山本景子氏の論文『『冥祥記』研究(附校勘記)』は、中国六朝時代の民間における仏教受容の形態を南斉王の『冥祥記』を題材として研究したものである。本論は二部に分かれ、第一部(中国語)では『冥祥記』の定本作成を中心に研究し、第二部(日本語)では第一部で作成した『冥祥記』に基づいてその内容を研究した。 『冥祥記』は東晋から南朝にかけて形成された宣仏小説類の一つで、現存する分量が最も多い重要な資料である。宣仏小説類については、おおむね原本が散佚して現存せず、仏教理解の水準も低いことから、これまで仏教研究や思想研究の立場から深く研究されることが稀であった。輯本も魯迅の『古小説鉤沈』がほとんど唯一であるが、これは学問的に完全な輯本とは言えない。 本論文はこのような研究状況を打破するため、今後の研究者が依拠しうる定本の作成から着手し、『法苑珠林』や『太平広記』などの類書その他に残存する佚文を収集し、その真偽を弁別し、故事を分類排列した。『法苑珠林』の底本として、諸本を比較したうえで『高麗蔵』再雕本を用いるなど、精確な資料に依拠したことは言うまでもない。各条に詳細な校勘記を附し、広く学界に寄与する定本を完成させた。冒頭に中国文で王と『冥祥記』についての詳細な分析を記し、『法苑珠林』中の一文を『冥祥記』自序と推断した点などは、国際的に通用する説得力ある論述となっている。 内容の検討では、六朝時代における応験記の流伝形態、『冥祥記』の著述態度、『冥祥記』の故事分類別考察などに関して、従来にはない新しい観点から分析し、民間における仏教受容の形態の一端を明らかにした。 本論文は以上のような特長を持つが、仏教思想の大きな流れをさらに深く把握し、供養や回向などの点にも配慮すべきであり、思想史的には神滅不滅の理解が不十分であり、故事分類も平板でやや物足りなさを感じさせる。こうした不備が無いではないが、それは本論文の独自の価値を些かも減じるものではない。 よって本論文は博士(文学)学位授与に十分に値する論文であると判断する。 |