多細胞生物を構成する個々の細胞は外部からの刺激を受けると様様な応答を行う。その中でも、増殖を停止して分化・発生を開始すること(増殖/分化の切り替え)、細胞外刺激の強い方へ細胞自身が運動を起こすこと(走化性)は本質的な応答であり、多くの多細胞生物で保存された経路が存在すると考えられている。 細胞性粘菌Dictyostelium discoideumは栄養増殖期にはアメーバー状の単細胞として生活しているが、栄養が枯渇すると細胞増殖を停止して子実体形成に至る多細胞生物としての分化を開始する。この分化の初期段階で個々の細胞は互いに放出しあうcAMPに対する走化性に基づいて集合し、多細胞体を形成するのであるが、この集合を行うためには次に述べる少なくとも3つの独立した細胞の機能が必須である。(1)飢餓状態に応答して、遺伝子発現の調節を通じて増殖/分化の切り替えが行えること。増殖期特異的に発現する遺伝子は不活化されるとともに、分化に必要な遺伝子群の発現は誘導される。次に述べるcAMP relayを形成する遺伝子もこの段階で誘導される必要がある。(2)走化性物質であるcAMPの細胞表面受容体(cAMP receptor1,cAR1)への結合に応答して、細胞内のシグナル伝達系を通じてadenylyl cyclase A(ACA)を活性化してcAMPを生産・放出して走化性シグナルを周辺の細胞に伝えられること(cAMP relay)。(3)走化性物質品cAMPの刺激に応答してその濃度勾配の高いほうへ走化性運動が行えること。このように、細胞性粘菌が発生初期段階で正常に集合するための必須な機能には、上記の増殖/分化の切り替えと走化性という本質的な細胞応答が含まれているのでおる。 増殖/分化の切り替えと走化性応答は多細胞生物の発生における必須の機能であると同時に、血球系の巨食細胞であるmacrophageやneutrophilのバクテリアに対する走化性運動やケモカインに対する応答にも必須である。そのため、多くの多細胞生物で精力的な研究がなされてきた。しかし、酵母はこれらの応答を持たないこともあり、遺伝学的なアプローチによる集中的な研究が十分になされているとは言い難い。本研究ではこれらの細胞応答の全貌を明らかにするための一助として、細胞性粘菌の集合に必須な遺伝子をスクリーニングし、その役割を明らかにするべく以下の実験を行った。 細胞性粘菌は一倍体で増殖するため容易に変異株を得ることができる。そこでBsr-REMI(Restriction Enzyme-Mediated Integration)法というランダムタギング法を用いて細胞性粘菌の変異株ライブラリーを作成した。この変異株ライブラリーより約5万株をスクリーニングした結果、32株の集合異常株を単離した。さらに解析を進めたところ、集合に必須な遺伝子の破壊株は16株であり、それらには6個の新奇遺伝子が含まれていることが判明した。単離された新奇遺伝子の中で、本研究ではあみamiBとmkpAを対象として選び、さらにその機能について研究を進めた。 AmiB 単離された変異株より、タグにより破壊されている遺伝子をプラスミドレスキュー法及び5’,3’-RACEより全遺伝子配列を決定したところ、この原因遺伝子は2678アミノ酸(298.9kDa)からなる大きな新奇タンパク質をコードしていることが予想された。この遺伝子をamiB(aggregation minus B)、コードしているタンパク質をAmiBと名づけた。AmiBは現在データベースに登録されている既知のタンパク質との明確な相同性は見出されなかった。amiB遺伝子は栄養増殖期、及び多細胞分化の全ての段階で発現しているが、分化の初期段階すなわち細胞集合期に発現量が増大することからAmiBが細胞集合期に機能している可能性が示唆された。 次に、単離したamiB遺伝子を用いて相同組換えによりこの遺伝子を破壊しamiB欠損株を作製して、その性質を調べることにした。amiB欠損株は飢餓状態に応答した細胞集合能を完全に欠損していた(aggregate-less)。細胞集合に対するAmiBの機能を明らかにするための第一歩として野生株との共発生実験を行った。野生株が優勢に存在する状態ではcAMP relayなどの細胞間コミュニケーションは正常に行われるため、この点のみに異常をきたしている変異株は正常に集合し、最終的に子実体を形成するはずである。実際、YFPでラベルしたamiB欠損株は9倍の野生株が存在する状態では頻度はかなり落ちるものの細胞集合体に入ることができた。しかし、発生が進行してスラッグや子実体といった分化状態に入ると、amiB欠損株のほとんどは多細胞体から排除されてしまった。胞子形成率を測定したところ10%のamiB欠損株が存在する状態で、わずか0.1%のamiB欠損株が最終的に子実体内の胞子細胞にまで分化するという結果であった。この結果はAmiBが細胞集合期に細胞間コミュニケーションに必須であるとともに、後期の分化にも必要であることを示唆している。 上述の細胞集合に必須な機能を詳細に検討するために、まずcAMP relayと走化性の検討を行った。また、走化性運動に密接に関連していると思われる、cAMP刺激に応答した細胞内cGMPの一過的上昇(cGMP response)の検討も行った。その結果、amiB欠損株のcAMPに対する走化性及びcGMP responseは野生株に比べて弱く、cAMP relayは完全に欠損していた。このように集合期の細胞に見られる生化学的な応答の全てが弱いことから、amiB欠損株は正常に分化状態に入れない、すなわち増殖/分化の切り替えに問題があるのではないかと推測された。 そこで、瑣殖/分化の切り替え段階において発現が抑制もしくは活性化される遺伝子の動態を調べることにした。amiB欠損株では栄養増殖期のみに発現するセリンプロテイナーゼDが飢餓状態においても発現したままであり、分化の初期に発現が誘導されるべき遺伝子であるACAの発現は全く見られなかった。この結果はamiB欠損株が分化状態に入れないことを示すとともに、ACAが発現しないことがcAMP relay欠損の原因であることを示している。 さらに、ACAの発現誘導とAmiBの機能との相関を明らかにするべく、amiB欠損株でACAの強制発現を行った。その結果、amiB欠損/ACA強制発現株は正常に集合及び発生を行い、最終的に正常な子実体を形成した。さらに飢餓に応答したACAの発現誘導のみに必須である転写因子DdMyb2を強制発現させた場合でも、amiB欠損株の集合・発生は完全に相補され、ACAの正常な発現誘導も観察された。これらの強制発現株の集合期における細胞機能を調べたところ、上述した、cAMPに対する走化性、cGMP response、cAMP relayのいずれもがほぼ野生株と同様に観察された。これらの結果から、AmiBの細胞集合期における主要な役割は増殖/分化の切り替え段階にACAの発現誘導を行うことであることが示された。 ACAが生産するcAMPは細胞外で走化性物質として細胞集合を促すとともに、細胞内ではcAMP-dependent protein kinase(PKA)の活性化を通じて分化に必須な様々な遺伝子の発現調節を行っていることが明らかになりつつある。amiB欠損株ではACAを欠くために、cAMP relayが行えないだけでなく、PKAを介した正常な分化にも欠損をきたしたものと思われる。実際、活性型PKAの強制発現でもamiB欠損株の発生異常が相補されることが明らかになった。 MkpA 単離された変異株の原因遺伝子は173kDaのタンパク質をコードしており、このタンパク質は約1000アミノ酸に及ぶ機能不明のN末領域とprotein tyrosine phosphataseのサブファミリーであるCL100/MKP-1 family dual-specificity protein phosphataseの活性中心にはっきりとした相同性を示すC末領域からなっていた。そこでこの遺伝子をmkpA、コードされているタンパク質をMkpAと名づけた。実際、大腸菌で発現・精製したMkpAの活性中心とその周辺領域を含むフラグメントは人工基質に対してphosphatase活性を有し、この活性はprotein tyrosine phosphataseの特異的阻害剤であるバナジン酸で完全に阻害された。この結果から、MkpAは本質的なphosphatase活性を有するものと思われる。また、N末にGFPを融合させたMkpAの細胞内局在を調べたところ、他のCL100/MKP-1ファミリーのとは異なり、核ではなく細胞質に存在することが明らかになった。 amiB欠損株と同様にmkpA欠損株の細胞集合に必須な応答を検討したところ、mkpA欠損株はcAMP relayを形成するcAR1とACAの分化に伴う発現誘導とかMPに対する走化性に欠損があることが明らかになった。しかし、飢餓時にcAMPのパルスを加えて人工的に野生株と同様の環境を整えることで、前者の欠損は回復した。この条件下では、mkpA欠損株のcGMP response、cAMP relay、cAR1、ACAの発現はいずれも正常であるが、走化性は弱く、依然として細胞集合は起こらなかった。これらの結果から、MkpAは初期分化の転写制御にかかわると共に、走化性運動にも重要な機能を果たすものと考えられる。 mkpAのmRNAは栄養増殖期には弱く発現しており、細胞集合期のみにその発現が増強される。さらに、mkpA破壊株と同様にmkpA異常発現株も細胞集合に異常をきたし、大腸菌ローン上ではいずれも多細胞集合体を形成せず、スムースプラークを生ずることが観察された。これらの結果は、MkpAの発現もしくは活性化が厳密に調節されており、この調節が細胞集合に必須であることを示唆するものである。 現在までに報告されている CL100/MKP-1ファミリーのメンバーは全てMAP kinase(MAPK)を特異的にターゲットとして、その活性に必須なthreonineとtyrosine残基を脱リン酸化しキナーゼ活性を不活化する。アミノ酸配列の相同性から、MkpAも細胞性粘菌のMAPKの不活化に関与していると思われる。しかし、現在までに同定されている2つのMAPKのうちERK2はそのターゲットではなく、ERK1のbasal活性についてもMkpAは影響を与えないことを本研究では示した。活性型EKR1もしくは第3の未同定MAPKがMkpAのターゲットであると考えられるが、MkpAのターゲットを決定するためには細胞性粘菌でのMAPKの単離・機能解析をすすめる必要がある。 最近の研究から、MAPKは転写制御のみならず、myosin IIの活性化を含めた細胞骨格系の制御を行うことが示されている。MAPKの負の制御が転写制御と走化性運動の両方に必須であるとすれば、MAPKを介したシグナル伝達系の理解をさらに深めることに貢献するものと思われる。 |