19世紀末の日本では、製糸紡績を中心に産業革命が進展することにより製造業における労働需要が顕著な増大を示した。中村(1993)によると農林業従事者が1870年代以降停滞もしくは微減を示す一方、非農林業従事者は大きく成長を遂げた(p.35)。どのセクターでどの程度労働需要圧力が高まったのかという各論では論者によって力点の置き方に相違があるものの、全般的な傾向については共通の見解が形成されているといえよう。 しかしながらこの急激に増大した労働需要は、立地や労働条件などの点で旧来農村に滞留していた労働力とすぐに結びついたわけではなかった。このことは隅谷(1963)や石井(1991)なぞをはじめとして古くから多くの研究者によって繰り返し指摘されてきた。あるいは、たとえば斎藤(1998)がまとめるように、明らかな労働需要圧力の存在にも関わらず、両大戦間期に至るまでマクロレベルでの実質賃金の上昇がそれほど顕著ではなかった点、そしてそれと同時にしばしばミクロレベルで労働者の争奪や頻繁な移動が並存した点にも反映されている(pp.19-20)。当時の労働市場は製造業を中心とした旺盛な労働需要に直ちに答える術をもたず、労働供給が短期的に固定される状況が生まれたと考えられよう。 そのなかにあって需要の主体たる製造業者あるいは供給の主体たる世帯や労働者は手をこまねいているばかりではなかった。様々な制度や約束事を積極的に考案し、安定的な操業・就業を確保することに大きな努力を払ったのである。 本稿の目的は、当時輸出産業の中であった長野県諏訪郡の器械製糸業を例にとり、人々がこの労働市場の「混乱」という課題をどのように解決し、そして19世紀末から20世紀初頭にかけて当地の労働市場がどのように安定したのかを考察することにある。具体的にはまず、19世紀末における状況を農村における労働供給に必要な固定費用の負担問題として捉え、これを解決し労働需要の安定に寄与したものとして工女登録制度と等級賃金制度というふたつの制度に着目する。さらに一次資料の吟味や統計的分析、理論モデルの構築などを通じて、このふたつの制度が相互に関係をもつことによって労働市場の安定が達成されたことを論証する。 19世紀末の労働市場の混乱は、当時日本の製糸業の中心地であった諏訪地方も例外としなかった。彼の地では『職工事情』にも記された工女の頻繁な移動や引き抜きあいが経営に大きな影響を与えており、その対策は重大な問題になった。この引き抜きあいは、労働者を諏訪地方へ連れてくるための費用や工場労働へ馴致させるための費用などの先行投資が、労働者と事業者との二者間契約では法的に保護されえなかったことから生じたと考えられる。安定的な操業を確保するためには、、この先行投資を直接事業者相互で尊重しあう必要があった。そこで1903年、工場間に引き抜きを防止するためのカルテルがつくられたのである。これが製糸同盟の工女登録制度である。 この工女登録制度を代表とする市場参加者の様々な努力の結果、20世紀初頭の諏訪地方において労働市場の安定が達成されたことは、いくつかの先行研究でも部分的にとり上げられている。本稿第1章では雇用創出・喪失分析(job creation and destruction analysis)を20世紀初頭約四半世紀について諏訪郡に限定して適用し、当時の労働市場の挙動を確認する。この手法の利点はマイクロデータを用いることで市場全体の雇用変動のあり方を特徴づけるところにあり、近年とみに利用されるようになった。第1章の分析では、輸出糸において世界的地位を確立したといわれる日露戦後期に、諏肪地方ではすでに安定的な労働市場が現出していたことが観察される。とくに労働移動の激しさと密接な関係をもつ雇用再配分率は、日露戦後一貫して、現代日本の製造業と比較しても遜色のないほど低位に安定しており,その意味で労働移動が穏やかになっていたことを示している。 本稿は第1章で観察された労働市場の安定を、当時導入された諸制度、具体的には工女登録制度と等級賃金制度に帰着させて解釈するものである。 そのために、第2章では『交渉録』や『取調筆記』を中心に工女登録制度の運用実態を整理する。その結果、この制度の実態は次の三点の特徴にまとめられる。(1)工女の帰属は原則として現在就業工場に決定され、「権利重複」に代表される手続き上の係争については実質的なサンクションはなかった、(2)[無権使用」に代表される違約行為については、明らかな隠蔽工作や偽装行為がない限りある程度のサンクションが課された、(3)さらに悪意の違約行為が明確な場合には適宜ペナルティーを調整していた。ゲーム理論の枠組みでこの特徴を解釈すると、工女登録制度は確かに、当時の労働市場の欠陥を補完するために労働需要側が起こした積極的なリアクションとして考えることができる。ただしこの種の協定は無条件で十全に機能するわけではない。情報が協定構成員のなかである程度流通すること、違反に対する処罰が現実的な大きさであること、などいくつかの条件が協定の成立には必要である。そのひとつに、労働者の自発的な移動を完全ではないにせよある程度抑制する必要がある、という条件がある。工女登録制度が有効に機能していたことを示す第1章や他の傍証も併せて考慮すると、何らかの他の制度をうまく利用し労働者の自発的な離職を抑制することで、製糸同盟はこの条件を満足できたのではないかという仮説が導かれる。 この仮説を踏まえ、次の第3章では工女登録制度を機能させるもののひとつとして等級賃金制度に注目する。等級賃金制度とは明治期から大正期にかけての日本の製糸業に広くみられた賃金制度であり、一定期間内の全工女の平均作業成績に対する各工女の作業成績の相対的な優劣によって事後的に賃金を定める方法である。先行研究では(a)賃金総額を固定したままで工女間の競争を煽りたてて作業能率を引き上げた、(b)工女間の連帯意識の成長を妨げた、(c)「百円工女」といわれるような高額賃金二女をつくりだし募集の宣伝に利用した、(d)この賃金体系はマニュファクチュア独特のものであり、より品質が重要になる優等糸生産には不向きである、とまとめられている。このような先行研究の評価に対し、第3章では従来等閑視されていた、等級賃金制度が工女の離職行動に対して一定の影響をもったという重要な特性を考察する。具体的には、相対評価を用いる賃金体系が離職行動に及ぼす影響を考慮したモデルを構築し、等級賃金制度は能力の高い労働者にあえて有利な条件を提示することによって全体として離職を抑制する効果をもつことを論証する。さらにこの機能が20世紀初頭の諏訪において現実に確保されていたことを、笠原組『製糸計算簿』を用いて検証する。 終章は本稿の結論で、それまでの3つの章を約して、供給側の離職を抑制する等級賃金制度と需要側の引き抜きを防止する工女登録制度によって、20世紀初頭の諏訪地方の製糸工女労働市場が形作られたとまとめる。 概していえば、近代製造業の勃興に応じて急激に労働需要が生起するという状況のもとでは、労働供給は短期的に制約されざるをえなかった。その背後には農村に労働力を供給させるのに某かの固定費用を拠出しなければならない事情があり、その負担を巡って生じる争いを解決することが、労働市場の正常な運用に欠かせなかったのである。 この近代産業部門への就業者の確保という問題はいくつかの側面を有している。 ひとつは労働力の部門間移動という側面である。本稿でまとめた20世紀初頭における日本の経験は、労働者の産業間ないし地域間移動を考えるにあたって市場を補完する制度の役割を示した例であるといえよう。その意味で、現在の民間職業紹介の研究などに結びつく。 いまひとつは就業者を確保する際に拠出された費用の保護という側面である。人的資本への投資という観点から考えると、20世紀末の現代では先行投資を保護する必要性は以前にも増して高まっている。しかしながら、現在は有効な方策がないがゆえに、熟練を企業内に封鎖することで対応しているといってよい。その結果、すでに蓄積されている熟練が有効に利用されない例や、熟練の蓄積そのものが進まないという例も散見される。約一世紀前の諏訪地方の工女登録制度は、民間労働需要者の取り決めによって問題を解決しようとした試みであった。その試みがどのように機能したのかをまとめたのが本稿である。本稿ではその成り立ちにおいていくつかの成立条件が必要であったこと、その条件が満たされるかは自明ではなかったことを明らかにした。20世紀初頭の諏訪地方では他の制度がうまく機能することによって、この自明ならざる条件を満足することができた。しかしその後現在に至るまで、工女登録制度のような労働者を直接取引する制度が一般にみられないことは、このような条件を満足する環境に欠けていることを示唆している。その最たるものは労働者保護法規の整備であろう。残念ながら本稿ではその関連に触れることができなかったが、その意味で、本稿の研究テーマは1920年代以降のいわゆる社会政策的介入と斯くの如き取引制度との関わり、すなわち現在の労働保護法制と労働力取引制度との関わりを研究する糸口と位置づけることができる。 |