学位論文要旨



No 114905
著者(漢字) 齋藤,淳一
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,ジュンイチ
標題(和) 細胞性粘菌の走化性関連遺伝子のクローニングと解析
標題(洋) Cloning and characterization of a Dictyostelium gene involved in chemotaxis
報告番号 114905
報告番号 甲14905
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第247号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
 産業技術融合領域研究所 主任研究官 上田,太郎
内容要旨

 走化性は、免疫系、形態形成、ニューロンのネットワーク形成などにも関与する、きわめて重要な生命現象である。バクテリアなど原核細胞における走化性の分子機構については非常に研究が進んでいるが、真核生物における走化性機構には未知の部分が多い。真核細胞における走化性の分子機構解明の一助として、私は細胞性粘菌(Dictyostelium descoideum)から走化性にかかわる遺伝子を単離し、その遺伝子産物の細胞内機能について解析した。

 下等真核生物である細胞性粘菌(Dictyostelium descoideum)は、生活史が比較的単純で半数体の細胞からなり、走化性や発生の分子機構解明のためのモデル系として非常に適している。細胞性粘菌は栄養条件下では,単細胞のアメーバとして存在し分裂増殖するが、栄養が枯渇すると自らが分泌するcAMPによる走化性運動で集合体をつくり、多細胞体である子実体を形成する。走化性物質cAMPは飢餓条件下で、細胞性粘菌の細胞膜上に発現したcAMP受容体(cAR1)と結合し、その情報はcAR1と共役しているGタンパク貿三量体を介して二方向の伝達経路に流れる。一つはアデニルシクラーゼA(ACA)活性化によるcAMPの生産である。こうしたcAMP刺激によるcAMP生産の結果、外的には細胞間のcAMPリレ?が生じ、内的には発生関連遺伝子群の発現が開始される。もう一つはグアニルシクラーゼA(GCA)活性化にともなうcGMPの生産であり、その下流では走化性運動に関わる細胞骨格系や、モータータンパク質の制御が行われると考えられる。

 これらの機構をさらに明らかにするため、私は、ランダムタギング法である、REMI(restrictiocn enzyme-mediated integration)法で突然変異を導入した粘菌細胞から、「飢餓状態でも細胞が集合できない」というおそらく走化性に異常をきたした株を単離した。得られた突然変異株よりタグを含むゲノム断片を回収し、全塩基配列を決定した結果、導入されたタグは新規遺伝子trfA(tetratricopeptide repeat family gene A)に挿入されていることがあきらかとなった。こうしてクローニングした遺伝子を用い、相同組み換え法でtrfA遺伝子破壊株を作成したところ、この破壊株は上記REMI法で得られた株と同様の表現型を示したことから、この遺伝子の破壊が「集合体を形成しない」という表現型をもたらすことが明らかになった。このtrfA遺伝子の一部をプローブとして、cDNAライプラリーからtrfA遺伝子のcDNAをクローニングし、その塩基配列も決定した。これらのゲノムおよびcDNAの塩基配列から、このtrfA遺伝子は4つのエクソンからなる全長4173bpの遺伝子で、1390アミノ酸残基からなる分子量約160kDaのタンパク質TRFAをコードしていることがわかった。この遺伝子産物TRFAは出芽酵母の転写調節因子Ssn6(Cyc8)に高い相同性を持ち、TPR(tetratricopeptide repeat)モチーフを含むTPRファミリータンパク質であることがわかった。TPRファミリータンパク質は34アミノ酸の保存配列を1ユニットとするTPRモチーフを含み、幅広い生物種で様々なタンパク貿間の相互作用に関与する。またその機能は細胞周期の制御や転写調節、タンパク質輸送など多岐にわたる。Ssn6もTPRファミリータンパク質であり、出芽酵母で広範な転写調節因子として機能している。TRFAタンパク質もSsn6も10ケの連続したTPRユニットを含み、両者の全ユニット間の相同性は58%であった。また互いに長いポリグルタミン配列をもつなど、他の領域についても両者はよく似ていた。

 TRFAの機能を解析するために、まず、ノーザンプロット法でtrfA遺伝子の発現量を全生活史にわたって調べた。その結果、trfA遺伝子の発現量は栄養条件下で最も高く、発生を開始すると次第に低下することがわかった。trfA遺伝子破壊株細胞と野生株細胞を用いたウエスタンブロットの結果、野生株細胞の場合のみ、約160kDaの位置に抗TRFA抗体と反応するバンドが現れた。このことからTRFAは塩基配列から予想された分子量160kDaのたんぱく質であることが明らかとなった。またこの抗TRFA抗体を用いた蛍光抗体法により、TRFAは栄養および飢餓条件下で、常に核内に局在することがわかった。

 次にtrfA遺伝子破壊株が栄養条件,飢餓条件下でどのような欠陥を示すかを検討した。trfA遺伝子破壊株は、栄養条件下では増殖速度と細胞形態に異常を示した。また、飢餓条件下では細胞集合がおこらなかった。細胞集合に欠陥があることは走化性が正常でないことを示唆している。そこで、走化性に関する検定をおこなったところ、個々の細胞は正の走化性物質であるcAMPにも葉酸にもきわめて弱い反応しか示さず、trfA遺伝子破壊株では確かに走化性に欠陥があることがわかった。走化性に関する欠失をさらに明らかにするため、飢餓で誘導されるcAR1遺伝子やACA遺伝子の発現について調べたが、ともに野生株(AX2)とほぼ同様な発現パターンを示し、この部分には異常がないことが判明した。またcAMP刺激によるcAMP濃度の一過的上昇についても野生株とほぼで同様あった。しかし、cAMP刺激によるcGMP濃度の上昇は見られず、野生株とは大きく異なった反応を示した。以上の事実から、trfA遺伝子破壊株では飢餓状態に陥ると発生開始のスイッチは入り、集合を促すcAMPパルスも発生するが、cAMP受容体の下流にあるシグナル伝達系、具体的にはcAMP刺激に呼応したcGMPの一過的合成に欠陥があることがあきらかとなった。このことはGCAが発現していないか、あるいはGCAを活性化させる要素が欠けていることを意味する。

 栄養条件下、飢餓条件下両面における以上のような多面的欠失と、Ssn6との配列上の類似性を考慮したとき、TRFAはSsn6-と同様、細胞性粘菌Dictyosteliumにおいて広範な生理機構にかかわる複数の遺伝子の転写調節に関わると想像される。これには上記のようにGCAそのもの、あるいはGCA活性化に関わる遺伝子の転写調節もふくまれるだろう。酵母Ssn6はTup1というタンパク質と複合体を形成し、広範な転写調節に関わることがわかっている。細胞性粘菌においても既にTUP1の相同遺伝子Dtup1がクローニングされており、Ssn6/Tup1による酵母の転写調節系と同様な機能を果たす、細胞性粘菌TRFA/DTup1系の存在も予想される。こうした転写調節系は、走化性もふくめて細胞性粘菌の成長・分化において重要な働きを担っていると考えられる。

審査要旨

 走化性は免疫系、発生過程における形態形成、ニューロンのネットワーク形成などにも関与する生物にとってきわめて重要な過程であるにもかかわらず、その分子機構には未知の部分が多い。本論文では、真核細胞における走化性の分子機構解明に向けて細胞性粘菌(Dictyostelium descoideum)から走化性にかかわる遺伝子を単離し、その遺伝子産物の細胞内機能の解析をおこなった。

 まず第一章では、ランダムタギング法である、REMI(restriction enzyme-mediated integration)法で突然変異を導入した粘菌細胞がら、「飢餓状態でも細胞が集合できない」というおそらく走化性に異常をきたした株を単離した。得られた突然変異株よりタグを含むゲノム断片を回収し、全塩基配列を決定した結果、導入されたタグは新規遺伝子trfA(tetraicopeptide repeat family gene A)に挿入されていることがあきらかとなった。こうしてクローニングした遺伝子を用い、相同組み換え法でtrfA遺伝子破壊株を作成したところ、この破壊株は上記REMI法で得られた株と同様の表現型を示したことから、この遺伝子の破壊が「集合体を形成しない」という表現型をもたらすことが明らかになった。このtrfA遺伝子の一部をプローブとして、cDNAライブラリーからtrfA遺伝子のcDNAをクローニングし、その塩基配列も決定した。これらのゲノムおよびcDNAの塩基配列から、このtrfA遺伝子は4つのエクソンからなる全長4182bpの遺伝子で、1390アミノ酸残基からなる分子量約160kDaのタンパク質TRFAをコードしていることがわかった。この遺伝子産物TRFAは出芽酵母の転写調節因子Ssn6(Cyc8)に高い相同性を持ち、TPR(tetratricopeptide repeat)モチーフをもっTPRファミリータンパク質であることがわかった。

 TPRファミリータンパク質は34アミノ酸残基の保存配列を1ユニットとするTPRモチーフを含み、幅広い生物種で様々なタンパク質問の相互作用に関与する。またその機能は細胞周期の制御や転写調節、タンパク質輸送など多岐にわたる。Ssn6もTPRファミリータンパク質であり、出芽酵母で広範な転写調節因子として機能している。TRFAタンパク質もSsn6も10ケの連続したTPRユニットを含み、両者のTPRユニット間の相同性は58%であった。また互いに長いポリグルタミン配列をもつなど、他の領域についても両者はよく似ていた。

 TRFAの機能を解析するため、まず、ノーザンブロット法でtrfA遺伝子の発現量を全生活史にわたって調べた。その結果、trfA遺伝子の発現量は栄養条件下で最も高く、発生を開始すると次第に低下することがわかった。trfA遺伝子破壊株細胞と野生株細胞を用いたウエスタンブロットの結果、野生株細胞の場合のみ、約160kDaの位置に抗TRFA抗体と反応するバンドが現れた。このことからTRFAは塩基配列から予想された分子量160kDaのたんぱく質であることがあきらかとなった。またこの抗TRFA抗体を用いた蛍光抗体法により、TRFAは栄養および飢餓条件下で、つねに核内に局在することがわかった。

 次に第二章では、trfA遺伝子破壊株が栄養条件、飢餓条件下でどのような欠陥を示すかを検討した。trfA遺伝子破壊株は、栄養条件下では増殖速度と細胞形態に異常を示した。また、飢餓条件下では細胞集合がおこらなかった。細胞集合に欠陥があることは走化性が正常でないことを示唆している。そこで、走化性に関する検定をおこなったところ、個々の細胞は正の走化性物質であるcAMPにも葉酸にもきわめて弱い反応しか示さず、trfA遺伝子破壊株ではたしかに走化性に欠陥があることがわかった。走化性に関する欠失をさらに明らかにするため、飢餓で誘導されるcAR1やACAの発現について調べたが、ともに野生株(AX2)とほぼ同様な発現パターンを示し、この部分には異常がないことがあきらかとなった。またcAMP刺激によるcAMP濃度の一過的上昇についても野生株とほぼで同様あった。しかし、cAMP刺激によるcGMP濃度の上昇は見られず、野生株とは大きく異なった反応を示した。以上の事実から、trfA遺伝子破壊株では飢餓状態に陥ると発生開始のスイッチは入り、集合を促すcAMPパルスも発生するが、cAMP受容体の下流にあるシグナル伝達系、具体的にはcAMP刺激に呼応したcGMPの一過的合成に欠陥があることがあきらかとなった。このことはGCAが発現していないか、あるいはGCAを活性化させる要素が欠けていることを意味する。

 栄養条件下、飢餓条件下両面における以上のような多面的欠失と、Ssn6との配列上の類似性を考えると、TRFAはSsn6-と同様、細胞性粘菌Dictyosteliumにおいて広範な生理機構にかかわる複数の遺伝子の転写調節を行っていると想像される。これには上記のようにGCAそのものあるいはGCA活性化にかかわるたんぱく質の遺伝子の転写調節もふくまれるだろう。酵母Ssn6はTUP1というタンパク質と複合体を形成し、広範な転写調節に関わると推測されている。細胞性粘菌においても既にTUP1の相同遺伝子Dtup1がクローニングされており、Ssn6/Tup1という酵母の転写調節系と同じ機能をはたす細胞性粘菌TRFA/DTUP1系の存在も予想される。こうした転写調節系は、走化性もふくめて細胞性粘菌の成長・分化において重要な働きをはたしていると考えられる。

 このように本論文では、走化性という生物にとって重要な過程の分子機構解明に向けて独創的な第一歩を踏み出しており、得られた結果も重要でこの分野に対する貢献も大きい。以上により本論文は博士(学術)を授与するに相応しい内容であると判定した。

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