本研究は、日本の社会科学、とくに家族社会学における「家」概念の構築についてを明らかにする「家」のメタ社会学の試みである。「家」研究は、日本の社会科学において、十分な蓄積のある研究分野である。「家」という概念は、日本社会の「特殊性」や「前近代性」を表象/代表するものとして、過剩にといっていいほどに、問われてきた。その「家」概念を現在、なぜ問題とし、「家」を問題にすることによって、何があきらかになるのだろうか。 まず第一に、「家」研究に新しい知見をつけ加えることを目的とするよりは、「家」という概念が、日本の社会科学、とくに家族社会学において、何を課題として、どのように構築されてきたのか、その構築のされかた自体を問いなおすメタ社会学をおこなった。つまり、「家」概念という社会学の知の構築のされかたを、「家」概念のおかれてきた理論的・社会的コンテクストを考慮しながら問いなおし、「家」概念が、「家族」概念との対比において構築されてきたことを重視しながら、この概念の布置関係を検討した。 また第二に、「家」論は従来伝統家族論として問われてきたが、現代家族の問題として「家」を問いなおした。第三には、家族社会学の「家」論の系譜学を、もう少し広いコンテクストにおき、他の社会科学の分野との関連を探ることで、社会科学のありかたそのものを問い、また当時の日本社会のおかれた位置を振りかえった。第四には、これらの作業を通じて、「家」をめぐる学説史の実際の書き直しをおこなった。 従来の社会科学における「家」パラダイムは以下のようなものである。戦後社会科学においては、第二次世界大戦の戦争責任を戦前の家族国家観、つまりは日本社会の「家」的な構成にもとめられている。そのうえで、戦後「家」は廃止されたにもかかわらず、日本社会の組織原理やそれによる病理として残っていることが反省されている。また家族社会学においても、戦後「家」が廃止されたという前提にもとづき、現代家族論では、「『家』から『家族』へ」という変動論が支持されながら、「家」の残存が問われ、伝統家族論では、廃止されたにもかかわらず「家」が「伝統」として残り続けることが問われてきた。 戦後「家」が廃止されたとして、戦前・戦後の断絶を強調する「家」パラダイムのありかたに疑問を投げかけることを可能にしたのは、<近代家族>論である。実証的な歴史研究である<近代家族>論によって、「欧米=近代」も実際には多様で一枚岩ではないこと、「欧米=近代」社会も日本社会に「特殊」で「前近代性」であると考えられていた要素を不可欠なものとしていることがあきらかになった。このような<近代家族>論の地平から「家」概念を検討すれば、「家」概念は、このような「欧米=近代」を表象/代表する理想化された「近代家族」「家族」像にたいして、正反対なものとして二項対立的に構築されてきたものであることがあきらかになる。「欧米=近代」を表象/代表してきた「近代家族」、「家族」概念が問いなおされるならば、「家」概念自体も、脱本質化され、問いなおされる必要がでてくる。 「家」概念は、日本の社会や家族を問うさいに、鍵となってきた概念だが、多義的に使われてきており、それを一義的に定義することすら難しい。「家」や「いえ」といった概念の使いわけもおこなわれている。しかし、明治民法に定められた行政単位としての家や法規範である「家」、近世ないし明治期以後の農民層や一般庶民層のなかで地域的にも多様性をもち、現実に同生活を営んでいる生活集団、またはその意識である「いえ」「イエ」、明治国家のイデオロギーとしての家族国家観の少なくとも3層の意味が、同じ「家(イエ、いえ)」という言葉でしめされ、しかも「概念上には区別することができる」が、「現実」には「一体化」しているならば、この概念の錯綜はどのようにしておこったのかを問い、またその概念化のありかたの効果をあきらかにする必要があろう。 「家族」という概念は、familyの翻訳語として日本語に導入され、「家属」から「家族」へと変遷していった。明治以降も、家族という言葉は一般的には、まだよそよそしい法令、法律、学術用語として使われていたのであって、日常語としては「家」とか「家の者」、「家の人」という言い方が普通であった。日常語として家族のほうを頻繁に用いだしたのは太平洋戦争敗戦後のことであり、「家族」概念は、日常語における用法と、学術語における集団の意味での家族との間にはつきりした距離があった。つまり明治民法での用法のように、家族概念は、家族「集団」ではなく、「成員」をさしていたにすぎない。戦後、この「家族」概念はfamilyの翻訳語であることが強調され、「集団」としての用法が人口に臆炙するようになり、アメリカの「家族」が「民主的」な価値として目標とされる一方で、「家」は「特殊」化されていく。 「家」概念の構築のありかたは、おおまかに三期にわけられる。第一期は1920年代から1945年頃までであり、第二期は1945年から1960年頃まで、そして第三期は1960年以降である。 第一期は、「ノスタルジーとしての家」の時期である。「近代化=欧米化、都市化、資本主義化」のなかで、日本が「近代化」を遂げていると考えられ、日本の民俗が失われゆくノスタルジーに満ちた存在とされていた時期である。主にヨーロッパの文献が参照され、「家」が理論的にことさら特殊であるとは考えられてはいなかったが、戦後家族社会学につながる基本的な視座がつくられていった時期である。 第二期の戦後初期は、「前近代性としての日本の家」の時期である。戦争への反省から、「近代化=民主化(=アメリカ化)」を目標として、「近代化」を遂げていない日本の民主化がめざされた時期である。そのさい、日本の家族が、民主化の争点となった。主にアメリカの文献が参照され、民主的なアメリカのfamilyである「家族」に対するものとして、「家」は「前近代的」な「封建遺制」の象徴となった。 第三期は、「特殊性としての日本の家」の時期である。「近代化=産業化」のなか、日本が欧米とは別の「もうひとつの近代」を歩んでいるとされた時期である。「家」は除去されるべき「前近代性」や「遺制」などではなく、日本社会や日本人の行動を特徴づける「組織原理」であると考えられはじめ、「欧米=普遍性」に対する「日本=特殊性」が強調されはじめる。主にアメリカの文献が参照され、家族変動論は核家族論に収斂していく。さらに「伝統家族」という家族類型がつくられ、日本の「伝統」が問題とされた。 戦争への反省から民主化をめざし、「『家』から『家族』へ」という変動論を規範化する「家」パラダイムは、第二期にあたる戦後初期につくられた。このような「家」概念の構築のありようは、以下のような理論的効果をもたらす。 まず第一に欧米の「家族」、とくに「核家族」が民主的であると理想化され、家父長制を「家」の問題として問うために、「家族」そのものがはらむ非民主性が不間にふされた。つまり「家族」は、国家に対抗する民主化の砦であるのみならず、国家の管理の単位でもある事実が忘れ去られた。また家族は、性と年齢を異にするヒエラルキーからなり立っているが、世帯主を中心とした家族のなかの不平等が不問に付された。また主体的に民主的な意識をもった「家族」形成することが強調されるあまり、家族の問題が、「構造」の問題ではなく、「意識」の問題に還元されてしまった。民主的な意識さえもてば、民主的な家族や社会ができるように思われたのである。また「家」が「系譜性」を重んじるのにたいし、「家族」を「一代限り」と理論化することで、階層問題などの「家族」がうみだす社会的不平等を問うことができなくなった。 さらに戦争への反省から、「家」が廃止されたことを強調するあまり、逆説的に「家」が見いだされた。つまり、廃止されてもなくならない「家」を見いだすことにより、日本社会の「伝統」や「特殊性」が確信されるた。また戦後初期、国家政策と親和的な「家」と民衆の生活集団である「いえ」を同時に反省的に論じることで、いつまでもなくならない「いえ」の「土着性」が反復的につくりだされた。つまり、第二次世界大戦への真摯な反省が、かえって日本の「特殊性」や「伝統」を見いださせ、「想像の共同体」をつくりあげてしまうという逆説が、おこってしまったのである。 |