学位論文要旨



No 114906
著者(漢字) 鈴木,良和
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヨシカズ
標題(和) 蛍光励起エネルギー移動法によるミオシンモータードメインの構造変化に関する研究
標題(洋) Study of Structural Changes of the Myosin Motor Domain by Fluorescence Resonance Energy Transfer
報告番号 114906
報告番号 甲14906
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第248号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 小倉,尚志
 東京大学 助教授 安田,賢二
内容要旨

 ミオシンはATPの加水分解で発生する化学エネルギーを何らかの形で力学的エネルギーに変換するモータータンパク質であり、筋収縮をはじめ、細胞運動、細胞分裂など生命活動において「力」や「動き」が必要なところで非常に重要な機能を果たしている。しかしながら、半世紀近くにもわたり長く研究されてきたにもかかわらず、この化学-力学エネルギー変換の分子メカニズムは今だ明確に解明されるまでには至っていない。ミオシンの分子内で起こる構造変化はこのエネルギー変換に非常に密接に関係していると考えられ、その分子内構造変化とATP加水分解がどのように共役しているかを解明することは、エネルギー変換の分子メカニズムを理解する上で必須である。本研究では、蛍光エネルギー移動法を用いて、多分子系及び一分子系の両方の実験系でミオシンモータードメインの構造変化を検出することを目的に実験を行った。

蛍光性タンパク質(GFP)を用いた蛍光エネルギー移動による多分子系でのミオシンモータードメインの構造変化の検出

 ミオシンサブフラグメント1(S1)と呼ばれるミオシンモータードメインは1本の重鎖と2本の軽鎖から構成されており、その結晶構造はすでに解かれている。それは図1に示すように細長く非常に非対称的なものであり、大きく分けて、球状ドメインとそこから伸びる細長い特徴的な棒状ドメインに分けることができる。球状ドメイン(S1dC)にはアクチン結合部位とATP加水分解部位の両方が備わっており、これがモーターとして機能する最小単位であることがわかっている。一方、棒状ドメインはS1dCのC端側から伸びる1本の長いヘリックス(約8nm)に2つの軽鎖が結合した形になっており、レバーアーム(てこの腕)と呼ばれている。この様な特徴的な構造から、ミオシンはこのレバーアームをATPの加水分解に伴ってスイングすることで力を発生しているのではないかと考えられてきた。この考えを支持するように、細胞性粘薗ミオシンのS1dCの結晶構造では、結合しているヌクレオチド状態によって、S1dCのC端ドメイン(コンバータードメイン)が大きく角度変化していることが観測されている。しかしながら、このような構造変化がATP加水分解に伴って本当に起こることを示す直接的な証拠は今まで存在しなかった。このことを確かめるため、細胞性粘菌のミオシンS1dCと蛍光性タンパク質(GFPおよびBFP)を用いて次のような実験を行った。

図1 ニワトリ骨格筋ミオシンS1の立体構造

 S1dCのN末端に3つのグリシンを介して蛍光性タンパク質GFP(Green Fluorescent Protein、吸収極大;480nm、発光極大;510nm)を融合した。一方、C末端にはGFPの変異体であるBFP(Blue Fluorescent Protein、吸収極大;380nm、発光極大;440nm)を同じように3つのグリシンをスペーサーとして融合した。BFPの発光スペクトルとGFPの吸収スペクトルは重なりを持つので、これらの蛍光性タンパク質がある距離以内に存在すると、BFPの励起エネルギーの一部がGFPに移動し、直接励起していないにもかかわらずGFPから発光する現象、すなわち蛍光励起エネルギー移動が起こる。このときのエネルギー移動効率は、2つの蛍光性タンパク質の距離を非常に敏感に反映するので、この方法を用いれば目的タンパク質のわずかな構造変化も検出することができる。

 実際に作成した融合ミオシン(GS1dCB)の蛍光スペクトルを測定したところ、BFPとGFPの距離は、ATP非存在下ではそのエネルギー移動効率から約3.5nmと見積もられた。ところが、過剰のATPが存在するとBFPからGFPへのエネルギー移動効率が大きく減少し、その時の両者の距離は計算結果から約5.1nmにまで遠くなった。このことは、ATPの結合に伴ってミオシンS1dCの分子内でN末端ドメインとコンバータードメインの距離が相対的に大きく変化していることを意味している。ミオシンのATPase反応は、ATPを加水分解した後のリン酸放出のステップが律速段階なので、過剰のATPが存在する場合、ほとんどのミオシン分子はADP.Pi状態にいる。従って、コンバータードメインが動いてN末端ドメインとの距離が遠くなるという構造変化は、ATPを結合した後からリン酸を放出するまでのどこかのステップで起こっているはずである。これを特定するため、ATP加水分解の中間状態で止まっているミオシンの変異体を用いて同様の実験を行った。その結果、ATPが結合したあとの異性化(ATPの結合に伴ってミオシンに内在するトリプトファンの蛍光が増大するステップがあるが、これは異性化ステップと呼ばれている)のステップでコンバータードメインは大きく動くことが明らかになった。さらに、ATPを加えた直後からエネルギー移動効率の変化を経時的に観測すると、ATPが消費されてなくなっていくに従ってミオシンはATP添加前の元の構造に次第に戻っていくことが判明した。この「戻り」の速度は、ミオシンのリン酸放出の速度とよく一致することから、リン酸放出のステップでコンバータードメインはもう一度動いて元の構造に戻ることがわかった。これらの実験結果は、ミオシンのレバーアームはATP加水分解中の特定のステップでスイングすることを強く示唆しており、レバーアームのスイングがミオシンの力発生源であるとする、いわゆる「レバーアーム仮説」を支持するものであった。

GS1 dCBの蛍光スペクトル
全反射照明蛍光顕微鏡によるミオシンモータードメイン1分子の構造変化の検出

 上記ような多分子系の実験により、確かにミオシンのレバーアームは1回のATP加水分解サイクルのある特定のステップでスイングすることが立証された。しかしながら、このようなミオシンの構造変化(レバーアームのスイング)と1回のATP加水分解サイクル、さらには実際の力発生との共役関係をより詳細に解析するためには、通常の蛍光光度計を用いた多分子の実験系では限界がある。というのも、前述した「元に戻る」時のレバーアームのスイングは直接力発生に関与していると考えられるため、このステップにおけるより詳細な解析が必要とされるが、多分子系においてはすべてのミオシン分子をこのステップで完全に同調させない限りそれは不可能である。一方、1分子の実験系では多数の分子を同調させる必要がないため、このステップにおけるより詳細な解析が可能である。従って、上述した多分子系での蛍光励起エネルギー移動法によるレバーアームスイングの検出システムを1分子の実験系に拡張することが、ミオシンの構造変化、ATP加水分解そして力発生の3要素の共役関係を解明するためには必要不可欠である。そのための第一歩として、1分子蛍光励起エネルギー移動を可視化する顕微鏡の開発、及び、それに適する2重蛍光標識ミオシン分子の作製を目指した。

 蛍光性タンパク質(GFPやBFP)は、蛍光強度及びその安定性の問題から、1分子測定には適さない。従って、より安定で強い蛍光を発する2つの蛍光色素をミオシン分子に部位特異的にラベルする必要がある。そこで本研究では、Rhodamine RedとCy5をそれぞれ蛍光エネルギー移動のドナーとアクセプターに選定し、部位特異的変異を用いてミオシンの重鎖及び軽鎖に導入した反応性システインを標的にして、重鎖、軽鎖それぞれをこれらの蛍光色素でラベルした。その後、これらの重鎖、軽鎖を用いてモータードメインを再構成し、2重蛍光ラベルされたミオシンモータードメインを作成した。

図2 1分子分光イメージングの概念図

 1分子の可視化は全反射照明蛍光顕微鏡を利用した。蛍光エネルギー移動を可視化するには2つの蛍光色素からの蛍光を同時に観測しなければならないが、直視分散プリズムを対物レンズの直下に導入することで、ミオシン1分子から発せられるRhodamine RedとCy5の蛍光をスペクトルイメージとして同時に観測することに成功した。

 これらの技術を用いて、実際に2重ラベルミオシンを観測したところ、ヌクレオチド非存在下では、アクセプター(Cy5)が非常に明るく光るミオシン分子が数多く存在していた。これは両蛍光色素間のエネルギー移動効率が非常に高いこと、すなわち、これらの分子においては分子内のドナーとアクセプターの距離が非常に近い位置にあることを意味する。一方、ミオシンを加水分解の中間状態であるADP.Pi状態に安定にトラップするMgADP.ViやMgADP.AIF4などのヌクレオチドアナログ存在下では、アクセプター(Cy5)が明るく光るミオシン分子の数はヌクレオチド非存在下に比べて大きく減少した。実際、これらのスペクトルイメージはその形状が大きく異なっており、この差異はミオシン1分子の構造変化(レバーアームのスイング)に由来するものと考えられる。

図3 1分子分光イメージ
審査要旨

 モータータンパク質はATPの加水分解で発生する化学エネルギーを力学的エネルギーに変換する分子である。こうしたモーターたんぱく質のなかでもミオシンについては半世紀近くにもわたり研究されてきたが、その機能発現の分子メカニズムは今だ明確に解明されるまでには至っていない。ミオシンでは、その分子内で起こる構造変化がこのエネルギー変換に非常に密接に関係していると考えられるので、その分子内構造変化とATP加水分解がどのように共役しているかを解明することは、モーターたんぱく質のエネルギー変換の分子メカニズムを理解する上で必須である。本論文では、蛍光エネルギー移動法を用いて、多分子系及び一分子系の両方の実験系でミオシンモータードメインの構造変化を検出するという研究について述べている。

 まず第一章では、蛍光性タンパク質(GFP)を用いた蛍光エネルギー移動法で多分子系を構成するミオシンモータードメインの構造変化を検出するという研究を報告した。ミオシンサブフラグメント1(S1)と呼ばれるミオシンモータードメインは1本の重鎖と2本の軽鎖から構成されており、その結晶構造は細長く非常に非対称的なものであり、大きく分けて、球状ドメインとそこから伸びる細長い特徴的な棒状ドメインに分けることができる。球状ドメイン(S1dC)にはアクチン結合部位とATP加水分解部位の両方が備わっており、これがモーターとして機能する最小単位であることがわかっている。一方、棒状ドメインはS1dCのC端側がら伸びる1本の長いヘリックス(約8nm)に2つの軽鎖が結合した形になっており、レバーアーム(てこの腕)と呼ばれている。この様な特徴的な構造から、ミオシンはこのレバーアームをATPの加水分解に伴ってスイングすることで力を発生しているのではないかと考えられてきた。この考えを支持するように、細胞性粘菌ミオシンのS1dCの結晶構造では、結合しているヌクレオチド状態によって、S1dCのC端ドメイン(コンバータードメイン)が大きく角度変化していることが観測されている。しかしながら、このような構造変化がATP加水分解に伴って本当に起こることを示す直接的な証拠は今まで存在しなかった。このことを確かめるため、細胞性粘菌のミオシンS1dCと蛍光性タンパク質(GFPおよびBFP)を用いて次のような実験を行った。

 S1dCのN末端に3つのグリシンを介して蛍光性タンパク質GFP(Green Fluorescent Protein 、吸収極大;480nm、発光極大;510nm)を融合した。一方、C末端にはGFPの変異体であるBFP(Blue Fluorescent Protein、吸収極大;380nm、発光極大;440nm)を同じように3つのグリシンをスペーサーとして融合した。BFPの発光スペクトルとGFPの吸収スペクトルは重なりを持つので、これらの蛍光性タンパク質がある距離以内に存在すると、BFPの励起エネルギーの一部がGFPに移動し、直接励起していないにもかかわらずGFPから発光する現象、すなわち蛍光励起エネルギー移動が起こる。このときのエネルギー移動効率は、2つの蛍光性タンパク質の距離を非常に敏感に反映するので、この方法を用いれば目的タンパク質のわずかな構造変化も検出することができる。

 実際に作成した融合ミオシン(GS1dCB)の蛍光スペクトルを測定したところ、BFPとGFPの距離は、ATP非存在下ではそのエネルギー移動効率から約3.5nmと見積もられた。ところが、過剰のATPが存在するとBFPからGFPへのエネルギー移動効率が大きく減少し、その時の両者の距離は計算結果から約5.1nmにまで遠くなった。このことは、ATPの結合に伴ってミオシンS1dCの分子内でN末端ドメインとコンバータードメインの距離が相対的に大きく変化していることを意味している。ミオシンのATPase反応は、ATPを加水分解した後のリン酸放出のステップが律速段階なので、過剰のATPが存在する場合、ほとんどのミオシン分子はADP.Pi状態にいる。従って、コンバータードメインが動いてN末端ドメインとの距離が遠くなるという構造変化は、ATPを結合した後からリン酸を放出するまでのどこかのステップで起こっているはずである。これを特定するため、ATP加水分解の中間状態で止まっているミオシンの変異体を用いて同様の実験を行った。その結果、ATPが結合したあとの異性化(ATPの結合に伴ってミオシンに内在するトリプトファンの蛍光が増大するステップがあるが、これは異性化ステップと呼ばれている)のステップでコンバータードメインは大きく動くことが明らかになった。さらに、ATPを加えた直後からエネルギー移動効率の変化を経時的に観測すると、ATPが消費されてなくなっていくに従ってミオシンはATP添加前の元の構造に次第に戻っていくことが判明した。この「戻り」速度は、ミオシンのリン酸放出の速度とよく一致することから、リン酸放出のステップでコンバータードメインはもう一度動いて元の構造に戻ることがわかった。これらの実験結果は、ミオシンのレバーアームはATP加水分解中の特定のステップでスイングすることを強く示唆しており、レバーアームのスイングがミオシンの力発生源であるとする、いわゆる「レバーアーム仮説」を支持するものであった。

 次に第二章では、全反射照明蛍光顕微鏡でミオシンモータードメイン1分子の構造変化を検出するという研究を報告した。第一章で述べたような多分子系の実験により、確かにミオシンのレバーアームは1回のATP加水分解サイクルのある特定のステップでスイングすることが立証された。しかしながら、このようなミオシンの構造変化(レバーアームのスイング)と1回のATP加水分解サイクル、さらには実際の力発生との共役関係をより詳細に解析するためには、通常の蛍光光度計を用いた多分子の実験系では限界がある。というのも、前述した「元に戻る」時のレバーアームのスイングは直接力発生に関与していると考えられるため、このステップにおけるより詳細な解析が必要とされるが、多分子系においてはすべてのミオシン分子をこのステップで完全に同調させない限りそれは不可能である。一方、1分子の実験系では多数の分子を同調させる必要がないため、このステップにおけるより詳細な解析が可能である。従って、上述した多分子系での蛍光励起エネルギー移動法によるレバーアームスイングの検出システムを1分子の実験系に拡張することが、ミオシンの構造変化、ATP加水分解そして力発生の3要素の共役関係を解明するためには必要不可欠である。そのための第一歩として、1分子蛍光励起エネルギー移動を可視化する顕微鏡の開発、及び、それに適する2重蛍光標識ミオシン分子の作製を目指した。

 蛍光性タンパク質(GFPやBFP)は、蛍光強度及びその安定性の問題から、1分子測定には適さない。従って、より安定で強い蛍光を発する2つの蛍光色素をミオシン分子に部位特異的にラベルする必要がある。そこで本研究では、Rhodamine RedとCy5をそれぞれ蛍光エネルギー移動のドナーとアクセプターに選定し、部位特異的変異を用いてミオシンの重鎖及び軽鎖に導入した反応性システインを標的にして、重鎖、軽鎖それぞれをこれらの蛍光色素でラベルした。その後、これらの重鎖、軽鎖を用いてモータードメインを再構成し、2重蛍光ラベルされたミオシンモータードメインを作成した。

 1分子の可視化は全反射照明蛍光顕微鏡を利用した。蛍光エネルギー移動を可視化するには2つの蛍光色素からの蛍光を同時に観測しなければならないが、直視分散プリズムを対物レンズの直下に導入することで、ミオシン1分子から発せられるRhodamine RedとCy5の蛍光をスペクトルイメージとして同時に観測することに成功した。これらの技術を用いて、実際に2重ラベルミオシンを観測したところ、ヌクレオチド非存在下では、アクセプター(Cy5)が非常に明るく光るミオシン分子が数多く存在していた。これは両蛍光色素間のエネルギー移動効率が非常に高いこと、すなわち、これらの分子においては分子内のドナーとアクセプターの距離が非常に近い位置にあることを意味する。一方、ミオシンを加水分解の中間状態であるADP.Pi状態に安定にトラップするMgADP.ViやMgADP.AIF4などのヌクレオチドアナログ存在下では、アクセプター(Cy5)が明るく光るミオシン分子の数はヌクレオチド非存在下に比べて大きく減少した。実際、これらのスペクトルイメージはその形状が大きく異なっており、この差異はミオシン1分子の構造変化(レバーアームのスイング)に由来するものと考えられる。

 このように本論文は、未解決であるモーター分子のエネルギー変換機構の本質にせまる独創的な成果を生み出し、細胞生物学、生物物理学に対する貢献も大きいと評価できる。以上により本論文は博士(学術)を授与するに相応しい内容であると判定した。

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