学位論文要旨



No 114908
著者(漢字) 播元,政美
著者(英字)
著者(カナ) ハリモト,マサミ
標題(和) 成熟脂肪細胞の細胞生物学的研究
標題(洋)
報告番号 114908
報告番号 甲14908
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第250号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 跡見,順子
 東京大学 助教授 八田,秀雄
 東京大学 教授 林,利彦
 東京大学 教授 福林,徹
 東京大学 教授 石浦,章一
内容要旨 背景と目的

 成熟脂肪細胞は、脂肪組織中で最終分化した球状の細胞形態を呈し、エネルギー代謝機能や生理活性物質の分泌機能をもって生体内のホメオスタシス維持に大きく貢献していると考えられている。脂肪細胞に関する研究には、脂肪組織における脂肪細胞の分化状態を維持する培養系が確立されていないことや、肥満に付随する疾病など病理的な観点から脂肪組織を捉え解析される傾向が強いことなどの現状がある。このため、正常脂肪組織における成熟脂肪細胞の、細胞としての挙動や生理的機能、生物学的機能の解明へ向けた解析はほとんど報告されていない。

 一般に、生体内より取り出した細胞の分化機能は、in vitroにおいて維持させることが困難であることが知られる。脂肪細胞についてもこのことがあてはまり、脂肪組織中で観察される球状の形態をもつ脂肪細胞は、プラスチック培養皿上で培養されると脱分化し伸展した細胞形態をとることが報告されている。最近、細胞機能は、生体内で細胞のおかれる,殊に固相環境としての細胞外マトリックスの状態に大きく依存することが報告され始めてきた。このことから、成熟脂肪細胞の培養環境にも、適当な細胞外マトノックス成分および構造体が細胞機能発現に影響し得ると予想された。生体内組織に近いと考えられる状態の培養基質が細胞に提供すれば、in vitroにおいてもある程度の分化状態や生理的機能を維持させ得ることが推測された。さらに,培養成熟脂肪細胞と細胞外環境との相互作用を解析することを通じて,これまであまり観察されてこなかった生理的な状態の成熟脂肪細胞を細胞生物学的に研究可能であることが示唆された。

 生体内脂肪組織における成熟脂肪細胞は、細胞のすぐ外側を基底膜構造、そのさらに外側をI型、III型、V型コラーゲンなど線維性コラーゲン会合体に囲まれている。本研究ではラット脂肪組織より単離した成熟脂肪細胞を用いたが、単離脂肪細胞の周囲は抗ラミニン抗体に反応することから、基底膜構造をある程度保持して単離されている可能性が示唆された。そこでそのさらに外側の培養環境として、線維性コラーゲン会合体を配置させることは、組織における成熟脂肪細胞の細胞外微小環境を反映させる可能性があった。脂肪細胞同様に間葉系の細胞である線維芽細胞は、I型コラーゲンゲル内で生体内を反映する挙動を示し、これが真皮モデルとして臨床応用されている。本培養系においてI型コラーゲンゲルを脂肪細胞の培養環境に適用することが、細胞の分化型形態や生理的機能の発現に影響をもたらす可能性があり、これらをI型コラーゲンゲルを用いた成熟脂肪細胞の培養系確立の目的で検討した。

 本学位論文では、I型コラーゲンゲルを細胞培養基質として用いた際の初代成熟脂肪細胞の分化型形態、生理的ホルモン応答性の維持が可能な培養系を確立すること、および本培養系にて新たに観察された培養成熟脂肪細胞と細胞外環境I型コラーゲンゲルとの相互作用について、そのメカニズムを細胞生物学的に解析し、成熟脂肪細胞の固相細胞外環境への応答能についての知見を得ることを目的とした。

結果と考察

 成熟脂肪細胞は、ラット脂肪組織よりコラゲナーゼ処理して単離した。I型コラーゲンはラット尾腱より酸抽出したものを用いた。第一章では、初代培養成熟脂肪細胞の培養系確立のための検討を行った。成熟脂肪細胞は、浮遊系、I型コラーゲンコート培養皿上(二次元培養系)、およびI型コラーゲンゲル内(三次元培養系)で培養し、細胞形態を観察し、分化型であるとされる球状の細胞形態の維持期間を比較した。浮遊系、I型コラーゲンゲル内培養系において球状の分化型形態は維持され、I型コラーゲンコート培養皿上では培養2日目から脱分化したと考えられる伸展した形態をとり、細胞内に存在した単房性脂肪滴は多房性のものへ変化した。浮遊系では細胞は24時間程度以上の生存は不可能であり、一方、I型コラーゲンゲル内培養された成熟脂肪細胞は、球状の細胞形態を保持したまま50日以上の長期にわたる生存が可能であった。このことから、球状の細胞形態を有する成熟脂肪細胞の生存そのものに接着が関与すること、その分化型形態の長期にわたる維持機構に三次元的マトリックス環境が影響していることなどが示唆された。I型コラーゲンゲル内培養した成熟脂肪細胞は、レプチン分泌機能、脂質代謝機能における正常なホルモン応答性を保持した。さらに培養過程で、培養成熟脂肪細胞を含むI型コラーゲンゲルは、脂肪組織類似の構造体を形成した。これらのことは、in vitroにおいて生体内を反映する成熟脂肪細胞の培養がI型コラーゲンゲルを用いて可能であり、機能的な成熟脂肪細胞の集合単位として成熟脂肪細胞の様々な環境刺激に対する応答性や、生理的、病理的な細胞の機能解析系として応用可能であることなどが示唆された。第二章では、I型コラーゲンゲルおよび培養成熟脂肪細胞から脂肪組織類似構造物が形成された現象について、そのメカニズムを細胞生物学的に解析した。このI型コラーゲン「ゲル収縮」現象は、液性因子によらず細胞存在下でのみ観察され、初期コラーゲン濃度依存的に、培養直後より7日間程度観察された。細胞とコラーゲン線維との直接的な相互作用であるか電子顕微鏡観察を行ったところ、球状の脂肪細胞にコラーゲン線維がまきついているような像が観察された。直接的な細胞の動きをビデオ観察したところ、球状の脂肪細胞が回転運動に基づく運動活性を示し、コラーゲン線維間に入れたマーカーが細胞との距離を変化させ、明らかに細胞周囲のコラーゲン線維が細胞運動に伴って再編成されている様子が観察された。コラーゲンゲルのみでは収縮は観察されないため、その原動力となるであろう細胞の力、すなわち細胞骨格系の関与を破壊試薬を用いて検討した。特にサイトカラシンDによるゲル収縮抑制効果が高かったことから、アクチンフィラメントが成熟脂肪細胞の動的活性に大きく寄与していることが示唆された。サイトカラシンD添加の培養系では、ビデオ観察においでも細胞の動きおよびマーカーとの距離の変化などは全く観察されなかった。これらのことから、成熟脂肪細胞が物理的環境に積極的に細胞運動活性をもって応答し、それには細胞形態を変化させずに細胞骨格系を利用していることが示唆された。

結論

 本学位論文では、I型コラーゲンゲルを細胞培養基質として適用することにより、初代培養成熟脂肪細胞が、その分化状態や生理的機能の維持、動的活性を通じて、これまで検討されてきた成熟脂肪細胞の液性因子に対する応答性とは極めて異なる、細胞外マトリックスの固相環境という細胞にとっての物理的環境に対し積極的に応答することが初めて示された。すなわち、生体内における球状の分化形態を保持したままの成熟脂肪細胞が、細胞骨格系を利用して細胞外マトリックス固相環境と直接的に相互作用することが示された。これは、成熟脂肪細胞が、適当な細胞外環境に動的活性をもって応答可能なことを示唆している。また、本培養法を用いて細胞生物学的に成熟脂肪細胞を解析し得ることは、脂肪細胞研究に大きく貢献する可能性を含むものと考えられる。

審査要旨

 本学位論文は、成熟脂肪細胞の1)分化形質を維持した培養方法を確立し、2)脂肪細胞のゲル収縮の発見とその様態の解析から、脂肪細胞を細胞生物学的に研究したものである。

 現在、分化した脂肪細胞を長期培養できる方法がない。1)の培養方法の確立に当たっては、脂肪組織に存在するI型コラーゲンを培養基質として適用し生体内により近いと考えられるゲルの中で成熟脂肪細胞を培養した際の形態,増殖,インスリン応答性が検討された。浮遊培養系およびI型コラーゲンコート培養皿上での培養条件と比較し,I型コラーゲンゲル内の成熟脂肪細胞は,球状の細胞形態を少なくとも50日以上の長期間維持し、分化形質を維持した。レブチン分泌機能に関連して従来の浮遊細胞の系に比べ、より生理的なインスリン応答性を示した。またアドレナリンやインスリンに対する脂質代謝の生理的応答も観察された。培養期間中培養成熟脂肪細胞を含むI型コラーゲンゲルは脂肪組織類似の構造を形成した。より生理的応答性を維持すると考えられる培養系において観察された現象であることから,脂肪細胞の培養方法として十分考慮しうることが示唆された。次に、分化形質を維持したゲル培養において観察される脂肪細胞の細胞と細胞外マトリックスとの動的相互作用であるゲル収縮様態及びその機構について細胞生物学的に検討を加えられた。コラーゲンゲル内の脂肪細胞のゲル収縮は、細胞の存在により起こる現象であり、アクチンフィラメント重合阻害剤、呼吸阻害剤及びタンパク質合成阻害剤によりゲル収縮が阻害された。このことからアクチンフィラメントの動的性質の関与が大きいと示唆された。繊維芽細胞で報告されているゲル収縮機構である細胞骨格-細胞外マトリックス間の形態変化を伴う牽引現象とは異なり、成熟脂肪細胞では,球状の細胞形態を保持したままでゲルが収縮した。その機構をCCDカメラにより追跡し解析したところ,局部的なアクチンフィラメントのダイナミクスによる細胞の回転運動に基づく動きが基底膜を介してゲルのコラーゲン繊維に弱い張力を与え、コラーゲン会合体の高次構造の再構成をもたらしたものと考えられた。本研究による知見は,脂肪細胞の細胞骨格の動的側面を示したと同時に細胞・細胞外マトリックス相互作用の新しい関係を示唆するものとなった。

 近年、生体の機能を探る方法として培養細胞を用いた研究が中心になってきている。生体の脂質代謝を脂肪細胞を用いて研究した例は多いが、使用している細胞の培養方法には生体とかけ離れている問題があり、数時間の解析系としてしか適用できない現状の中で研究が行われてきた。著者が採用した本研究の中心研究課題である脂肪細胞のI型コラーゲンゲル内培養方法はどれだけ正確に生体内を反映しているかは今後の課題ではあるが、長期間分化形態を維持したまま培養でき、ホルモンに対してもほぼ生体内でみられる範囲の応答がみられている。これまで報告されている他の脂肪細胞培養方法が、培養系として成立していないということに比べると、本研究結果は画期的である。著者が脂肪細胞のゲル内培養の過程で発見した脂肪細胞によるゲル収縮現象は、これまで線維芽細胞で観察報告されていた収縮機構と比較し、細胞の形態が変化せずゲル収縮を起こすという新しい発見、球形の細胞形態を維持したまま主にアクチン線維を中心とした細胞骨格と細胞外基質との相互作用によりゲル収縮を起こすということなど新しい発見が多く、また今後脂肪細胞の応用的な研究への方法論を提示したという点でも評価できる。このように、細胞・細胞外マトリクス相互作用、細胞・細胞骨格関係及び脂質代謝研究モデルの提示といったユニークでかつ広範な研究分野への学術的な貢献度も高く、今後の発展が期待される研究でもある。以上のことから、本論文が博士(学術)の学位に値するという点について、審査委員会の全委員が意見の一致をみた。なお、本論文の前半部分は、広瀬志弘氏、林利彦氏、及び跡見順子氏との共同研究、後半部分は。広瀬志弘氏、田中幹人氏、Thomas K.Borg氏、林利彦氏、及び跡見順子氏との共同研究であるが、前後半ともに、論文提出者が主体となって研究の立案、課題の解決、及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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