学位論文要旨



No 114907
著者(漢字) 中釜,勇人
著者(英字)
著者(カナ) ナカガマ,ハヤト
標題(和) 大脳視覚野における神経回路網の自己組織化に関する研究
標題(洋)
報告番号 114907
報告番号 甲14907
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第249号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 理化学研究所 チームリーダー 田中,繁
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 助教授 安田,賢二
 東京大学 助教授 池上,高志
内容要旨

 大脳皮質一次視覚野は、網膜の出力を受ける外側膝状体から入力を受ける。この入力投射の空間的構造を大脳皮質表面に平行な平面で見た場合、網膜部位に対する空間的位相関係は一次視覚野でも保たれていて、これは網膜部位対応構造と呼ばれる。一次視覚野では近接する細胞がほぼ等しい方向からの刺激に反応する。また、左右眼の網膜から外側膝状体を経て一次視覚野へ達する入力は眼優位性コラムと呼ばれる縞模様の構造を形成している。一次視覚野の近接する細胞は同じ目からの入力に対して反応し、そのように反応する細胞の集まりが、一次視覚野上に左右交互に並んでいる。また、大脳皮質表面に垂直な方向には細胞が反応する特徴量が類似していることが知られ、この特定の特徴量に反応する細胞が大脳皮質上にコラム状に集まって機能的マップを形成している。

 外側膝状体から一次視覚野へ投射があることは遺伝的にある程度決まっているが、その投射の細部の構造は神経細胞の活動に依存して決まると考えられている。特に網膜の細胞の活動量やその活動パターンが一次視覚野への投射の空間的構造の形成に重要な役割を果たしていると考えられている。また、神経細胞のシナプスは活動に依存して結合が繋ぎ変わることが知られ、このシナプス結合の繋ぎ変えによって、大脳皮質にコラム構造が形成されると考えられる。

 網膜では発生の初期段階から神経節細胞が自発的に発火していることが知られ、近くにある細胞は同期して発火する傾向があることが分かっている。このような活動パターンが存在すると、外側膝状体や一次視覚野にある細胞は網膜の細胞の活動パターンを知ることで網膜上での細胞の位置関係を知ることができる。このような網膜細胞の時空間的な活動パターンが一次視覚のコラム形成を促すことは理論的にも確かめられていて、現在までに網膜部位再現性、眼優位コラムの形成などを説明するモデルが提案されている。本研究は、この網膜における活動パターンの相関がどのようにコラム形成を促すか、方位マップとチトクロームオキシダーゼブロッブについて調べた。

 一次視覚野の細胞の多くは傾いた線分状の刺激に反応し、また同じ傾きに反応する細胞が集まり、方位選択性のコラム構造(方位マップ)を形成している。一次視覚野の細胞が線分に選択的に反応する理由は、外側膝状体から直接入力を受ける一次視覚野の単純型細胞の受容野が、ある特定の方位に伸びているからである。外側膝状体からの入力は視野部位再現構造や眼優位コラムを形成すると同時に、方位選択性を形成するやり方で一次視覚野の細胞と結合していることになる。また、方位マップは外界からの視覚刺激がなくても形成されることが知られているが、どのようにして網膜での神経節細胞の自発発火が方位マップの形成を導くかという問題があった。

 網膜の神経節細胞はオン中心型細胞とオフ中心型細胞からなり、視野の同じ位置に反応するそれらの細胞は同時には発火しない傾向がある。宮下と田中(1992)はそのようなオン中心型細胞とオフ中心型細胞の自発的活動パターンから、一次視覚野にある単純型細胞の受容野と方位マップが自己組織的に形成されることを示した。しかし、他の研究者らが指摘するように、実験的に観察される方位マップの空間周波数特性はほぼ帯域通過型であるのに対して、このモデルによって得られた方位マップは低域通過型の性質を示し、方位マップの空間的構造において実験結果と合わないということが分かった。

 この点に関して,方位マップが形成される時期に網膜のオフ中心型細胞の活動が優位に強いという性質が方位マップの形成にどのように作用するかを調べた。その結果、オン中心型細胞とオフ中心型細胞の活動強度が等しい場合は、方位マップは低域通過型の性質を持つのに対して、オフ中心型細胞の活動が強い場合は、帯域通過型の性質を持ち、実験的に得られる方位マップの性質と一致することが分かった。これは、網膜のオン中心型細胞とオフ中心型細胞の活動強度の不均衡が方位マップの形成に大きく関与していることを示している。

 大脳皮質一次視覚野の表層と深層にはチトクロームオキシダーゼ(CO)に優位に染りやすい領域がブロッブ状に観察され、これはこの領域内にある細胞が他の細胞に比べて代謝活動が強いことを示している。さらに、このCOブロッブは一次視覚野において眼優位コラムの中央に位置する傾向があることも分かっている。これは眼優位コラムとCOブロッブが一定の関係をもって形成されることを示している。COブロッブの構造も眼優位性コラムと同様、外側膝状態からのシナプス入力と関係している。外側膝状体の層間にあるK細胞はCOブロッブ内に入力があり、ブロッブ外には入力がない。また、外側膝状体のk細胞以外の細胞は一次視覚野の4層を経由して2-3層のブロッブ内、ブロッブ外両方に投射している。外側膝状体にあるk細胞の活動が、それ以外の細胞の活動に比べて強いと仮定すると、実験的に得られるCOブロッブと眼優位コラムとの関係を再現できることがシミュレーションで分かった。これら一連の結果は、大脳被質視覚野に見られる多くのマップ構造が自発的な神経活動により自己組織的に形成されるという考えを裏付けている。

審査要旨

 本研究は大脳一次視覚野で見られる周期的な方位マップが外側膝状体のオン中心型細胞とオフ中心型細胞の自発的活動のパターンから自己組織的に形成可能であることをシミュレーションで示し、また大脳一次視覚野に見られるチトクロム酸化酵素が密集しているCOブロッブと眼優位コラムの幾何学的な関係に対応するシナプス結合も神経細胞の自発的活動から自己組織的に形成できることをシミュレーションで示した。

 申請者は、発達初期のネコやフェレットで観察される、網膜のオフ中心型細胞の活動がオン中心型細胞に比べて優位に強いという性質が大脳視覚野で観察される方位マップの形成にどのように影響するかを調べた。始めに、外側膝状体にあるオンとオフ中心型細胞の活動の相関関数を定式化した。また、同期的に活動する細胞間でその結合を強め合うというHebb則に基づき、方位マップの自己組織化モデルのエネルギー関数を定式化した。次に、オンとオフ中心型細胞の活動が均衡している場合と不均衡な場合のそれぞれに対し、ステップ数400のモンテカルロシミュレーションを行った。得られた外側膝状体から一次視覚野への結合パターンから、一次視覚野の細胞の受容野を計算した。どちらの場合も一次視覚野の単純型細胞の受容野として観察されるガボール関数で近似できるような受容野が見られた。それぞれの受容野から最適な方位を計算し、方位マップを作成した。すると、オンとオフ中心型細胞の活動が不均衡な場合は最適な方位が周期的に変化しているのが見えたが、オンとオフ中心型細胞の活動が均衡している場合はそのような構造が見られなかった。この関係を定量的に評価するため、方位マップのパワースペクトルを計算した。その結果、オンとオフ中心型細胞の活動が均衡している場合は、方位マップは低域通過型の性質を持つのに対して、不均衡な場合は、帯域通過型の性質を持ち、実験的に得られる方位マップの性質と一致した。

 更にオンとオフ中心型細胞から一次視覚野4層へのシナプス終末の構造が、活動が均衡している場合はストライプ状の構造をとり、活動が不均衡な場合はブロッブ状の構造をとることが分かった。また、最適な方位はオンとオフのシナプス終末の境界と平行であることが分かり、シナプス終末がストライプ形状をとるときはそこで非常に大きな同一方位の領域が現れてしまうが、ブロッブ構造をとるときは各ブロッブの周りで最適な方位が360゜回転し、周期的な方位マップが得られることが分かった。更に、方位マップはその周りで180゜方位が回転する方位中心と呼ばれる不連続点を持っているが、それぞれのブロッブ内に2つの時計回りの方位中心が、反時計回りの方位中心はブロッブの外側に位置していることが分かった。

 大脳視覚野にはチトクロム酸化酵素(CO)の抗体で組織染色した場合、COを多く含む領域が水玉のように分布している。これはCOブロッブと呼ばれている。申請者は、COブロッブと眼優位コラムの構造が神経細胞の自発発火によって自己組織的に形成されるかどうかを調べた。一次視覚野2/3層に投射繊維を送る神経細胞を2つのグループAとBに分け、更にそれぞれのグループを左右それぞれの目からの入力を受ける2つのグループに分けた。このシミュレーションでは、モデルの構造の変化に伴い、シナプス前細胞の活動の相関関数は方位マップ形成のモデルとは異なるものを使用したが、エネルギー関数は同じものを使用した。また、2つの細胞グループAとBの活動強度に十分な非対称性があり、かつ同じ目に属する異なるグループ同士の細胞間の活動にある程度相関があると、サルの実験で得られるCOブロッブと眼優位コラムとの幾何学的な関係を再現できることが分かった。そのときに、シミュレーションで得られた眼優位コラムの周期を実験で得られたものに等しいとした場合に計算される、単位面積当たりのCOブロッブの密度は実験的に観察される値とほぼ一致した。

 その他のパラメータ、エネルギー関数の制限項や、相関関数の幅などは、それらが適切な範囲内にあるときは、COブロッブの基本構造に大きく影響を与えないことが分かった。また、網膜部位再現構造の網目模様を計算した結果、COブロッブのある位置で網目が広がっていることが分かった。これはCOブロッブの中にある細胞が比較的空間周波数か低い刺激に対して反応していることと一致した。また、眼優位コラムの境目で網目が折り返していたが、これは眼優位コラムの境界では左右の目が視野の同じ領域を見ていることが分かった。左右の目に活動の相関が無いとして得られたCOブロッブと眼優位コラムのパターンは、サルで得られたデータと非常によく一致していた。サルは生まれたときにCOブロッブと眼優位コラムのパターンが見られるので、それらが両目の独立な活動から形成されると考えると、シミュレーションの結果と一致する。一方、左右の目に活動の相関があると仮定すると、一つのCOブロッブが隣り合う2つか3つの眼優位コラムにまたがって存在するようになった。これはネコで観察されるCOブロッブの構造に非常に良く似ていた。ネコの場合、目が開いた後視覚経験を経てコラム構造が現れるという実験事実と一致していた。

 以上要約すると、本研究では一般に認められている神経細胞間のシナプス結合の学習則を用い、方位マップ及びCOブロッブの形成に関してシナプス前層の細胞の活動を相関関数として定式化し、大脳皮質視覚野に見られる周期的な方位マップと眼優位コラムとの規則的な関係を持ったCOブロッブの構造を再現した。これらの結果は、実験事実に基づく仮定と、少ない仮定から、多くの実験結果を再現すると共に、多くの実験事実を予言するものであった。よって審査委員一同、本研究が理論神経科学と実験神経科学に有意義な貢献をしたことを認め、論文提出者は博士(学術)を受けるにふさわしいと判断した。

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