本学位論文は、成熟脂肪細胞の1)分化形質を維持した培養方法を確立し、2)脂肪細胞のゲル収縮の発見とその様態の解析から、脂肪細胞を細胞生物学的に研究したものである。 現在、分化した脂肪細胞を長期培養できる方法がない。1)の培養方法の確立に当たっては、脂肪組織に存在するI型コラーゲンを培養基質として適用し生体内により近いと考えられるゲルの中で成熟脂肪細胞を培養した際の形態,増殖,インスリン応答性が検討された。浮遊培養系およびI型コラーゲンコート培養皿上での培養条件と比較し,I型コラーゲンゲル内の成熟脂肪細胞は,球状の細胞形態を少なくとも50日以上の長期間維持し、分化形質を維持した。レブチン分泌機能に関連して従来の浮遊細胞の系に比べ、より生理的なインスリン応答性を示した。またアドレナリンやインスリンに対する脂質代謝の生理的応答も観察された。培養期間中培養成熟脂肪細胞を含むI型コラーゲンゲルは脂肪組織類似の構造を形成した。より生理的応答性を維持すると考えられる培養系において観察された現象であることから,脂肪細胞の培養方法として十分考慮しうることが示唆された。次に、分化形質を維持したゲル培養において観察される脂肪細胞の細胞と細胞外マトリックスとの動的相互作用であるゲル収縮様態及びその機構について細胞生物学的に検討を加えられた。コラーゲンゲル内の脂肪細胞のゲル収縮は、細胞の存在により起こる現象であり、アクチンフィラメント重合阻害剤、呼吸阻害剤及びタンパク質合成阻害剤によりゲル収縮が阻害された。このことからアクチンフィラメントの動的性質の関与が大きいと示唆された。繊維芽細胞で報告されているゲル収縮機構である細胞骨格-細胞外マトリックス間の形態変化を伴う牽引現象とは異なり、成熟脂肪細胞では,球状の細胞形態を保持したままでゲルが収縮した。その機構をCCDカメラにより追跡し解析したところ,局部的なアクチンフィラメントのダイナミクスによる細胞の回転運動に基づく動きが基底膜を介してゲルのコラーゲン繊維に弱い張力を与え、コラーゲン会合体の高次構造の再構成をもたらしたものと考えられた。本研究による知見は,脂肪細胞の細胞骨格の動的側面を示したと同時に細胞・細胞外マトリックス相互作用の新しい関係を示唆するものとなった。 近年、生体の機能を探る方法として培養細胞を用いた研究が中心になってきている。生体の脂質代謝を脂肪細胞を用いて研究した例は多いが、使用している細胞の培養方法には生体とかけ離れている問題があり、数時間の解析系としてしか適用できない現状の中で研究が行われてきた。著者が採用した本研究の中心研究課題である脂肪細胞のI型コラーゲンゲル内培養方法はどれだけ正確に生体内を反映しているかは今後の課題ではあるが、長期間分化形態を維持したまま培養でき、ホルモンに対してもほぼ生体内でみられる範囲の応答がみられている。これまで報告されている他の脂肪細胞培養方法が、培養系として成立していないということに比べると、本研究結果は画期的である。著者が脂肪細胞のゲル内培養の過程で発見した脂肪細胞によるゲル収縮現象は、これまで線維芽細胞で観察報告されていた収縮機構と比較し、細胞の形態が変化せずゲル収縮を起こすという新しい発見、球形の細胞形態を維持したまま主にアクチン線維を中心とした細胞骨格と細胞外基質との相互作用によりゲル収縮を起こすということなど新しい発見が多く、また今後脂肪細胞の応用的な研究への方法論を提示したという点でも評価できる。このように、細胞・細胞外マトリクス相互作用、細胞・細胞骨格関係及び脂質代謝研究モデルの提示といったユニークでかつ広範な研究分野への学術的な貢献度も高く、今後の発展が期待される研究でもある。以上のことから、本論文が博士(学術)の学位に値するという点について、審査委員会の全委員が意見の一致をみた。なお、本論文の前半部分は、広瀬志弘氏、林利彦氏、及び跡見順子氏との共同研究、後半部分は。広瀬志弘氏、田中幹人氏、Thomas K.Borg氏、林利彦氏、及び跡見順子氏との共同研究であるが、前後半ともに、論文提出者が主体となって研究の立案、課題の解決、及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |