受容野が重ならない細胞間でも、位相のあった周期的発火と同期的発火が生じていることがわかった。GABA受容体の阻害剤を投与すると、自己相関関数解析によりディミング検出器の周期的発火が完全に消失することがわかった。相互相関関数解析を行ったところ、離れた細胞間では同期的発火も周期的発火も完全に消失したが、近隣の細胞間では周期的発火は消失したが弱い同期的発火は残った。同期的発火の程度を細胞間距離に対してプロットしたところ、GABA受容体の阻害によって細胞間距離の増大とともに同期的発火の程度が統制条件と比較して急峻に減衰するようになったことが明らかとなった。したがって、離れた細胞間の同期的発火が周期的発火によって促進されている可能性が示唆された。

 周期的発火は受容野よりも広い領域を光刺激した時にのみ発生し、狭い領域の光刺激では発生しなかった。しかし、近接する細胞の両受容野を覆うような小さな光刺激を与えると、周期的発火を伴わない弱い同期的発火が観察され、これはGABA受容体の阻害剤を投与しても消失しなかった。一方、離れた細胞に関してそれぞれの受容野だけを覆うような領域に対して光刺激を与えると、周期的発火も同期的発火も生じなかった。

 以上の結果から、1)GABA受容体の活性化を必要とし、広領域の光刺激によって位相のあった周期的発火を生成する神経回路網と、2)狭領域の刺激によって近接した細胞間に同期的発火を生成する神経回路網の存在が示唆された。連続した大きな黒い影がカエル網膜に投影されると多くのディミング検出器に位相のあった周期的発火が生じることから、この現象は大きな物体の知覚や視覚刺激誘発性の逃避行動に関与している可能性が考えられる。

審査要旨

 本論文は、視覚系の初期過程において光情報がどのように並列的処理されるかを実験的に検証したものであり、5章から構成されている。

 第1章では、視覚研究の現状を概観し、その問題点を指摘している。従来、初期視覚系の各神経細胞は視野のある特定の小領域(=受容野)における光情報のみを処理し、また、色・動き・奥行き・形といった視覚属性は大脳皮質の異なる領野で個別に処理されると仮定されてきた。それでは、各神経細胞や各領野で処理された情報はいかに統合されるのであろうか。近年、受容野の離れている神経細胞が発生するスパイク列について相互相関を調べると時間的な相関のあることが見いだされた。この現象は統合問題を解く鍵になるのではないかと期待されているが、その神経機構や機能的意義に関しては解析が進んでいない。そこで、この問題を検討するために、第2章で具体的な実験方法を述べている。すなわち、カエルの剥離網膜標本にマルチ電極法を適用して神経節細胞群から光刺激に対するスパイク発火を記録・解析するという最新の技法である。第3章では、光強度が次第に減弱するとよく応答する神経節細胞(ディミング検出器)の性質について分析した7種類の実験結果を報告している。時間変調した全面照射光で網膜を刺激すると、ディミング検出器は約30Hzの周期でスパイク発火することを発見した。相互相関解析の結果、位相の合った周期的発火は受容野間の距離が離れても生じていることが明らかになった。一方、時間変調したスポット光で局所刺激すると、ディミング検出器は周期的発火を示さなかった。薬理学的実験から、周期的発火には抑制性シナプス機構が関与していることを証明した。また、発振機構はデイミング検出器の末梢側に存在することが示された。第4章と第5章では、以上の実験結果に基づき、カエル網膜には位相の合った周期的発火を引き起こす広域的な神経回路網と、同期的発火を生じさせる局所的な神経回路網とが存在することを提案している。また、ディミング検出器における位相の合った周期的発火は、視覚誘発性の逃避行動と関連していることを考察している。

 本論文は、カエル網膜において特定の光刺激条件下で位相の合った周期的スパイク発火が生じることを発見し、その神経機構を推定すると共に、その機能的意義を推察した。光パターン依存性・神経機構・生物学的機能に関してさらに詳細に検討することが今後の課題として残されてはいるものの、本論文は視覚研究に重要な知見を加えると共に、新たな研究の視点を提供している。以上の点から、審査委員会は、本論文が博士(心理学)の学位に値するとの結論に達した。

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