学位論文要旨



No 114910
著者(漢字) 青木,隆浩
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,タカヒロ
標題(和) 近代の関東地方における清酒製造業の変容
標題(洋)
報告番号 114910
報告番号 甲14910
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第252号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 助教授 鈴木,淳
内容要旨

 近代化は一般に地域や社会を統合し,かつ均質化すると考えられている。産業の近代化に対しても,既存研究は主に大資本が全国市場を支配して中小資本を陶太する側面に注目してきた。しかし,第2次大戦後の高度成長期に至るまで,中小資本の典型である地方の在来産業は,全国の工業生産額全体に対する割合こそ低下させているものの,あまり業者数の減少をみなかった。こうした在来産業の存続は,大資本による地域的統合という概念的把握と相反する。そこで反対に,近代化は必ずしも地域的統合を推進せず,地域的差異を維持ないし新たに創出したという仮定が立てられる。

 清酒製造業を研究対象に選択した理由は,産業全体の規模が大きいにも関わらず,寡占化・独占化が進んでおらず,かつ全国に散在しているため,地域的な統合と分化の過程を捉えやすいからである。また,その中で関東地方の特に埼玉県と栃木県を対象地域とした理由は,東京市場に隣接して灘・伏見といった大産地との競争に直面しながらも,多くの中小酒造家が経営を存続してきたことから,地方産地が大産地に吸収されていかない原因を考察できるからである。

 続いて結果に移りたい。まず明治前期までは,家連合や親戚関係,同郷の仲間を単位とした産地内競争が盛んであり,したがって各酒造家は県全体で組合を結成する必要性を認めておらず,他産地の競争圧力に対して県内同業者に共通の利害関係が存在することを認識していなかった。つまり,明治前期の関東地方は,そこで営業する酒造家が他産地に対する地元の地域アイデンティティをほとんど意識しておらず,言わば産地と呼べるような業者間関係を築いていなかった。

 こうした状況下で,埼玉県や栃木県の清酒製造業は,一般に認識されているような地主副業型の酒造家ではなく,近江商人や越後杜氏を系譜とした専業型の酒造家によって発展した。これら滋賀県や新潟県出身の酒造家は,同族団やそれに準ずるグループに基づいて店舗展開し,組織力で地主副業型の酒造家を淘汰していった。具体的に言えば,近江商人は街道や河川に沿って線状に店舗展開し,一方の新潟県出身者は人口の多い町では市場占有率を高めるために集中出店し,逆に人口の少ない町村では分散して立地しながらも相互に協力関係を維持していた。反対に,血縁や地縁に基づく組織をあまり形成しない地主副業型の酒造家は,単独経営を続けて孤立化していった。

 技術面からみても,これら専業型の酒造家は地主副業型の酒造家よりも優れていた。専業型の酒造家は,良質の酒を造ることに適した地下水を取水できる場所に集中して立地した。反対に,地主副業型の酒造家は,このような専業型の酒造家との競争に直面するような立地条件の良い場所では競争に敗れて廃業に追い込まれたが,専業型の酒造家が出店しなかった自然的立地条件の不利な地域で存続することになった。

 以上のように産地内競争が激しい状況下においては,酒造組合の結成や運営もうまくいかない。埼玉県の酒造組合は,一部の酒造家によって,酒税法を厳守して市場の混乱を排除すると共に,酒造検査の不規則性に伴う偶発的な酒税法違反を極力回避するために組合員が検査員に同行することを目的として,明治初期に結成された。しかし,酒税法を守ることだけを目的とした酒造組合は参加者が少なく,数年で有名無実化した。

 代わって,1890(明治23)年に立憲自由党の再興によって増税反対運動が盛り上がると,酒造組合は対政府関係を担う組織へと変質した。対政府的要求を強化するには,酒造組合の組織的拡大が必要である。このため酒造組合の組織的枠組みは,従来の郡や府県単位から全国へと拡大していくが,同時にその話し合いの中で産地ごとに利害関係が異なることを認識する。具体的に言えば,東北地方の酒造家が大幅な酒税減税を求めたことに対し,関東地方の酒造家は実現可能な範囲で酒税法の改正を提言し,灘の酒造家は現状維持を主張した。こうして全国単位の酒造組合は,組合内部の意見対立を顕在化させたために,政府に対して強い要求をすることができず,さらに立憲自由党が日清戦争後に酒税の増税を認めたことによって,増税反対運動に失敗した。その後,全国の酒造組合は,共通の目的を喪失したことで産地間競争を激化し,その地域的な利害関係のために分裂した。

 増税反対運動の失敗以降,各産地は競争力を強化するために酒造技術の改良を目指していった。それは主に,各地方の税務署による酒造技師の派遣と品評会の開催によって実行された。ただし,この全国的な酒造技術の改良と地域的普及は,後進的な東北地方や九州地方に有利であり,反対に先進的な兵庫県や愛知県,北関東の酒造家から既存の優位性を喪失させた。そして酒造技術は,明治期まで地域差が顕著であったが,大正期を通じて地域的な均質化に向かう。さらに,後進的な産地ほど新しい酒造技術を吸収し,反対に先進的な産地が伝統的な技術を保持したため,新技術に則した全国酒類品評会における立場は逆転した。全国酒類品評会では,広島県や岡山県,秋田県など甘口の清酒を造っていた新興産地が好成績を収め,兵庫県や埼玉県などの旧先進地が振るわなかった。

 ただし,旧先進地である兵庫県や埼玉県が,新興産地の台頭に全く対抗しなかったわけではない。兵庫県の酒造家は,全国酒類品評会で下位の成績にとどまっていたが,その対抗手段として彼らと同じ利害関係にある東京府主催の博覧会や東京府の中間流通業者による製造規模を重要な審査基準とした品評会へ積極的に出品し,高く評価された。一方の埼玉県は,全国酒類品評会の審査基準が酒精分とエキスの多い強濃醇酒であったことに反発し,酒精分が少なくて飲みやすい清酒を造ることで,産地としての商品差別化を図っていった。このように全国酒類品評会の開催は,府県を単位とした酒造家の競争意識を煽り,地域アイデンティティを創出した。そして,全国一律の審査基準で酒質を評価されることに反発したいくつかの産地は,品評会や市場を地域別にブロック化していった。

 こうした産地間競争の激化に伴って,酒造家が意識的に地域を分化した清酒製造業において,昭和初期は大きな転換期となった。なぜなら,禁酒運動の活発化と未成年者飲酒禁止法の制定により,景気の動向に関わらず清酒の飲酒量が減少していったからである。この禁酒運動は,日本のキリスト教信者が欧米の教会から指示を受けて政治的圧力をかけたものであるが,内務省の衛生事業や徴兵制の目的と合致したため,全国的に広がっていった。各地方の酒造家は,全国酒造組合連合会の結束力を強化して,禁酒反対運動を展開し,これに同意する政治家を通じて飲酒禁止の対象年齢を20歳未満から25歳未満に引き上げる法案を否決することに成功した。それでも,禁酒運動の影響は大きく,清酒の需要量が減少し,結果的に酒造家は組合を通して自主的な減産を余儀なくされた。

 ところが,自主的統制を行うほどに組織化の進んだ組合は,逆に第2次大戦期における政府の戦時統制に利用された。清酒製造業に対する戦時統制は,生産上の合理性を目的としたものではなく,むしろ配給や立地の分散を重視していた。よって,地方の酒造家は,兵庫県などの大産地が大輻な生産縮小を強いられたことにより,地域的に分散して数多く存続した。ところが,戦後になっても生産量が基本石数によって制限されたことにより,生産配分の基礎となる基本石数を買収した灘・伏見の大規模酒造家が,卸売段階で景品を付けて地方市場に事実上の安売り攻勢を仕掛けた。一方,地方の酒造家は,基本石数によって生産量が制限されている上に,品不足によって高い利益率を得て,あまり経営上の危機感を抱かなかったことにより,市場占有率の確保に隙間が生じて,地元市場を徐々に失うことになった。つまり,戦時統制は,戦時中に地方の酒造家に有利であったが,市場占有率を無視しているために第2次大戦後の灘・伏見清酒製造業発展のきっかけとなった。

 従来の在来産業研究は,大規模業者と中小規模業者という規模の階層性を対立軸として議論を組み立てる手法を取ることが多かったが,以上の考察によって,地方産地が産地間競争に対応するために,全国から地域的に分化して商品の差別化を行い,他産地の商品流入を阻止する行動とその意義を確認できた。また長期的にみると,各産地の市場条件は変動しており,したがって大産地=大規模業者が常に産地間競争で優位な立場にあったわけではない。大正期の清酒製造業において,新興の広島県や岡山県,秋田県などが銘醸地として急成長を遂げ,一方で大産地の兵庫県や愛知県が生産量を縮小した事実は,大産地=大規模業者が近代化によって全国市場を支配し,地方産地=中小規模業者を陶太するいう規模の階層性を重視した産地間競争の二元論的な解釈と不整合である。

 全国酒類品評会で好成績を収めることを生産量の拡大に利用した新興産地や,商品の差別化によって地元市場の確保を目指した埼玉県などの成功例から判断すれば,地方の在来産業が経営を維持してきた要因は,産地全体としての市場動向への対応と,それを可能とする技術水準や自然的立地条件などの地域的条件に求められる。このような経営方針と地域的条件の差異によって,産地や個別経営の盛衰に違いが認められる限り,近代期の在来産業に対して地域差を軸とした研究手法は有効であると考えられる。

審査要旨

 近代の在来産業に関するこれまでの研究の多くは,大規模業者と中小規模業者との階層性を対立軸として議論を組み立ててきた。大資本ないし大産地は,中小資本ないし地方産地を淘汰し,近代化を通じて,地域的な統合と均質化が進められてきたと考えられてきた。しかしながら,近年こうした考え方の再検討がなされてきている。むしろ逆に近代化は,地域的な分化と差異化を促進してきたとする見解も登場している。近代化の過程において,これまでの地域間関係がどのように変化し,いかなる地域間の関係が形成されてきたのか。こうした課題は,歴史地理学のみならず,人文地理学全体にとっても重要な検討課題となっている。

 本研究は,近代の関東地方における清酒製造業をとりあげ,在地的な中小酒造家が地域性にうまく適応し存続してきた過程を,経営,政治,社会,文化といった多面的な観点から詳細に検討したものである。

 本研究は,3部9章から成っている。

 第1部では,研究方法の検討と本研究の枠組みが示されている。第1章では,在来産業の近代化に関する既存研究の整理がなされ,近代化の過程での地域差に注目する新たな研究方法が提示されている。その上で,清酒製造業をとりあげる意義と,関東地方を対象地域として選定した理由が述べられている。すなわち清酒製造業は,織物業と並ぶ重要産業であるとともに全国各地に分散しており,その中で関東地方の産地は灘などの大産地との産地間競争に激しく見舞われていたのである。また第2章では,清酒製造業に関する研究史が整理されるとともに,清酒製造業の歴史的展開が概観され,時代区分にあわせて本研究の展開が示されている。

 第2部では,清酒製造業の発展と専業型酒造家の台頭が明らかにされている。まず第3章では,江戸期から明治期にかけての埼玉県における清酒製造業の形成過程が,酒造家の系譜に注目して論じられている。埼玉県の清酒製造業は,地主副業型の酒造家ではなく,近江商人や越後杜氏を系譜とした専業型の酒造家によって発展してきた。これら県外出身の酒造家が,同族団や出身地の地縁によるグループに基づいて店舗網を展開し,組織力で地主副業型の酒造家を淘汰していくことになるが,こうした過程が,家系図や聞き取り結果など,独自に収集された資料をもとに,詳細に明らかにされている。

 こうした酒造家の系譜に注目した分析視点は第4章でも引き継がれており,同じ産地内でも酒造家の系譜により立地点の選択や酒造技術が異なり,それらが経営上の盛衰に大きく関与していることが明らかにされている。すなわち,専業型の酒造家は酒造りに適した地下水を取水できる場所に集中して立地したのに対し,地主副業型の酒造家は立地条件の不利な地域で存続していくことになったのである。

 このように明治前期までを扱ってきた第2部では,系譜の異なる酒造家間の産地内での競争に焦点が置かれていた。これに対し第3部では,産地間の競争関係に力点が置かれ,酒造組合(第5章),品評会(第6章),禁酒運動(第7章),戦時統制(第8章)といった重要な歴史的事象の検討を通じて,産地の地域性が浮き彫りにされている。まず第5章では,各府県の酒造組合が営業の自由化に伴う市場の混乱を是正するために結成されたこと,それらが増税反対運動を契機として全国的に統合していくこと,その後産地ごとに利害関係が異なることがはっきりしてくるにつれて分裂に至ること,こうした過程が統計資料や酒造組合の資料をもとに明らかにされている。

 酒造組合の分裂後,産地間競争が激化していくが,各産地は競争力を強化するために,主に酒造技術の改良をめざしていった。第6章では,こうした酒造技術の地域的伝播と産地間競争の質的変化が検討されている。そこでは,酒造技術の改良と地域的普及が産地間の技術水準を平準化し,先進的な兵庫県や北関東の酒造家の優位性が喪失していったこと,全国酒類品評会では広島,岡山,秋田などの新興産地が好成績を収め,旧先進地が振るわなかったこと,これに対して旧先進地は商品差別化によって市場を地域的にブロック化し,販売先を確保する戦略をとったことが明らかにされている。全国酒類品評会に注目した点はユニークであり,こうした品評会が,府県を単位とした酒造家の競争意識を煽り,地域アイデンティティを創出していくことになったとされている。

 続く第7章では,昭和初期における禁酒運動の活発化と未成年者飲酒禁止法の制定がとりあげられている。そこでは,柳田國男の飲酒論に関する詳しい検討がなされるとともに,全国酒造組合連合会よる禁酒反対運動の展開を通じて,一時的ではあるにせよ各産地が結束した様子が描写されている。

 また第8章では,第2次大戦期の生産統制と企業整備が詳しく分析されている。この戦時統制が生産性の向上ではなく,むしろ配給や立地の分散を重視していたため,地方の酒造家が地域的に分散して存続していくことになったことが,国税庁の資料や酒造組合の名簿などによって,明らかにされている。なお,こうした企業整備が戦後の産地間競争に与えた影響についても言及されており,灘・伏見の大規模酒造家が地方市場を侵食し,地方の酒造家が衰退していったことが指摘されている。

 最後に第9章では,大産地=大規模業者が常に産地間競争で優位な立場にあったわけではなく,地方産地が産地間競争に対応するために,商品の差別化を行い,地元市場の確保をめざしてきたこと,また地方の在来産業が経営を維持してきた要因は,産地全体としての市場動向への対応と,それを可能とする技術水準や自然的立地条件などの地域的条件に求められることが結論として述べられている。

 以上,本論文は,豊富な文献研究とともに,酒造組合名簿,組合史,酒造家の文書,現地での聞き取り調査,家系図等の史料収集に基づく詳細なデータを駆使して,近代化過程における地域アイデンティティの創出を描き出し,多くの新しい知見を得ている。しかも,経営・経済的側面のみならず,政治的側面や社会的側面,さらには文化的側面にも着目し,多面的に近代における地域差や地域間関係が捉えられている。そうした点で,本論文は,近代化期の産業研究・地域研究に新たな方向性を提示するとともに,現代的にも重要な意味をもつ地域間関係の歴史的解明に大きく寄与するものということができる。よって,本論文の提出者青木隆浩は,博士(学術)の学位を授与される資格があると認める。

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