学位論文要旨



No 114896
著者(漢字) 清水,剛
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,タカシ
標題(和) 合併行動と企業の寿命
標題(洋)
報告番号 114896
報告番号 甲14896
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第140号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 橘川,武郎
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨

 本論は、企業行動を考える上での一つの視点として企業の「寿命」というものを取り上げ、ここから合併行動の意味を分析し、あわせて企業の寿命についても考察を加えようとするものである。

 合併についての先行研究を見る限り、収益性や成長率といった視点から見て合併が経営上ブラスの効果を持つとは言えないと思われる。すなわち、利益や成長といった側面からは企業がなぜ合併を行うのかということを説明できないのである。

 この利益や成長といった側面に代えて、本論で取り上げるのが企業の「寿命」という視点である。企業の寿命とは、一般に企業の「生き残り」という言葉で示されるような、何らかの長期的なパフォーマンスを示していると考えられ、この意味で企業行動を分析する際の一つの視点になるものと思われる。特に合併という行動について言えば、例えば第4章で取り上げる石川島播磨重工業の成立のケースでは企業の寿命の延長いうことが意識されていたと考えられるのである。このようなことから、本論ではこの「企業の寿命」という視点から合併行動を分析していく。

 さらに本論では、このような分析を通じて企業の寿命とは何かということについて考察していく。というのは、この企業の寿命にはこれまで関心を持たれてきたにもかかわらず、これを取り上げた研究は一部を除きほとんどなかった。このため、企業の寿命とは何か、あるいはその長さや特徴はどのようになっているのかということが十分に明らかにされていないのである。本論では戦後日本企業の寿命の分析や合併行動の分析を通じて、「企業の寿命とは何か」ということについて検討していく。

 本論ではこれらのテーマについて、まずイベント・ヒストリー分析という手法を用いて戦後日本における企業の寿命や合併が企業の寿命に与える影響を実証的に分析し、さらに合併と企業の寿命との関係について若干の理論的な検討を行う。そしてこのような分析を通じて、「企業の寿命とは何か」という点について仮説的な枠組みを提示していくことにする。

 第1章では先行研究をサーヴェイし、これまで指摘されているような合併の動機は基本的に収益性や成長率の向上に結びつくにも関わらず、実証研究を見る限りそのような効果が得られていないことを指摘した上で、このギャップを分析するための新たな視点として企業の寿命というものを提示する。また、企業の寿命を単純に生物のアナロジーによって理解することの問題点として、企業の存続と生物の生存の意味が異なること、企業の寿命の開始と終了の時点の決定が難しいことの二点を指摘し、企業の寿命をこれとは異なる観点から定義することの必要性を述べる。

 第2章ではその後の実証分析の準備として、イベント・ヒストリー分析という統計手法について解説する。この手法は「何らかの事象が起こるまでの時間」を扱う統計手法の総称であり、生物や機械等の寿命を分析する際に用いられるものである。イベント・ヒストリー分析の目的は、この「何らかの事象が起こるまでの時間」(持続時間)について、そのパターンを推定し、比較し、これに対して説明変数が与える影響を分析することにある。このための具体的な統計手法として、ノンパラメトリック法、セミパラメトリック法、パラメトリック法の三つが用いられている。

 第3章では、企業の寿命の尺度として東京証券取引所第一部への上場期間というものを提案した上で、戦後日本企業の寿命についてこの上場期間によりその長さや特徴を分析し、さらに企業の寿命というものが持つ意味について考察する。上場期間の分析から示されることは、日本企業の中でもいわゆる大企業が安定的な存在であること、そしてこの安定性は戦後徐々に形成されてきたが、60年代前半に一つの転換点があることである。そしてこのような分析を踏まえて、企業の安定性は企業が労働者やサプライヤー等のさまざまなステイクホルダーからのコミットメントを確保する上で重要であり、ゆえに企業にとって大きな意味を持つことを指摘し、ここから一つの考え方として、企業の寿命をこのような意味での安定性を持っている期間として捉えられるのではないかということを述べる。また第3章の補論として、企業の寿命に対する先行研究である『会社の寿命』について再分析を行い、「会社の寿命30年」説についてその妥当性を検討する。

 第4章では合併行動が企業の寿命に対してもたらす影響について分析する。まず石川島播磨重工業(IHI)のケーススタディから、この合併には企業の安定性あるい寿命を延長させる目的があり、また実際にそのような効果が見られたことを示し、ここから「合併は企業の寿命を延長させる」という仮説を提示する。この上で第3章と同様に東証第一部への上場期間という指標を用いて合併が企業の寿命を延長させるかどうかを分析し、さらにそこで得られた結果の妥当性を検証する。この結果として、「東証一部上場企業に関しては、その間の合併により寿命が延長される」ということが示される。この結果が示唆していることは、合併行動は企業の短期的な収益の向上やシェアの向上には結びつかなくても、企業の安完性を向上させ、ステイクホルダーのコミットメントを維持することで、企業にとってプラスの効果をもたらすということである。

 ここで問題となるのは、なぜ合併行動が企業の寿命を延長させるのかという点である。第5章ではこの点についてAxelrodの「協調行動の進化」モデルを元に理論的な分析を行い、一つの考え方を提示する。モデルからは、合併は初期の段階でコストを発生させるが、一方で関係の長期化と協調の安定化という二つの効果により、企業に対し長期的に一定水準の利得をもたらすということが示される。ただし、初期コストが大きいと協調は不安定になり、このような効果の発揮が妨げられると考えられる。

 ここで企業が安定的であるとはどういうことか考えてみると、企業がステイクホルダーのコミットメントを確保できる意味で安定的であるためには、単に存続するだけではなく、一定のパフォーマンスを挙げつづける必要があると思われる。このように考えれば、第4章の結果は、合併は長期的な利得をもたらすことで、企業の安定性あるいは寿命に対しプラスに働いていると理解できることになる。また補論では、特に有限回の繰り返し囚人のジレンマゲームにおける協調行動の進化の問題を取り上げてシミュレーションによって検討し、このような場合でも協調行動は擬似的に安定していることを示す。

 以上の分析を踏まえて、結論として合併行動の効果について次のような考え方が提示される。先行研究から明らかなように、合併行動は短期的には収益性や成長率を必ずしも改善せず、むしろ合併に伴うさまざまなコストにより収益性等はしばしば一時的に低下する。しかし、合併は合併主体間の関係を固定することにより関係を長期化させ、また協調を安定化させることによって企業に長期的に一定のメリットをもたらす。この結果、合併により企業の寿命は延長されると考えられるのである。ただし初期コストが大きい場合には、協調関係が不安定化するためにこのような効果が阻害されると思われる。

 このような見方からすれば、企業が合併を行う理由も理解できる。つまり、合併は短期的にはコストがかかるものの、長期的には企業の寿命を延ばすことによって、企業に対してプラスの価値をもたらしているわけである。ただし、ここで言う長期とは日本では10年、20年の単位であると考えられ、この意味で合併の効果は相当な長期について見ていく必要がある。

 一方で企業の寿命と安定性については、仮説的な枠組みとして企業の安定性とは「一定以上のパフォーマンスを維持し、ステイクホルダーのコミットメントを確保しつづけられること」であり、企業の寿命とはこのような安定性を維持できる期間であるという考え方を示す。つまり企業の寿命とは、一定のパフォーマンスを挙げつづけることでステイクホルダーとの関係を維持し、それによりステイクホルダーのコミットメントを確保しつづけられる期間と考えるわけである。このような考え方は組織論における組織均衡の概念からも解釈することができ、また組織生態学において示されている考え方とも整合的であると思われる。

 最後に今後の課題として、まず合併については合併のメカニズムのより詳細な検討や、あるいは合併のタイブや特徴による影響の分析といった点を指摘する。また企業の寿命については、他の企業行動の企業の寿命という視点からの分析や企業の寿命とは何かという点についてさらなる検討、あるいは中小企業における企業の寿命の測定といった点を指摘する。

審査要旨

 この論文は、合併行動を中心とした企業行動を企業の「寿命」の視点からイベント・ヒストリー分析(生存時間解析)を使って実証的に分析しようとしたものである。

 本論文の構成は次のようになっている。

 第1章 序論:なぜ合併は行われるのか

 第2章 イベント・ヒストリー分析の理論と方法

 第3章 企業の「寿命」-戦後日本企業の分析- 補論 「会社の寿命30年」説の再分析

 第4章 合併行動のイベント・ヒストリー分析

 第5章 合併の効果の理論的考察 補論 有限反復囚人のジレンマにおける協調行動の進化

 第6章 企業の寿命とは何か-合併行動の分析を通じて-

 なお第3章とその補論は『経営史学』、第4章は『組織科学』、第5章の一部と補論は『行動計量学』と、それぞれが評価の高いレフェリー付き学会誌に掲載されており、各々は完成度の高い研究としての評価を得ている。

各章の内容の要約・紹介

 各章の内容を要約・紹介すると次のようになる。

 第1章では、合併(M&Aを含む)に関する先行研究のサーベイが行われる。これまでの合併をめぐる議論では、合併の動機と成果について関心がもたれてきた。ところが、実証研究の結果を見る限り、米国、英国、日本において、合併が収益性や成長性といった点ではプラスの効果をもつとはいえず、むしろ合併による様々なコストの発生で、収益性等は一時的にしばしば低下することが指摘されてきた。そこでこの論文では、企業の「寿命」の観点から、合併の効果を考察することが試みられる。ただし、生物とは異なり、企業の場合には、衰退しても法律上の存在として存続することは可能であり、いつ「死んだ」のかを特定することが難しい。実際、東証一部上場企業の中で過去に倒産した30社のうち、少なくとも10社はまだ営業を続けている。また分社化のようなケースの場合には、いつ「生まれた」のかを定めることも難しい。そこでこの論文では「優良企業でいられる期間」を分析することを考える。

 第2章では、本論文で行われる実証研究に用いられる手法として、イベント・ヒストリー分析の整理と解説が行われる。イベント・ヒストリー分析とは「何らかの事象が起こるまでの時間」(持続時間)を扱うための統計手法の総称で、これまで生物や機械等の寿命を分析する際に用いられてきた。社会学でも、1970年代以降、個体群生態学で分析に用いられるようになった。

 第3章は、戦後日本の企業の「寿命」を分析するために、「寿命」の尺度として東京証券取引所第一部への上場期間が提案される。分析の対象となっているのは、戦後、東京証券取引所が開設された時点(1949年)から1995年末までに東証一部(ただし、1961年以前は第二部が存在しないので、東証)に上場した企業1,161社の上場期間である。東証開設時に上場していた485社は対象から除いてある。上場期間の分析として、Weibull回帰を行った結果、「上場企業の推定された平均上場期間は100年を遥かに超える」ことがわかった。そして「上場廃止率は上場してからの期間にかかわらず一定である」という事実発見が得られたが、これは「新しさの不利益」も「加齢による不利益」も観察されなかったという注目すべき結果である。また、Cox回帰のハザード比によると、先ほど同様に、上場時期は上場期間に影響しなかったものの、昭和60年代を基準に考えた上場廃止の可能性は、昭和20年代には47倍、昭和30年代には14倍、昭和40年代には6倍にもなり、1965年以前は有意に上場廃止率が高かったことがわかった。つまり、日本の大企業は推定平均上場期間が100年を遥かに超える安定した存在ではあるが、1960年代前半に一つの転換点があり、それ以前は上場廃止率が相対的に高かったことが示されたのである。

 第3章の補論では、先行研究の一つであり、会社の寿命30年説を唱えた『会社の寿命』について、原資料にまで遡って修正・補正がなされ、30年よりはるかに長寿であったことが確認される。特に、一旦ランキング落ちしたものの後になって再登場した企業が22社、さらに合併により再登場した企業も含めると29社となり、この分を修正すると、平均年間脱落率は3.56%から2.76%にまで低下、特に戦後は1.73%しかなく、日本の鉱工業上位100社にランク・インしている「寿命」も57.9年になることが示される。

 第4章では、合併行動が企業の寿命に対してもつ効果について分析される。まず1960年に石川島重工業と播磨造船所が合併して石川島播磨重工業(IHI)が誕生した事例を分析して、その際には、企業の安定性あるいは寿命を延長させる目的があったこと、そして実際にそのような効果があったことが示される。そこで「合併が企業の寿命を延長させる」という仮説を提示し、第3章同様に東証一部への上場期間という指標を用いて、この仮説が検証される。Kaplan-Meier推定量のプロットでは、吸収合併群(吸収合併における存続会社群)には、そもそも上場廃止した会社がないこと。次いで対等合併群、一般群の順に上場期間が短くなっていくことが示される。次に、上場廃止のあった対等合併群と一般群との間でCox回帰を行うと、対等合併群のハザード比は1/6程度で、上場廃止率が一般企業の1/6程度であったことになる。さらに注目されるのは、上場廃止が1社もなかった吸収合併群について、詳細に調べてみると、20社中15社までが、ほぼ同業種の間での合併だったということである。つまり、多角化のための合併ではなかったことになる。

 それでは、なぜ合併により企業の寿命が延びるのであろうか。その説明のための一つの手がかりとして、第5章では、Axelrodの協調行動の進化モデルを基にして、理論的な分析が行われる。合併は、初期段階でコストを発生させるが、一方で関係の長期化と協調の安定化により、企業に対して長期的には一定水準の利得をもたらすことが示される。そのことが企業の寿命にプラスに働いていると主張されている。

 第5章の補論では、特にAxelrodの有限回の繰り返し囚人のジレンマ・ゲームにおける協調行動の進化の問題をシミュレーションによって再検討し、有限回ゲームでは、Axelrodの主張とは異なり、最後に裏切る戦略が生き残ることを示し、同時に、このような場合であっても協調行動は擬似的に安定していることを示している。

 以上の分析を踏まえて、第6章では、合併は合併主体間の関係を固定することにより、関係を長期化させ、協調行動を生み出し、その結果として、企業の寿命が延びると結論付けている。そして、こうした考察の結果として、企業の生存とは、一定のパフォーマンスを挙げ続けることで、ステイク・ホルダーとの関係を維持し、それにより、ステイク・ホルダーのコミットメントを確保し続けることであり、それが可能な期間が寿命と考えられると近代組織論の組織均衡のアイデアを再評価している。

論文の評価

 この論文は、これまで経営学がまともに答を与えようとすらしてこなかった会社や組織の「寿命」の概念をまともに取り上げ、論理的、科学的に考察した優れた論文である。日本の経営学者の間には、「会社の寿命30年説」や一流の大企業にも寿命があるという主張を衝撃的に受け止めた者も多かった。しかし、会社に寿命があること自体は、実は、たいした問題ではない。論理的に考えれば、寿命の長さこそが問題なのである。ところが、会社の寿命は一体何年程度になるのだろうかという問いに対して、経営学は今まで科学的に答を与えようとすらしてこなかったのである。それに対してこの論文は、会社の寿命が30年というのは明らかに過小評価であること、「上場企業の推定された平均上場期間は100年を遥かに超える」ことなどを実証している。

 また、先行研究の実証結果を見る限り、合併が収益性や成長性といった点ではプラスの効果をもつとはいえないにもかかわらず、なぜ合併行動が採られるのかという残されていた大きな疑問に対しても、この論文は「合併が企業の寿命を延長させる」からだという仮説を提示し、第4章で東証一部への上場期間という指標を用いて検証し、寿命を延ばすという点で合併は効果があることを明確に示している。同時に、個々の合併の事例を検討し、日本企業では、合併によって寿命が伸びる現象が見られるものの、それは、いわゆる同業種間の合併であり、多角化によって寿命が伸びたわけではなかったことも示される。すなわち、企業が存続するためには多角化こそが必要であるという根拠のない迷信についても、事実によって否定している。

 さらに、イベント・ヒストリー分析の有用性を学界に広く知らしめ、普及させたという点でも、清水氏の貢献は目を見張るものがある。これまで経営学分野では、国内外でイベント・ヒストリー分析を用いた研究はほとんど見られなかったが、この論文にまとめられているような清水氏の一連の研究に刺激を受けて、昨年からだけでも同世代の研究者3人が、それぞれ製品開発、系列取引、海外直接投資の分析にイベント・ヒストリー分析を応用した研究を発表している。

 もちろん、この論文にも問題点はある。既に述べたように、先行実証研究では収益性や成長性へのプラスの合併効果が疑問視される結果となったが、この論文では合併には企業の寿命を延長させる効果があると結論している。しかし、第4章のIHIの「相補う理想的な合併」の事例では、成長も意図され、実際、合併後にIHIが急成長を遂げており、合併の件数自体が少ないとはいえ、あまり適切な事例選択ではないと思われる。また、IHIのような補完的な合併ではポートフォリオ化で安定性をもたらした可能性があり、事例を議論の出発点にするならば、寿命以外への合併の効果も考察されるべきではなかっただろうか。

 さらに第5章の合併の効果の理論的考察は、まだ割引率と合併コストとの間の関係を示唆したにとどまっており、合併の効果を理論的に明確にしているとはいいがたい。第5章補論にあるようなコンピュータ・シミュレーションによる合併効果の例示もほしいが、モデルにこだわった分析ばかりではなく、合併の成功例・失敗例の比較研究をベースにして、合併後の社内での協調・裏切りの実態と合併コストに関する経営学的分析が理論的展開の鍵を握っているように思われる。また第6章では長期的な合併効果を強調しているが、長期的なパフォーマンスを強調し過ぎると、結局、合併によって長期的に収益性や成長性が向上したために寿命が延びたのだということになってしまうおそれがある。しかし、これらの問題点を残すとはいえ、この論文が経営学分野においては画期的な研究成果であることは疑いようもない。

 以上により、審査委員は全員一致で本論文を博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。

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